「J・S・バッハ:カンタータ143番攻略法」

島田 俊雄



 去る1997年4月下旬ごろ、突然、鈴木雅明氏(バッハ・コレギウム・ジャパン音楽監督)より「カンタータ143番を7月の定期公演でやってみたいが演奏は可能か」と質問を受けた。
  
 カンタータ143番<主よ讃美せよ、私の魂よ>を演奏する上での問題点は、この新年用のカンタータがバッハの真作であるか否か、そして3本のコルノ・ダ・カッチャという指定のパートを、誰が、どの音域で、どのように演奏したか、などの点にあるというのが、研究家の皆様の見解である。しかし我々東京バッハトランペットアンサンブルにとっての問題点は、そんなところにはない。つまり2ヶ月足らずに、2回の公演とレコーディングに耐え得るだけのBb管のコルノ・ダ・カッチャなる楽器を3本制作しなければならないという点にある。
 
 楽器を制作するにあたり鈴木雅明氏に一つの質問をした。「楽器そのものの本体は、丸まっていて、後ろを向いていて、音色はポーッと柔らかめであればいいですか」 それに対して鈴木氏は「それでいいですよ。私だってその現物を見たことがある訳ではないのですから・・・」 この言葉が、この世にきっと存在してないであろう『ハイBbコルノ・ダ・カッチャ』を制作するきっかけになったのである。
 制作するにあたり、まずは音域の問題である。つまり、実音で演奏したか、現代ホルン奏者用に1オクターブ下で演奏したかである。鈴木氏は『第7曲目の第34小節、第1617小節などのヴァイオリンとヴィオラの最低音を受け持つ部分を考えると、実音を示していると考えざるを得ない。レオンハルトはかつてオクターブ低い楽器を使って録音しているが、その演奏の素晴しさは別として、伴奏であるべき弦楽器のほうが高く聞こえてしまう音楽的違和感は免れない』という。そして我々に演奏を依頼しているということから、すでに実音で演奏するという状況からスタートしている。つまり寸法的には、モダントランペットBb管の倍の長さ(より少々長い、A=415Hzのため)の全長となった。
  
 次に譜面上の問題であるが、真偽の問題云々以前に、1曲目の26小節12拍目の連結、5 曲目の28小節から29小節目へ連結、7曲目の34小節の連結には管楽器奏者として違和感を覚えるところであるが、それ以外、音列に関しては通常のinBbの2オクターブ半の自然倍音列内にほぼはまっているため、さほど大きな問題はない。
  
 次に問題は奏者である。この問題は未だ謎とされているところが多いので、一つの仮説から考えた。「現代にプロのアルトホルン奏者がいないのはなぜか。そして、私自身、スライドトランペットを制作中にサックバット(トロンボーン)の形状にしてしまえば、いろいろな意味で楽になると考えたのは、なぜか」というものである。
 
 まずアルトホルンについてであるが、19世紀後期から20世紀にはサクソルン族の全盛期が存在し今でもその名残りがある。しかし、現時点で、その道で究めようと考えている人は非常にまれである。そしていずれなくなるであろう。(こうしてコルノ・ダ・カッチャもなくなったのであろう) がしかし、現在ブラスバンド形態で演奏をしなければならない場合、ホルン側か、トランペット側か、アルトホルン奏者を提供しなければならない。
  
 次にスライドトランペットについてであるが、スライドトランペット的な演奏をするのであればサックバットの形状をしたものでも演奏に関してはまったく同じ効果が出るし、私自身、トランペット奏者でありながら、スライドトランペットで演奏するよりサックバットの形状の方がうまくいくことは目に見えている、と言うことから考えて、トランペット奏者、トロンボーン奏者、ホルン奏者、と分類して考える以前に、それらの総称としてのリップリード奏者がトランペット的奏法、トロンボーン的奏法、ホルン的奏法を駆使して音色、音域によって、治外法権の教会内で色々な楽器で演奏していたと考えるほうが、現在の自分自身の立場を置き換えても考えやすい。よってホルン奏者かトランペット奏者と考えるよりも、私自身が、一人のリップリード奏者と考えることによって、私自身が演奏することの問題がなくなる。
  
 ちなみに後日談になるが、楽器が完成してから、2つのオーケストラ(東京芸術大学管弦楽研究部、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団)の首席ホルン奏者にこの143番を実音で演奏してもらったが音域を網羅することができても、自由に吹きこなすというところまでは程遠いようであった。まして2回の公演とレコーディングをこなすことを考えると、どうしても演奏不可能と言わざるを得ない。
   
 次に、奏法に関してはこの曲に限らず諸説入り乱れているところであるが、現在バロック音楽を演奏するにあたり、次のような方法が考えられる。
  

1 ハンドストップ奏法                         
2 音孔なし、ベンディング奏法                   
3 音孔ドイツシステム(5度上昇ホール+オクターブホール)  
4 音孔イギリスシステム(オクターブホール+全音下降ホール)
・まずハンドストップ奏法に関しては、バロック時代には存在しない等々の意見があるが、それ以前に我々トランペット奏者にはできない。
・次に音孔なし、ベンディング奏法であるが、平均律の音階に馴らされ、レコーディング技術向上によるミストーンのない演奏を聴かされている現代人の耳には少々聞きづらい上、演奏上非常に困難を極める。今回の演奏会内容を考えると現時点ではこの方法は得策とは言えない。(聴衆、演奏者の皆様が暖かい目で見守って下されば演奏が可能になる時代が来るかもしれない。)
【図1】       A 【図2】
        
    @ 
・ドイツシステムについてであるが巻(まき)の中に5度上昇ホールとオクターブホールを図1、@側に寄せることは制作上困難を極めると思われたので始めからイギリスシステムでいくことにした。

 次に巻である。普通、コルノ・ダ・カッチャは狩りをしながらでも吹けるように、大きい直径をしている。しかし、今回は「普通ではない」ので、音孔の位置が図1、@側に来ることを優先して直径20cm程として管を5周させた。

 ここで一つの大変な問題が出た。図1、@側に音孔を作ると穴が指で押さえられないのである。(Bb管のため距離が遠い、A側だとかろうじて指はとどくが、通常と穴の配列が逆になる。そこで考えたのが、@側にあたかもA側になるようにパイプを図2のように曲げて、指がとどくようにした。

  これで平成版“コルノ・ダ・カッチャ・ア・ラ・クラリーノ”の完成である。
      

【図3】 【図4】
       


 さて楽器は、一応完成したのであるが、音の方はどうであるかである。音色に関しては、問題はなかったが、ただでさえ厳しい鈴木氏につかまってしまったのは音程である。マウスパイプを作らなかったことと、ベルが太いことからくる倍音列の歪が非常に目立ったのである。ベルの形状は現状では変更できないので、やはりマウスパイプを作ることにした。音域から考え、1st,2ndパートは現状のトランペットのマウスパイプを使用し、3rdパートは、ホルン用のマウスパイプを新たに少々長めに作成した。よって、実際演奏した形状は、1st,2ndが図3、3rdが図4のようになった。ちなみに、練習から本番までの一週間で一日として楽器の形状が同じであったことがなかったことも付け加えておく。
 

(本当はトランペット奏者  しまだとしお・東京バッハトランペットアンサンブル)
(97/12/7、「第33回定期演奏会プログラム」より転載)

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