第72回定期 受難節コンサート2006
  J.S.バッハ/マタイ受難曲(初期稿)BWV244b  


2006/ 4/14  18:30 東京オペラシティコンサートホール・タケミツメモリアル
                第I部:18:40〜19:45(65分)、第II部:20:10〜21:40(90分)〜21:48(拍手)
*同一プロダクション
  2006/04/08 18:00 ミューザ川崎シンフォニーホール *鈴木雅明さんによるプレトークあり
                第I部:18:11〜19:15(64分)、第II部:19:40〜21:11(91分)
  2006/04/09 16:00 名古屋:しらかわホール *鈴木雅明さんによるプレトークあり
  2006/04/15 15:00 所沢市民文化センターMUZE・アークホール
                第I部:15:05〜16:09(64分)、第II部:16:34〜18:06(92分)〜18:11(拍手)
  2006/04/16 15:00 神戸:松蔭女子学院大学チャペル(第186回神戸松蔭チャペルコンサート)
                第I部:15:03〜16:08(65分)、第II部:16:34〜18:07(93分)


J.S.バッハ/マタイ受難曲(初期稿)BWV244b 全曲 (1727/29)


出演メンバー
   ソリスト(コンチェルティスト)
 
  クリスティーナ・ランズハーマー(ソプラノ I )
  藤崎美苗(ソプラノ II /ピラトの妻)
  ロビン・ブレイズ(アルト I )
  上杉清仁(アルト II /証人 I )
  ゲルト・テュルク(テノール I /エヴァンゲリスト)
  ヨハネス・クリューザー (テノール II /証人 II )
  ペーター・コーイ(バス I/イエス)
  浦野智行(バス II /ユダ、ペテロ、大祭司カヤパ、祭司長 I、ピラト)
 
オルガン・コラール(第1曲)

(レジスト:セスキアルテラ[川崎、所沢]、コルネット[東京]、神戸[8-4-2])


勝山 雅世(川崎、東京、所沢)今井奈緒子(名古屋:ポジティフ)上野静江(神戸:ポジティフ)
 
第1グループ 第2グループ
コーラス
 ソプラノ
クリスティーナ・ランズハーマー*
柏原奈穂(女中 II )
  
 アルト
ロビン・ブレイズ*
青木洋也
  
 テノール
谷口洋介
中嶋克彦
 
 バス
ペーター・コーイ*
小笠原美敬
 

オーケストラ
 フラウト・トラヴェルソ I,II
菅 きよみ
前田りり子
 オーボエ/オーボエ・ダモーレ/オーボエ・ダ・カッチャ I,II
三宮正満
尾崎温子
 ヴァイオリン I
若松夏美(コンサートマスター)[No.42 solo]
パウル・エレラ
 
 ヴァイオリン II
竹嶋祐子
 
 
 ヴィオラ
成田 寛
 
 
コーラス
 ソプラノ
藤崎美苗*
鈴木美紀子
緋田芳江(女中II)
 アルト
上杉清仁*
鈴木 環
高橋ちはる 
 テノール
ヨハネス・クリューザー*
石川洋人
水越 啓 
 バス
浦野智行*
藤井大輔
渡辺祐介(祭司長 II )

オーケストラ
 フラウト・トラヴェルソ I,II
菊池香苗
斉藤紫都
 オーボエ/オーボエ・ダモーレ I,II
前橋ゆかり
森 綾香
 ヴァイオリン I
高田あずみ(コンサートマスター)[No.39 solo]
中丸まどか
山口幸恵
 ヴァイオリン II
戸田 薫
荒木優子
川久保洋子
 ヴィオラ
渡部安見子
廣海史帆
 
コンティヌオ

ファゴット    堂坂清高
チェロ    鈴木秀美、
山本 徹   
コントラバス    今野 京
リュート    今村泰典
オルガン    今井奈緒子

指揮
鈴木雅明
 

 


 《BCJ 受難節コンサート「マタイ受難曲」(初期稿)、もう一つのチャレンジ》

 ・・・ところで、「マタイ受難曲」といえば、二群に分かれた二重合唱が用いられることはいうまでもありませんが、しかし、よく見てみると、第1合唱と第2合唱とは、ずいぶん異なった機能を持っています。第1合唱が単独で歌うときは、常に聖書の聖句そのものが委ねられており、それに対して第2合唱は、テノールやアルトのアリアに挿入されるコラールが、中心的な役割です。そこで、今回この原型を再現するにあたっては、両合唱の機能の違いを際立たせるため、両者に不均等な数の声楽家を配置し、より小規模なソリスト群としての第1合唱と、より大きな編成の第2合唱と対比してみたいと考えています。・・・・  (ミューザ川崎シンフォニーホール友の会・会報誌『スパイラル』 vol.8より)

鈴木雅明(バッハ・コレギウム・ジャパン音楽監督)


BACH Collegium JAPAN
第72回定期演奏会 《マタイ受難曲》 巻頭言

 皆様、ようこそお越しくださいました。

 今年も、主イエスの受難と復活を覚えるべき時節となりました。マタイ受難曲は、決して個人の死そのものを歌ったものではありませんが、この作品によって人の死に思いを馳せる方も少なくないでしょう。
 ちょうど今年は、武満徹さんが亡くなられて10周年にあたります。武満さんは、バッハの音楽、とりわけマタイ受難曲を繰り返し聴いていらっしゃった、とのことで、今回東京オペラシティでの受難曲演奏が『武満徹 Visions in Time』のプロジェクトに組み込まれたことは、とてもうれしく感謝しております。私がこのコンサートホールのオルガン・シリーズを企画させて頂くことになり、武満さんにオルガン作品についてご相談しようと思っていた矢先に亡くなられたので、非常に残念に思ったことが今でも鮮明に思い出されます。2000年4月に亡くなった私の父もまた、死ぬまでマタイ受難曲を聴いていたひとりです。ちょうど、私たちのマタイ受難曲の神戸公演当日、復活祭前日の土曜日に亡くなりましたが、病院でもマタイ受難曲のスコアを眺めていたので、よほど気にいっていたのでしょう。
 マタイ受難曲は、人間の罪の贖いとしての主イエスの受難を歌い継ぐものですから、既に書いたように決して個人の死と直結しているわけではありません。しかし例えば、イエスが十字架上で息を引き取った直後、ただちに挿入されるコラールは、自分自身の死を思い、その時、主イエスに「どうぞ私から離れないでください」と懇願するためのものです(第62曲)。自分が本当に恐れるべきは「死」であり、「死」こそすべての不安の根源に違いありません。しかし、その時において、まさに最も苛酷な死を体験された主イエスが離れないでいてくださる、ということが、この受難曲のもたらす大きな恵みのメッセージです。

 
 この「イエスと私」というテーマは、マタイ受難曲の全編にわたって流れている大きな命題とも言えるでしょう。これはヨハネ受難曲とは大いに趣を異にします。つまり、ヨハネ受難曲においては、自分の個人的な思いを述べることより、それを遥かに超越し、宇宙と歴史を支配しておられる神の摂理こそが、受難曲のテーマなのです。それに対して、マタイ受難曲では、常に「私」が登場します。「私です。私こそ、罰せられねばならなかったのです」(第10曲)、「私はあなたに心を捧げます」(第13曲)、「私をどうぞお認めください」(第15曲)、「私は、イエスのお傍で目覚めていよう」(第20曲)、「私は喜んで、自らをなだめ」(第23曲)、「私のイエス様は行ってしまわれた」(第30曲)などなど。マタイ受難曲の作者は、イエスが「私」に対して、どれほどに慈愛に満ち、憐れみと恵みを与えてくださるかを、手をかえ品をかえ、語りかけてきます。このことによって、本来は罪と向き合い、それを断罪するはずのつらい音楽が、甘美なうるわしい響きに変えられているのでしょう。
 「私」とは、単に抽象的な一人称ばかりではありません。登場人物によって、具体的な人間像が明らかになっていきます。例えばペテロです。ペテロは、かつては「雷の子シモン」と呼ばれていたので、恐らく短気な性質で、血気盛んな人物だったのかもしれません。イエスを捕らえに来た兵卒の耳を切り落としたのもペテロでした。イエスは、最後の晩餐の後、弟子を連れてオリブ山に登り、そこで「羊飼いは打たれ、羊が散らされる」と、弟子たちの離散を預言します(第14曲)。さらにペテロには、「鶏が鳴く前に3度『私を知らない』と言うだろう」と預言されるのでしたが、ペテロは「たとえ死ぬことになっても」主イエスを否定することなどありえません、と誓ってしまったのでした。
 しかし残念ながら、ペテロは自分が思うほど強靱な人物ではなかったのです。捕らえられたイエスを追って、大祭司カヤパの中庭にいるとき、彼はふと「恐れ」に捕らえられたのでした。「あなたもあのガリラヤ人の仲間でしょう?」(第38曲a)「おまえの言葉でわかるよ」(第38曲b)。他愛ない周りの人々の言葉に、彼は思わず主イエスを否定し、激しく誓ってしまったのです。「そんな人は知らない!」。実際、女中の手引きで中庭に入れてもらったわけですから、女中は彼を咎めるつもりもなかったかもしれませんし、またガリラヤ方言を話す人など、特に過越しの祭りの間には大勢エルサレムにいたはずです。そこで、彼がイエスと共にいたことを認めたとしても、何も問題はなかったでしょう。ローマの官憲は、一度も弟子を捕らえようとはしていないのですから。ここには、ペテロの、ただ自らの保身を図ろうとする小心な姿、不必要な恐れに捕らわれたみじめな「私」の姿が表されています。たとえ血気盛んな人物であっても、人は人に恐れを抱くものです。本来恐れを抱くべき相手は、本当に永遠の罰を与えられる神であるはずでした。しかし、ペテロは、神ではなく、人を恐れたのでした。これは、とりもなおさず、私たちひとりひとりの姿に他なりません。
 聖書は、このような罪のためにイエスは十字架につかれた、と教えます。第16曲のペテロの力強い誓いは、その後の顛末を知っている私たちには、なんとも空しく響きます。後期稿では、その空しさを打ち消すかのように、私たち自身の言葉で歌われるコラールが直後に挿入されています(第17曲『私は、ここあなたの御許にとどまります』。) これは、第54曲で歌われるコラール『おお主の御頭、血と傷におおわれ』の第6節でした。しかし、一旦第7節冒頭を書き付けてから第6節に訂正した跡が明瞭に残っているので、おそらくこのときお手本にしたはずの初期稿には、第7節の歌詞『わが喜びの糧として』が書かれていたのでしょう。今日初期稿を私たちに伝えてくれたファールラウの筆写譜には、このコラールが欠落しているのですが、これはファールラウが見落としたに違いありません。(対訳第17曲および制作ノート参照)
 このコラールが歌うように、「イエスの受難のうちに、わが身を置く」(第17曲4行目)とは、イエスの受難を自ら追体験すること、そしてさらに、受難を通して罪の赦しの喜びに与る、という、ふたつの面を持っているように思います。ペテロは事実、後にローマに教会を建て、その後捕らえられて殉教の死を遂げたのですから、正しく「イエスの受難のうちに、わが身を置き、十字架の上で、命を委ねた」のです。
 バッハは、なぜ後期稿で第17曲のテクストを第6節に変更したのでしょう。第7節では、ペテロの空しい情熱から少し身を引き、矮小な人間であっても、その人が十字架の上で命を委ねる信仰に至るなら、どんなに幸いなことでしょう、と、そのことの難しさを意識しつつ、ペテロの姿を少し離れて見るような距離が感じられます。しかし、この時点では、ペテロも自分を待ち受けている運命について、少しも思いを致すことはできずに、ただひたすらイエスに信仰告白をしたわけですから、バッハは恐らく、直情型のペテロに自分の思いを重ねて、より直接的な信仰告白のコラールを歌わせたくなったのかもしれません。
 マタイ受難曲における最も大きな体験は、「イエスと私」の出会いです。しかし自分が、「私」について最もよく知っているとは限りません。ペテロがそうであったように、私たちは自分自身のことを実は何もわかっていないのです。むしろ、イエスに知られている「私」こそが、「私」の本当の姿に違いありません。今年のマタイ受難曲によって、ふたたびイエスと、そして本当の「私」と出会うことができれば、何よりの幸いです。どうぞ、最後までごゆるりとお聴きください。
 
バッハ・コレギウム・ジャパン
音楽監督 鈴木雅明

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