*同一プロダクション 2001/04/14 15:00 神戸松蔭女子学院大学チャペル
ザムエル・シャイト/詩編《イエスが十字架につけられたとき》 SSWV113 *オルガン独奏:大塚直哉
クリストフ・デマンツィウス/《イエス・キリストの苦難と死の預言》〜イザヤ書第53章より〜
クリストフ・デマンツィウス/《ヨハネ受難曲》
ハンイリッヒ・シュッツ/《マタイ受難曲》 SWV479
指揮:鈴木雅明
独唱(シュッツ):櫻田 亮(T/福音史家)、浦野智行(B/イエス)
オルガン(デマンツィウス):大塚直哉
合唱:バッハ・コレギウム・ジャパン
ソプラノ I :柳沢亜紀(女中I)、緋田芳江
ソプラノ II:江田雅子、懸田奈緒子(女中Il)、鈴木美紀子
アルト:青木洋也、上杉清仁(ユダ、ピラトの妻)、鈴木 環
テノール I :櫻田 亮(エヴァンゲリスト)、谷口洋介(ピラト、偽証人)
テノール ll:原田博之、水越 啓(ペトロ、偽証人)
バス:浦野智行(イエス )、香月 健(カイアファ)、緋田吉也、藤井大輔
《17世紀 ドイツ・プロテスタントの受難曲》
『受難曲』というと、熱心な音楽ファンには魅力的な響きが想像されるでしょうが、考えてみると、不気味な意味が込められているのも事実です。十字架は、「神に呪われたもの」だけが受ける、当時の最も残虐な処刑道具でした。イエスが罪のないままに、この十字架上で死なれたからこそ、十字架がキリスト教会のシンボルとなり、十字架のペンダントも決して「忌むべきもの」ではなく、美しいアクセサリになり得たのです。この十字架を記念して行われる「聖金曜日」
Good Friday の礼拝では、必ず聖書の受難物語が朗読されることになっていますが、「受難曲」とは、まさにこの聖書朗読に端を発しています。
至高の名作と言われるバッハの《マタイ受難曲》や《ヨハネ受難曲》も、決して一日にして生まれたものではありません。ドイツ・プロテスタント音楽の深い伝統なくしては、決して成り立ち得なかったでしょう。
16世紀以来の受難曲伝統のひとつは、すべての台詞を合唱で歌ういわゆる「通作受難曲」であり、ルネサンス風のポリフォニーに基づいています。この技法はその後も受け継がれ、今回聞いていただくデマンチウスの名作を生みました。
一方、より古い聖書朗唱に基づく「応唱受難曲」も根強く残っており、現にバッハの時代にはまだ、200年前のヨハン・ワルターの受難曲が、毎年定期的に演奏されていたのでした。「福音史家(エヴァンゲリスト)」と呼ばれるナレーターを中心に、台詞はそれぞれの登場人物に割り当て、弟子達や群集は合唱が受け持つのです。ハインリヒ・シュッツは、この方法を用いて、楽器を排除し、純粋に歌声のみでイエスの受難を淡々と語らせたのでした。
この受難曲は、キリスト教の生み出した最も実用的な音楽でしょう。それはまさに、朗読の言葉を運ぶ器に過ぎません。しかし、それぞれの言葉は、修辞学的に、また象徴的に、こと細かに表現されます。そこでは、確かに個人的な喜怒哀楽が入りこむ隙間は微塵もなく、冷徹に、十字架の事実が告知されます。しかし、物語が進むにつれ、あたかも能の舞を観るかのごとく、静謐の中にある激情に身を委ねることになるに違いありません。21世紀初めての受難週を迎えるにあたって、音楽が『言葉』に仕えるものであることを知るために。
(01/04/02:チラシ掲載文より転載)
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