・詩編117編 『主をほめたたえん』(7声)
・詩編111編 『我 主に感謝せん』第3番(5声)
・サルヴェ・レジーナ(3声)
・タルクィニオ・メールラ:2つのヴァイオリンと通奏低音のためのチャコーナ(器楽曲)
・詩編112編 『主を畏れるものは幸いなり』第1番(6声)
・7声のグローリア
・マルコ・ウッチェッリーニ:2つのヴァイオリンと通奏低音のためのベルガマスカ(器楽曲)
・おお盲いた人よ(5声)
・わたしのため息を聞くあなたがた(5声)
・人の命は稲妻のごとく(5声)
・かくて十字架にかけられ(4声)
・詩編150編『主を賛美せよ』(1声)
・ダリオ・カステッロ:2つのヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ(器楽曲)
・詩編110編 『主、我らの主に言いたもう』第1番(8声)
バッハに至るバロック音楽の地平を切り開いた稀代の才能、モンテヴェルディ。宗教作品集《倫理的・宗教的な森》は、傑作《聖母マリアの夕べの祈り》の後も、彼がいかに生命力に溢れた教会音楽を生み出し続けたかを如実に物語っています。陶酔を誘う旋律の美しさ、大胆な転調に不協和音、力強い交唱に愉悦の輪舞、胸を締め付ける半音階下降・・・。新旧のあらゆる作曲技法が縦横に駆使されて、あたかも極彩色に彩られた天上画一つ一つを見るかのごとくです。 本公演では、BCJが誇る8名のソリストと器楽メンバーによる精緻なアンサンブルで、17世紀ヴェネツィア、サン・マルコ大聖堂に紡ぎ出された響きを再現致します。
(チラシ掲載文より:太字は当HP編集者によるものです)
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モンテヴェルディを劇音楽作家と呼ぶには恐らく誰も反論はないでしょう。しかし、果たして「教会音楽家」と呼ぶべきかどうか、については、少なからず議論を呼ぶに違いありません。確かに、彼が1610年以降ヴェネチアの聖マルコ教会のために多くの音楽を書いたことは知られていますが、今日我々の手にある晩年の作品集は、到底その30年間にわたるヴェネチア時代の全貌を伝えているとは考えられません。ですから、モンテヴェルディの教会音楽家としての活動には多くのなぞが残されているのです。
ヴェネチアの聖マルコに一歩足を踏み入れると、そこにはモンテヴェルディのような大天才が何百人もいたに違いないことが直ちに理解できます。そのモザイクの発する恐るべきエネルギーは、モンテヴェルディの音楽の絢爛と豪華に匹敵してあまりあるものです。まさにこのような芸術のエネルギーに満ち満ちた空間があったからこそ、モンテヴェルディの音楽もあったに違いありません。
モンテヴェルディの教会音楽作品の白眉は、いうまでもなく、《6声のミサ曲》とともにローマ教皇パウルスV世に献呈された《聖母マリアへの晩祷》ですが、これはヴェネチアに赴く直前の作品であり、一体どのように演奏されたか、確実な証拠もありません。多くの文献が推測するところによると、この作品は彼自身の就職活動とも無関係ではなかったようですが、いずれにせよ、教会の典礼に資する、ということよりは、音楽家として、それも第1技法と第2技法を使いこなせる作曲家としての技量を示す、ということに大きな比重があったことは、作品そのものからも感じ取ることができます。
さて、それに対して最晩年の1640年に出版された《倫理的・宗教的な森
Selva Morale e spirituale》は、確かにそれが典礼に使用しうる作品であることには間違いありません。《聖母マリアへの晩祷》が、まだ若々しい野心のようなものさえ感じさせるのに対し、《倫理的な森》の方は、ずっと着実な教会奉仕の成果なのかもしれません。
しかし、そのコレクションの何と奇妙なこと。内容は、晩課用の詩編とマニフィカト、またミサ曲とその断片が中心ですが、コレクションとして何の法則もなく、果たしてどのような形で用いられたものか不明なものも少なくありません。作品の様式も様々であり、コンチェルト様式のものから、優美なアリアのスタイル、そして古めかしい対位法的な作品ももちろん含まれています。
私は、いつの頃からか、この曲集のコンチェルト風詩編に何とも表現できない魅力を感じてきました。18世紀ともなると、詩編に対しては比較的古めかしいスタイルが用いられることが多くなるのに対し、このモンテヴェルディは詩編を音楽化するにあたって、ことさら新しいコンチェルトのスタイルを用いました。トゥッティの壮麗な響きと優美なソロの情感の変化には目を見張るものがあり、さらに各言葉に従って一瞬一瞬に絡みあう小さなモティーフの集合は、聖マルコ教会のモザイクに比することができます。
考えてみれば、この《倫理的・宗教的な森》という曲集そのものがすでにモザイク的な様相を示していると言っても過言ではありません。これは決して一気に演奏されることを目指してはいなかったでしょうが、また偶然の集まりでもありません。モンテヴェルディが如何に多彩な構造と響きを持っていたか、そして単純で人を捉えて離さない旋律、意表を突く不協和音、知らぬ間に興奮へ導かれるシャコンヌ、それでいて伝統的な対位法など、これを聞く人は、どのディテイルを見ても他の誰でもないモンテヴェルディの刻印がそこここに刻まれていることを実感されることでしょう。
これを今日演奏するにあたって、典礼そのものを復元することもひとつの方法ではありましょうが、今日は逆に全く抽象的なモザイクとしてのプログラムを作ってみました。バッハの年に向かう1999年、ひとたびバッハを離れて、その遥か間接的な源泉、とでもいうべきモンテヴェルディに耳を傾けるのも一興でしょう。モンテヴェルディはバッハよりさらに謎に満ちた、そして抗いがたい魅力をもって、我々の前に常に君臨しているからです。
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