2008/ 9/23 15:00 東京オペラシティコンサートホール・タケミツメモリアル
*同一プロダクション
2008/ 9/20 15:00 神戸松蔭女子学院大学チャペル(第201回神戸松蔭チャペルコンサート)
J.S.バッハ/教会カンタータ 〔1726年のカンタータ 2〕
《神は天へと昇る、歓呼の声とともに》 BWV43
《見よ、私は多くの漁師を遣わし》 BWV88
〜休憩〜
《われらは多くの苦難を経て神の国に入らねばならない》 BWV146
*今回のプログラム冊子にあるタイトルに変更しました。(08/09/21)
指揮:鈴木雅明
コーラス(*=独唱[コンチェルティスト])
ソプラノ :レイチェル・ニコルズ*、緋田芳江、藤崎美苗
アルト :ロビン・ブレイズ(CT)*、青木洋也、鈴木 環
テノール:ゲルト・テュルク*、谷口洋介、藤井雄介
バス :ペーター・コーイ*、藤井大輔、渡辺祐介
オーケストラ
トランペット:島田俊雄(I)、斉藤秀範(II)、村田綾子(III)
ホルン:島田俊雄(I)、飯島さゆり(I)
ティンパニ:近藤高顯
フラウト・トラヴェルソ:菅きよみ
オーボエ/オーボエ・ダモーレ:三宮正満(I)、前橋ゆかり(II)、ターユ:尾崎温子
ヴァイオリン I:若松夏美(コンサートミストレス:東京公演・神戸録音)、
竹嶋祐子(コンサートミストレス:神戸公演)、パウル・エレラ、廣海史帆
ヴァイオリンII:高田あずみ、荒木優子、戸田 薫
ヴィオラ:森田芳子、渡部安見子
〔通奏低音〕
チェロ:鈴木秀美 ヴィオローネ:今野 京 ファゴット:功刀貴子
チェンバロ/オルガン(BWV146):鈴木優人
オルガン/チェンバロ(BWV146):今井奈緒子
(08/09/21更新)
皆様、ようこそおいでくださいました。 前回、松蔭のチャペルコンサートが第200回を迎えたことをお話しましたが、マルク・ガルニエによるオルガンが、そのチャペルに完成したのが1983年の11月のことですから、ちょうど今年は25年めにあたるのです。 日本におけるバロックのオルガンへの関心は、おそらく1960年代後半から起こってきたのではないでしょうか。私がまだ高校生だった頃、原田一郎さんという方が書かれた「対話 オルガンへの巡礼」(共同出版社)という本が出版され、むさぼるようにして読みました。ヨーロッパへのオルガン旅行の体験を、対話という形にして書かれたユニークなものでしたが、旅先での写真も載っていて、オルガンに取り憑かれていた高校生としては自分もヨーロッパに行ったような気になったものです。 松蔭のオルガンプロジェクトを企画から完成まで導かれた平島達司先生も、ちょうどこの直後からオルガン旅行に加わられるようになったのだと思います。その頃、オルガンビルダーの辻宏さんと奥様の紀子さんが、北ドイツオルガンアカデミーのハラルド・フォーゲル氏とともにオルガンツアーの企画を始められ、それは十年以上も続いたと思います。平島先生は、「毎年夏のボーナスをもらうと、そのままオルガン旅行代になるんですよ」と言っておられました。既にその頃から、松蔭のチャペルに理想的なオルガンを探し求める旅が始まっていたのでしょう。 私がオルガンツアーでお目にかかったのは、前回も書いたように1979年のことですから、既にその頃までには全ヨーロッパに渡って、百台近い歴史的オルガンを見学されていたはずで、オルガンの調律に関するものや、ティエルス(3度管)(1) の伝播に関するものなど、興味深い論文をいくつも出版されました。 平島先生のお好きなオルガンは、圧倒的にフランス様式のものでした。「松蔭は女子大だから、北ドイツの厳しい響きよりフランス風の方がいいんですよ」と言われ、特にアルザス地方のマルムティエという村にある修道院教会の楽器を殊のほか気に入られていました(2)。これは、1710年にアンドレアス・ジルバーマンが建てたもので、後に完成した松蔭のオルガンは、これとほぼ同じ規模になりました。 しかしアンドレアス・ジルバーマンは東ドイツのザクセン地方出身で、パリで修業した後アルザスで活躍した人ですから、彼の作品は純粋なフランス様式とは言い難く、アルザスの文化的背景も影響して、ある意味ではドイツとフランスの混淆と言ってもよい独特の様式を持っています。そこで、松蔭が通常の教会ではなく学問の場でもあるので、より純粋な様式を求めた方がよいのではないか、と平島先生は考えられたようで、結局このジルバーマンのルーツとも言うべきパリの様式に行き着いたのです。しかし、平島先生はしばしばガルニエに、「マルムティエのブルドンを・・・」と求めておられました。 |
◆ |
1700年頃のパリでは、一様に「フランス様式」の典型が追い求められていました。その大きな特徴のひとつは、鍵盤数が2段であろうと、3段または4段あろうと、必ずすべての手鍵盤に3度管が入っている、ということです。通常の自然倍音では長3度は第5倍音まで出てきませんから、この3度管を用いるとその倍音が強調されて、とても鼻にかかったような柔らかい独特の音となり、ちょうどフランス語の鼻母音と非常に似通った響きが得られます。松蔭のオルガンは4段鍵盤ですが、このパリ様式を忠実に再現していますから、すべての鍵盤に3度管が含まれ、充実して柔らかい少しひしゃげた音色を多数もっています。これこそがフランスの流儀、と言えるような響きなのです。特に、それをテノールのソロに用いた「ティエルス・アン・ターユ」というレジストレーションはフランスに独特のもので、平島先生はその響きを松蔭に再現したい、と思われたのです。 実は、3度管そのものは、フランスで発明されたわけではありません。平島先生の研究によると、ケルン周辺のライン川沿いで発展した16世紀のオルガン建造家たちは既に3度管の効用を知っていました。ただし、それは高い倍音とともに用いる、いわゆるミクストゥールの中に含める形であったので、細い寸法を持っていました。それがライン川を下るように北方に伝わったとき、オランダや北ドイツの方向には、そのままの細い寸法が伝わり、オランダを経てフランスに南下する際に、徐々に太い寸法に変化していったということです。フランスにも両者が同時に存在した時期もあったと思われますが、18世紀には完全に細い寸法の3度管は、フランスからは姿を消してしまいました。 ザクセン地方に大きな影響力をもったオルガンビルダーであるゴットフリート・ジルバーマンは、上述のアンドレアス・ジルバーマンの弟で、アルザスに赴いて兄の下で修業しました。その後、ザクセンに帰って最初に建設したフライベルク大聖堂のオルガンには、3度管を初めとする多くのフランスの影響が見られます。ゴットフリートは、J. S. バッハとも非常に近しい存在でしたから、フランス風のレジスターについても会話が交わされたに違いありません。J. S. バッハのレジストレーションの指示にしばしば登場する「セスキアルテラ」というレジスターは、ドイツ風の名称ではありますが、実は3度管と5度管の組み合わせですので、ここにフランスと共通の嗜好を見出すことも可能です。 というわけで、松蔭のチャペルに完成したオルガンは、典型的なパリのスタイルですので、バッハのために意図されたオルガンではありません。しかし、J. S. バッハには多くの影響が流れ込んでおり、すべての作品をひとつのオルガン様式で演奏することは不可能であり、フランスの影響を受けた作品を厳選して演奏することは十分に可能です。特に、上述の平島先生が好まれたティエルス・アン・ターユを用いたテノールのソロは、J. S. バッハのコラール作品にもしばしば登場しますので、このオルガンでは非常に美しく演奏できるのです。ブクステフーデなどの北ドイツのオルガン楽派には、テノールのソロはほとんど見られませんので、これは明らかにフランスからの影響であろうと思われます。 今回の松蔭における演奏では、カンタータ第146番「われらは多くの艱難を経て神の国に入る」で、再び大オルガンがオーケストラと共に用いられます。(残念ながら東京オペラシティでは、ピッチの違いで、大オルガンを用いることはできません。)第2曲では、原曲のコンチェルトの緩徐楽章に合唱が組み入れられるので、オルガンが合唱と一緒に響きます。このソロパートが非常に低いテノールのパートに書かれていることを見ると、ここにもフランス風の響きを用いることも不可能ではないかもしれません(3)。 平島達司先生の研究と情熱のお陰で、松蔭のチャペルには素晴らしいオルガンが入りました。そして、このフランス風のオルガンでバッハを演奏することが理想的だとは言えませんが、このようなオルガン・オブリガートつきのカンタータでは、その豊かな響きを聴いていただけるのは大きな喜びです(4)。 |
バッハ・コレギウム・ジャパン
音楽監督 鈴木雅明
(08/09/17:BCJ事務局提供、08/09/21更新)
(1) | 鍵盤の実音より2オクターヴと長3度上の音を出すレジスター。 |
(2) | http://www.concertartist.info/organhistory/history/hist019.htm |
(3) | オルガンのレジストレーションについては、プログラム冊子「制作ノート」P.30参照。 |
(4) | ちなみに、東京オペラシティでは、通常の鈴木雅明所有のポジティフではなく、ソロによりふさわしい東京芸術大学所蔵のポジティフオルガンをお借りしています。 |
VIVA! BCJに戻る
これまでの演奏会記録に戻る