第70回定期
  J.S.バッハ/教会カンタータ全曲シリーズ Vol.44
   〜ソロ・カンタータ l 〜  


2005/ 9/15  19:00 東京オペラシティコンサートホール・タケミツメモリアル

*同一プロダクション
   2005/ 9/17 15:00 神戸松蔭女子学院大学チャペル(第182回神戸松蔭チャペルコンサート)


J.S.バッハ/教会カンタータ 〔ソロ・カンタータ 1〕
  《霊と魂は、惑い乱れ》BWV35 (アルト独唱、オルガン・オブリガート:鈴木雅明)
  《神に歓呼せよ、諸々の国で》BWV51
(ソプラノ独唱)
  頌歌『すべては神とともにあり、神なきものは無し』BWV1127より
(ソプラノ独唱)
    *2005年6月に新発見されたバッハ真作のアリア。ソプラノ、2つのヴァイオリン、ヴィオラ、通奏低音の
     ために書かれているものの一部の日本初演。
    *J.S.バッハ作曲、J.A.ミューリウス作詞 ザクセン・ヴァイマール領主ヴィルヘルム・エルンスト公の座右の銘
     《Omnia cum Deo. et nihil sine eo》のモットーによるソプラノ・アリア全12節(BWV1127)より、1,3,10,12節を演奏。
      (05/09/08、BCJオフィシャルHP掲載の情報より)
            〜休憩〜
J.S.バッハ/プレリュードとフーガ ヘ短調 BWV534(Org独奏:今井奈緒子)
G.B.ペルゴレージ(J.S.バッハ編曲)/
  二重唱モテット・詩編第51編《拭い去りたまえ、いと高き御神よ》BWV1083

   *ペルゴレージ「スターバト・マーテル」のバッハによる編曲)

(05/09/11)


《出演メンバー》  

指揮オブリガートオルガン(BWV35)鈴木雅明

声楽ソリスト ・ソプラノ:キャロリン・サンプソン
         ・アルト(カウンターテナー)ロビン・ブレイズ

オーケストラ
  トランペット(BWV35)島田 俊雄
  オーボエ(BWV35):三宮 正満、尾崎 温子、永浜由桂(東京公演)、前橋ゆかり(神戸公演)
  ヴァイオリン I 若松 夏美(コンサートミストレス)*、パウル・エレラ、竹嶋 祐子、
  ヴァイオリン II:高田あずみ*、荒木 優子、戸田 薫
  ヴィオラ:森田芳子*、渡部安見子
    *=リピエーノ(ソロ)(BWV51、1083)

 〔通奏低音〕
  チェロ:鈴木 秀美  コントラバス:今野 京  ファゴット:堂阪清高
  オルガン:今井奈緒子  チェンバロ:大塚直哉
  オブリガートオルガン・アシスタント:鈴木優人(9/15)


ソロ・カンタータ(1) キャロリン・サンプソン&ロビン・ブレイズ

 BCJカンタータ・シリーズの大きな魅力の一つは、ソリストとの出会いです。シリーズ当初から大黒柱として参加してくれているゲルト・テュルクとペーター・コーイがカンタータの故郷ドイツ語圏の伝統を伝えてくれているとするなら、ロビン・ブレイズと一昨年デビューを飾ったキャロリン・サンプソンは、英国の声楽アンサンブル数百年の伝統を担って、美しく華やかな響きをもたらしてくれたといえるでしょう。
 今回は、このふたりの来日初共演を機に特別なプログラムを作りました。それぞれのソロカンタータのうち、『霊と魂は、惑い乱れ』BWV35では、アルトがオルガンのソロと絡みつつ、思い乱れた魂の救われ行く道筋を見事に描きます。華麗なオルガンコンチェルトとロビンの突き抜けるような明るい歌声が絡み合う様をお聞きください。そしてキャロリンが登場する『神に歓呼せよ、諸々の国で』BWV51では、ソプラノとトランペットがあわさって高らかに神への賛美を歌います。この異様に華やかなカンタータは(聖歌隊の子供であったはずはありませんが)、一体誰が歌ったのでしょう。作品の成立には恐らく、数々のトランペットの名手を生み出したヴァイセンフェルスとの関係もあり、彼の地の出身であったアンナ・マグダレーナも歌ったに違いありません。
 さて、このふたりが揃ったからには、どうしても聴いていただきたい作品があるのです。それは、バッハが編曲したペルゴレージの作品です。十字架につけられたイエスの横に悲しみに打ちひしがれて佇むマリアを歌う「スターバト・マーテル」は、純粋にカトリックのレパートリーであり、ライプツィヒでは演奏する機会がありませんでした。そこでバッハは最晩年、これに詩編51編のドイツ語訳を乗せ「モテット」と題して編曲したのです。詩編第51編は、ダビデが自らの罪に打ちひしがれて悔い改めの涙を流す有名な詩編であり、原曲の十字架における、罪からの贖いを瞑想する共通の視点が見事に保たれています。バッハはこの原曲の細部を様々に手直しし、特に大胆なヴィオラ・パートを付け加えました。さらに、最後のアーメン合唱が一旦ヘ短調で終わるや否や、驚くべきコーダが付け加えられたのです。
 わずか26歳の若さで夭折した天才ペルゴレージの最後の作品である「スターバト・マーテル」は、いまキャロリンとロビンという名コンビを迎え、イタリアへの憧憬を抑え切れなかったバッハの眼差しを通して、再びその魅力が溢れ出ることでしょう。 

鈴木雅明 (バッハ・コレギウム・ジャパン音楽監督)
(05/08/29:チラシ掲載文)


第70回定期演奏会 巻頭言 (BWV35,51,1083,1127) 

 皆様、暑い夏を如何お過ごしでしたでしょうか。
 毎年夏の旅行を通して、多くのできごとを体験いたします。今年の夏は、BCJの旅行で始まりました。京都の国際合唱フェスティバルとカザルスホールでのコンサートを経て、まずは南ドイツ・アンスバッハ・バッハ音楽祭へ。この音楽祭は、ライプツィヒのバッハ音楽祭と並んで、ドイツにおける最も重要なバッハ演奏の伝統を受け継いでいるところです。3年まえからその企画を一手に引き受けているロッテ・ターラー女史のたっての願いを受け入れ、ロ短調ミサ曲を演奏することになったのです。実は、現地の新聞社から事前の電話インタビューで、例によって「バッハとの出会い」について質問され、私が中学生の頃、カール・リヒターのロ短調ミサ曲の録音を何度も聴き、未だにその細部まで頭に残っていること、特に(当時ブラスバンドでトランペットを吹いていた私には)アドルフ・シェルバウムの演奏が忘れられない、などと答えましたら、アンスバッハの演奏会に、驚くなかれ、そのシェルバウム氏の奥様が現れたのでした。もちろん御本人は数年前に亡くなられていますが、奥様は矍鑠とした方で、私がシェルバウム氏についてインタビューで触れたことに、とても喜ばれていました。こんなことはもちろん日本では起こりえないことですが、この南ドイツでは、ともかくカール・リヒターとその周辺のことに話しが及ぶと、たちまち、私は彼と一緒に仕事をした、などという人が大勢いて、彼の存在がバッハ演奏に如何に大きな影響を与えたかが偲ばれます。
 ともあれ、既に演奏会前にも、私は連日公開インタビューやレクチャーなどに出席しましたが、いたるところでBCJの演奏に対する期待が高まり、異様な熱気に満ちていました。第1回目の演奏会で、ドナ・ノービス・パーツェム(我らに平和を与えたまえ)の最後の音が鳴り終わった直後、いつもの反応を無意識に期待して手を下ろした私は、直後のあまりに長い静寂に「ああ、ドイツの聴衆はやはり冷たいのか」と思った瞬間、嵐のような拍手とスタンディングオベーションが襲ってきたのでした。確かにロ短調ミサ曲という作品は、聴き終わった時、一瞬息を呑み、我を取り戻さなければならないほどに、大きな充足と興奮をもたらしてくれます。しかも、この日が広島の原爆投下の日であったことが頭の中を駆け巡り、振り向いて聴衆の真っ赤に高揚した顔を見て、演奏中には抑えていた感慨があらためてこみ上げてきたことでした。
 このアンスバッハを後にして、一路ハンブルクへ。ハンブルク周辺で行われるドイツ最大の音楽祭、シュレスヴィヒ=ホルシュタイン音楽祭で4回の演奏をしたのです。この音楽祭の内容は、本当に多岐にわたっており、クラシックのみならず、ジャズや民族音楽まで、すべてを網羅しています。今年は「日本・ドイツ年」ということもあり、いたるところで日本がフィーチャーされ、私たちの他にも日本人の演奏家が数多く招かれていました。ここでは、レンツブルク、リューネブルクに続いて、ブクステフーデゆかりのリューベックの聖マリア教会など、典型的ハンザ同盟都市の大聖堂での演奏会が続き、ハンブルクのミハイル教会で最後のコンサートをしました。コンサート後には、最近美術展に用いられるギャラリーとして有名なクンスト・フォールムの地下のレストランでレセプションが催されました。上の会場では、ドイツで初めてというほどに貴重な絵を集めて、スペイン絵画展が開かれていたのですが、この展覧会の主催者でコンサートの企画にも携わられたハンブルク大学のシュピールマン教授の計らいで、絵画展の会場を夜遅くに私たちのために開けてくださったので、私たちは打ち上げのさなかに、グレコ、ベラスケス、ゴヤなどの名画を堪能することができたのです。これらの絵のパワーは、バッハにも匹敵するほどで、これほど濃厚なパーティーを未だかつて経験したことはありません。今回はBCJのメンバーのひとりひとりが、長旅にも関わらず、それぞれの持ち場で本領を発揮し、全員が燃焼しきった感がありました。その上、これらの絵画の力もあいまって、この打ち上げパ−ティはあまりに楽しく盛り上がったので、後で主催のドイツ人たちから、「日本人のイメージが変わった」と言われてしまいました。果たして、これはどういう意味だったのか。
 さて、ここでBCJ本体は帰国。数人の器楽メンバー、ロビン・ブレイズとエアフルトへ移動し、このバッハ家ゆかりの町でBWV170の録音をしたのです。これは、唯一2段鍵盤のオルガンを要するカンタータで、日本にはなかなかふさわしい楽器がありません。そこで長年、どこで録音すべきか捜し求めてきたのですが、エアフルトの片隅にある小さい教会が実にふさわしいことがわかり、録音を敢行したのでした。いずれ、日本の皆様にはいずれ、もちろんコンサートでのプログラムとしてもお聴きいただくつもりでいます。
 その後、再びシュレスヴィヒ音楽祭の一環として、今度はオルガンコンサートをするべく、リューベックへ戻りました。が、そのオルガンコンサートの日、ホテルには、驚くなかれ、ちょうどあのオスカー・ピーターソンが到着。車椅子姿にやや痛ましさはあったものの、野球帽をかぶった姿がいかにもアメリカ人らしく、微笑ましくもありました。彼は、左手はもうあまり使えないそうですが、ちょうど80歳の誕生日をこのリューベックで迎えるべく、この同じ音楽祭に招かれてきたのでした。
 ここで、音楽祭は終わり、後はごく小さなオルガンコンサートをいくつか。と高を括っていたのが、間違いの始まり。この直後に訪ねた北ドイツのアルテンブルッフでは、17世紀のフリッチェとクラップマイヤーの強烈なオルガンに度肝を抜かれ、さらにデンマークのロスキルデでは、大聖堂の長大な響きとオルガンの繊細な響きに、心を奪われました。この修復が完成した10数年前、ちょうど来日したレオンハルトに開口一番、「ロスキルデのこと聞きましたか?すばらしい!」と言われ、その後多くのオルガニストに出会うたびに、ロスキルデは最高だ、と聞かされてきたその楽器にようやく辿り着いたのでした。16〜17世紀の多くのパイプを残すこの楽器については、またいずれゆっくり書きたいと思いますが、ああ、何とヨーロッパ文化の奥深いことでしょう。このたった1台のオルガンの前に、自分の存在が無限に小さく感じられる威容でありました。

 さて、あまりに長い旅行をしたため、この夏一番の大事件を忘れていました。そうです、バッハの未知の作品の発見です。5月の中旬にライプツィヒの研究者ミハエル・マウル氏がワイマールで未知のアリアを発見し、それが7月に発表されたのです。初めは、単なる1曲のアリア、ちょうどBWV200のようなものかな、と思っていましたら、何と12節までもある有節歌曲、しかもリトルネッロが仕組まれたバッハとしては極めて異例なもので、全曲演奏すると50分もかかる代物。実は、これは9月4日までは誰にも楽譜が公開されないので、この原稿を書いている時点では、私はまだ全貌を見てはいません。しかし、マウル氏とベーレンライター社のご好意により、歌詞だけは送っていただけたので、このプログラム冊子に杉山先生の訳とともに御紹介できた次第です。
 ワイマールでは、ちょうど2年前に大火事があり、世界遺産のアマリエーン図書館の多くの部分が焼け落ちてしまったわけですが、マウル氏の記事にあるとおり、その火事をも偶然のことから潜り抜けて、私たちの目前に現れ出たアリアには、特別な愛着を感じてしまいます。このアリアを、今日キャロリン・サンプソンによってお聴きいただけるのは本当に幸運なことですが、これもすべては、神の摂理のうちにあるに違いありません。正にミューリウスのテクストの言う通りです。

Alles mit Gott, Nichts ohn’ ihn!
万物は神と共に。
神によらざるものは、
何もなし。※

では、今日も最後まで、ゆっくりとバッハの音楽を、そしてバッハ編曲の妙を、お楽しみください。

バッハ・コレギウム・ジャパン
音楽監督  鈴木雅明


(※鈴木雅明訳)


【楽曲データ】
・ヴィルヘルム・エルンスト公の誕生日のための頌歌
 『すべては神とともにあり、神なきものは無し』BWV1127について

 2005年6月7日、ライプツィヒのバッハ・アルヒーフ財団によってもたらされたバッハ自筆譜発見のニュースは、日本を含めて世界中を駆け巡りました。ヴァイマールのアンナ・アマリア図書館の蔵書の中から、バッハ・アルヒーフ財団の研究者ミヒャエル・マウルによって偶然発見されたというこの楽譜、ある詩集の最後のページに記されていたということですが、その詩集は、2004年9月にアンナ・アマリア図書館で火災が発生する直前、修復のために工房に持ち出されていたため焼失を免れたという幸運にも恵まれていたとのこと。
 記されていた作品は、ソプラノ、2つのヴァイオリン、ヴィオラ、チェロと通奏低音のために書かれたアリアで、バッハがヴァイマール公国の宮廷オルガニストとして任官していた1713年10月に、ヴィルヘルム・エルンスト公の52歳の誕生日を祝うため、同公の信条でもあった「すべては神とともにあり、神なきものは無し」で開始されるヨハン・アントン・ミリウスの12節の詩に付曲したというものです。演奏には50分程度かかる長大な曲の発見は1935年のBWV200以来とのことです。
 作品成立の日付が確定できるため、バッハの作風の推移を研究する上で重要な役割を果たすとされるこの作品、さっそくファクシミリ版がベーレンライター社から出版の運びとなり、それを受けて、今回、ガーディナー指揮によるレコーディングが実現することとなりました。(CD情報はこちら。本データもこのページに掲載されている紹介文や8月28日付産経新聞朝刊の記事をもとに構成いたしました。) なお、公開の世界初演奏は9月3日に楽譜発見の地、ヴァイマールで行われる(Juliane Banse, Sopran、Andras Schiff, Cembalo、Quatuor Mosaiques)とのことです。

こちらのページにアリア冒頭の楽譜と英語による情報、さらに、ソプラノとチェンバロによって演奏されているオーディオ・データへのリンクがあります!
BCJオフィシャルHPによりますと、今回の日本初演では全12節のうち、1,3,10,12の4節が演奏されるとのことです!(05/09/08追記)
 
9/15のBCJ第70回定期公演でのBWV1127日本初演の模様をフジTV(BCJ法人後援会員でもあります!)が取材収録9月19日(月・祝)の深夜、20日午前0:00〜0:25の『ニュースJAPAN』(キャスター:松本方哉、滝川クリステル)の枠内で「幻のバッハ…日本上陸」としてオンエア予定です!
詳しくはこちらもご覧ください!→http://www.fujitv.co.jp/b_hp/livenews/index.html (05/09/18)
上記特集の放送は終了しましたが、現在、FNNのHP上で約4分のストリーム映像がご覧になれます!こちらからどうぞ!! (05/09/20)

 
【コメント】
 BCJ第70回定期は、期せずして開始から終了まで2時間30分を超えるという充実したひとときとなった。その主な要因は、もちろん、上記の新発見アリアの演奏の追加である。
 コンサート冒頭、まず2台のポジティフ・オルガンが並ぶ偉容に驚く。これは、バッハの時代には、オルガンオブリガートのソロがコンティヌオとは別に大オルガンで演奏されていたという考察に基づく扱いである(詳しくは、プログラム誌上の鈴木雅明さんによる論考「カンタータにおけるオルガンについて」「BWV35におけるオルガン・オブリガートについて」参照)。こまめにコントロールされたオルガンオブリガートのソロが、アルトの歌声と自在に呼び交わした。鈴木雅明さんのソロは、大変意欲的な表現で耳を奪われたが、アンサンブルの構築や、アルトソロとのバランスには課題も残ったように思う。なお、このBWV35の第4曲は、プログラム「制作ノート」の記載(チェロとヴィオローネ+チェンバロで演奏予定とある)と異なり、コンティヌオ・オルガンとヴィオローネのみの伴奏で演奏された。
 続いてトランペットの華やかなソロを伴うBWV51。キャロリン嬢の登場である。独立した指揮者の明確な指示を得て、器楽のアンサンブルがさらなる自在さを獲得するとともに、まるでこの曲が彼女が歌うことを想定して作曲されたかのように、有機的な結びつきと広がりを持って繰り広げられていく。この日の演奏の白眉とも言える瞬間であった。特に第3曲ダ・カーポ時の静謐なppの表現が大変印象的だった。
 そして、いよいよ新発見アリアの演奏。鈴木雅明さんがマイクを持って登場され、簡単にこの曲について説明。その後、このバッハには他に例のない「有節歌曲」の演奏である。一口で言うと『鉄道唱歌』!? 今回は全12節中の4節のみが歌われただけであったが、歌の開始部の印象的なモチーフが間奏部分のリトルネッロ(この部分のみヴァイオリンI,IIとヴィオラが加わり弦楽合奏となる)にも現れ、記憶にしっかりと刻印される。第1節は鈴木雅明さんのチェンバロと今井奈緒子さんのオルガン+チェロ、第3節はオルガンとチェロ、第10節はチェンバロとチェロ、そして12節は第1節と同じ編成で伴奏された。リトルネッロもはじめの間奏(1節と3節の間)と12節後のコーダでは全体にヴィオローネも加えた弦楽合奏、3節と10節の間は弦楽器一人ずつ(ヴィオローネは休止)+チェンバロ、10節と12節の間はそれにオルガンが加わる編成と、変化をつけて演奏された。4節の演奏で15分弱。(この間チェロの鈴木秀美さんはひたすらコンティヌオのラインを演奏・・・お疲れ様です!!) 全12節を演奏するには、およそこの3倍の時間がかかる訳だが、神戸での録音では全節を収録予定とのこと。どのような工夫が成されるかも楽しみなところである。この演奏が終わってすでに8時20分近く!開演から80分が経とうとしていた。

 後半は今井奈緒子さんのオルガン演奏でスタート。神戸では(恐らく調律の関係から)ト短調に移調されて演奏される予定のプレリュードとフーガ、BWV534。東京ではもちろん原調のヘ短調で演奏された。そして最後のBWV1083へ。
 この曲では、残された資料の状況から、a=415Hzでホ短調で響くピッチで演奏された(プログラム「制作ノート」参照)。ヘ短調で記譜されているヴァイオリンとヴィオラのパート譜に(低い)「カマートーンで」との指示があることからの扱いで、ヴァイオリンとヴィオラは、a=392Hzで調弦されて演奏されたとのこと。この措置のためか、曲の開始からしばらくの間弦楽器群の音程に安定感が欠けたことは残念だった。自在なデュオを聴かせてくれた2人の歌い手にとってもこの低めのピッチは影響があったようだ。もともとの技巧の冴えも含め、余裕を感じさせるソプラノに対して、アルトパートは、特に低い音域で響きにくい感じがしていた。しかし、曲が進むにつれ、この得難い名手たちの技によって、若き天才ペルゴレージのインスピレーションが晩年のバッハの様式に結びつけられたユニークな編曲の妙が、見事に立ちのぼってくる。バッハの筆によるヴィオラパートの味わいや、バッハが付け加えて書いた最後の「アーメン」を締めくくる軽やかな長調の部分など、大変充実した聴きごたえ。BWV1083の演奏が始まったのが午後8時50分過ぎ。キャロリン・サンプソンが、最後の2つの音をオクターブ高く歌いきって華やかに曲が閉じられたのは、すでに午後9時30分を回った頃であった。(神戸の開演時間から考えると午後5時30分過ぎということになる!)
 
 大変盛りだくさんな内容で楽しませていただいたこの「ソロ・カンタータ・シリーズ」の第1回。次回はどんな名手がどの名曲を聴かせてくださるのか、楽しみは尽きない!また、どのように組み合わされてCDになるのかも興味深い点だ。

(矢口) (05/09/17)
 

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