第33回定期  J.S.バッハ/モテット


'97/10/17  19:00  紀尾井ホール 


J.S.バッハ/モテット

   《恐れるなかれ,われ汝とともにあり》 BWV228
   《イエス,わが喜び》 BWV227
   《聖霊はわれらが弱きを助けたもう》 BWV226
   《来れ,イエスよ,来れ》 BWV229
   《主に向かって,新しき歌を歌え》 BWV225

 アンコール:モテット BWV230


指揮:鈴木雅明

独唱:鈴木美登里(S)[BWV225(2)]、穴澤ゆう子(A)[BWV227(8),225(2)]、
    片野耕喜(T)[BWV227(8),225(2)]、小笠原美敬(B)[BWV227(8),225(2)]

合唱J:ソプラノ・・・星 民子、柳沢亜紀、松村萌子
     アルト・・・・穴澤ゆう子、増田貴代子中野和子
     テノール・・片野耕喜、彌勒忠史、水越啓
     バス・・・・・小笠原美敬、萩原潤、緋田吉也

合唱K:ソプラノ・・・鈴木美登里、深谷春日鈴木美紀子
     アルト・・・・向野由美子、鈴木環、小池智子
     テノール・・滝澤映、大西孝徳、兎束康雄
     バス・・・・・小田川哲也、浦野智行、宮本益光 

器楽:ヴァイオリン・・・若松夏美、高田あずみ、竹嶋祐子、渡邊慶子
    ヴィオラ・・・・・・森田芳子、渡部安見子
    チェロ・・・・・・・・諸岡範澄、山廣美芽
    ヴィオローネ・・・諸岡典経
    オーボエ・・・・・ 三宮正満(オーボエ)、江崎浩司、前橋ゆかり(オーボエ・ダ・カッチャ) 
    ファゴット・・・・・堂阪清高
    オルガン・・・・・今井奈緒子

合唱と器楽:バッハ・コレギウム・ジャパン

    コンサート・ミストレス:若松夏美

    通奏低音:諸岡範澄、山廣美芽(チェロ)、諸岡典経(ヴィオローネ)、堂阪清高(ファゴット)、
           能登伊津子(オルガン)


【プログラム『巻頭言』
BACH Collegium JAPAN 第33回定期演奏会巻頭言 《バッハ/モテット》

''モテットMotetto''という言葉は,音楽史上様々な様式を意味してきましたが,17世紀から18世紀にかけてのプロテスタントのドイツでは,主に宗教的な合唱曲全般を指していたようです。それらのモテットは多くの場合器楽が重ねられて,礼拝の中だけでなく,結婚式や葬式のような一種の機会音楽として演奏されていたのです。バッハも恐らくそのような機会音楽としてのモテットを数多く書いたことでしょうが,現在純合唱曲で正しくバッハの作品として残されているものは,今夜お聞きいただくわずか5曲に過ぎません。しかも自筆の資料が残されているのは,そのうち''Singet dem Herrn''と''Der Geist hilft''の2曲のみなのです。しかしこれらの作品は,いずれも驚くばかりに深い音楽的内容と高度な技巧に満ちており,正にモテット史の白眉と言えるものでありましょう。

 この5曲のモテットは,もちろんまとまった曲集ではありませんし,その構造も性格も大きく異なった,変化に富んだ作品群です。しかし,その内容は,あたかもひとつの壮大なカンタータのように,一貫して力強い主なる神の業を様々な角度から物語るのです。プログラムはシャープ系の前半とフラット系の後半に分かれます。まず冒頭,強いシンコペーションで『Fuerchtet dich nicht 怖れるな』と打ちひしがれる魂が呼び覚まされ,続いて最も堅固な神学的内容とシンメトリックな構造に裏打ちされた『Jesu meine Freude イエス,我が喜び』が,神の摂理を論理的かつ冷静に説き明かします。

 後半,死の前に絶望する魂にはあまりにも明るい『Der Geist Hilft み霊は我らの弱さを助けたもう』が,人の弱さと言葉にもならないうめきをも聞き上げてくださる聖霊なる神への信頼を歌い,聖霊降臨のコラール来れ,聖霊,主なる神で曲を閉じると,目をイエスに転じて,より甘美な音楽『Komm, Jesu Komm 来ませ,イエスよ,来ませ』が,ひとりひとりの心によりそって下さるイエスへの憧憬を歌います。そして,聖霊なる神と子なる神を経て,最後にすべての源なる主なる神への高らかな賛美『Singet dem Herrn 新しき歌を主に向かって歌え』でプログラムを終わります。

 バッハが私たちに残してくれたモテットは,その変化に富んだ音楽的内容にもかかわらず,このような不思議な統一感によって,死の前に如何にも無力な私たちへの励ましと慰め,そして深い悲しみも限りない喜びへと導かれる希望を与えてくれるのです。

『主を賛美せよ,その慈しみとまこととは,とこしえに絶えることがない。ハレルヤ』

バッハ・コレギウム・ジャパン音楽監督
鈴木雅

【コメント】

  BCJ合唱団の実力をいかんなく発揮した、充実した演奏会であった。 
  合唱、器楽ともに新しく参加された人がたくさんいた模様(上記メンバー紹介の中で色が変わっている皆さん)。そんなことも関連してか、今回のこの「モテット」はCDの収録はしないとのこと。素晴らしい出来だったため、いくぶん残念な感じもする。しかし、さらに(!)グレードアップしたものをきっとCDにしてくれることと思うので、今から楽しみに待ちたい。
 アンコールには、大サービスでBWV230のモテットが演奏された。

【各曲について】

《恐れるなかれ,われ汝とともにあり》 BWV228
 ダブルコーラスのそれぞれがSATB=3333の合計24人という大編成。この編成についてはバッハによる1730年のライプツィヒ市参事会あての上申書の内容を参考にした旨が、プログラムの「制作ノート」に鈴木雅明さんによって書かれている。器楽はそれぞれの声楽パートに対応する弦楽器のみの編成。この措置についても、C.P.E.バッハがつくらせたと思われる弦楽器のパート譜が残されているというこの曲の資料状況から判断されたことが「制作ノート」に書かれている。
 演奏は、ソプラノがステージの両端にくるように配置された(中央奥には、両バスパートがオルガンを挟んで並ぶ)ダブルコーラスの醍醐味を十二分に味あわせてくれた、しっかりした演奏だった(第1コーラスが左で、第2コーラスが右)。今回はオルガンを弾かずに指揮に専念する鈴木雅明さんの意欲に満ちた指揮ぶりに応え、生き生きした表情の歌声が魂の目覚めを促すメッセージを描き出した。第1曲にたびたび現れるそれぞれのパートのソリスティックなフレーズも、積極的な表現で効果を上げていた。
 第2曲の「合唱とコラール」では両コーラスのユニゾンになるが、その中で、ソプラノパートの「コラール」が、チャーミングな響きで信仰とその喜びを歌い上げていたことが印象的だった。ただ、ATBの各パートに出てくる半音の下降音型について、テノールパートが特に不安定だったことが残念。高い音域である上にコンサート最初のプログラムということもあって、まだ十分にのどがあたたまっていなかったためなのであろうか。他団体のCDを聴いてもこの半音下降に感心するものはあまりないのだが、BCJだからこそもう一歩上を望みたい。
《イエス,わが喜び》 BWV227
 BCJでこの曲を聴くのは3回目だが、今回がもっとも集中力の高い演奏だったと思う。ただ個々の曲の仕上がりにはばらつきがあったこともまた事実である。
 ステージ上の配置が新しい試みだった。左から、SK、A、B、T、SJで人数は両ソプラノが3人、他のパートが各4人の18人編成。器楽はやはり弦楽器のみ。ステージ中央奥にくるバスパートが左右に2人ずつわかれ、その間にオルガンが位置し、左のバス2人の前にチェロ、右のバス2人の前にヴィオローネが配置されていた。2つのソプラノパートの掛け合いがステージの両端から響いてきて、まるでダブルコーラスを聴いているような広がりがあった。以前のクリスマスコンサートや昨年のNHK-FMのライブではソプラノパートは並んでいたと思うので、初めての試みと思うが大変効果的だったと思う。演奏するみなさんはいかがだったのであろうか。
 第1曲の「コラール」、いつもながらの言葉一つ一つの存在感を大切にした表現はさすがである。第2曲の合唱でも、今までのBCJのこの曲の演奏で不満を感じていた、P(ピアノ)の時の音程、表現が絶妙だった。しかし第4曲は一転して両ソプラノの高音域の表現が今一歩。この曲に期待していただけに残念。ソプラノを両はじに離したことの影響か。第5曲では安定感が戻り、激しい歌詞の内容を見事に描ききった。途中、「ich steh hier und singe」のフレーズの最初の、2拍目にくる「ich」からを、昨年のNHK-FMのライブのように少し音量を落としてからはじめるのを聴き慣れていたので、今回その「ich」を比較的はっきり、その前の部分とあまり変わらないダイナミックスで演奏されたのを聴いて少々驚いた。私はあの「ich」を少しおさえてからはじめる表現が結構気に入っていたので・・・。第6曲の合唱の後半、アダージョになる部分からは、こういうところこそBCJの独壇場と言えるであろう。「しかしキリストの霊を持たぬものは、キリストに属していないのだ。(ローマの信徒への手紙)」。この一節をBCJ以上に切実に表現してくれた演奏を私は知らない。第7曲の「コラール」をへていたった第8曲は、各パート1人のATBの3人(穴澤ゆう子、片野耕喜、小笠原美敬)とチェロ、オルガンというしぼったメンバーでの演奏で効果を上げていた。第9曲の「Gute Nacht,o Wesen」の「コラール」は不満。テノールの8分音符の歩みの表現が単調で、ただ音を並べている感じ。BCJだからこそ、もっと言葉を意識して欲しい!アルトとヴィオラによる「コラール」はしっかりした存在感があった。ステージ両端に分かれたソプラノの掛け合いの妙はここでも効果的。あとの第9曲の合唱、終曲の「コラール」ともに充実した出来映え。美しい余韻を残して曲が終わった。
《聖霊はわれらが弱きを助けたもう》 BWV226
 休憩をはさんで後半のスタート。華やかでしなやかなダブルコーラスが美しい。合唱の編成はBWV228と同じ24人で、並び方も同じだが、器楽の方が、第1合唱のオーケストラは弦楽器でSATBに第1ヴァイオリン,第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロが対応するこれまでの2曲と同じ構成だが、第2合唱のオーケストラが管楽器になり、両合唱グループの対比がよりはっきりするようになった。管楽オーケストラの方は、SATBにオーボエ、2つのオーボエ・ダ・カッチャ、そしてファゴットがあてられた。この措置についても、BWV226に器楽のための筆写譜が残されていて、その内容に基づいて判断された旨がプログラムの「制作ノート」に書かれている。
 アラ・ブレーヴェで両合唱がユニゾンになる躍動感あふれる第2曲に続いて曲をしめくくった第3曲の「コラール」が、なんとも言えず美しく響いた。BCJの4声体コラールは本当に格別である。その響きと表現は何ものにも変えがたい。
《来れ,イエスよ,来れ》 BWV229
 この日のコンサートの白眉。オルガンと、2つの合唱体それぞれのベースラインをたどる2本のチェロだけにしぼられた器楽にのって、表情豊かにイエスへの呼びかけが歌い上げられた。幾重にも流れを変え歩みを進める音楽のしなやかさ。特に4分の6拍子の部分の流れるような掛け合いにはゾクゾクさせられた。また、8分の6拍子になってからの部分の、憧れにみちた音楽の綾にもひきこまれた。そしてしめくくりの「コラール」。最後の響きが会場に吸い込まれたあとも、私はしばらく拍手も忘れてまだその余韻を味わっていた。
《主に向かって,新しき歌を歌え》 BWV225
 いよいよトリをつとめる「ノイエスリート」の登場である。編成はBWV226と同じで、左の第1合唱に弦楽器、右の第2合唱に管楽器を重ねた形。
 まず1曲目の合唱が喜ばしく、絶妙な掛け合いで進んでいく。16分音符の重なり合いなども見事に決まり、華麗に曲を閉じた。
 以前にクリスマスコンサート(第22回定期)でこの曲をBCJが取り上げた時には、第2曲の「コラールとアリア」を、バッハ自筆のスコアの終わりに“第2節を第1合唱と第2合唱が交代して”と書かれている(ただし、第2節という歌詞は明示されていない)ことから、ふさわしい歌詞を借用して実際に交代して繰り返していたのだが、今回の演奏ではその措置は行われなかった。今回は、第2合唱がコラールを歌い、第1合唱の中から4人のソロが出てアリアを歌った(BWV227の第8曲のソリストに鈴木美登里を加えたメンバー。ソリストたちによるアリアの部分はオルガンとチェロのみが伴奏)。ソリストの4人が素晴らしい出来映え。第22回定期の時も同じようにしてアリアの部分はメンバーの中からのソリストで歌われたのだが、あのときはがっかりして帰った記憶がある。しかし今回は大丈夫。のびのびと美しくアリアもコラールも歌い上げられていた。
 いよいよ大詰め。主をたたえる喜ばしい合唱に続いてアレルヤが曲を閉じる。この「アレルヤ」の躍動感は素晴らしかった。特にバスパートのメンバーのみなさんが全身でリズミカルに歌っている姿が印象的であった。
   長いカーテンコールの後、管楽器のメンバーが退場して弦楽器のメンバーが再び第2合唱の前に座ると、アンコールにモテット《主を頌めまつれ,もろもろの異邦人よ》BWV230(偽作?)が力強く歌い上げられた。最後の「アレルヤ」が終わったあと、さらに盛大な拍手が続き、この晩の演奏会の成功をたたえると同時に、メンバーへの感謝が捧げられた。
(矢口) 

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