第93回定期
  J.S.バッハ/教会カンタータ全曲シリーズ Vol.60
   〜ライプツィヒ1727〜29年- IV 〜  


2011/06/22  19:00 東京オペラシティコンサートホール・タケミツメモリアル
*同一プロダクション
   2011/06/15 15:00 調布市文化会館たづくり・くすのきホール(調布市相互提携事業・BCJ公開リハーサル)
   2011/06/16 18:30 青山学院大学ガウチャー記念礼拝堂(青山スタンダード「キリスト教理解関連科目」特別講座)
   2011/06/18 15:00 神戸松蔭女子学院大学チャペル(第216回神戸松蔭チャペルコンサート)


−震災犠牲者を悼んで−:J.S.バッハ/オルガン・コラール《我ら苦難の極みにある時も》(Org:鈴木優人)
                        モテット《おおイエス・キリスト、わが命の光よ》 BWV118
J.S.バッハ/教会カンタータ 〔1727-29年のカンタータ 4〕            
            《いざや もろ人 神に感謝せよ》 BWV 192
             《光は義しき人のために射し出で》 BWV 195 〜休憩〜
             《汝われを祝せずば》 BWV 157  
            《主なる神、万物の支配者よ》 BWV 120a

(11/06/14、予定される演奏順に並び替え)


《出演メンバー》

指揮鈴木雅明

コーラス=独唱[コンチェルティスト])
  ソプラノハナ・ブラシコヴァ*、澤江衣里、緋田芳江、松井亜希
  アルト  :ダミアン・ギヨン*、上杉清仁、鈴木 環、高橋ちはる
  テノールクリストフ・ゲンツ*、石川洋人、谷口洋介、藤井雄介
  バス   :ペーター・コーイ*、浦野智行、加耒 徹、渡辺祐介

オーケストラ
  トランペットI/ホルンI:ジャン=フランソワ・マデゥフ
  トランペットII:フィリープ・ジェネスティエ
  トランペットIII/ホルンII:グレアム・ニコルソン
  ティンパニ:久保昌一
  フラウト・トラヴェルソI:菅きよみ、フラウト・トラヴェルソII:前田りり子
  オーボエI/オーボエ・ダモーレI:三宮正満、オーボエII/オーボエ・ダモーレII:尾崎温子
  ヴァイオリン I :若松夏美(コンサートマスター)、パウル・エレラ、竹嶋祐子
  ヴァイオリン II:高田あずみ、荒木優子、山口幸恵
  ヴィオラ:成田 寛、秋葉 美佳

 〔通奏低音〕
  チェロ:鈴木秀美  ヴィオローネ:今野 京  ファゴット:村上由紀子
  チェンバロ:鈴木優人  オルガン:今井奈緒子

(11/05/30、UP)


「神は我らの避けどころ、私たちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。わたしたちは決して恐れない。地が姿を変え、山々が揺らいで海の中に移るとも。海の水が騒ぎ、沸き返り、その高ぶるさまに山々が震えるとも。(詩編46編第2〜4節)

東日本大震災で被災された方々に、心よりお見舞いを申し上げます。天災は常に人災を伴います。政治の無力や人間同士の不信感が、風評や憶測とともに、被害を倍加することのないよう、また被災された方が、一日も早く立ち直られるよう、ひたすら祈りたいと思います。

このような時、音楽は自粛するべきなのでしょうか。そのような考えもあるでしょう。しかし、私たちは違います。特にJ.S.バッハの音楽は、死と向かい合った時代に生まれました。このような時にこそ、当時の人々が音楽から得た慰めと励ましを、今日にも届けるべき使命が、BCJにはあると考えています。

もちろん直接被災地のために音楽家ができることは、ごくわずかです。が、せめて私たちの思いを重ねるため、《BCJ東日本大震災義援金プログラム》を立ち上げました。今年の定期演奏会の音楽を犠牲者と被災者のために捧げ、皆様方の志を集めて、義援金をお送りすること。そして、今年度の最後には、チャリティコンサートを催すことで、本当に微力ながら、復興へのお手伝いをしたいと思います。どうぞ、このBCJと思いを共にして下さる方は、コンサートの会場で、あるいは下記の振替口座を用いて、ご協力下さい。(郵便振替口座「BCJ東日本大震災義援金」を設けました。お問合せ:BCJ事務局まで)
* * *
阪神大震災の年に始まった私たちのカンタータプロジェクトが、最後の2年となって、再び震災を迎えてしまいましたが、6月の定期演奏会では、冒頭に震災の犠牲者追悼のためのプログラムを加えて、予定通りのカンタータを演奏いたします。
BWV 120a《主なる神、万物の支配者よ》 には、美しいアリアと華やかな合唱に加え、無伴奏ヴァイオリンのためのプレリュードがオルガン・コンチェルトになって登場するのは驚きです。告別式用と思われるBWV 157 《汝われを祝せずば》は、テノールのしめやかなアリアの中に、高い技術が求められる技巧的な作品。そして忘れてならない《光は義しき人のために射し出で》BWV 195では、ソリストとリピエノ群による8声合唱が、無力な私たち人間に、大きな励ましと喜びを与えてくれます。
では、皆様、会場でお目にかかりましょう。

バッハ・コレギウム・ジャパン音楽監督 鈴木雅明

(チラシ掲載文)


第93回定期演奏会 巻頭言 (BWV120a、157、192、195)  

 この原稿を書き始めた今日、5月11日、あの巨大な地震と悪魔のような津波が東北地方を襲ってから、ちょうど2ヶ月が過ぎました。死者14,949人、行方不明者9,880人、避難者は117,085人と報告されています。亡くなった方ひとりひとりに、自分と同じように人生があったかと思うと、心が締め付けられるような思いです。そして、家族、友人、家、仕事など、今までの日常すべて奪い去られてもなお冷静に、少しずつ復興に向けて歩み出しておられる姿を見ると、感嘆する他はありません。あるアメリカ人の友人は、日本では、なぜこのような事態に大暴動や略奪が起きないのか、と真剣に尋ねてきました。恐らくこの冷静さと粘り強さが、東北人の真骨頂なのかもしれません。
私たちBCJは、地震の3日後の3月14日に、アメリカへのツアーにでかけることになっていました。果たして全員無事に飛び立てるのかという大きな危惧がありましたが、幸い、私たちのメンバーとその家族には、直接的な被害が及ばなかったことがわかったので、飛行機が飛ぶ限り出発しよう、と考えました。このような悲惨な事態を目の当たりにして、私たち音楽家に何かできることがあるのだろうか、と考えつつ、アメリカに着いてみると、すべてのコンサートの主催者が、特別な思いで私たちを迎えてくれました。カーネギーホールやイェール大学など、すべてのコンサートの主催者が、私たちから改めて提案するまでもなく、このコンサートをチャリティコンサートと位置づけて、聴衆に呼びかけて義援金を集める準備を進めてくれていたのです。
今回のツアーは、カーネギーホールが主催しているジャパンフェスティヴァル《Japan NYC》からの招待がきっかけで計画が始まったのですが、同ホールの支配人であるクリーヴ・ギリンソン氏は、このような時期に日本に焦点をあてたフェスティヴァルを開催することになったことを深く受け止め、そのフェスティヴァル全体を日本の被災者に捧げることを表明をされました。私たちのコンサートの冒頭には、ギリンソン氏がまず短く挨拶をされた後黙祷を捧げ、沈黙に続いて「キリエ」と叫ぶロ短調ミサ曲を始めたのです。
今回のプログラムがロ短調ミサ曲であったことは、本当に感謝すべきことであったと思います。神の憐れみを乞うキリエで始まり、平和を仰ぎ見るドナ・ノービス・パーチェムで壮大な全曲を閉じるこの曲以上に、この時に相応しい作品はないように感じられました。この作品が果たしてカトリック礼拝のためのものか、あるいはルター派のためなのか、定かではありません。が、いずれにしても、このミサのテクストは、初代キリスト教以来営々と続いてきた礼拝の粋を集めたものです。二千年近くもの長い年月の中で、人々は喜びにつけ悲しみにつけ、礼拝を捧げてきました。自然災害ばかりではなく、疫病、飢餓、戦争などなど、絶望のどん底に叩き込まれるような人間の悲しみの歴史が、このような神礼拝の音楽を生み出してきたと言っても過言ではないでしょう。再び喜びにまみえるための希望と救いの言葉は、単に語られるだけではなく、音楽として歌われなければならないのです。そうすることで、頭で理解できたことが、改めて体で理解され、理性のみでなく感性に刻印されるのです。
私はアメリカでロ短調ミサ曲を演奏しながら、その複雑な対位法に身をよじりつつ、同時に、純粋な響きに改めて打たれました。この最高度に知的で、かつ整然とした透明な響きは、18世紀の人々をも大いに感嘆させ、このような偉大な調和(ハーモニー)を生み出したバッハの偉業はニュートンに喩えられています。音楽は常に自然との関係の中で捉えられていました。ライプツィヒ大学の講師でバッハ批判に反駁したヨハン・アブラハム・ビルンバウムは、「真の芸術の目的は、自然を模倣すること、そして必要な場合には、それを援助することである」と書いています(1)。つまり、ニュートンの著作と同じように、本当に深い理解のある人にしか理解できないかもしれないが、バッハの響きが美しいのは、自然を美しく模倣しているからだ、というのです。J.S.バッハは、確かにひとりの音楽家として、個人の感性や判断に基づいて、この複雑な作品を生み出したのでしょうが、自然の法則に理路整然と従っているからこそ、それがかくまで美しく響くのでしょう。自然とは、そのように、美しい法則に従って、理路整然と神の知性を湛えているはずのものなのです。
今回のように、大きな自然災害が起こるたびに、私たちは自然の猛威と災害の予防について語ります。しかし実は、あの悪魔の手のように人々を呑み込んだ津波でさえ、自然の一部であることを思うと、私たち人間が、如何に弱く、はかない存在であるかを思わずにはいられません。また原子力発電所のことについては、自らの首を絞めるディレンマに苦悶するばかりです。文明の利器が発達すればするほど無限に電力は消費され、それを得るためには発電所が不可欠です。そのことによって引き起こされた今回の事故は、果たして自然災害と呼ぶべきかどうか、いや決して自然のもたらした災害とは呼べないでしょう。
果たして人間は、どこかで本当に安全に暮らすことが可能なのでしょうか。どこまで科学が発展すれば、私たちは安心できるのでしょうか。ロ短調ミサ曲に見られるような調和と平安を、現実の社会で体験することは皆無です。だからこそ、私たちはせめて音楽の中に、より確かな感覚を求めてJ.S.バッハを演奏しているのかもしれません。J.S.バッハは私たちを、神が創造された本当の自然の姿に導いてくれます。そして、それ以外には、私たちが安心できる場所はありません。だから私たちは、音楽が語る言葉を手繰りつつ、真の拠り所に立ち戻るしかありません。
最後に、震災で亡くなられた方の冥福を祈りつつ、復興への思いをこめて、詩編46編を掲げて終わりたいと思います。

神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦
艱難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる
わたしたちは決して恐れない
地が姿を変え
山々が揺らいで海の中に移るとも
海の水が騒ぎ、沸き返り
その高ぶるさまに山々が震えるとも
(詩編46編第2〜4節)

バッハ・コレギウム・ジャパン
音楽監督 鈴木雅明

(11/05/30掲載:資料提供・BCJ事務局)

(1) Christoph Wolf : “Johann Sebastian Bach The Learned Musician (邦訳:『ヨハン・セバスティアン・バッハ 学識ある音楽家』(春秋社)p12ff


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