第86回定期
  J.S.バッハ/教会カンタータ全曲シリーズ Vol.55
   〜ライプツィヒ1726年- IV 〜  


2009/10/06  19:00 東京オペラシティコンサートホール・タケミツメモリアル
*同一プロダクション
   2009/10/03 15:00 神戸松蔭女子学院大学チャペル(第206回神戸松蔭チャペルコンサート)
   2009/10/08 18:15 東京・三軒茶屋:昭和女子大学・人見記念講堂(BCJ特別公演)
                 ※曲目は、管弦楽組曲第3番BWV1068、教会カンタータBWV45,102,19 


オープニング演奏
     G.ベーム/コラール・パルティータ《大いによろこべ、おお我が魂よ》より
     J.S.バッハ/《天にましますわれらの父よ》 BWV636 (以上、オルガン独奏:今井奈緒子)
J.S.バッハ/教会カンタータ 〔1726年のカンタータ 4〕            
            《人よ、汝はさきに告げられたり、善きことの何なるか》 BWV 45
             《感謝の供えものを献ぐる者は、われを讃う》 BWV 17   〜休憩〜
             《主よ、汝の目は信仰を顧るにあらずや》 BWV 102
             《かくて戦おこれり》 BWV 19


《出演メンバー》

指揮鈴木雅明

コーラス=独唱[コンチェルティスト])
  ソプラノハナ・ブラシコヴァ*、緋田芳江、藤崎 美苗
  アルト  :ロビン・ブレイズ(CT)*、青木洋也、鈴木 環
  テノールゲルト・テュルク*、谷口 洋介、水越 啓[10/3,6]、石川洋人[10/6,8]
  バス   :ペーター・コーイ*、佐々木 直樹、藤井大輔

オーケストラ
  トランペット:ギィ・フェルベ(I)、斉藤秀範(II)、村田綾子(III)
  ティンパニ:久保 昌一
  フラウト・トラヴェルソ:菅きよみ(I)、前田 りり子(II)
  オーボエ/オーボエ・ダモーレ:三宮正満(I)、前橋ゆかり(II)
  ターユ/オーボエ(II:BWV102):尾崎 温子
  ヴァイオリン I :若松夏美(コンサートマスター)、竹嶋祐子、山口幸恵
  ヴァイオリン II:高田あずみ[10/3,6]、荒木優子、廣海史帆、天野寿彦[10/8]
  ヴィオラ:秋葉美佳、深沢美奈

 〔通奏低音〕
  チェロ:鈴木秀美  ヴィオローネ:今野 京  ファゴット:村上由紀子
  チェンバロ:鈴木優人  オルガン:今井奈緒子

(09/10/13更新)


BWV 102の、比類ない美しさ

 2009年度最初のカンタータ・シリーズは、再び1726年のライプツィヒが舞台です。この年バッハは「ルードルシュタット詩華撰」による傑作を生み出しましたが、それはいずれも荘重な魅力にあふれています。BWV 17では、冒頭のテノールがのびやかに歌い出すテーマと共に、心までが晴れやかに天に昇ってゆく感覚に襲われます。BWV 45においても、躍動感と荘重さが共存する典型的なプレリュードとフーガの形が、合唱とオーケストラで繰り広げられます。あらゆる場面でテクストに喚起されたバッハが繰り広げるファンタジーは、まさにとどまるところを知りません。
 そして中でも、《主よ、汝の目は信仰を顧るにあらずや》BWV 102は特別な存在です。2本のオーボエに導かれ、弦楽器とコンティヌオが紡ぐ「悲哀」の前奏。そして、脳裏に刻まれる「主よ Herr」、「打つ schlagt」、「石 Fels」などの修辞学的な音型が、魂の悲痛を叫び、エレミヤの言葉が息の長いフーガに連綿と続きます。その様は、人間の罪を改めて思い知らされつつも、比類ない美しさによって同時に癒されてゆく、まさにバッハの面目躍如たるものがあります。
 今回は、大天使ミカエルを記念して演奏された、トランペット群を擁しながら前奏なしでいきなり始まるユニークなBWV19も加えて、いずれも高度に彫琢された導入合唱を持つカンタータの魅力をたっぷりと味わっていただきましょう。頭と体、そして心を揺さぶるバッハの波動を存分にお愉しみください。

バッハ・コレギウム・ジャパン音楽監督
鈴木雅明

(チラシ掲載文)


第86回定期演奏会 巻頭言 (BWV17、19、45、102)  

 みなさまようこそおいでくださいました。
 旅行はお好きでしょうか。私は年々旅行が増えていくのですが、旅行の醍醐味は、仕事の合間に、ふと静かな時間を持つことができることでしょう。
 ロンドンから車で2時間半ほど東海岸に沿って北上すると、オールデバラという小さな町があります。オールデバラの中心は、一応 ”High Street” と呼ばれるメインストリートですが、この「目抜き通り」は、ものの5分も歩くと通り抜けてしまい、一面小石に覆われた海岸が現れます。ハイストリートに沿って、西側は少し高台となって海を見下ろすことができ、一軒ずつの庭が階段状に配置されているのは、なかなか美しい光景です。夜ともなると、星が満天の空を照らし、町全体がとても明るく感じられるのは、建物が低く、海が開けているからでしょうか。携帯電話は海岸に行かないと繋がらない、というのが不思議でなりませんが、星空の下で、無人の海岸にひとりで座っていると、波の音がかえって静寂をかき立て、昨日までの東京の喧噪との差に、思わず涙が出るほどでした。
 今年の6月、私がこの町に行ったのは、毎年行われるブリテン=ピアーズ音楽祭に参加するためでした。ここは、ベンジャミン・ブリテンが後半生を過ごした町で、彼の提唱によって1960年以来毎年音楽祭が行われているのです。この音楽祭の大きな特徴は、若い音楽家のための教育プログラムが必ず組み込まれていることです。バロック時代から現代音楽まで、多くの分野にわたって、年間を通じてプロジェクトが組まれ、6月の音楽祭のファイナルコンサートは、必ずこのようなユース・オーケストラが担うことになっています。
 今年のテーマはマタイ受難曲。ロンドンだけでなく、ボストンやアムステルダムなどで行われたオーディションを通じて、18人の若い声楽家と30人ほどの古楽オーケストラのメンバーが選抜されました。オーディションには200人以上の応募者があり、なかなかの盛況です。約2週間弱の間、この若い音楽家たちが受講生となって、カウンターテナーのマイケル・チャンスとソプラノのリタ・ダムス、そしてヴァイオリンのルーシー・ファン・ダールなどのマスターコースが行われ、最後の1週間は、私の指揮で集中的にコンサートの準備をすることになっていました。
 私が2年前に行ったときには、ロ短調ミサ曲がテーマだったので、声楽も管楽器も技術的に難易度が高く、やや無理が感じられました。が、今回は、より経験豊富な学生であったことと、マタイ受難曲が技巧的な面よりは内面的な表現が求められるので、準備期間の充実感は遙かに高いものでした。それにしても、ここに集った約60人の若者のうち、マタイ受難曲を全曲演奏したことがあるのは、エヴァンゲリストを歌ったサイモン君ただひとり。後は全員が初体験であったのは、かなりの驚きでした。オーボエは、ダ・モーレやダ・カッチャと持ち替えることが難しいため、第1部と第2部で、1群と2群を入れ替えて、負担を軽減します。また、18人の声楽家の全員に、何らかのソロを割り当て、合唱とソロを兼任できるようにしました。ポーランドのカウンターテナーやスペインから来たテノールなど、なかなか見事な男声陣が揃い、ソプラノにも多少柔軟さに欠けるものの、美しい声の人が大勢集まっていました。
 マスターコースを受け持つマイケル・チャンスは、私が初めてマタイ受難曲をBCJで演奏した1991年にアルトのソロを歌ってくれた人でもあり、以来親しく交流が続いています。またリタ・ダムスは、シンタグマ・ムジクムというアンサンブルで歌っていた人ですが、実は私の妻がデン・ハーグ王立音楽院で学んでいたときの同級生でもあるのです。彼女は、病気がきっかけで演奏活動からは身を引き、もっぱら声楽の名コーチとして今母校で教えています。また、ルーシー・ファン・ダールは、言うまでもなく、今もその大きな目で人を睨め付け、たばこを片手に、一言一言かみしめるように音楽を語る、すさまじい貫禄のオランダおばさんです。
 これら世界でも屈指の強力な先生達に、ビシビシと鍛えられた若者は、たった10日ほどの間にも驚くばかりの変化を見せ、演奏会は、リハーサルからの想像を遙かに超えて、とても感動的なものでした。BCJで何十回も演奏してはいますが、これだけ多くの初心者とともにこの作品を演奏したのは初めてです。Magd(女中)やピラトの妻など一声の台詞を歌う人も、真剣に練習し、緊張している姿は最近少し忘れていた微笑ましさがあり、アリアの表現もリハーサルからは一皮むけた大胆さが見られ、とても頼もしく思いました。
言うまでもなく、欧米の人にとってはマタイ受難曲の内容はよく知られており、それが如何にシリアスで、重大な作品であるかは、説明するまでもありません。が、それを実際の演奏会として成功させるためには、そのような聴衆としての知識だけではなく、具体的な発音、音程、アーティキュレーションやフレージング、息継ぎや指使い、さらにはエネルギーの配分にいたるまで、演奏家としての具体的な経験を積まなければなりません。そして、そのような演奏実践の試行錯誤をする中で、作品全体の意義や目的が意識されて来るのが、演奏家のアプローチです。彼らは、「本質はディテールに宿っている」ことを身をもって体験できたことでしょう。
 マタイ受難曲は、今日あまりにもモニュメンタルな作品になりすぎたきらいがあります。ヨーロッパに住む指揮者なら、マタイを100回以上指揮していても決して不思議はありません。ペーター・コーイは、既に300回以上歌っているでしょう。私ですら50回以上演奏しているのです。しかし、当のバッハは、最大に見積もっても、生前わずか5回しか演奏していません。
これは一体どのように考えればよいのでしょうか。私たちは、この名作を繰り返すことによって、よりその価値を高め、次代に受け継いでいるつもりではいます。しかし、こんなに繰り返すことによって、果たして何も失われてはいないのでしょうか。洋服であれ、車であれ、無限の繰り返しに耐えうるものなど、この世にありません。むしろ、私たちは、音楽が優れていればいるだけ、それを新鮮に保つ努力をしなければなりません。
 1991年4月に、私が初めてマタイ受難曲を演奏したとき、リハーサルの期間中、膝が震え原因不明の高熱でうなされ続けました。今思えば、あれは、巨大なマタイ受難曲を前にしての武者震い、あるいは知恵熱だったに違いありません。オールデバラでは、若者達が初めてこの大曲に立ち向かう果敢な姿を見て、思いを新たにしました。この新鮮さこそ、私たちが本当に次代に受け継ぐべきものに違いありません。今日もまた、そのような思いをもって、新鮮にカンタータに臨みたいと思います。

バッハ・コレギウム・ジャパン
音楽監督 鈴木雅明

(09/10/01掲載:資料提供・BCJ事務局)


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