オランダ・マタイ随行記


 3月16日、オランダで「マタイ受難曲」公演の準備をしていらっしゃる鈴木雅明さんよりお便りをいただき、同行されている奥様の鈴木 環さんが「オランダ・マタイ随行記」を書いているので、HPでご紹介ください、とのことでした。現在(3月21日)、受難週に入り、演奏も回を重ねてきている頃と思いますが、演奏に先立つ練習の様子などをご紹介くださった《第1回》をお届けします。お忙しい中とは思いますが、環さん、続きもよろしくお願いいたします!! なお、写真は、このシリーズにソリストとして参加していらっしゃるテノールの櫻田 亮さんのブログ(こちらにもレポートがあります!)から拝借したものや、鈴木環さん(一部は鈴木雅明さん)が撮影されたものです。(文中の太字強調は管理人によるものです)

(05/03/30完結!)

 オランダ・マタイ随行記 《第1回》
鈴木 環   
2005年 3月10日(木) 成田発。フランクフルト経由。オランダ・スキポールへ。 

2月のカンタータを終え、何とかインフルエンザにもうつらず、芸大入試期間を終え、10日成田を飛び立つべく全日空のフライト搭乗口に向かうと、なんとそこにはテノールの桜田亮さんとソプラノ星川美保子さんが!奇遇に驚きながら搭乗すると、さらにそこにソプラノの幸田浩子さんが!皆で楽しいフライトになりそう、と喜び合いました。
フランクフルトでは、ボローニャに向かう桜田さん、ウィーンに向かう幸田さん、ライプツィヒに戻る星川さんと、アムステルダムに向かう雅明&環で、空港の片隅で束の間のティーパーティが行われました。茶菓盛!二期会のオペラ「魔笛」でパミーナを演じ終えた星川さんの写真を見たり、幸田さんのオペラシティ「B→Cシリーズ」でのカンタータの話を聞いたり、これから始まるオランダ・ナールデンのマタイ受難曲の話などで大いに盛り上がり、短い逢瀬のあと、再会を約束してそれぞれのゲートに向かいました。
オランダ・アムステルダムのスキポール空港では、かつて経験したことのない異例の抜き打ち検査があり、飛行機のスキポール到着後30分も機内に留められた上に、空港に入るゲートで身体+荷物検査が行われ、ドジなスパイになったようなボディチェックを経験しました。
しかし荷物を受け取って到着口に向かうと、フクちゃん(知る人ぞ知るリコーダー作りの譜久島さん。)みたいな男の人が「Masaaki Suzuki」のプラカードを掲げて待っていて、(なんだかほっとした。)スキポールからユトレヒトまで40分ほどで閑静なユトレヒトはずれの小さなホテルへ到着しました。
 
2005年 3月11日(金) ユトレヒトでの休日

昨晩は長旅の疲れか、早々に寝てしまったので、今朝はずいぶん早くに目がさめてしまった。ゆったりとした午前を過ごした後、ユトレヒトの街に出てみた。石畳の道、レンガづくりの家、町を行き交う人々、夥しい自転車、短い青信号、そして教会の鐘の音などを懐かしみながら、バイエンコルフ(有名なデパート)で日用品などを買い整えていると、25年前のオランダ留学時代にタイムスリップしたようなひと時だった。
ほとんど3週間のオランダ滞在で、本当の休日は今日しかない。というわけで、早速オランダの「両親」ヨハンとヘニーに電話すると「いつでもおいで。」といういつもの返事。さっそく、おみやげに「コーヒーカンタータ」のCDを持ってフェーネンダールというところまででかけた。
若い頃はデン・ハーグ郊外のフォアブルクというところに3階建ての大きな家に住み、6人の子供を育て上げた彼らは、全員が巣立っていった後、二人で住むのに大きな家は必要ない、とユトレヒト郊外の小さな駅が見下ろせるアパートに引っ越したのだ。活発なヘニー母さんとシャイなヨハン父さんは、いつも突然現れる私たちを、ずうーっと待っていてくれたかのように迎えてくれる。すっきりと気持ちよく整えられた居間には、オランダ人の「家事の鉄人」の業が光っている。暖かいおいしい食事に、時の経つのも忘れ、夜11時9分のユトレヒト行きに乗るべく駅に向かう私たちを、足の悪いヨハンは杖をついて駅に見送りに来てくれた。
 
2005年 3月12日(土) 合唱練習の開始。マタイ始まる。

いよいよ今日から仕事開始。まず11時からは、バッハ協会の音楽監督ヨス・ファン・フェルトホーヴェンとの打ち合わせがあり、続いて12時45分から4時まで、4つの新聞のインタヴューがあった。(ハーグセクラント、フォルクス・クラント、トラウ、NRC ハンデルスブラット)1紙について30分のお話と写真撮影、ときっちりスケジュールが組まれ、約束の4時ぴったりに部屋に戻ってきた。
夜はたった1回の合唱練習。ユトレヒト市内のリハーサルは、印をつけた地図を頼りに、自力で行くことになっているが、練習会場の教会は、なかなかむずかしい場所にある。ようやく辿り着くと、大きなオランダ人の若者たちが集まっている。誰も挨拶をしない。真っ暗な夜道を傘をさして辿り着いた先がこれでは、先が思いやられる、と内心ため息・・・・。でも後になってわかったことだが、これは彼らがすごーくシャイだったのだ。3時間の練習ただ一度で、1曲目から終曲まで何とかたどりつく。しかし、問題点山積!(>_<)
 
2005年 3月13日(日) オケあわせ初日 

オランダ・ユトレヒト市で迎えた初めての日曜日。寒気の中を街の中心にあるドムに向かう。街はひっそりとして人っ子ひとり見当たらず。まるで寝静まっているかの様。時折、行き交う人は礼拝に向かう人か・・・?中心に近づくと、二つ三つのカリヨンが鳴り響き、「ヨーロッパにいる」という実感。
ドムの礼拝は、「市の教会」Citypastoralとしてエキュメニカル(超教派)な様相を呈している。交唱あり、ジュネーヴ詩編歌あり、キリエやグロリアのリトゥルギーもあり、聖歌隊によるメンデルスゾーンの合唱あり。後奏は19世紀の名器オルガン(ベッツ)によるJ.S.バッハの「プレリュードとフーガ イ短調」で、名手ヤン・ヤンセンによる見事な演奏だった。
そう言えば、ペーター・コーイのお父さんは、この教会のオルガニスト兼カントールを長年つとめ、ペーター自身も正に今メンデルスゾーンを歌ったドム・カントライ(聖歌隊)で20年以上も歌っていたのだった。
教会からホテルへの帰途、オランダに来て初めての太陽が顔をのぞかせ大感激。2004年10月のイギリスに10日間の晴天をもたらしたAAMのツアーの次なるか!「1年に400日雨が降る」というオランダの天気は甘くない!!

バッハ・フェレーニヒング(オランダ・バッハ協会)のマタイ2日目の練習は2時半よりヘールテ教会 Geertekerk で、第2オケのみで始まる。2オケの伴奏によるアリアがオケのみで次々と繰り広げられる。昨夜の合唱練習よりだいぶん楽そうに進んでゆく。オケの人々の方がまとまりやすい性格をもつものなのか?2オケそのものが既にまとまってしっとりしていて、雅明氏の指揮にすんなりと溶け込む。
  
ゲネプロの様子。(ブログ「チェリーの伊太利亜古楽三昧」より)
2オケのコンサートマスターは、リデヴェイ(かわいくて、とても感じのいい人)。コンバスには、2000年にメルボルンで出会ったジェームズ・マンローがいた。雅明氏、大変喜んでいる。

4時〜4時半休憩。4時半にステファン・マクロードが到着。バスのアリア+IIオケの曲が合わせられる。11月に初めて男の子をもうけたステファンは、父親の風格のためか(?)口ひげをたくわえ、大層喜んでいた。会うなり、「1分待ってくれ」と言って、携帯電話にとりこまれた赤ちゃんの写真を見せてくれた。ステファンの希望でかなり速いテンポになった。レチタティーヴォは、ステファンより遅めのテンポに落ち着く。それにしてもなんとなめらかな声だろう。どこにもとがったかたいところがない。自分の声の成長に飽くことなき追求心を持つている彼ならでは、と感心した。5時半からの夕食休みはステファンとインド料理に行く。料理が出てくるまでの待つ時間が大層長いことも、忘れていた感覚である。

7:00〜1オケとソリストが始まる
“Komm, suesser Kreuz” ステファン+ガンバ+チェロ、Org
雅明氏の持っている音楽のイメージがなかなかガンバ奏者に伝わらず何度もやり直す。ほんとにこれは難しい曲なのだ!

7:30〜ロビン+1オケいよいよ、Erbarme dich
病気のコンサートマスターに急遽代わって、前日に1オケのコンサートマスターになったさゆりさんのヴァイオリンは、素敵だと思ったけれど、ルーシー・ファン・ダールから、一言。「Painful! もつと痛みを感じて」とのサジェッション。

8:00 “Am Abend” ステファン+1オケ
   “Mache dich mein Herz rein”
概して、ステファンの望むテンポは速めだ。雅明さんは、もうちょっと遅くしたいらしい。
 
2005年 3月14日(月)くもり オケあわせ2日目

ヘールテ教会にて。10:30からの練習を12:00からに変更。夜10:00まで。
      (1) Robinのレチタティーヴォとアリア”Bus und Reu”5,6
        フルートトラヴェルソの2人と音型の意味について、少しディスカッション
      (2) テスティス(A+T)リハの予定にはなかったが、リハを見に来た桜田さんとロビンで練習してしまう。

12:30
〜 (3)由香里さん(12,13)のあわせ。Trouw新聞のカメラマンが来て、由香里さんや雅明氏の写真撮影(3月16日付で載った)

13:30 ランチ。「BIS」というレストランでMスパゲッティ。3人サンドイッチ

2:30−5:30 セッコ・レチタティーヴォ。1オケとペーター・コーイ、ゲルト・テュルク、ステファン・マクラウド。1オケのコンサートマスターは山縣さゆりスヴェールストラさん。ヴィオラにはなんとルーシー・ファン・ダールがいる!
午後の練習は、1オケとイエス・エヴァンゲリスト・ピラトのレチタティーヴォの合わせを通して行った。
指揮者の雅明とペーター・ゲルト・ステファンはいつものとおり、息もピッタリ。ほとんど何の問題もなし。オケに対しては毎回Ritするのを注意。たいへんなめらかにすすむ練習である。

7:00 Tutti(エヴァンゲリストとイエスを除く)の曲のみ。第1曲から最終曲までの合唱曲及びコラールをすべて通す。合唱 I にはSop由香里、Alt Robin。合唱 II にはTen桜田、Bassステファンが入る。テンポの維持、子音の前出し、など曲ごとに細かい指示が飛ぶ。甘いところを再認識して演奏することにより、生き返るようにメリハリのある音楽となってゆく。オーケストラもほとんどの人が喜びと感動をもって演奏してくれている。
 
 
2005年 3月15日(火)快晴! オケあわせ3日目

今朝もオランダとは思えない晴天!街を行きかう人々は、心なしか生き生きとして見える。3時〜10時のリハーサルに備えて、ポルマンス・ハウスで桜田さんと3人で食事を取る。ここは、日曜にステファンに連れられて、一度訪れたが、閉まっていたのだ。限りない賛辞をステファンから聞かされていた私たちは、「オランダにそんなにおいしいお店があるのかしら?」といぶかりつつも、いそいそと出かけた。ドム近くの一角を占める大きなレストランで、すばらしいテーブルセッティングに白づくめのウェイター。昼間から入るような店ではない、と思いつつも、窓際のテーブルに席を取った。結果は、これまでオランダで食べたことのないおいしい食事であった。

3時
よりリハーサル開始。今日はゲネプロがあるが、その前に2オケによるアリアの練習。ロビン、由香里、桜田さんたちによって行われた。
まずロビンによる”Koennen Traenen” (Nr.52)。ロビンは劇的な歌いまわし。オケも充実した響きでぐんぐんまとまっていく。2オケの方がよくまとまっている印象。

3時20分からは2オケのメンバーと初顔あわせの由香里さんを、雅明氏が紹介すると、暖かい拍手で迎えてくれた。Blute nurの冒頭二つの音型を、オートマティックにならないように指示。2オケの人からいくつかの質問が出ながら、なごやかにアンサンブルが進む。由香里さんは、オランダでの2晩目。あまり熟睡できなかったとのこと・・・やはり日本とこちらの時差は大きいので、長旅の後の不眠はかなりきつそう。
 
2005年 3月月16日(水)快晴?! オランダ・マタイ初日。ユトレヒト・ミュージックセンター・フレーデンブルク

いよいよオランダ・バッハ協会の第1回目のコンサートの日が来た。7時開演。ゲネプロが4時半開始と、日本の演奏会と変わらない時間帯だ。
しっかりと外套に身を包んで外に出ると、何と言う暖かさ!駅に直結したコンサートホールまでの15分ほどの道のり。ほとんどの人がセーター姿、中には半そでの人もいる。さすがオランダ、一瞬の太陽も見逃さない。

ドレスリハーサルは、オーボエとリコーダー2本の桜田さんのアリオーゾから始まった。(リコーダーの1本は2オケのトラヴェルソ奏者、もう一人はソプラノの女の子が吹いている・・・・バッハ当時はヴァイオリンの人が持ち替えたのだが。)合唱の並びは、雅明氏の強い希望が入れられ、SATB+BTASの一列が、大きな弧を描いている。ここはサントリーホールと同じように、舞台の周りをぐるりと客席が囲む方式だ。1時間の短いリハーサルで、問題部分を確認。5時半にリハが終わると、楽屋ロビーにあるカンティーネでセルフサーヴィス方式の暖かい夕食が用意されていた。さすがはオランダ。先に済んだ合唱の人からオーケストラ、ソリストと、すべての人が一列に並んで受け取っていく。そこにはコンサート前の緊張はどこにもない。

いよいよマタイの本番が始まる。開演の直前になってもぞくぞくとホールに入ってくる人の列は途切れず、着席する物音と話し声の中で、オーケストラが入場、そしてまだ喧騒の静まらないうちに調弦、続いてコーラスの人々も入場し、この間会場は一瞬たりとも静まらない。照明が消え、ソリストが登場して、指揮者が現れるとようやくコンサートを聴く態勢になった。
この日は、オープンスクールの若者が大勢いたため、客席の集中力は決して高くはなかったが、リハーサルの成果が表れることをひたすら願いつつ、私はひとり客席に身を沈めていた。しかし、演奏は冒頭から終曲まで大変よく整えられ、集中力もあるよい音楽の流れる時となった。心地よい緊張感がオーケストラに漂っている。コーラスも一列に並んだことで、練習時に弱かったバスやテノールもずいぶんしっかりと聴こえていた。
ソリストはすべて、様々な状況の中で、万全を尽くしてよい演奏に努めてくれた。2月のカンタータの佐倉公演では歌えなかったロビンも、あれから2週間イギリスでの仕事をキャンセルしてこのマタイのために声の復活に全力を尽くしたそうだ。佐倉の後、高熱が出てしまったペーターは、苦しい体で12時間のフライト、アムステルダムでの4時間のトランジットを経て、やっとの思いで辿り着いた家で、2週間床に臥していたという。また、ゲルトは、2週間前に足を大やけどし、まだ靴も履けない状態。しかし、どこにもそのような苦労の片鱗も見えない。やはりすごい人たちだ。
(05/03/22更新)

オランダ・マタイ随行記 《第1回》 〜写真編〜
撮影:鈴木 環 さん、キャプション:鈴木雅明さん 

3/15ユトレヒト・ヘールテ教会(リハーサル)
3/16ユトレヒト・フレーデンブルク・コンサートホール(リハーサル&コンサート)
3月15日のリハーサル(野々下さんのBlute nur) 3月16日:最初の本番前の練習。
3月16日:ユトレヒト・フレーデンブルク・コンサートホールにて。 
3月16日:最初の本番前の練習。
      左:第1オケのヴィオラには、何とルーシー・ファン・ダールも。
        (棺おけに入る前に、いちどマタイのヴィオラを弾いてみたかったそうな。)
      右:第2合唱に、かつて松蔭室内合唱団にいた入沢まみさんも入っている。
3月16日:本番のカーテンコール。(左) 本番後、楽屋にて。ペーター、ロビン、桜田君と。(右)

(05/03/24)

 オランダ・マタイ随行記 《第2回》
鈴木 環   
2005年 3月17日(木) マタイ受難曲第2日目 Muziekcentrum Vredenburg

ユトレヒト駅に連なるミュージックセンター・フレーデンブルクでの2日目。
とにもかくにも、一番緊張の高い初日を終え、連続コンサートが始まった。一緒にコンサートを体験し、よい音楽を共にできたことで、オーケストラ、コーラスの人々はぐんと近くなった感じ。皆にこやかに挨拶する。

ステージリハーサルでは昨日の問題点を取り上げる。雅明氏が気にしたことのひとつは、コーラスの人たちが立ったり座ったりする時の物音だった。(山台も椅子も何だか古めかしい木でできていることもあるのだが・・。)昨夜ロビンのすばらしい”Erbarme dich”が終わった直後、続いて静かに始まるべきコラール”Bin ich gleich von dir gewichen”の前に、ドサッ!ガタガタ!すかさず客席では咳ばらいが始まる。最もピアニシモで歌われるべきコラールの緊張がたちまち失われてしまう。
そこで雅明氏は、コーラスの人たちに、両足に重心をおいて準備し、音を立てずにすくっと立ち上がるよう要求し、自ら西野流呼吸法の基本である足芯に意識を下ろして見せた。平均身長が女性でも170、男性は180以上もあるオランダ人が、曲間には思い思いにリラックスして足を組んで椅子の背に寄りかかっているので、いざコラールを始めようとコーラスを見ると、皆この状態からおもむろに立ち上がるわけだから、ドサドサと音がしない訳がない。

今日はマネジャーのエリックに、ホールの照明を暗くしてから合唱団の入場を始めるよう頼んでみた。もともと初日よりずっと落ち着いた雰囲気だった客席は明かりが落ちるとすーっと静まり、それから合唱が両脇から入場し、ソリスト、指揮者が入場する頃にはすっかりマタイを聴く態勢が整っていた。そして、マタイ全曲のうちには何十回とある合唱団の立ち座りが、見事に音もなしに行われ、舞台の上にも下にも3時間の間よい緊張が漂って、感動的なすばらしい第2夜となった。
 
2005年 3月18日(金) 休日その1

リハーサル、2日連続のコンサートを終え、さすがにやや疲れを感じる。午前中はこのMalie Hotelに泊まっている野々下さん、桜田さんと共にゆっくり朝食。午後はユトレヒトの街を散策。運河沿いの”BIS”というカフェでランチ。お向かいのエジプトの品々を売っている店で、サラダサーヴァーなどを買う。オランダに来て、オランダの物ではなくエジプトの物に囲まれてほっとするのはどうしてだろう、と話しながら、なぜオランダ人が中近東や東洋のものにあこがれを持つのか、少しわかる気がした。

夜は、カレル・ファン・ヴォルフレンのお宅に招かれた。彼は5年前まで日本に住んでいた政治評論家で、辛口の日本批判でよく知られているが、同時に強烈な音楽愛好家でもある。ユトレヒトから40分ほど郊外へ向かうと、オランダならではのすばらしい草原が広々と広がり、川に沿って道が続いている。(道のすぐ横を車の屋根の高さで、満面の水を湛えた川がゆるやかに流れていく、というのは、なんともオランダ以外には考えられない。)広々とした草原に佇む大きなお屋敷。まず彼の仕事場兼居間に通された。壁という壁がすべて本で埋まっている。

雅明氏を迎えるにあたって、素晴らしいお客様が招待されていた。音楽評論家のカスパール・ヤンセン氏。オランダやドイツでベストセラーになったカストラートを扱った小説『ヴィルトゥオーゾ』(邦訳・筑摩書房)の作者マルグリーテ・デ・モーアさん、そしてブルガリア出身のヴァイオリニスト・ヴェセリン・パラシュケヴォフさんが奥さんのたえこさんと共にケルン郊外から2時間半も車を飛ばして駆けつけてくれた。
ヴォルフレン氏は、日本で出会ったアイルランド人のエドナさんと結婚し、こうして今はオランダに戻ってきている。エドナさんは母国語は英語だが、日本語もオランダ語も達者に話す。一方、パラシュケヴォフさんはドイツ語とブルガリア語。その奥さんは日本語とドイツ語。その他のオランダ人は、英語とオランダ語、というわけで、何語で話そうとしても、必ず誰かが理解できないのだった。それにも関わらず、日本の歴史や政治のことから子供の教育問題、果てはバッハを演奏する時のヴィブラートのことまで、あらゆる話に花が咲いてとっても楽しいひと時だった。何と、デ・モーアさんは、かつて私が学んだデンハーグ王立音楽院で声楽を学んだそうで(私よりはだいぶん前だけど)、しかも同じアニーヘルメスに師事していたこともわかって、(アニー・ヘルメスはコンセンルト・ヘバウのオーケストラでメンゲルベルクと共に何度もマタイを共演した往年の名歌手。)大いに盛り上がった。
 
2005年 3月19日(土) マタイ第3回 Aardenburg, St.Baafskerk

今日は、車で2時間近くもかけてベルギーの国境にほど近いアールデンブルクという小さな町へ向かう。ここはオランダのマタイ受難曲の伝統を作った重要なところだそうで、コンサートのすべてがヴォランティアによって運営されている。

オランダとしてはあり得ないほど明るい太陽の差し込む中、全長200メートルもあろうかと思われる長い巨大な教会の一番奥に舞台が作られ、合唱団は4列で入り込まなければならないほど、祭壇の奥は狭い。後ろからバス、テノール、アルト、ソプラノとすべてが前後に並ぶ、という珍しいセッティングだ。今日で3回目の本番だが、指揮者とコーラス、オケのメンバーは随分打ち解けて来て、練習中も笑い声が絶えない。リズムに対する細かい要求も回を重ねるごとに理解されてきて、第53曲”Gegruset”とか、第66曲”Herr, wir haben”など、何となくのったりしていた音楽が畳みかけるようになってきた。すばらしい変化だ。毎回、満足できなかったところをリハーサルしつつ、回を重ねていくので、曲全体がどんどん変化していく。
(05/03/26更新)

オランダ・マタイ随行記 《第2回》 〜写真編〜
撮影:鈴木 環 さん、キャプション:鈴木雅明さん 

3/17ユトレヒト・フレーデンブルク・コンサートホール(コンサート)
3月17日:前日と同じ場所でのリハーサル(左)と本番(右)。
3/18:はじめての休日(カレル・ファン・ヴォルフレン邸訪問)
3/19アールデンブルクの聖バーフス教会(リハーサル&コンサート)
3月18日:カレル・ファン・ヴォルフレン氏の自宅にて。
      マルグリート・デ・モア女史も一緒に。
      (『ヴィルトゥオーゾ』(筑摩書房)の著者)
3月19日:アールデンブルクの聖バーフス教会
3月19日:アールデンブルクの聖バーフス教会にて。本番直前のドレス・リハーサル。

(05/03/26)

 オランダ・マタイ随行記 《第3回》
鈴木 環   
2005年 3月20日(日)(1) マタイ第4回 Naarden Grotekerk

今日は、いよいよ本場ナールデンでの初日だ。ミニバスで約30分美しい郊外を走り抜けて、かわいらしい町ナールデンに着いた。グローテケルク(大教会)を取り囲むように、小奇麗な小さなおうちが石畳の両脇に並ぶ。教会は、その名のとおりとても大きく、十字架型で高い天井には、古めかしい聖書からの絵が並んでいる。オランダの中でも最も大きく美しい教会とのこと。これから始まる5回のマタイのために、椅子や照明、そして舞台が全く見えない聴衆のために巨大なテレビが5メートルおきに設置されている。最後尾の席から舞台へは50メートル以上もあろうか!こんな後ろに座ってでもマタイを聴きたい人々で席が埋まるのは、それだけでも感動的だ。1700席が5回分すべて完売しているという。しかも聖金曜日は10年先まで満席だ、というのだから驚くほかはない。日本からはるばる来てくれた舛添さんが姿を見せると、ペーターやロビンも歓声をあげた。

1時間のステージリハーサルも順調に終わり、暖かな夕食をレストランで食べた後、満員の聴衆を前に、いよいよナールデンのマタイが始まった。4回目の演奏だ。安定した心地よいテンポで第1曲が始まり、二列に並んだ合唱団の中央に位置したリピエノ(由香里さんとロビン)から突き抜けるようにコラールが響く。十字架型の教会の中央に舞台が設えてあり、聴衆は前方、後方、右側、左側に位置している。後ろや脇にはどのように響いているのだろうか。

1曲めが終わり、息を呑むような静けさの中でゲルト・テュルクのレシタティーヴォが始まった。いつも変わらぬ柔らかでしなやかな歌いまわし。「ああ、これで大丈夫」と心の中でひとり安堵する。ロビンの歌うアリア”Buss und Reu”もトラヴェルソが初めて、全くゆるぎないテンポで快調に始まった。続くソプラノアリア”Blute nur”。由香里さんの声がつややかに美しく伸びていく。「好調だ!」と嬉しくなる。なにしろ『ナールデンのマタイ』に初めて登場した雅明氏がわざわざ日本から連れてきた由香里さんと桜田さんには、歌いだす前に、いやがうえにも聴衆の期待が高まるのを客席にいてひしひしと感じ、心から応援せずにはいられない。”Wie wohl”のレシタティーヴォも大変美しく、彼女の鋭い音程感覚が、曲に絶妙な味わいを与えている。続くアリア”Ich will dir mein Herze schenken”では、このマタイの中にある数少ない明るい曲を、殊の外にこやかに歌い上げた。

第19曲テノールのレシタティーヴォと第2合唱のコラールが始まると、桜田さんの芯のあるつややかな声に心から聴き惚れるのは私だけではないであろう。これまでの4回のマタイにおいて常に万全な演奏で役割を果たし、聴衆を満足させてきたと思う。第2合唱も、1回、2回目のコンサートでは、テンポが少し遅れがちだったのが今回のステージリハーサルの成果もあって完璧だった。第29曲の最後まで1700人以上の聴衆が固唾をのんで聴き続けた。

コンサートが始まる前に、私の右隣の老人は雅明氏の載った新聞の記事を全部切抜いて持ってきていた。私がFrau Suzukiだと知ると、大いに喜んで、「今日はMasaaki Suzukiがいつもと違う Something different を聴かせてくれると期待している」と話しかけてきた。第1部の終了後「期待したSomething以上のものがあった」と満面の笑みで、そしてさらに、「なぜ子供合唱を使わないのか、もしよかったら聞いてきてくれ」と頼まれてしまった。

第2部は1部よりさらに音楽的高まりがもたらされた。中でも印象的だったのが、第39曲アルトのアリア”Erbarme dich”のヴァイオリンだ。これまでずっと第2オケのトップを弾いて来たさゆりさんが、病気のコンサートマスターに代わって急遽初めてこの曲を弾くことになり、まだ1週間だという。それで毎回良さが加わって来ていたが、今回はかなり積極的な演奏だった。いよいよ本領を発揮して来た。これからも楽しみだ。
そして第48、49曲由香里さんの”Aus Liebe”は、例えようもなく美しかった。フルート、オーボエ・ダ・カッチャもピアノを維持して、ソプラノの旋律を決して脅かすことなく、きっちり支え続けた。たった4人の演奏家が、これだけの空間を染み透るような静寂で満たすなんて!何度聴いても、毎回必ず新たな発見がある。
 
2005年 3月20日(日)(2) Ton Koopmanのお宅にて

忙しいトン・コープマンに代わって、彼の事務所の人が連絡をくれて、「マサアキとトンの両方が空いている日は今日しかない」ということで、ナールデンでの本番後、トンのお家でご馳走になることになった。彼はナールデンから車でものの5分ほどのブッスムというところに住んでいる。このあたりには立派なお屋敷が立ち並んで、まるで軽井沢のような場所だ。

広大な彼の敷地の中には、オーケストラの事務所やお手伝いさんの家もあり、その玄関らしきところでベルを鳴らすと、「ああ、もう何年会ってないの?」とほとんど叫びながら、奥さんのティニが飛び出てきた。ほんとに何年ぶりだろう。彼らが日本に来たときなどに、互いに何度も会おうとしたが、どうしても日が合わなかったのだ。
トンもティニも、本当に若々しい。10年前に会ったときと、ふたりとも全く変わっていない。しかし、彼の「本好き」と「アンティーク好き」はますます嵩じて、今や家の中のすべての壁は巨大な本棚に覆いつくされ、あらゆる廊下は夥しい数のエッチングや版画の画廊になっている。彼は、古書の収集家としても知られるようになっており、さまざまな図書館と連絡を取りながら、組織的な資料収集に余念がない。バッハ関係のものについても随分いろいろオリジナルの資料をもっている。今や彼はコンサートセルヴァトワールで教えるばかりでなく、ライデン大学の教授としても講義をしており、学生たちもしばしばこの資料を漁りに来るそうだ。

雅明氏とトンとはほんとに息があうようで、出会うなりカンタータのことや例の編成の問題などを口角泡を飛ばして話している。本当に楽しそうだ。ティニは、世間の人たちがふたりのことをとかく比較しながらあることないこと書いているが、でも「私たちはあなたたちのことをとても誇りに思っているのよ」と言っていた。トンはやっぱり雅明さんの先生・・・!!だったのだ、と心から嬉しくなった。
 
2005年 3月21日(月) 2回めの休日

今日も素晴らしい天気だ。連続5回のマタイを控えて、最後の休日。昨夜ナールデンに聴きに来たフランスのディアパソン誌の記者によるインタヴューが9時半から11時半まで行われた。最後には野々下さんと桜田さんも合流。

マリーホテルは、ユトレヒト駅から徒歩だと20分ほど離れた大変静かな住宅街の中にひっそりとある。これまで暮らしてきた部屋は、北側の道路に面して陽あたりが悪く、そろそろ疲れてもきていたので、掃除のおばさんの入れ知恵で隣の部屋に引越し。こんどは朝から夕方まで明るい太陽が(照っている限り)差し込む中庭に面した気持ちのよい部屋だ。お掃除のおばさんがテラスもきれいにしてくれたので、さっそく由香里さんと桜田さんも呼んで、小さなパーティ。休日気分を満喫する。ベランダに植えられた、ピンクの花をつけた小さなかわいい木が、突然桜であることに気がつき、みんなで思わず「あ、桜だ!」。というわけで、桜田君の記念撮影となった。

3時からは、昨夏インスブルックの山の上で偶然出会った聖ヤコビ教会のオルガニスト、テオ・テニッセンにオルガンを見せてもらった。ユトレヒトの4大教会のひとつである聖ヤコビは、ユトレヒト中央駅のすぐ北側にある。オルガンは珍しく赤い外観だ。音色は柔らかく、桜田さんも野々下さんも大変気に入った様子。テニッセンさんの説明によると、外側のケースは16世紀に遡るそうだが、パイプの大半は18世紀のルドルフ・ガレルスによるもの。(雅明氏が、オランダのオルガン史では非常に重要な人!と強調。)ただしリュックポジティーフは19世紀のもの。97年に大々的な修復が行われて、現在の姿になったらしい。さまざまに変化するオルガンの音色を聴きながら、広い教会の中を歩いていると、夏のオルガンツアーを思い出す。

教会の片隅には閉じられた半畳ほどの小さな空間があり、16世紀には、ここから一歩も出ずに一生をこの空間で過ごした尼僧がいたそうだ。今は閉じられているが、外に向かってあけられた小さな窓からほどこしを乞い、礼拝堂に向かって開いている窓から礼拝に参加したそうだ。神様とのみ向き合って暮らした、とはいえ、想像を絶することだ。

夜は、ペーターのお誘いで、彼のキャンピングカーでおでかけ。ユトレヒトから車で10分ほどの彼の故郷スーストという町の、まさに彼が生まれた家の目と鼻の先にあるレストランに連れて行ってもらった。ロビンも日本人の私たちも、初めてのキャンピングカーでおおはしゃぎ。なんとペーターは今回20日間のマタイ受難曲ツアーの間中、一度もホテルに泊まらずに、このキャンピングカーで生活している。いつもこの車で次の本番会場に横付けして停泊。いきなり黒服を着て楽屋に現れる。本番後も車に直行してまた次の場所へ、という超シンプルな生活を守っている。さすがはオランダ人だ。
ディナーのすばらしいことこの上なく、みんな大満足。気がつくと、由香里さんの咳が止まっていた!
 
2005年 3月22日(火) マタイ受難曲第5回目 ティルブルク

「人は心に、自分の道を考えはかる。しかし、その歩みを導くものは主である。」 箴言16章9節。

朝10時半、事務所のエリックから電話。合唱のソプラノ2人、アルト1人が病気で出演できないとのこと。今回、ソプラノはやや弱めなので、代わりの人を探してもらうよう指示。そしてアルトは急遽、私が代役を務めることになった。この10日間、聴く一方で疲れてきたのも事実だったので、とってもうれしい。早速呼吸法をして準備万端。ティルブルクは、ユトレヒトからは車で1時間ほどの南部都市。オランダでは、ライン川の支流マース川を渡ると途端に雰囲気が変わる。

さて、ティルブルクでは再びコンサートホールでの演奏で、レオンハルトはここでの演奏を拒否したとか、しないとか。どうしてだろう、と思いつつ、ホールに入って思わず立ちすくんだ。800席ほどの程よい大きさに、なかなかの響きなのだが、天井にはピンクと黄色とブルーの蛍光灯がむき出しに並び、壁にはブルーと紫の照明が。これは何かの間違いじゃなかろうか。レオンハルトでなくとも、拒絶反応が体を駆け巡る。しかし、毎年のことなので、みんなは慣れたもの。

今まで4回の演奏を客席から聴いていたが、舞台の上では全く違った体験となった。リハーサルの最初に、エリックが病気の人に代わるソプラノ二人と、私を「Frau Suzuki」と紹介してくれると、みんなが大きな拍手で迎えてくれ、とってもうれしかった。第2合唱のアルトはこれまでも親切に話しかけてくれたとても感じのよい人ばかり。9回のマタイのちょうど真ん中で1回歌えるのは、私にとっても大変よかった。

20年も前にオランダで師事していた恩師レベッカ・ステュワートが、リハーサル後に訪ねてきてくれた。彼女はデンハーグに住んでいるが、ティルブルクの音大で16世紀の音楽を中心に教えている。これまでも多くの日本人を世話してくれた留学生の母とも言うべき人だ。コンサート前の1時間に、20年分の昔話に花が咲いた。また、かつてオランダで共に家庭集会を開いたアイントホーヴェンのペイトン朝子さんも来てくれたが、チケットが手に入らず、前半は舞台裏で聴いていた。ひとたび熱い交流のあった人たちは、20年という長い時間も飛び越えて、まったく近い!そして、このふたりが聴く日に、突然私も歌うことになった、神の摂理のすばらしさ!
 
(05/03/28更新)

オランダ・マタイ随行記 《第3回》 〜写真編〜
撮影&キャプション:鈴木 環 さん 

3/20ナールデン・グローテ教会(リハーサル&コンサート)、トン・コープマン邸訪問
3月20日:(左)第1オケのコンサートマスターを務めるさゆりさん
      (右)さゆりさんと打ち合わせ。横にいるのは、第2オケのコンサートマスター、リーデヴェイ。
3月20日:ステファン・マクラウド、桜田君とロビン(左)、練習風景(右)(右の写真は「チェリーの伊太利亜古楽三昧」より)
3月20日:トン・コープマンの書棚の前で(左)、クルスベルヘンのチェンバロの前で(右)
3/21:2回めの休日
3/22ティルブルク・コンサートホール(コンサート)
3月21日:ディアパソン誌の記者によるインタヴュー(左)(「チェリーの伊太利亜古楽三昧」より)、「あ、さくらだ!」(右)
3月21日:ユトレヒト・聖ヤコビ教会のオルガン(左)、テオ・テニッセン氏と共に(右)
3月21日:ペーターのキャンピングカーの中で興奮(左)、3月22日:ティルブルクの虹のホール?!(右)

(05/03/29)

 オランダ・マタイ随行記 《第4回(最終回)》
鈴木 環   
2005年 3月23日(水) マタイ第6回 ナールデン

朝起きるとオランダとは思えない青空が広がっていた。小鳥の鳴き声が絶えない。近くでチッチッチ、遠くでホッキョカケタカ・・・朝食後10時半から再びインタヴュー(Evangelische Omroep福音放送)。雅明氏、信仰と音楽の関係について、いろいろと語る。

今日から4日連続のナールデンだ。昨夜は、久しぶりに歌って体の血のめぐりが良くなった感じ。聴いているより歌う方がずっと楽だ。朝食の時にロビンにそう言うと、「聴くのはそりゃ疲れるでしょう。なにしろ夫がやっているのだからね。」と言われた。確かにそのとおりだ。今日からまた4日間連続がんばって聴かなくては・・・と思いレポートを書いていると、出発直前の2時になってエリックから電話。まだソプラノ二人とアルトが復帰できないとのこと、で再び私が歌うことになった。今まですべてのリハーサルとコンサートを客席から見守ってきたが、実際にコンサートの舞台に乗ると、オーケストラや合唱の人たちとの距離がぐっと近くなり、大勢の人が話しかけるようになった。

右隣で歌っている美しいメゾ・ソプラノのガブリエッレは、クリスチャン音楽家のネットワーク「クレッシェンド」の会員だそうだ。これは、バーゼルのベアート・リンクという人が中心になって作っている世界的な組織で、2年ほど前に雅明氏にも丸1日一緒に旅行しながらの長時間インタヴューをしたことがあった。
ガブリエッレは、今回雅明氏がオランダに来たことで、たくさんの新聞に写真つきのインタヴュー記事が出て、そこで自分の信仰のことと音楽のことをハッキリ表明していることはすごいことだ、としきりに言っていた。なぜなら、オランダはキリスト教国として知られてはいるが、多くの人はただ伝統としての信仰を持っているに過ぎず、心から信仰を持っている人は少なくなっている。そこで、彼が信仰に基づいて確固たる意志をもってこのマタイを演奏していることは、すばらしい。今までのバッハ協会にはなかったことだ、と言うのだ。

今回のオーケストラには、ルーシー・ファン・ダールがヴィオラを弾いている以外にも、すごい人が何人かいる。例えば、第1オケのオルガンは、レオ・ファン・ドゥーセラーだけれど、今まで全く聴いたことがないようなかっこいいコンティヌオだ。彼はペーター・コーイと一緒に録音もしている有名なピアニストでもあり、ライデンの聖ピータース教会のオルガニストでもあるが、今はベルリンの音大で教えている。雅明氏は、全く彼が一緒に弾いているなんて信じられない、と驚き喜んでいる。彼も毎日「マサアキの音楽はとってもいい!」と言い、「あなたも歌うことになってホントにうれしいよ」と声をかけてくれる。
また、第2オケには、コントラバスにジェームズ・マンローがいる。彼は、秀美さんと一緒にプティットバンドを辞めてしまったので、現在はフリーランス。でも、いろいろと小さなアンサンブルも試みているそうだ。「さすがはジェームズ。うまい!!」と、雅明氏はリハーサルの初日からうなっていた。

演奏は日を追うごとに上昇していくが、今日の白眉は、Erbarmeでのさゆりさんのヴァイオリンソロだった。「すばらしかったよ」と伝えると、「なんだか皆にもそう言われたよ」と、他人事のように素直に嬉しそうだった。
 
2005年 3月24日(木) マタイ第7回 ナールデン

今回22日と23日に来るはずだったアルトの人は、ティルブルクから交替して新たに乗るはずだった人で、結局まだ1回も本番に出ていないことがわかり、雅明氏の判断で結局あと3回も私が歌うことになった。ヴィオラ(!)のルーシーやオーボエのマルティンが、「歌えてよかったねえ」と言ってくれた。こういう心配りは、さすがにオランダ人らしいぬくもりだ!

コンサート直前のドレスリハーサルは今日で終わりなので(つまり明日からはぶっつけ本番のみ)、雅明氏が皆にお礼のことばと短い挨拶をした。「皆さんと一緒にマタイをすることができて、本当に嬉しかった。」ニコニコと耳を傾けていると、「実は、最初はBCJと何て違うのだろう、とショックを受けました」と雅明氏が言い出したので、皆ちょっとぎくっとした。「その違いは・・・皆さんが私たちより30センチも背が高いことです!!」と言ったので、わーっという歓声と拍手、口笛の嵐。後で、ガブリエッレが、「じゃ、私たち、ひざまずいて歌えばBCJに入れてくれるわね?」と念を押しに来た。

このリハーサルのせいか、本番では合唱団の反応はひときわよく、雅明氏の体や手の動きにあわせて、緩急自在なコーラスだった。ベテランのソリスト陣は最初からすばらしかったが、今日のAus Liebeは本当に美しかった。(由香里さんの1時間のお散歩の成果?)また、さゆりさんも昨日に引き続き、ロビンと共にすばらしいErbarmeを聴かせてくれた。「雅明さんが、わたしのことをよくわかってくれた、って感じたのよ」と彼女は終演後に語っていた。このように、指揮者とオーケストラ、合唱団が、益々しなやかな糸で結ばれ、呼吸と音楽がひとつになっていく。
 
2005年 3月25日(金) マタイ第8回 ナールデンでの聖金曜日

いよいよ聖金曜日の公演だ。この日は、オランダ首相を始め閣僚が大勢聴きに来るとあって、教会への道は警察が車を1台ずつ止めて検問している。「あなたもマタイ受難曲へ?」という言葉が、一瞬警察官の問いとは思えず、びっくりした。私たちの車が教会に近づくと、多くの報道陣が駆けつけたが、演奏家だと知ると、さっと散ってしまう。今日の本命はもちろん政治家なのだから。

今日と明日の演奏は、11時半開始。12時45分頃第1部が終わると、14時半まで休憩があり、その間に市庁舎でレセプションがある。(マタイ受難曲の途中にパーティなんて、考えられない!)今日は、首相や政治家たちとお歴々のパーティなので、演奏家で招かれるのは指揮者とソリストのみだ。バッハ協会のマリア・ハンセンが雅明氏を首相に紹介すると、ほぼ同じ年の首相は、気さくに、昨夜の揉め事について語ってくれた。昨日、選挙制度の問題で閣僚のひとりが突如辞任し、徹夜の会議があったとか。閣僚は一睡もしていないので、今朝のコンサートでは前から5列目までは皆寝てしまうはずだ、と聞かされていたが、舞台の上から寝ている人は見当たらなかった。それどころか、首相臨席のおかげで、お客はたいそう静か。1曲目から集中力の高い演奏ができた。

雅明氏の指揮も、マタイの内容を反映した劇的なものだった。それにオーケストラもコーラスもよく答え、特に合唱も昨日にも増して鋭い反応が高まっている。コーラスの人々には、どんどんマサアキファンが増えている、と由香里さん評。ついに、舞台の上の全員が大きなひとつのうねりになったのを感じた。
 
2005年 3月26日(土) マタイ第9回 ナールデン

9回連続マタイ最終日。これで最後とソリスト達も感無量。オーケストラや合唱の人たちも、マサアキとやる最後のコンサートだ、という気概のこもった演奏となった。1曲1曲のすべてのディテールが、美しい。指揮者、オーケストラに合唱、そしてソリスト達が全力を出し切ってよい演奏に努めてくれている。最後尾の席からはほとんど教会の柱しか見えないのだが、それでも1700人以上の聴衆が、それに聴き入っている。3時間のマタイを9回、27時間も演奏したわけだ。

今回、何よりも嬉しかったのは、メンバーがどんどん親しみを増して、一人一人が出会うたびに気持ちを表明してくれたことだった。最初のうちは、シャイなオランダ人の性格もあってか、以前からの知り合い以外の人とはあまり直接話さなかったが、今や、皆がそれぞれにじかに喜びを伝えてくれる。音楽を通じての人々との触れ合い、共に音楽する束の間の出会いと別れ、音楽を通して生きている人たちが、ほんの一時共に時間を過ごしたという摂理。

客席の中にレオンハルトを見つけて、私は感無量になった。終演後、「コラールのニュアンスが特にすばらしかった。」とのお言葉。ペーターの息子が、レオンハルトの隣の席だったらしく、ペーターは「彼はバロック音楽のお父さんなんだよ」と説明していた。ジュネーヴから来てくださったヴィオラの今井信子さんも「今までどのマタイにもなかった、特別な、新鮮なマタイだった」と賛辞を下さった。

長い間、一緒によい演奏のために努めてくれたバッハ協会のオーケストラ、合唱の人たち、世界中から集まったソリストのひとりひとり、バッハ協会のスタッフや裏方の人々。そしてもちろん聴衆の方々、遠くから見守ってくださった日本の皆様。本当にありがとうございました。最後に、このすべてのことを成し遂げてくださった神様に感謝。Soli Deo Gloria !!
 
(05/03/30更新)

オランダ・マタイ随行記 《第4回(最終回)》 〜写真編〜
撮影&キャプション:鈴木 環 さん 

3/23,24ナールデン・グローテ教会(リハーサル&コンサート)
3月23日:第2オケのコンサートマスター、リーデヴェイと第42曲のリハーサル(左)
3月24日:オランダのソプラノ、ヨハネッテ・ゾマーがオーディションに来た。伴奏はレオ・ファン・ドゥーセラー(右)。
3/25ナールデン・グローテ教会(コンサート)&レセプション
3月25日:首相を待ち構える報道陣(左)、バルケンエンデ首相夫妻と共に(右)
3/26ナールデン・グローテ教会(コンサート)&レセプション
3月26日:(左)最後の日、ナールデンに向かう車の中で
      (右)最終日の休憩時間に行われたレセプションで。メンバー全員のサイン入りの写真を贈呈された。
3月26日:今井信子さんと、バッハ協会のボホヴェ会長と共に(左)、聴きに来てくださったレオンハルトと共に(右)
3月26日:第2合唱のアルトの面々(左)、日本人ソリストたちと共に。真ん中は入沢まみさん(右)

(05/03/30)

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