第9回定期
  J.S.バッハ/教会カンタータ全曲シリーズ V
    〜死と向かい合うひととき〜 


'93/10/17  15:00  東京:カザルスホール
*同一プロダクション  ’93/10/15 19:00 神戸松蔭女子学院大学チャペル


J.S.バッハ/教会カンタータ 《いとしい神よ,私はいつ死ぬのですか》 BWV8 (1724)
                 《来たれ,汝甘き死の時》 BWV161 (1715)

ディートリヒ・ブクステフーデ/コラール《安らかに,喜びつつ私は逝く》の編曲
                 (1)コントラプンクトゥス I 、(2)エヴェルーチオ
                 (3)コントラプンクトゥス II 、(4)エヴェルーチオ、(5)嘆きの歌 

J.S.バッハ/教会カンタータ 《神の時は最上の時(哀悼行事)》 BWV106 (1707/8)


指揮:鈴木雅明

独唱:鈴木美登里(S)、雁部伸枝,穴澤ゆう子(A)、石井健三(T)、吉川誠二(B)

独奏:朝倉未来良(フラウト・トラヴェルソ)、山岡重治,古橋潤一(リコーダー)
    福沢宏,平尾雅子(ヴィオラ・ダ・ガンバ)   

合唱と器楽:バッハ・コレギウム・ジャパン

    コンサート・ミストレス:若松夏美

    通奏低音:鈴木秀美(チェロ)、桜井茂(ヴィオローネ)、堂阪清高(ファゴット)、
           能登伊津子(オルガン)


《メンバーズ》

音楽監督/指揮:鈴木雅明

オーケストラ
  ヴァイオリン: 若松夏美、高田あずみ、小野萬里、佐藤泉、竹嶋祐子、大田也寸子
   ヴィオラ: 森田芳子、赤津眞言
  チェロ: 鈴木秀美、諸岡範澄
ヴィオラ・ダ・ガンバ: 平尾雅子、福沢 宏
ヴィオローネ: 桜井茂
トラヴェルソ: 朝倉未来良
リコーダー: 山岡重治、古橋潤一
オーボエ・ダモーレ: 植野真知子、川村正明
ファゴット: 堂阪清高
オルガン: 能登伊津子
練習オルガニスト: 能登伊津子

コーラス *東京・神戸両公演の全出演メンバー
          ソプラノ: 池本典子、梅村憲子、小野壽子、栗栖由美子、清水希美、杉原良子、
緋田芳江、文野真理、松山正子、松田喜久子、村谷祥子、安江めぐみ、
柳沢亜紀、鈴木美登里、月岡聖芳
  アルト: 穴澤ゆう子、岡田充代、雁部伸技、Kelly Baxter、谷野裕子、水垣郁子
  テノール: 植田友章、大西孝徳、小伏和宏、滝沢 映、常定知基、志民一成
バス: 猪沢文人、小笠原美敬、小田川哲也、安倍和重、中川創一、緋田吉也、
米良知之、吉川誠二

 


バッハ・コレギウム・ジャパン 第9回定期演奏会
《死と向かい合うひととき》
巻頭言

 ローマにあるサンタ・マリア・デッラ・コンチェチオーネという教会をご存じでしょうか。通称「骸骨寺」というこの教会の地下室は、公開の納骨堂になっていて、何千という骸骨が所狭しと並んで、観光客に虚ろな眼差しを投げかけています。これらはすべてもちろん本物の骸骨、それも数百年のあいだにこの修道院で亡くなった修道士たちの骸骨なのです。日本ではとても考えられない光景ですが、この納骨堂の骨達は、文字通り『死』が私達のすぐ身近にあることを身をもって教えてくれています。
 しかし聖書は、『死』が決して、嘆き悲しみ、恨むべきすべての終わりではなく、『神の国』での新たな生活の始まりを意味することを教えています。そして亡くなった人の魂はすでに神と共にあり、地上に残された亡骸は、丁重に葬られて、いずれ釆たるべき復活の日を待つのです。日本では、キリスト教はまるで結婚式用であるかのような印象がありますが、『死』の先にこそ新しい世界がある、ということを教えるキリスト教会でのお葬式は、結婚式に優って意味深いものです。

 ドイツのカンタータは、17世紀以来、この『死』を見つめることから発展したといっても過言ではありません。というのは、17世紀前半のドイツは、30年戦争と疫病などによって、正に惨憺たる有り様でした。戦場になった地域では、人口が3分の1に減ったところさえあると言われています。ハインリヒ・シュッツも、そのような中で妻と子供を、そして多くの友人を失いました。人々の心は、慰められることを切実に願っていたに違いありません。しかし、愛する者を失った悲しみを、人の言葉が慰めることが果たして可能でしょうか。そのような時にこそ、「神」の言葉を歌う教会音楽に人々は大いなる慰めを見いだしたのでした。
 バッハの時代でも恐らく礼拝説教のなかで、来たるべき神の国の希望が力強く説かれたことでしょう。しかし、実際に肉親を失ったもの、自ら病んで死の恐怖に怯える者には、神学や教義の説明を越えて、なおその感性に訴えるもっと直接的な慰めが必要でした。だからこそ、死にまつわる今回のカンタータは、すべて甘美で優しげな表情を持ち、神の国を知りつつなお『死』に怯える弱い人間の姿、また愛するものの『死』を嘆く人間に対するバッハの愛情が溢れ出ています。バッハ自身が、最初の妻を突然の病で失い、また生まれた子供のうち7人を幼くして失っていることを考えると、これはよく理解できることです。これらのカンタータはすべて、長調によっています。ここに、バッハが伝えようとしている来るべき国への明るい希望が象徴されていることは、明らかです。また、非常にしばしば、「死」とともにリコーダーが登場します。これは恐らく、リコーダーによる牧歌的な雰囲気から、私達の真の牧者たるイエス・キリストへの連想を暗示しているに違いありません。

 最初の人アダムの堕落によって、この世に『死』の掟がもたらされました。しかし、第2のアダム、イエス・キリストの十字架の死による贖いによって、『死』の契約は解かれ、新しい永遠の命が約束されました。だからこそ、カソタータ106番(第1曲)で、アルト以下の重々しい合唱によって、古い契約を突きつけられたソプラノは、「イエスよ、来てください」といって、古い契約から逃れ出て、新しい契約への希望をつかみます。そして私達もまた、このソプラノと自分を重ね合わせ、ただひとこと “Komm,Jesu!” と叫ぶことによって、バッハと共通の新たな希望を得ることができることでしょう。

バッハ・コレギウム・ジャパン
     音楽監督 鈴木雅明


【コメント】
 「メメント・モーリ! 死を覚えよ」という、中世以来のキリスト教芸術の中心的なテーマを掲げた演奏会。バッハの音楽において「死」や「天国」と結びつくことの多いリコーダーの純粋無垢な響きが印象的だった。
 ヴィオラ・ダ・ガンバの合奏とソプラノによって演奏されたブクステフーデの作品は当日追加されたもの。BWV106の3曲目のアルトとバスのアリアの途中で登場するコラール《安らかに,喜びつつ私は逝く》に基づく弦楽アンサンブルの作品である。BWV106への導きとしてもとても素晴らしいプレゼントだった。
 人間の死という悲劇的なテーマを扱いながらもすべて長調で書かれ、不思議な明るさにつつまれた、まさに珠玉のカンタータ集であった。 (矢口)

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