曲目 ジロラモ・フレスコバルディ:トッカ−タ ト調(第2巻より第1番)
クラウディオ・モンテヴェルディ:主はわが主に言いたまいぬ(8声)
来れ、来れ(ソプラノ二重唱)
しもべらよ、主をたたえよ(5声)
ダリオ・カステッ口:高音楽器のためのソナタ ニ調
クラウディオ・モンテヴェルディ:サルヴェ・レジ−ナ(ソプラノ二重唱)
主をたたえよ(ソプラノ独唱)
主を恐るる者は幸いなり(7声)
おお、盲目の人々よ(5声)
人の命は電光石火(5声)
聖母マリアよ(ソプラノ二重唱)
すべての民よ、歓呼せよ(ソプラノ独唱)
われは心をあげて御身に感謝せん(5声)
フランチェスコ・トゥリーニ:3声部のソナタ イ調
クラウディオ・モンテヴェルディ:すべての国々よ、主をたたえよ(7声)
主に向かいて新しき歌うたえ(ソプラノニ重唱)
グロ−リア(7声)
今日は、モンテヴェルディの夕ベにようこそお出でくださいました。
現代において古楽器のオーケストラや合唱団を組織することは、様々な困難が付きまといますが、多くのめずらしい楽器の奏者や貴重な声の持ち主を求めて東奔西走することは,17,8世紀の人々と何ら変わるところがありません。今回のモンテヴェルディ・プログラムでは、特に合唱団のメンバーのひとりひとりが随所で顔を出しますので、合唱のことについてお話ししたいと思います。
合唱団の活動は、現在の日本を見る限り圧倒的にアマチュアの団体が優勢で、何百人という大合唱が第九やメサイヤを歌う光景も決して珍しくありませんが、18世紀までは合唱団の人数は、器楽奏者と同じか、またはより少ないのが普通でした。バッハはライプツィヒ市に当てた有名な上申書(1730年)に、カンタータなどを歌う最も音楽的な聖歌隊には、「各パ−ト最低3人は必要です。そうすれば、一人が病気になっても少なくとも2重合唱のモテットくらいなら歌えるから」(!!)と書いています。また、大規模な演奏が盛んに行われたイギリスでさえ、へンデルの「デポラ」(1733)の演奏について、「100人近くの演奏家、そのうち25人が歌手であった』という記述も残っています。
さて、私達バッハ・コレギウム・ジャパンのコンサートシリ−ズは、毎回多少の変動はあるものの、東京23名、神戸(松蔭)18名のコーラスメンバーの、本当に献身的な働きによって支えられています。このうち東京のメンバーは、東京芸術大学の卒業生と大学院の在学生を中心に構成されており、初めての演奏会を芸大の芸術祭で行って以来既に6年の歳月が流れました。当時は、「コダマッチョ・アンサンブル」という多少キテレツな名前で活動していたのですが、学部2年生であった彼らと私が出会い、カンタ−タなどの演奏を始めた直後、全く降ってわいたように私自身の芸大への奉職が決まり、神の摂理の何と不可思議なことであるか、を思い知らされたのでした。
ご承知のように、日本の音楽大学のなかにはどこでも声楽科がありますが、合唱のメンバーを日指して教育しているところなどはどこにもなく、芸大とて例外ではありません。しかし声楽の素晴らしさは、楽器などおよびもつかないほど、柔軟で美しいアンサンブルができるところにあり、しかもそれが言葉を自在に発して音楽の内容を直接語りかけられる点にあるのです。今回のようなモンテヴェルディの声楽作品は、正しくアンサンブルの出来るソリストの集まりでなければ、なかなかその様式を理解し、技術的な困難を克服して、音楽の魅力を伝えることはできません。
合唱団の演奏が本当に充実するためには、まず全員の価値観が共通でなければなりません。そして互いに自由に意見を言い合える平等な立場と開放的な雰囲気が必要です。そのためには勉強や練習もさることながら、時に多少の(あるいは多量の)ビールも必要であり、その点から判断する限り、メンバー達の努力はなみなみならぬものがありますから、いまやすばらしいアンサンブルができあがりつつある(はずな)のです。
どうぞ、今宵も最後までごゆっくり,モンテヴェルディの響きをお楽しみ下さい。
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