第94回定期
  狩のカンタータ 〜バッハ 世俗カンタータ全曲シリーズ Vol.1〜


2011/07/14  19:00 東京オペラシティコンサートホール・タケミツメモリアル
*同一プロダクション
   2011/07/09 15:00 名古屋:三井住友海上しらかわホール(第1回名古屋定期演奏会)


J.S.バッハ/《楽しき狩こそわが悦び》 BWV208 (誕生日祝賀・狩のカンタータ)
       《日々と歳月を作り成す時間は》 BWV134a (新年祝賀・セレナータ)


《出演メンバー》

指揮鈴木雅明

コーラス=独唱[コンチェルティスト])
  ソプラノジョアン・ラン*、ソフィ・ユンカー*、緋田芳江、藤崎美苗
  アルト  :ダミアン・ギヨン*、青木洋也、鈴木 環、高橋ちはる
  テノール櫻田 亮*、石川洋人、谷口洋介、藤井雄介
  バス   :ロデリック・ウィリアムズ*、浦野智行、加耒 徹、藤井大輔

オーケストラ
  コルノ・ダ・カッチャ:ジャン=フランソワ・マドゥフ(I)、ジェローム・プランセ(II)
  リコーダー:山岡重治、向江昭雅 [BWV208]
  オーボエI:三宮正満、オーボエII:森 綾香[BWV 208]、ターユ/オーボエII:尾崎温子
  ヴァイオリン I :若松夏美(コンサートマスター)、パウル・エレラ、竹嶋祐子
  ヴァイオリン II:高田あずみ、荒木優子、山口幸恵
  ヴィオラ:成田 寛、深沢美奈
  ヴィオラ・ダ・ガンバ:福沢 宏

 〔通奏低音〕
  チェロ:鈴木秀美、ヴィオローネ:今野 京、ファゴット:村上由紀子、チェンバロ:鈴木優人

(11/07/04)


《J. S. バッハ:教会カンタータ・シリーズ》の完結まであと2年となりましたが、BCJでは、長年暖めていたもう一つのカンタータ分野《世俗カンタータ》の全曲録音と演奏を、年に一度ずつではありますが、開始することにいたしました。重要人物の誕生日や結婚式、宮廷行事に関わるものなど、いろいろな世俗的な機会に委嘱を受けて作曲したこのカンタータ群は、殆どが「教会」より長大な規模と豪華な編成、高い名人芸を要求し、後には教会カンタータやミサ曲へと転用され、バッハの作曲活動の非常に重要な意味を担うこととなったのです。現存数は約20曲と僅かですが、カンタータ創作の始まる1710年代から晩年の40年代まで、オペラを書かなかったバッハの、各年代節目の「力作」エンターテイメントを発掘してゆく、心躍るジャンルと申し上げることができるでしょう。BCJのもう一つの重要な拠点、名古屋の地で第1回定期演奏会を開始できることも大きな悦びです。
この開幕公演では、FM「朝のバロック」のテーマで有名な、最初期の作品BWV208 《狩のカンタータ》と、ケーテン時代に生まれた《日々と歳月を作り成す時間は》BWV 134aを取り上げました。
世俗カンタータでは、多くの場合、対話ないし議論によって物語が進みます。BWV 208では、狩の女神ディアナとその恋人エンデュミオンが、そしてBWV 134aでは、「時間」(=過去)と「神の摂理」(=未来)の対話によって、時にオペラのような表情も見せながら、それぞれ喜ばしい結びへと向かいます。《狩のカンタータ》では、同時に演奏されたであろうブランデンブルク協奏曲第1番の初期稿BWV 1046aの前奏と共にお聴き頂きましょう。また本シリーズでは新しいソリストのラインナップにもご期待ください。
では、もう一つのバッハの旅を、どうぞご一緒に。

バッハ・コレギウム・ジャパン音楽監督 鈴木雅明

(チラシ掲載文・BCJ事務局提供)


第94回定期演奏会 巻頭言 (BWV208、134a)  

 皆様、ようこそおいでくださいました。
いよいよ夏が本番になってきました。果たして、電力の消費量が限界を超えずに乗り切れるのでしょうか。なんともスリリングな夏という他はありません。こういうときは、冷房をきかせた涼しい室内で平然と過ごそう、などとは考えず、思い切って馬を駆って「狩」に出かけ、清々しい汗をかいた後、森の木陰に宴を張り、冷したシャンパンで喉をうるおす。もし私たちが、そのような大胆な行動に出られれば、少なくとも消費電力は格段に下がるはずです。
 東西ドイツが統一された直後私が旧東ドイツを訪ねたとき、ベルリンの北に広がる広大な原生林に目を見張りました。東ドイツには、こんなにも自然が残っていたのですね、と友人に尋ねると、「あれは、ホーネッカーがシカ狩りをするために独占していた森ですよ。」と教えてくれました。共産貴族は、シカ狩りをしていたのだ!と私はひどく驚愕した覚えがあります。しかし、ホーネッカーに限らず、中世以来ヨーロッパ貴族諸侯(あるいは、そうなりたいと願った人々)は例外なく「狩」をたしなみました。すでに13世紀のフランスでは、狩猟術の書が現地の母国語で書き記されているそうですし、貴族達は禁猟区を作って平民の狩猟を禁じ、「狩」を貴族の特権として専有していったのでした。18世紀になると、ルイ14世は1週間に2度、ルイ15世と16世は1週間に3度も狩に出かけたそうですし、1000人を超える狩猟役人が雇われていたとも言われています。
 獲物についても細かい分類がなされ、イノシシやクマなどは12~13世紀を境に地位が下がり、シカ狩りが最も重視されていったということです。しかも、銃などの飛び道具を使うのではなく、猟犬の群れを駆り立てて獲物が力尽きるまで追い回し、最後の最後に武器で止めをさす「力ずくの狩猟」Chasse a forceが最善の方法とされたそうです。当然、そのためには広大な土地が必要となり、必然的にこれが貴族専有のスポーツになっていったことには納得させられます 。
 考えてみると、シカ狩りが高貴なものとされた背景には、当然キリスト教的な「鹿」のイメージも一役買ったことでしょう。私たちが「鹿」についてまずイメージすることは、詩編42編の記述です。
 
涸れた谷に鹿が水を求めるように
神よ、わたしの魂はあなたを求める。(詩編42編第2節)
 
 つまり、鹿は古来、神を慕い求める私たちの魂の象徴として、そのイメージを得てきましたし、雄鹿の角は、十字架を象徴するものとして、特別に高貴なものと考えられてきました。その鹿を追い詰めることが、十字架上のキリストの受難の象徴となり、翻って、その受難の故に私たちが豊かな恵みを受ける、というキリスト教の逆説的真理を、この狩が象徴していたのでしょう。実際、捉えた鹿を解体して得られる肉は、すばらしく美味であり、イエスの受難によって得られる私たちへの恵みが、鹿の受難によってここで追体験されたに違いありません。
 さて、「狩」と音楽について述べるならば、まず思い起こすのは、ホルンの存在です。ファンファーレを高らかに吹き鳴らして鹿を威嚇し、同時におそらく離れた場所にいる狩仲間への合図ともなったはずのホルンは、野外で演奏することに非常に適切な楽器でした。ですから、狩の象徴として、実際には狩の前に屋内で演奏された音楽にも、しばしば登場したのです。J. S. バッハの場合は、「狩のホルン」Corno da Cacciaという楽器の名称が、確かにカンタータにも頻繁に登場します。ごく最近、ボストン美術館で見たG.クールベの「獲物」La Cureeというタイトルの絵画にも、見事にホルンの奏者が描かれています。19世紀半ばにおいて、未だこのような奏法で演奏していたとすれば、驚くべきことです。



(La Curee, 1856, Museum of Fine Arts Boston)
 
 狩が貴族の専有物となり、ホルンが狩と結びつくことで、必然的にホルンを用いることが「高貴な存在」ないし「王の権威」を象徴するようになりました。その最も象徴的な例が、ロ短調ミサ曲の「ただあなたのみが気高く」quoniam tu solusでしょう。ただひとり気高い存在としての「狩のホルン」Corno da cacciaが、庶民の代表とも言うべきダブルリードのファゴットと好対照をなしているからです。
 さて、この「狩」のカンタータにおいては、まず「狩」の女神ディアーナが登場します。彼女にとっては、もちろん狩より大事なものはありません。しかしここでは、恋人のエンデュミオンとの愛もさておいて、誕生日を迎えるいとやんごとなき統治者クリスティアン公を丁重にお迎えしよう、と言うのです。森の守護神パーンも、統治の杓を差し出そうとします。というのは、クリスティアン公のいない国など、死の洞穴に過ぎない、からだそうです。もうひとりの豊穣の女神パレスも負けてはいません。ザクセンの英雄クリスティアン公を善き牧人とたたえて、最も有名な「羊は心おきなく草をはむ」を歌います。
 このようにJ. S. バッハの世俗カンタータには、ギリシャやローマ神話の神々がしばしば登場します。これはこの時代特有の比喩と寓意の手法ですが、それによって登場人物の劇中の役割が暗示されたのです。例えば、古代ローマの詩人オウィディウスによれば、パレスはローマの建国祭である4月21日のパリーリア祭において表敬を受けることになっているので、この女神の登場によって、ディアーナが第5曲で言及する「生誕の宴」Ursprungsfestとは、実はこのパリーリア祭であることがわかります。つまり、クリスティアン公の誕生日カンタータがこのパリーリア祭のパロディとして描かれていることが想像されます。さらにパリーリア祭では、祭るもの達が「喜びの火」を三度飛び越えなければならない、ということになっているので、エンデュミオンとディアーナが、「“喜びの供物”に火ともし……われらふたりの炎を願いと喜びをこめて 今こそともに運ぼう」というのは、まさにこの「喜びの火」のことに違いありません 。
 結局世俗カンタータの中では、これらの神様たちは、しばしば、表敬するべき相手への、いわば太鼓持ちとして登場するのですが、しかし彼らの存在によって、作品の裏に隠された象徴的な意味が暗示され、私たちをより深い知的な遊びの世界に導いてくれるのです。 

 さて、今回から名古屋の定期演奏会が始まりました。当初は年1回のみですが、三井住友海上しらかわホールのご協力を得て、定期的な演奏と同時に世俗カンタータの全曲録音を進めてまいります。世俗カンタータは、その名前から、何か「俗っぽいもの」「価値の低いもの」と思われてきましたが、職人としてのバッハにとっては、教会カンタータと何も違いはなかったでしょう。それぞれの目的に適った適切な題材、雰囲気、曲の形式、作曲法など、教会カンタータを書くときと全く同じ、細かい配慮が払われています。しかし、世俗カンタータは、基本的に機会音楽ですので、ただ一度しか演奏する機会がありません。そこで、彼はしばしば、世俗カンタータを教会暦にあてはまるように教会カンタータに改作し、望めば毎年でも使用可能なようにアレンジしていったのです。実は、本日演奏するもうひとつのカンタータBWV134a《日と年をつくる時は》も、その大半がBWV134《おのがイエスの生きたもう、と知る心は》にアレンジされ、私たちは既に録音し、カンタータ全集第18巻としてリリースされています。
 では、みなさま、バッハのもうひとつの知的な世界を存分にご堪能下さい。
バッハ・コレギウム・ジャパン
音楽監督  鈴木雅明
ここに述べている「狩」については、次のふたつの文献を参考にさせていただきました。
 頼順子「中世後期の戦士的領主階級と狩猟術の書」(大阪大学『パブリック・ヒストリー』2号2005年)
 阿河雄二郎「『狩猟事典』にみる近世フランスの狩猟制度」(関西学院大学紀要「人文論究」2005年)

 『バッハ=カンタータの世界 II世俗カンタータ』(東京書籍)p.235ff
(資料提供:BCJ事務局 11/07/07更新)

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