BCJ モーツァルト生誕250年記念 特別演奏会


2006/12/10 東京オペラシティコンサートホール:タケミツメモリアル 15:00
2006/12/16 埼玉:彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール 16:00
2006/12/17 千葉:佐倉市民音楽ホール 16:00

*同一プロダクション・・・12/9 兵庫県立芸術文化センター・大ホール 16:00
               12/13 札幌コンサートホール Kitara・大ホール 19:00  


・モーツァルト/証聖者の荘厳な晩課[ヴェスペレ]K.339
・モーツァルト:レクイエム ニ短調 K.626 (ジュースマイアー版)

  アンコール:アヴェ・ヴェルム・コルプス K.618(モーツァルト)


指揮:鈴木雅明
独唱:森 麻季[12/10〜17]、臼木あい[12/9](ソプラノ)、マリアンネ・ベアーテ・キーラント(アルト)、
    アンドレアス・ヴェラー(テノール)、ドミニク・ヴェルナー*(バス)
合唱と器楽:バッハ・コレギウム・ジャパン
 

   コーラス
     ソプラノ :臼木 あい、澤江衣里緋田芳江、広瀬菜穂、藤崎美苗、高橋絵里(12/9,17)、柳沢亜紀(12/10,13,16)
     ア ル ト :青木洋也、鈴木 環、高橋ちはる、田村由貴絵、中村裕美、村田淳子
     テノール:石川洋仁、鈴木 准、谷口洋介*、藤井雄介*、水越 啓*
     バ  ス :浦野智行、大井哲也、栗原 剛、藤井大輔*、渡辺祐介*
            は、アンティフォナ歌唱者(計6人)

   オーケストラ
    [コンサートマスター:若松夏美]
     トランペットI :斎藤秀範島田俊雄(12/16) トランペットII:村田綾子斎藤秀範(12/16)
     ティンパニ:近藤 高顕
      トロンボーンI :ギュンター・カリエール
     トロンボーンII: カール・ヘーファース
     トロンボーンIII:デヴィッド・ヤークス
     バセット・ホルン I :フランソワ・ジラルド、 バセット・ホルン II:柴 欽也
     ヴァイオリンI:若松夏美、荒木優子、竹嶋祐子、パウル・エレラ、森田芳子[K.339]
     ヴァイオリンII:高田あずみ、戸田 薫、廣海志帆、渡邊慶子、渡部安見子[K.339]
     ヴィオラ: 森田芳子[K.626]、渡部安見子[K.626]
    [通奏低音]
     チェロ:鈴木秀美、アンチェ・ゴイセン
     ヴィオローネ:西澤誠治
     コントラバス:今野 京
     ファゴット:村上由紀子、功刀貴子
     オルガン:鈴木優人

(06/12/18更新)


BCJ、初のモーツァルト本格上演 !!

モーツァルトには現実から非常に遠い非日常的な美しさ、音楽そのものの美しさを求める抽象的な美しさがあります。
モーツァルトや古典派の宗教作品は、バッハやバロック時代の作品とは全く違い、いわゆる音楽というものを言葉から自立させようという、ひとつの動きのなかにあったと思います。少し前の時代までは、言葉と音楽が本当に結びついていましたが、モーツァルトの時代の宗教音楽は“音楽は音楽、言葉は言葉”であり、ミサ曲やレクイエムの言葉はラテン語など皆が知っている言葉が多い。そういった言葉から得るインスピレーションや形式といったものを音楽に転化し、音楽の美しさを得ようということが目的だったと思うのです。

モーツァルトの場合は《レクイエム》に限らず、本当に美しいものがたくさんあります。それらは美しい旋律やハーモニー、すべてにおいてバランス良く非の打ちどころのないような響きを持っているので、バッハをアプローチするのとは全く違う、純粋な響きに対する面白みがあります。加えて《レクイエム》には晩年のモーツァルト自身の死に対するイメージと重なりあうような凄みやそこにこめられた情熱を感じ、バッハのラテン語作品とは全く違う意味で、単に旋律が美しいとか和声が美しいとかだけではなく、死が隣り合わせになったような美意識が魅力的です。

バッハは私には日常であり、非常に現実感あふれる音楽です。それに対してモーツァルトには現実から非常に遠い非日常的な美しさ、音楽そのものの美しさを求める抽象的な美しさがあります。だから今まで私達がバッハを演奏してきた時と、もちろん基本的には同じメンバーですけれども、楽器も多少違いますし、イメージは非常に違うと思います。(談)

鈴木雅明
東京オペラシティ文化財団HPの公演詳細ページより

【コメント】
 
(02/12/30)

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