第6回定期
  “J.S.バッハ/ヨハネ受難曲” 


'93/04/06  19:00  東京芸術劇場コンサートホール 


J.S.バッハ/コラール『おお人よ、汝の罪の大いなるを嘆け』 BWV622(オルガン独奏:三浦はつみ)

J.S.バッハ/ヨハネ受難曲 BWV245 第1部

J.S.バッハ/コラール『われらに救いを賜うキリスト』 BWV620(オルガン独奏:三浦はつみ)

J.S.バッハ/ヨハネ受難曲 BWV245 第2部


指揮:鈴木雅明

独唱:多田羅迪夫(B/イエス)、佐々木正利(T/福音史家)、
    栗栖由美子(S)、太刀川昭(CT)、片野耕喜(T)、ミヒャエル・ショッパー(B)

独奏:朝倉未来良(フラウト・トラヴェルソI)、中村忠(フラウト・トラヴェルソII)、
    植野眞知子(オーボエI)、川村正明(オーボエII)、
    若松夏美(ヴィオラ・ダ・モーレI)、高田あずみ(ヴィオラ・ダ・モーレII)、
    福沢宏(ヴィオラ・ダ・ガンバ)

合唱と器楽:バッハ・コレギウム・ジャパン

    コンサート・ミストレス:若松夏美

    通奏低音:鈴木秀美(チェロ)、西澤誠治(ヴィオローネ)、堂阪清高(ファゴット)、
           鈴木雅明,今井奈緒子(オルガン)、今村泰典(リュート)


《ヨハネ受難曲》巻頭言
  
バッハの音楽を愛する皆々様、本日はようこそお出でくださいました。
 
 もうかれこれ10年ほど前、まだうすら寒い春の夕暮れ、ドイツ・フランクフルト近郊の教会に何気なく足を踏み入れたとき、中はもうすっかり暗闇でしたが、ふと気がつくと壁際の十字架にかかったイエス像が眼前にあり、その異様に引き延ばされ釘の刺さった手足に、思わず身震いしたことがありました。しかも、その手足には殊更丹念に血の滴りが彫り込まれ、はげ落ちた肌色の中で真っ赤な血の色だけが塗り直されていました。この木像は多分に粗悪でどう見ても品の悪い木彫でしたが、痛みに満ちた手足をわざとアンバランスに引き延ばし血の滴りを彫りこむところなど、イエスの苦痛から目をそらすことなく、目の前に見据えるドイツのキリスト教精神を目の当たりにした思いで、忘れることが出来ません。 
 このイエスの受難物語は、古今数限りない芸術の題材となってきました。特にドイツ語圏における美術や音楽では、イエスの苦しみをそのまま自分のものとして瞑想させる写実的なものが多く、物語中の問答の一言一句、あらゆる拷問の描写、人々の裏切りと醜さ、イエスの苦しみのすべてを、細大漏らさず、描き切るのです。このヨハネ受難曲もまたその系譜の中の重要なひとこまであり、大変写実的な音楽であるといってもよいでしょう。
 一体、この受難記事はなぜかくも多くの芸術家を駆り立てたのでしょうか。それは、この聖書の記事が決して十字架上の『死』で終わるのではなく、復活によってその『死』が滅ぼされ、大いなる希望へと続く原動力となったからです。受難曲は常に、その3日後の晴々とした復活祭への希望を前提とした、見事なアンチ・クライマックスを形作ります。陰府(よみ)の国から神の国へ、暗闇から光へ、このドラマチックな転換が受難曲の目的に他なりませんが、それは同時に、ドイツの暗い冬から明るい春へ、という季節の転換と重なりあって、新しい『生』への期待となっていくのです。

 バッハ・コレギウム・ジャパンの新たなる一年を、三回にわたる『主よ』という叫びで始められることは、何と大きな喜びでありましょうか。皆様のご支援のおかげで、昨年度を好評のうちに終えることが出来ました。今年は一層の発展を期して、『モンテヴェルディ&バッハ』としてプログラムを構成致しました。モンテヴェルディなくしてはバッハもまたあり得なかったでしょう。17世紀イタリアの栄光は、20世紀の今日にも眩いばかりに輝き渡ります。音楽はそれぞれの時代と社会を反映した言葉でありましょうが、それが時を超えて私たちの前に現れるとき、そのメッセージは決して古びた骨董品としてではなく、たった今生まれた新しい言語としての力を担っているのです。今年もバッハ・コレギウム・ジャパンは、時とともに新しいメッセージを皆様にお届けするべく、努力を重ねてまいります。
 
どうぞよろしくお願い申しあげます。
バッハ・コレギウム・ジャパン 
音楽監督 鈴木雅明 

【コメント】

 

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