第66回定期
  バッハ:華麗なるコンチェルトの夕べ《Rシリーズ》
    〜名手たちが織りなす極上のバッハ〜  


2004/11/30  19:00 東京オペラシティコンサートホール・タケミツメモリアル
*同一プロダクション
   2004/12/ 1 19:15 神戸新聞松方ホール BCJ松方ホールシリーズ


J.S.バッハ/チェンバロ協奏曲 ニ長調 BWV1054
       ヴァイオリン協奏曲 二短調 BWV1052R(復元版)
       オーボエ・ダモーレ協奏曲 イ長調 BWV1055R(復元版)
       3つのヴァイオリンのための協奏曲 二長調 BWV1064R(復元版)

(04/12/01)


《出演メンバー》  

指揮/チェンバロ鈴木雅明
オーボエ・ダモーレ三宮正満
ヴァイオリン寺神戸亮、若松夏美、高田あずみ、竹嶋祐子、荒木優子、戸田 薫、山口幸恵
ヴィオラ森田芳子、渡部安見子
チェロ鈴木秀美
コントラバス西澤誠治

*チェンバロ協奏曲 ニ長調 BWV1054
   チェンバロ独奏:鈴木雅明
   ヴァイオリン I :若松夏美、戸田 薫、竹嶋祐子
   ヴァイオリンII :高田あずみ、荒木優子、山口幸恵
   ヴィオラ:森田芳子、渡部安見子
   チェロ:鈴木秀美 コントラバス:西澤誠治

*ヴァイオリン協奏曲 二短調 BWV1052R(復元版)
   ヴァイオリン独奏:寺神戸亮
   ヴァイオリン I :若松夏美 ヴァイオリンII :高田あずみ ヴィオラ:森田芳子
   チェロ:鈴木秀美 コントラバス:西澤誠治 チェンバロ:鈴木雅明

*オーボエ・ダモーレ協奏曲 イ長調 BWV1055R(復元版)
   オーボエ・ダモーレ独奏:三宮正満
   ヴァイオリン I :若松夏美、戸田 薫、竹嶋祐子
   ヴァイオリンII :高田あずみ、荒木優子、山口幸恵
   ヴィオラ:森田芳子、渡部安見子
   チェロ:鈴木秀美 コントラバス:西澤誠治 チェンバロ:鈴木雅明

*3つのヴァイオリンのための協奏曲 二長調 BWV1064R(復元版)
   独奏ヴァイオリン I:寺神戸亮 独奏ヴァイオリンII:若松夏美 独奏ヴァイオリンIII:高田あずみ
   リピエノ・ヴァイオリン I:戸田 薫、竹嶋祐子 リピエノ・ヴァイオリンII:荒木優子、山口幸恵
   リピエノ・ヴィオラ:森田芳子、渡部安見子
   チェロ:鈴木秀美 コントラバス:西澤誠治 チェンバロ:鈴木雅明
  ※プログラムの「制作ノート」にはリピエノなしの版で演奏すると記載されているが、リハーサルの結果
    リピエノ付で演奏された。

(04/12/01)


「復元版」協奏曲にみるバッハの編曲とその魅力

 “コンチェルト”という言葉はいつも何か華やかな競演を想像させますが、バッハの頃は今より遙かに“最先端の音楽”というイメージが強かったに違いありません。バッハがこの様式に興味を持ったのは、ワイマール時代のおそらくかなり早い時期でしょう。まず彼は他の作曲家のコンチェルトを書き写し、それを鍵盤曲にアレンジすることから始めました。そして、自らブランデンブルク協奏曲を初めとする数多くのコンチェルトを生み出しましたが、中でもチェンバロのコンチェルトには特に大きな関心を持っていたはずです。
 現在、1台から4台の楽器を用いるものを合計すると13曲ものチェンバロコンチェルトが完全な形で現存していますが、何とそのうち1曲を除くすべてが、ほぼ確実にヴァイオリンやオーボエなど他の楽器のために書かれた作品の編曲なのです。その際、ヴァイオリンでの弦楽器の音型をそのままチェンバロで演奏すると、全く陳腐なものになってしまうので、バッハは様々な工夫を凝らします。例えばヴァイオリンの闊達なテーマには常に対旋律を、のびやかに歌うような旋律には華麗な装飾をつける、といった具合です。その結果、これらの作品は全く新たな命を持って生まれ変わりましたが、無論バッハ自身の空前絶後の名演奏の効果もあって、結局チェンバロコンチェルトとしてのみ生き延びることになり 原曲の資料は大半失われてしまったのでした。
 そこで現存するチェンバロコンチェルトの元の姿を知りたい、という思いから、多くの学者や演奏家が、原曲の復元ということを試み始めました。これは、ヴァイオリンやオーボエの楽器の特性と原曲の残っているもの(例えば今回演奏するBWV1054)の比較研究によって、バッハがチェンバロへの編曲の際どのような作業をしたかを突き止め、それを逆に戻そうという試みです。
 その答えは決してひとつではなく、様々な可能性が残されてはいますが、そのことによって、バッハの作曲のプロセスを知り、バッハの器楽作品の書法の詳細を知ることにも繋がりました。
 そこで今回は、これらの原曲を復元したものを中心に、プログラムを作ってみました。よく知られたチェンバロコンチェルト ニ短調 BWV1052が本来のヴァイオリンで鳴り響き、カンタータの中ではお馴染みのオーボエ・ダモーレが、コンチェルトのソロ楽器として登場。さらには3本のヴァイオリンがその技巧を競う3本のヴァイオリンコンチェルトなど、ふだんは滅多に聴くことのできないバッハファン垂涎のプログラムです。

鈴木雅明 (バッハ・コレギウム・ジャパン音楽監督)
(04/11/29:チラシ掲載文)


第66回定期演奏会 巻頭言

 10月の半ば2週間ほど、クリストファー・ホグウッドが創立したオーケストラ“アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージック”の客演指揮をして、イギリス南部の6ヶ所でコンサートをしてきました。ロンドンでのリハーサルを終えた後、ケンブリッジに1週間以上滞在することができたのは非常に幸運でした。このオーケストラの本拠地は今でもこのケンブリッジにあり、町に寄り添うように流れる小川のほとりに、ホグウッド氏の自宅とオーケストラの事務所が隣り合っています。
 ケンブリッジ大学は、各カレッジが独立した社会を持っているので、私たちの大学のイメージとは大きく違います。カレッジごとのチャペルとダイニングルームはまさにハリー・ポッターの世界ですが、中でもキングス・カレッジのチャペルは圧倒されるようなステンド・グラスに彩られています。唯一の休日に出席できた夕拝(Evensong)は、美しい聖歌隊とオルガンの響きに包まれて、ドイツやオランダの礼拝では決して味わえない夢のようなひとときでした。イギリスがこんなにもロマンティックな国であったとは!
 キングス・カレッジの隣、トリニティ・カレッジには有名なレン・ライブラリー Wren Library という古色蒼然たる図書館があり、1日に2時間だけトゥーリストにも開放されています。この展示の中には、15世紀の聖書や宗教改革者メランヒトンの著書などと共に、アイザック・ニュートンの有名なノートブックがあります。ニュートンは、史上初めて対数を用いて平均律の音程関係を計算した人ですから、このノートの中にその計算式があるのかもしれません。(その横には彼の「髪の毛」が一房残してあり、妙に実在感がありました。)ニュートンの隣には、なんと「くまのプーさん Winnie-the-Pooh」の原画が鎮座しています。これはイギリス流ユーモアの表れなのでしょうか。ニュートンの資料は自由に撮影できるのに、この「プーさん」だけが版権のために「撮影禁止」になっているのには苦笑してしまいました。
 ずらりと金表紙が並んだ古めかしい本棚の下では、多くの職員や研究者たちが現実の仕事に携わっています。彼らを見下ろすように聳え立つ本棚の前に立つと、本たちが「これこそ人類の英知の塊である」と主張しているようなすさまじい威厳があり、思わず敬礼してしまいそうになりました。

 ニュートンはケプラーの天体理論や音楽論にも精通していたそうですが、これら17世紀以来の自然科学の発見は、この世が驚くべき秩序に従って動いていることを証明しました。が、同時に彼らはその秩序が神の創造によることを認めて、感嘆の色を隠しませんでした。そして、神によって創造されたその世界秩序の投影、あるいは凝縮した存在として、音楽を見たのです。音楽が拠って立つところの和声と対位法の秩序、そしてそれらを包括する調性の原理は、自然界の法則の類比と考えられたのでした。
 ですからニュートンの存在は、バッハにも無関係ではありません。バッハの死の直後、J.F.アグリコラは書簡の中でバッハをニュートンになぞらえていますし、バッハが14番目の会員となった「音楽学術協会」を主催していたローレンツ・C・ミーツラーは、熱心なニュートン礼賛者でした。ニュートンが重力の法則を発見したと同じように、バッハは自然界に存在する響きの秩序を音楽の中で示し、世の中にその美しい存在を知らしめたのでした。バッハはしかし、ラモーのように自ら理論書を著すことはせず、あくまでも音楽の実践によってのみ、この整然とした秩序が生き生きと働くことを示したのです。ですから彼の音楽は、ある天才の気ままな発想の産物というより、自然界の秩序の発露であり、バッハを通じてわれわれ凡人にもそれが感じられ、見え、聴こえるようになったと言えるでしょう。

 さて、音楽は響きの秩序に従ってなされるものではありますが、作品の構成原理は、常に音楽の外に求めてきました。例えば、ミサの形式、詩や劇の形式、また舞踏の形式など、音楽に何らかの枠組みを与えてきたものは、すべて音楽の外のものであったのです。ところが、ちょうど自然界の法則が発見されるようになった17世紀の中庸から、言葉にも舞曲にもよらない器楽の形式が芽生えてきました。これが、コンチェルトと呼ばれる構造です。
 コンチェルト形式は、本来相反する複数の要素の対比、ということから始まったと思われます。フォルテとピアノ、トゥッティとソロ、左右や上下の配置などなど、多くの対比が音楽の基本を作りました。しかし、イタリアでのセンセーショナルな発展のためには、対比の要素のみならず、調性の存在を示すことが大きな目的として意識されていたに違いありません。音楽の基礎がそれまでの教会旋法から調体系に移っていくプロセスにおいて、「調性」がもはや響きの原理としての働きだけではなく、音楽作品を支える構成の原理としても働き始めた、と言ってもよいでしょう。
 ひとつの調性を確立するためには、カデンツと呼ばれる和音の連なり、つまり I (主和音 Tonica)−V (属和音 Dominant)− I (主和音 Tonica)という動きが必要ですが、それらがつながって様々な転調を経てもとの調に戻ってくることで、私たちはあたかも世界中を旅行したかのような変化を味わうことができます。そして、その調性原理によって自らの中に音楽的充実が得られるので、もはや音楽は音楽以外の原理によらなくとも存在できる、いわば自律の原理を獲得した、と言っても過言ではありません。これによって、ようやく言葉のない器楽曲が大手を振って発展できるようになったのです。
 しかし、バッハはこのコンチェルトの原理を、器楽曲のみならずカンタータにも応用しました。本日演奏する復元ヴァイオリンコンチェルト ニ短調BWV1052RもカンタータBWV146とBWV188に転用されていますし、多くのカンタータの冒頭楽章は、コンチェルト形式をとっています。カンタータは言うまでもなく言葉のある音楽ですから、本来そのような形式を必須とはしていなかったはずですが、これはバッハの世界観の表れに他なりません。つまり、ケプラーやニュートンにとって、自然科学の研究は神の創造された世界の探求であり、そこに発見された法則が神の制定された法則であったのと同じく、バッハにとって、音楽における自律の原理は、神によって創造された原理であったのですから、神のために用いられるべきは当然であったでしょう。人が、神から離れて自律を求める行動の結果は、「失楽園」以外の何物でもありません。ここに、ニュートンとバッハの共通の世界観が表れているのです。

 今日のプログラムは、失われたコンチェルトの集まりです。これは、バッハのコンチェルト形式への取り組みのプロセスを遡って感じ取るためにどうしても必要なことだと思っていますが、これらの作品を通じて、皆様に、バッハの音楽のすばらしさのみならず、それが拠って立つところの自然法則の美しさを味わっていただければ幸いです。

バッハ・コレギウム・ジャパン
音楽監督 鈴木雅明


(04/12/09、BCJ事務局提供)


【コメント】
なんとも贅沢な一夜。しかし、何と今回、録音はされないそうです・・・!耳に、心にその響きを焼きつけましょう!! (矢口)(04/11/29)

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