第87回定期
  J.S.バッハ/教会カンタータ全曲シリーズ Vol.56
   〜ライプツィヒ時代1726年- V 〜  


2010/ 2/25  19:00 東京オペラシティコンサートホール・タケミツメモリアル
*同一プロダクション
   2010/ 2/20 15:00 神戸松蔭女子学院大学チャペル(神戸松蔭チャペルコンサート) 


オープニング演奏
     J.S.バッハ/プレリュードとフーガ ハ短調 BWV 546(オルガン前奏:鈴木優人)
J.S.バッハ/教会カンタータ 〔1726年のカンタータ 5〕

        《誰であれ高ぶるものは低くせられ》 BWV47  
        《誰が知ろう、いかにわが終わりの時が迫り来るかを?》 BWV27 〜休憩〜
        《嬉々として舞い上がれ、星々の高みにまで》 BWV36 (決定稿)


《出演メンバー》

指揮鈴木雅明

コーラス=独唱[コンチェルティスト])
  ソプラノハナ・ブラシコヴァ*、緋田芳江、藤崎美苗(S2:BWV27)
  アルト  :ロビン・ブレイズ(CT)*、青木洋也(S2:BWV27)、鈴木 環
  テノール水越 啓谷口洋介、藤井雄介
  バス   :ペーター・コーイ*、浦野智行、藤井大輔

オーケストラ
  コルノ(ホルン):日高 剛(神戸)、島田俊雄(東京)
  オーボエI、オーボエ・ダモーレI、オーボエ・ダ・カッチャ:三宮正満
  オーボエII、オーボエ・ダモーレII:前橋ゆかり
  ヴァイオリンI:若松夏美(コンサートミストレス)、パウル・エレラ、竹嶋祐子
  ヴァイオリンII:高田あずみ、荒木優子、戸田 薫
  ヴィオラ:成田 寛、渡部安見子

 〔通奏低音〕
  チェロ:鈴木秀美  ヴィオローネ:西澤誠治  ファゴット:村上由紀子
  チェンバロ:鈴木優人  オルガン:今井奈緒子


第87回定期演奏会 巻頭言 (BWV27、36、47)  

皆様、ようこそおいで下さいました。
 いつも慌ただしく年末の休暇に入ると、お正月には無限に時間があるような錯覚を覚えるのですが、実際はいつもの月と何も変わりません。しかも、今年は三が日を経る間もなくヨーロッパに旅だったので、ことさら短いお正月でした。私にとって、元旦になくてはならない白味噌と丸餅のお雑煮だけを辛うじて味わってヨーロッパに来てみると、多くの人が平然と仕事に戻っていることにちょっとしたショックを覚えます。やはり日本人としては、お正月はお正月。そのうえ、クリスマスはクリスマスとして、キリスト教の最も重要なできごとを、J.S.バッハとも共有したい。この二重感覚は、永久に解決されることはないでしょう。
 さて、年が変わってからクリスマスの話に戻るのも恐縮ですが、今回のプログラムには、BWV 36『嬉々として舞い上がれ、星々の高みにまで』が含まれています。このカンタータには、かなり複雑な成立の経緯がありますが、それについては、江端氏の論考をごらんいただくことにして、ここでは、そこに3回も登場するコラール『いざ来たりませ、異邦人の救い主』についてお話ししておきたいと思います。
 J.S.バッハは、1725年の春以来、BWV 36の同じ音楽を改良しつつ、何度も異なった目的のために演奏してきましたが、1731年にいたって、これを待降節第1主日のカンタータとして作り直すことにしたようです。(江端氏記事p.42〜46参照)待降節とはクリスマス(12月25日)に先立つ4週間のことで、1731年には12月2日がその最初の日曜日(第1主日)にあたっていました。それまでの半年にわたる長い三位一体の期間が終わり、いよいよクリスマスの準備に入るこの日を、キリスト教会では教会暦の新年度の始まり、と定めていました。そして、この日に必ず歌われる賛美歌が『いざ来たりませ』であり、待降節とこのコラールは切っても切れない深い関係にあるので、J.S.バッハは迷うことなく取り入れたに違いありません。(第2、6、8曲)
 このコラールの原曲は、4世紀のミラノ司教アンブロジウス(339-397)が作ったラテン語の聖歌『来たれ、異邦人の救い主』Veni redemptor gentiumです。マルティン・ルターは、この聖歌をほぼ忠実に全8節からなるドイツ語に翻訳し、プロテスタントの会衆歌に取り入れました。1524年にエアフルトで出版された『エンヒリディオン(音楽の手引き)』Enchiridionにも含まれています。(■プログラム冊子 図版参照1 )
 実は、ルターの同時代の宗教改革者トーマス・ミュンツァーも同じコラールをドイツ語訳しているので、ルターは彼に刺激されて訳したのかもしれません。これらふたつの翻訳を比較すると、非常に興味深いことがわかります。(■プログラム冊子)譜例 2をごらんください。最上段が原曲、第2段がミュンツァーの翻訳、最下段がルター訳です。ミュンツァーのものは、原曲の旋律を一切変更せず 3、ただラテン語のテクストをドイツ語に翻訳したものでしたが、その独訳にはかなりの意訳が含まれているとのことです 4。
 それに対し、ルター訳はほぼ逐語訳でしたが、旋律には、わずかな、しかし非常に重要な変更が含まれています。まず、第1段落冒頭では、原曲のレ・・ドレファミレという音の並びを、レ・・レドファミレに変更しました。つまり、ド音の後に元のレに戻るのではなく、ファに飛ぶ4度の跳躍が生まれたのです。冒頭の主音レに続いて、レドレと動くのは、旋法的な音楽ではごく一般的な進行で、この場合のドの音は単なる刺繍音5 にすぎず強い印象は与えません。それに対し、レドファと動くと、このドの音はより独立した意味を持つことになり、必然的に次のファの音が、より高くより強く印象づけられます。そして、そのファの音には「異邦人」Heidenという単語が当てられました。このことによって、このコラールが他ならぬ「異邦人の救い」、即ち私達ユダヤ人以外の者に向けられた救いであることがより強く示されることになったのです。
 第2と第3段落では、それぞれ「処女(おとめ)」(Jung-)frauと、「驚く(奇跡を訝しむ)」wun(-dert)の単語に最高音が与えられて強調され、処女マリアからの誕生という奇跡が音楽的にも表現されます。
 さらに最終段落で、ルターは素晴らしい音楽的才能を発揮しました。この部分の原旋律は、第1段落と共通の音域ではあるものの、著しく異なった動きをしています。ルターは、その似て非なる旋律線を、第1段落と全く同じ旋律に置き換え、見事に再現部を作ってしまったのです。ドからファまでのたった4つの音でできた冒頭の旋律が再び最後に繰り返されることで、このコラールは、一度歌うと決して忘れることができないものになってしまいました。また、第1段落で「異邦人」heidenという単語があてられた印象的なファの音は、最終段落では「誕生」(Ge-)burtという単語が与えられ、(処女マリアからの)「奇しき誕生」が強調されます。こうして、「異邦人」「処女」「奇跡」「誕生」という4つのキーワードが各段落で強調されることで、神の子であるイエスが、奇しき誕生を経て、「真の人」として生まれた、というキリスト教の根本的な教義が、このコラール1曲で見事に表現されたと言っても過言ではありません。
 カンタータBWV36では、このコラール第1節のテクストが第2曲に現れますが、これがソプラノとアルトの2重唱であることは決して偶然ではないでしょう。ロ短調ミサ曲「キリエ」第2曲が子なる神に憐れみを乞う時と同じく、神の第2の位格であるイエス・キリストに対しては、「2」を表すためにデュエットが用いられたのです。しかも、このカンタータでもそれが全体の第2曲に位置し、その上、非常に珍しいことに、オーボエ・ダモーレが全曲に渡ってソロの声楽パートにユニゾンで重なることで、常に二つの音が一致して鳴り響くように作られました。
 イエス・キリストが「真の神」であると同時に「真の人」である、ということは、J.S.バッハにおいても、現代の私達においても、最も重要なキリスト教信仰の中心です。「神」と「人」のどちらを強調しても、ただちに異端に堕してしまうことを歴史が物語っているので、キリスト教会は、これをふたつながらに信仰告白する緊張関係を注意深く守ってきたのです。ルターが音楽的に表現したこの奥義を、J.S.バッハがカンタータにおいてさらに増幅し、そのカンタータを演奏する現代の私達がまた「今、ここで」告白できる、ということ。これこそが、「教会音楽」の持つ最も重要な機能であり、またこのコラール「いざ来たりませ」こそ、その機能を最も十全に果たすことのできる代表的な例に他なりません。私達は、21世紀の現代においても、音楽を通じて、神の支配される信仰の歴史に、何と力強く結びつけられていることでしょうか。

バッハ・コレギウム・ジャパン
音楽監督 鈴木雅明

1 ‘Das Erfurter Enchiridion’ (Faksimiledruck herausgegeben von Konrad Ameln, Barenreiter Kassel 1983)
2 Friedrich Blume “Geschichte der evangelischen Kirchenmusik” (Zweite neubearbeitete Auflage) Barenreiter Kassel 1965 p.23ff

3 原曲とミュンツァー訳の多少の異同は、グレゴリオ聖歌の伝承の違いであり、ミュンツァーの変更ではない。
4 川端純四郎『この聖き夜に?アドヴェントとクリスマスの歌?』(日本キリスト教団出版局2009) p.42ff
5 「刺繍音」とは、旋律を構成するある音が、上または下の隣接する音に動いて、また元の音に戻るとき、その隣接する音を意味する。

(10/02/19、資料提供:BCJ事務局)


《本公演のプログラム冊子の記事より》

特別寄稿「教会カンタータ第36番Schwingt freudig euch empor BWV 36について」  江端伸昭

バッハの教会カンタータ36番は待降節第1主日のための作品であるが、この曲をめぐる問題はたいへん大きなものがある。なぜか。このカンタータが異例ずくめだからである。

1. 楽章構成の異例さ
2. 各資料の状況概観
3. 歌詞の平行関係
4. 世俗カンタータBWV 36cで誕生日を祝われた人物
5. 歌詞の成立順序とケーテン祝賀音楽BWV 36aの年代
6. 教会カンタータ初期稿BWV 36frについて
7. 初期稿BWV 36frの筆写総譜の原本について
8. 資料間の相互関係(補説)
9. 後期稿BWV 36について簡単なこと
10. 教会暦と明けの明星について
11. 結語:バッハの意図


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