第98回定期
  結婚カンタータ 〜バッハ 世俗カンタータ全曲シリーズ Vol.2〜


2012/07/20  19:00 東京オペラシティコンサートホール・タケミツメモリアル
*同一プロダクション
   2012/07/16 14:00 名古屋:三井住友海上しらかわホール(第2回名古屋定期演奏会)
   2012/07/14 15:00 秋田:アトリオン音楽ホール (以下の曲目とソリスト) 


J.S.バッハ/誕生日祝賀 セレナータ 《高貴なるレーオポルト殿下》 BWV173a
       「結婚カンタータ」《消えるのです 悲しみの影よ》 BWV202
         〜休憩〜
       結婚クォドリベット(不完全稿) BWV524
       誕生日祝賀 《喜び舞い上がれ 星々の高みまで》 BWV36c

 *秋田公演(7/14)プログラム&ソリスト
   J.S.バッハ/トッカータとフーガ ニ短調 BWV 565 [鈴木優人(org)]、《喜び勇みて羽ばたき昇れ》 BWV 36c、
          《しりぞけ、もの悲しき影》 BWV 202(結婚カンタータ)より1,4,5,9曲、《心と口と行いと生活が》 BWV 147
    ジョアン・ラン(S)、青木洋也(CT)、水越 啓、鈴木 准(T)、ロデリック・ウィリアムズ(B)


《出演メンバー》

指揮とオルガン鈴木雅明

コーラス=独唱[コンチェルティスト])
  ソプラノジョアン・ラン*、澤江 衣里、緋田芳江、藤崎美苗
  アルト  :青木 洋也*、鈴木 環、中嶋 俊晴、中村 裕美
  テノール櫻田 亮*、鈴木 准、水越 啓
  バス   :ロデリック・ウィリアムズ*、加耒 徹、渡辺 祐介

オーケストラ
  フラウト・トラヴェルソ:菅 きよみ(I)、 前田 りり子(II)
  オーボエ/オーボエ・ダモーレ:三宮正満
  ヴァイオリン I :若松夏美(コンサートマスター)、パウル・エレラ、竹嶋祐子
  ヴァイオリン II:高田あずみ、荒木優子、山口幸恵
  ヴィオラ:エミリオ・モレノ、秋葉 美佳
  ヴィオラ・ダモーレ:若松 夏美

 〔通奏低音〕
  チェロ:鈴木秀美、ヴィオローネ:今野 京、ファゴット:村上由紀子、
  チェンバロ:鈴木優人、オルガン:鈴木雅明

(12/07/16更新)


祝祭のざわめき−バッハの「結婚カンタータ」

「世俗カンタータによって、オペラの世界へ少し旅する機会が与えられた(マーカス・レイシー)」J. S. バッハは、典礼外の祝祭機会にも腕をふるって、より娯楽性の高い作品を創作しました。その音楽はのびやかで、瞬時のうちに聴き手の心を捉える魅力に溢れています。
有名な「結婚カンタータ」BWV 202は、冬の名残の景色に差しこむ春の光のように、オーボエとソプラノの掛け合いが美しい名作。天にも昇るような、静かな幸福感に満ちた音の色彩を、イギリスの名花ジョアン・ランの歌唱でお聴きください。やはり婚礼用とされるクォドリベット(ラテン語で「お好きなように」)は、民謡や俗謡をもとにした即興歌で、断片しか伝承されていないとはいえ、宴席の余興に戯れるバッハ家の姿が目に浮かぶような、珍しい四重唱です。
誕生日カンタータBWV 173aは、バッハの生涯でも随一の音楽通パトロン・ケーテン候の祝賀に相応しく、大変技巧的に書かれたソプラノとバスの二重唱が幾つもの舞踏リズムにのって典雅に響きます。バッハが聖俗両方のジャンルで改作を繰り返した唯一の例BWV 36cでは、同じ音楽でありながらも、教授誕生日を祝う悦びの発露が、原作ならではの勢いを感じさせる作品です。

職人バッハが丹精込めた音楽の祝宴に、ご一緒いたしましょう。

バッハ・コレギウム・ジャパン音楽監督 鈴木雅明

(チラシ掲載文・BCJ事務局提供)


第98回定期演奏会 巻頭言 (BWV202、36c、173a、524)  

 ようやく今夜、15回のコンサートがすべて終わりました。5月から6月にかけて、ほぼ4週間にわたるBCJとの11回公演のあと、さらに私はオランダに留まって、アルクマール、ズトフェン、フローニンゲン、そしてアムステルダムのすばらしい歴史的オルガンを演奏する機会を得ました。あわせて6週間にも亘って、数日ずつホテルを移動する旅には少々息切れした時もありますが、ようやく日本に帰れるという安堵と、言葉に尽くすことのできない充実感が、疲れた体の中で心地よく漂っています。
 オルガンコンサートツアーは、ユトレヒトの古楽フェスティヴァルの主催で行われました。今夏のユトレヒト古楽フェスティヴァルのテーマが、「スウェーリンクとJ.S.バッハ」なので、このふたりの作曲家に焦点をあてたプレイヴェントとして、オランダ各地の歴史的オルガンを演奏してほしい、というのが、彼らの趣旨でした。
 この二人は、やや間接的な意味ではありますが、共通の線上にある、と言えるでしょう。何しろ、今年生誕450年を迎えるヤン・ピーテルスゾーン・スウェーリンクは、1580年頃からアムステルダムの市オルガニストを勤める傍ら、ハインリヒ・シャイデマンやザムエル・シャイトなど多くのドイツ人の作曲家兼オルガニストを育て、その系譜から、J.S.バッハが若かりし頃直接訪問したブクステフーデを輩出したのですから、関連のないはずはありません。ただ、両者をひとつのフェスティヴァルに取り上げるには、多少の工夫が必要です。そこで私にはJ.S.バッハ側、ハリー・ファン・デア・カンプにはスウェーリンク側のアーティスト・イン・レジデンスとして、プログラミングに工夫をこらそうとしているようです。ハリーはとても親しい友人でもあり、ジェズアルド・アンサンブルを主宰して、スウェーリンクの詩編歌のモテットを精力的に研究・演奏していますので、数少ない詩編歌モテットの演奏家として、誠に相応しい人選だと思います。バッハの担当ではあっても、スウェーリンクにも大いに惹かれる私としては、今回のオルガンコンサートで多少ともスウェーリンクを演奏できたことは、大変幸せでした。
 特に、アルクマールの聖ラウレンス教会とアムステルダムのアウデケルク(旧教会)には、大小ふたつのオルガンがあり、小さい方のオルガンは北側のトランセプト(註)に設置されて16世紀を代表し、西側の壁に設置された大きなオルガンは18世紀を代表しているので、この両者は好対照をなしています。アルクマールのトランセプト・オルガンは、オランダでも最も古いもののひとつで、ヤン・ファン・コヴェレンツによって1511年に建造されていますから、実はスウェーリンクでさえレパートリーとしては新しすぎるのです。しかし、ミーントーンに調律されたルネサンス・オルガンの持つ突き通るような響きの後に、18世紀のオルガンの持つ柔らかな響きに包み込まれると、200年の差がどれほど大きなものであるか、瞬時に理解することができるのでした。
 スウェーリンクが活躍したのは、アムステルダムの旧教会アウデケルクでしたが、ここには残念ながらもうスウェーリンク当時のオルガンは残っていません。しかし、アルクマールと同じトランセプトの位置に、現代の名匠ユルゲン・アーレントが小振りなオルガンを建造し、16世紀のレパートリーに輝きを与えています。一方、西の壁には、クリスティアン・ファーターというオランダのビルダーが1724年に建造した巨大なオルガンが聳えたっています。これは、オランダでも最も重要なオルガンのひとつですが、その鍵盤の重さについては、全オルガニストの間で悪名高く、今回も、私は演奏会が終わったとき、体中が崩壊するか、と思うほど死力を使い尽くしました。しかし、教会の中に響き渡る音は、誠にノーブルで柔らかく、かつ、軽やかでさえあるので、オルガニストという仕事は因果なもの、と思わざるを得ません。
 
(註)Transept: 教会建築において、十字架型の構造をもつ時、東西に長いNave(身廊)に対し、南北に延びる短い部分(両腕にあたる部分)を指す用語。翼廊とも訳される。
 

 
  ところで、いちどでもアムステルダムを旅された方は、この有名な教会が、どこに位置しているかご存じでしょう。ここは、女王様の宮廷のあるダム広場から歩いてわずか5分ほどのところ、しかし、教会の回りは、有名な飾り窓が取り囲み、下着姿の女性に群がる観光客や、若い男のふざけ合う罵声と訳のわからない音楽で、ほとんど阿鼻叫喚の態をなしています。また周辺には、飾り窓ばかりではなく、Coffeeshop と呼ばれる公然とドラッグを販売できる喫茶店が立ち並び、事実、今夜のコンサート直前、私に与えられた控え室の大きな窓から、真っ正面にある Coffeeshop の中で、ことさら丹念に巻いた怪しげなたばこに火をつけている女性が、まざまざと見えました。旧教会が、このような地域のど真ん中になってしまったことは残念である反面、とても象徴的なことだと思います。というのは、これがこそ、オランダ的である、とも言えるからです。人間を底の底まで見通して、人間なんてこんなものさ、という、ある意味ではあきらめの、しかしある意味では、徹底して現実的な感覚で、世の中を見ているのがオランダ人であり、オランダのキリスト教会なのだと思います。
 オランダで16世紀に大きく発展した風景画に見られるように、この世のできごとをあるがままに描き、しかもそこに神の意志を見いだそうとするのが、オランダのキリスト教信仰の伝統です。そこには、聖なるものへの憧れと、俗なるものへの欲求が共存します。思えば、この教会の中と外のコントラストは、人間と人間社会が持つ、聖と俗のコントラストであり、このような社会がスウェーリンクを、そして後には光と闇の画家レンブラントを生み出したのです。
 猥雑な飾り窓の地域が、他の場所より罪深いかどうかはわかりません。私たちはどこにいても、罪を悔いては、また冒す情けない存在だからです。が、同時に、その罪を許すために、既にイエス・キリストが十字架についてくださった、と信じる人には、この光と闇の間を、波間に揺れる小舟のように行き来していたとしても、それがこそ、神が人間に許された姿だと知ることができるでしょう。そのような意味で、アムステルダムは、大きな力で清濁を併せ呑む、誠に人間的な町、と言えるのかもしれません。いや、聖と俗、光と闇の対立は、オランダ人共通のテーマなのかもしれません。そう言えば、BCJツアーの半ば、アムステルダム・コンセルトヘバウで演奏した日、例によってAntikamer(「反対の間」)と呼ばれる指揮者の楽屋に入りました。その壁には、こういう文字が書かれているのです。

 ALL CONCORD’S
BORN OF CONTRARIES

※プログラム誌上では反転した形で掲載されています。
 
「すべての調和は、対立より生まれる」 
 これは、真向かいに据えられた美しい鏡の中でのみ、正しい文字として読み取ることができるようになっています。なんという皮肉でしょう。調和は、蓋し、鏡の中のイリュージョンということなのでしょうか。

  
 旧教会の大オルガンとの格闘が終わった時、私は、長い長いツアーが終わったことより、まるで石臼のような鍵盤でパッサカリアの一音一音を最後まで弾ききったことに我ながら感動し、体中の力が抜けてほとんど放心状態に陥りました。ようやく体を立て直して、細い螺旋階段の手すりをつたうようにしてよろよろと下に降りていくと、多くの聴衆に混じって、背の高い見知らぬ紳士がつかつかと寄ってこられ、「もっとも優れた解釈!Beste Interpretatie!」とだけ言って、ワインの数本分もありそうな、ずしりと重い大きな紙包みを、私の腕に手渡されたのです。たった今、重い鍵盤との格闘が終わったところなのに、「ああ、重い・・」と、一瞬挫けそうになりつつ、彼の一言は演奏を誉めてくださったのだ、と思ったのです。しかし、それは、全く私の誤解でした。なぜなら、その包みは、1657年にオランダで出版された巨大なオランダ語欽定訳聖書 Statenvertaling の復刻版であり、いわゆる’Kanttekening’ (端書き)と呼ばれる解説が、聖書本文のまわりに小さな字でびっしりと埋め尽くされたものだったのです。その紳士は、その Kanttekening を指して、「最善の(聖書)解釈!」と言われたのでした。
 今回のBCJの旅では、カンタータ、マニフィカト、ロ短調ミサ曲、そしてマタイ受難曲というJ.S.バッハの名作群を、ヨーロッパの5つの国、11の都市で演奏しました。まさに、この20年余の経験がなければ不可能だったでしょう。メンバー同士の絆も深くなり、多くの町で聴衆との新たな交流も生まれました。また、ライプツィヒでは過分な賞も頂きました。しかし、このツアーは、それで終わりではなかったのです。
 最後に、私の原点とも言うべきアムステルダムに戻り、光と闇の合間にうごめく人間の姿を見、さらに、最後の最後、見知らぬ人から巨大な聖書が自分の腕にずしりと投げ込まれたことを思うと、これらのすべてが、私たちを遙かに超えた存在によって、あらかじめ予定されていた、と感じずにはいられません。というのは、アムステルダムの町が私に与えた命題「光と闇の対立」は、この重厚な聖書が告げるイエス・キリストの十字架においてのみ調和に至るからです。これこそが、私たちがこれから進むべき道、あるいは、立ち返るべき道に違いありません。

6月23日アムステルダムにて
バッハ・コレギウム・ジャパン
音楽監督  鈴木雅明

  
(資料提供:BCJ事務局 12/07/15更新)

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