バッハを愛する皆様,バッハ・コレギウム・ジャパンの久々の定期演奏会にようこそおいでくださいました。今年は,東京オペラシティと松蔭女子学院大学チャペルで,ライプツィヒの第1年目のカンタータを中心にお聞き頂きます。
18世紀初頭のライプツィヒは,人口およそ1万6千人あまり。マルティン・ゲックによれば,『教会の国ライプツィヒ』としてルター派正統主義の牙城でもあり,最古の大学のひとつを擁して,極めて伝統的な町である一方,商業と見本市の町としてはすでにニュルンベルクやフランクフルトを凌駕していた,とも言われ,コーヒー店で議論を交わす学生や市民達に象徴されるような極めて進歩的な側面をも兼ね備えていたのでした。そのような雰囲気の中で,聖トマス教会カントルとしての最初の数年間に生み出された数多くのカンタータは,バッハが新しい職務に如何に意欲的に取り組んだか,を如実に物語っています。
第1年目(1723〜24)は,聖句を合唱で,自由詞をアリアで歌わせる,2部構成の大規模なカンタータが多く,器楽の装飾付きのコラールや何種類もの楽器を吹き分けなければならないトランペットの活躍が目覚しいのも特徴でしょう。特に昨年9月に演奏したカンタータ第75番(ライプツィヒでの第1作)に続いて作曲された,今日演奏する76番は,その規模や内容において,第1年目の代表的な作品に数えられるべきものです。ライプツィヒ初期に典型的なSolo/Tuttiの交代を含む大規模な合唱が詩編第19編の美しい神讃美を繰り広げ,天国の宴への招きの言葉がカンタータ全体のテーマとなってゆきます。室内楽的な響きの中にも,神のまねきに応じない輩への厳しい糾弾が含まれる,第1年目に特徴的な辛口の味わいを持つ名曲です。
今年は,カンタータに加えてヴァイオリンコンチェルトもお聞き頂きます。今回は東京で2つのヴァイオリンのためのコンチェルトニ短調,神戸でヴァイオリンコンチェルトイ短調をプログラムに入れました。
最近東京芸術大学演奏芸術センターの瀧井敬子さんの研究によって,この「2つのヴァイオリンのためのコンチェルト」が,明治30年に東京音楽学校奏楽堂において,幸田露伴の妹幸田延と幸によって日本初演され,その後,非常に好まれて毎年のように演奏されていたことが,わかりました。「バハ氏作曲コンサルト」と書かれた当時のプログラムが現存していますが,明治時代の人々にとって,筝曲や唱歌に混じって演奏される「バハ氏」の音楽はさぞ新鮮な響きであったにちがいありません。ちょうどライプツィヒの人々が初めてバッハを聞いたように,明治時代の人々が,初めてバッハの持つ躍動感とエネルギーに触れた,ということに何か不思議な感動を覚えます。
では,最後までごゆっくりお楽しみ下さい。
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