第11回定期
  J.S.バッハ/教会カンタータ全曲シリーズ VI
       〜十字架への道〜 


'94/2/21  19:00  カザルスホール 


J.S.バッハ/教会カンタータ

   《まことの人にして,神なる主イエス・キリスト》 BWV127
   《汝ら見よ,われらはイェルサレムにのぼり》 BWV159
   《天の王よ,よくぞ来ませり》 BWV182


指揮:鈴木雅明

独唱:栗栖由美子(S)、雁部伸枝(A)、石井健三(T)、小原浄二,吉川誠二(B)

独奏:寺神戸亮(ヴァイオリン)、本間正史(オーボエ)、山岡重治(リコーダー)、福田善亮(トランペット)

合唱と器楽:バッハ・コレギウム・ジャパン

    コンサート・マスター:寺神戸亮

    通奏低音:鈴木秀美(チェロ)、桜井茂(ヴィオローネ)、堂阪清高(ファゴット)、
           今井奈緒子(オルガン)


【プログラム『巻頭言』
バッハを愛する皆様,ようこそおいでくださいました。
 
 バッハ・コレギウム・ジャパン第2年度のシリーズも,今夜で最後となりました。日本では年度末というこの時期になると,誰しも『暦』ということをどうしても意識せざるを得ません。しかし,キリスト教会では全く違った意味で,暦が気になる時期でもあるのでず(ルツ博士しかり!)。私達のシリーズを司る日本の暦では,今回で年度を終わることになってしまいますが,教会の暦から言うならば,今夜のカンタータから次の受難節の時期へは,大変強い絆で結び合わされているからなのです。
 教会暦は,降誕節から数えて4つ前の日曜日,つまり11月の最後または12月の最初の日曜日から新しい年度が始まり,降誕節(クリスマス)と復活節(イースター)という,キリスト教にとって最も重要な2つの祝日が年度の前半に位置しています。実は,これら2つの祝日にはは,それぞれ「準備の期間」があり,降誕節の前4週間の準備期間を「待降節」(アドヴェント),復活節の前46日間を「四旬節」(レント)と呼んでいます。待降節は,『光』として来られるイエスを待ち受ける『暗闇』,即ちこの世の罪を悔いて心の準備をする時,そして四旬節は,私達の罪のために十字架上で受けられたイエスの苦しみについて瞑想し悔い改める時期として,バッハ時代のライプツィヒでは,いずれもカンタータの演奏は中止する期間でした。(ただし待降節前1主日は例外)
 四旬節は,その前の七旬節,六旬節,五旬節の主日を経て,『灰の水曜日』で始まります。今年は2月16日がその日にあたりますから,先週,四旬節に入ったところです。『灰』は,旧約聖書でしばしば,悲しみと悔い改めの象徽として用いられ,中世の教会では,信仰深い人の額に,灰で十字のしるしをつけたとも言われています。(四旬節の意味については,「ルツ博士の教会音楽談義 第7話」参照。)四旬節の間に日曜日が6回あり,その最後の主日,即ち受難週の最初の日(今年は3月27日)が,イエスのエルサレム入りを記念する『しゆろの主日(枝の主日)』です。この目イエスは,戦に用いられる馬ではなく,平和の象徴であるロバに乗って,エルサレムに入城されました。人々は,木の枝を道に敷いて歓迎の意を表しましたが,イエスはやがてご自分が十字架の上で死ななければならないことを既にご存知でした。このようにして,地上で最後の,苦難の一週間が始まるのです。
  今夜演奏する127番と159番は,四旬節の直前の主日,五旬節のためのものですが,いずれも,私達が次に演奏するマタイ受難曲への関連が見られます。127番のタイトルは,十字架上でイエスが息を引き取ったあと,地震やいろいろのできごとを見て思わず叫んだ百人隊長達のことば「本当に,この人は神の子だった」を直ちに思い起こさせますし,また第4曲バス・レシタティーフ「死の縄目を絶ち切らん」のモティーフは,実際,マタイ受難曲第27曲「稲妻よ,雷よ」に用いられました。また159番には,マタイ受難曲に5回も登場する「血潮したたる主の御頭」のコラールが第2曲のアルトのアリアに重なって登場します。事実,1729年,このカンタータを最後に沈黙の期間に入り,そして引き続いてマタイ受難曲が演奏された,という可能性も大いにあり得るのです。
 また,182番は,枝の主日のためのカンタータですが,イエスの乗り物が,馬ではなくロバであることが,第1曲目ソナタののどかな歩みによく表れています。この一見のどかな歩みがやがて,数日後のゴルゴタの丘へ向かう重い重い足取りとなって,マタイ受難曲の第1曲へと繋がっていきます。182番が,159番と同じコラールを用いて苦難を喜びに変え,「喜びのサレム(シオン)へ行こう」と誘う快活な終曲は,長い受難物語を経た後の真の喜びをあらかじめ先取りしていると言ってもよいでしょう。
 このようにして,私達のシリーズの終わりは,始まりへと続きます。『十字架への道』とは,私達が命あるかぎり毎年辿り続ける,終わりのない道に他なりません。
バッハ・コレギウム・ジャパン 
音楽監督 鈴木雅明

【コメント】

 来るべき受難と復活の季節にそなえるカンタータ集。イエスのイェルサレム入場を焦点に組まれたプログラムに心をうたれた。特に私の印象に残ったのがBWV159。バスの呼びかけとアルトの応答による冒頭のレチタティーボから“マタイ”のコラールを配したアルトのアリア、美しいオーボエのソロに彩られた“成し遂げられた(“ヨハネ”のテーマ!)”のアリアなどを経て、感動的な、しかし素朴な味わいを持ったコラールで閉じられる素晴らしい作品だった。
 そして、ロバにのってイェルサレムに入場するイエスの描写にはじまるBWV182の深い味わいと喜びの爆発が、演奏会を締めくくってくれた。 最後に、鈴木雅明さんから定期シリーズの年度終了にあたっての感謝と4月の“マタイ受難曲”公演へのお誘いが述べられてからBWV182の終曲がアンコールとして演奏された。 (矢口)

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