第83回定期
  J.S.バッハ/教会カンタータ全曲シリーズ Vol.54
   〜ライプツィヒ1726年- III 〜  


2009/ 2/26  19:00 東京オペラシティコンサートホール・タケミツメモリアル
*同一プロダクション
   2009/ 2/21 15:00 神戸松蔭女子学院大学チャペル(第203回神戸松蔭チャペルコンサート) 


オープニング演奏
     J.S.バッハ/コラールファンタジー《主なる神、われらの側にいまさずして》BWV1128
            《われらみな、一なる神を信ず》BWV680 (以上、オルガン独奏:今井奈緒子)
            ヴァイオリンと管弦楽のためのシンフォニア ニ長調 BWV 1045(Vn:若松夏美)
J.S.バッハ/教会カンタータ 〔1726年のカンタータ 3〕

        《すべてのものはあなたを待ち望む》 BWV187  〜休憩〜
        《割いて与えよ、飢えた者にあなたのパンを》 BWV39
        《主に誉れあれ》 BWV129《主を頌めまつれ》 BWV129
            


《出演メンバー》

指揮鈴木雅明

コーラス=独唱[コンチェルティスト])
  ソプラノ野々下由香里*、緋田芳江、松井 亜希、クリステン・ヴィトマー
  アルト  :ロビン・ブレイズ(CT)*、青木洋也、鈴木 環
  テノール:石川洋人谷口洋介、藤井雄介
  バス   :ペーター・コーイ*、藤井大輔、渡辺祐介

オーケストラ
  トランペット:島田俊雄、斉藤秀範、村田綾子
  リコーダー:山岡 重治、向江 昭雅
  ティンパニ:菅原 淳
  フラウト・トラヴェルソ:菅きよみ
  オーボエ:三宮正満、前橋ゆかり
  ヴァイオリン:若松夏美(コンサートミストレス)、高田あずみ、パウル・エレラ、竹嶋祐子、荒木優子、廣海史帆
  ヴィオラ:森田芳子、渡部安見子

 〔通奏低音〕
  チェロ:鈴木秀美  ヴィオローネ:今野 京  ファゴット:功刀貴子
  チェンバロ:鈴木優人  オルガン:今井奈緒子

(09/02/20更新[ソプラノ・メンバー変更])


第83回定期演奏会 巻頭言 (BWV39、129、187)  

 私は今、グラン・カナリア島ラス・パルマスにあるサンタ・カタリーナ・ホテルのベランダでこれを書いています。ここから見下ろせるホテルの玄関前にはヤシの木が立ち並び、一息ごとに身体の隅々まで南国の香りが沁み込んできます。が、実は期待したほど暖かくはありません。たしかに、カナリア諸島は「常夏」ではなく「常春」と言われ、1月は平均気温18度前後とのことですから、ちょうど日本の4月くらいの気候でしょうか。しかし、日差しは日本よりずっと明るく、太陽が真上にいることを実感させてくれます。
 この諸島は7つの島からなり、そのうちグラン・カナリア島とテネリフェ島が最も重要なものです。それぞれの最大都市ラス・パルマスとサンタ・クルスは、ふたつながらにスペイン領カナリア自治州の首都であり、人口100万を超す大都会ですが、何事につけ、競争を繰り返す歴史的ライバルでもあります。今回わたしたちBCJが参加したフェスティヴァルでも、すべての主要演目がこの両都市で演奏され、しかもどちらで先に演奏するかが非常に微妙な問題を生むので、フェスティヴァル当局は初登場の都市を慎重に選ばなければならないのだそうです。
 ここには多くのドイツ人の観光客が訪れ、またヨーロッパ本土から移住してきた人も多いことから、全くヨーロッパの文化圏であり、私たちが参加したフェスティヴァルも非常に大規模なものでした。毎年1月から2月にかけて、シンフォニー・オーケストラを中心に30ないし40ものコンサートが催されます。今年も、ロリン・マゼール指揮のウィーン・フィルやクリストフ・エッシェンバッハ指揮のフィラデルフィア管弦楽団、またゲルギエフ率いるマリインスキー劇場の大規模なオーケストラと合唱も招聘されていました。しかし、ディレクターを務めるホアン・メンドーサ氏は、大オーケストラ中心路線をあらため、バッハやバロックのレパートリーも取り入れたいとのことで、数年前から私達に声をかけてくださっていたのでした。
 今回のBCJのプログラムは、J.S.バッハのヨハネ受難曲と、ヘンデルの「主は言われた」Dixit Dominusを中心とするものでしたが、メンドーサ氏の目論見は、このヨハネ受難曲を現代の作曲家のそれと対置することであったようです。私たちのコンサートの前日、ゲルギエフが劇場の手兵を率いて、グバイドゥーリナのヨハネ受難曲を演奏したのです。この作品は、北ヨーロッパでは既に初演されていますが、スペインでは初めてであったようで、大きな期待が寄せられていました。
 私たちは主催者のご招待でこれを聴くことができましたが、なにしろロシア語で歌われる作品をスペイン語の字幕で理解しようとしていたのですから、内容についてはかなりの「?」が残りました。しかし明らかに、テクストは受難物語だけではなく、ヨハネ福音書冒頭の「はじめに言葉があった」というセリフが枠をなすように何度も現れ、途中、ヨハネ黙示録のテクストも挿入されています。ゲルギエフ氏にうかがったところでは、このテクストは作曲者自身によって作られたということであり、作品の規模、また大オルガンを含む編成の規模においても、入魂の作品であることがわかりました。演奏会では2時間ほどの作品が休憩なしで演奏されたのですが、しかもそれが全体の半分でしかない、ということを後で知り、大いに驚きました。後半は、主イエス・キリストの復活にまで至るそうですので、これはもはや受難曲というべきものではないかもしれません。
 さて、この演奏会の翌日、フェスティヴァル主催の記者会見で、グバイドゥーリナとJ.S.バッハのヨハネ受難曲を比較してどう思うか、という質問を受けました。これは荒唐無稽な問いではありますが、ちょっと考えさせるところもあります。ともに聖書に基づくテクストではあっても、21世紀と18世紀の作品ですから、あらゆる技法や響きが決定的に異なっているのは言うまでもありません。しかしそれ以上に、そもそも音楽する時の意識が異なっていることが重要だと思いました。単に礼拝のために書かれたかどうか、というような外部の機能的なことではなく、作曲家が聴衆にどのような理解を期待しているか、という問題です。
 つまり、18世紀前半の作曲家は、多くの場合、自分自身の音楽語法を語ろうとしたのではなく、その時代に共通の言語を語ろうとしました。そして、誰にも認識されるはずの音楽的要素、つまり共通の単語を使って様々な情感を表現しようとしたのです。もちろん作曲家ごとの特徴はあったでしょう。しかし、それはあくまで現象的な結果であり、本来の目的ではなかったのです。一昨年“The End of Early Music”(Oxford University Press 2007)「古楽の終焉」という非常に興味深い本を書いたブルース・ヘインズは、こうした音楽を「修辞学的音楽」Rhetorical Musicと呼んでいます。修辞学とは、本来効果的な話術のテクニックでしたが、それが聴衆と作曲者(または演奏者)を結びつける重要な要素で、同じ言語を語っていることを確認させる道具となるのです。
 それに対してロマン派以降、特に19世紀後期以降の作曲家は、グバイドゥーリナに限らず、自らの語法の確立が大きな目的となってきます。個々の作品は、既成のモティーフや言い回しが使われることは基本的にはあり得ず、すべて新しいもの、誰も試みていないものが探し求められます。もちろん現代曲の持つ無調性、クラスター、各楽器の現代奏法などなど、多くの作曲家に共通の技法は存在します。しかし、各作曲家は自分自身の響きを求めてやまず、グバイドゥーリナのヨハネ受難曲の場合も、全体として響く音は、まぎれもなくグバイドゥーリナ独自のものとして響き、彼女もそれを求めて書いたに違いありません。その結果、作品は唯一無二の存在となり、多くの人々の尊敬をかち得て、権威あるものとなっていきます。同時に、演奏における自由度はますます少なくなり、技術的な優劣はあっても、演奏者による解釈の差はどんどん小さくなっていくのです。

 もうかれこれ20年以上前に、ニコラウス・アルノンクールが”Musik als Klangrede”(邦訳:「古楽とは何か 〜言語としての音楽〜」(音楽之友社))を出版して以来、バロック音楽と言葉の関係は幾度も論じられてきました。しかしその主な興味は、響きとしての音楽と言葉の共通点を探るものであったように思います。つまり、音楽を言葉のように表現するための技法、アーティキュレーションや拍節との関係などです。
 それに対して、音楽の「修辞学的な性格」を論じるとき、それは技法の問題だけでなく、その音楽の目的が基本的に人々に向かって「語りかける」ことを目的としている、ということを意味します。作曲家や演奏家が自分自身の自己実現のために音楽をしているのではなく、相手に語りかけてそこに何らかの交流が起こること、それが「修辞学的な音楽」の目的です。
 語りかける以上、少なくともそこに共通の言語が存在していることが前提されなければなりません。J.S.バッハの場合には、それが音楽の共通語として世界中で理解されているので、今日のヨーロッパのみならず、日本でもイスラエルでも、ここカナリア諸島でも、その音楽が理解されるであろう、ということには、何の疑問もありません。しかし、現代音楽の場合には、本当は言葉が通じないのだけれども身振り手振りで何とかやりとりしている、というのに少し似ているかもしれません。これは、現代音楽の持つ宿命でもあります。ロシア語ならば、ロシアに行けばだれでも理解するでしょう。しかし、グバイドゥーリナの音楽言語は、厳密には彼女以外には理解できないので、聴衆はさまざまな想像を巡らせながら、意味を想像するしかありません。
 さて、J.S.バッハの音楽は、今日とは大きく異なった状況の中で生まれました。もっとも大きな相違は、作曲家が演奏家でもあり、その作品を通じて、聴衆の知っている言葉で直接「語りかけ」たこと。そこには、聴衆と作曲家を結ぶしっかりした骨太のホットラインがあり、修辞学的な音楽言語が逐一理解されたに違いないことです。ですから、今は亡き作曲家になり代わって、このホットラインを復活させること。これが今日の演奏家の最大の使命に違いありません。

バッハ・コレギウム・ジャパン
音楽監督 鈴木雅明

(09/02/20掲載、資料提供:BCJ事務局)


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