「鈴木雅明とバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)」
この人達の最近の活躍状況は、誰でもご存じのとおり、実にめざましいものがある。それに伴い内外の評価も最高のランクに定着しつつあることは、当然とはいえ何ともうれしく、と同時にこのような演奏団体が身近にあって、いつでもその成果を享受しうるこの身の幸せを思わずにいられない。
この一年 −というのは昨年5月のマカギャラリーコンサート(バッハ平均律第1集)以来という意味だが、鈴木雅明さんとは、オフステージでも顔を合わせる機会が多くなった。それはウチがBCJの練習会場として、時たま使われることになったためである。おかげで鈴木雅明さんの−皆さんが親しみを込めて呼ぶように、以後ぼくもマサアキさんと表記させていただく−音楽監督、指揮者(時にコンティヌオ奏者)としての素顔、音楽づくりの実態を、至近距離から拝見する洵に得難い機会をもつことができるようになった。もとより当方のアンテナ感度は貧弱、どこ迄実態に迫りえたかは、全く自信がない。が、ここに若干の感想をかくことで全身音楽家マサアキさんの部分的紹介にかえることとしたい。
本年2月定期(バッハ、ワイマール時代のカンタータ4曲)、同3月定期(シュッツとブクステフーデのカンタータ)公演にあたって、マカギャラリーはそれぞれ3〜4日間練習会場となった。(他会場を含めると大体7日間の日程のうち) 初めて聴く曲が多いので、当方も事前にレコードその他で学習した上で臨む。初日の練習から、本公演に至るプロセスは、予想したとおり実に刺激的で、おかげで最後の本番が常日頃にも増して感動的となったことは云う迄もない。練習には殆どつきっきりで、とてもつかれもしたが、音楽の生成過程に立ち会うという愉悦には、代えがたいものがあった。
その過程をヴィジュアルの表現すると −大きな画面の中にあって、当初方々に散乱していた断片的イメージが、それもややぼやけたり、ずれたりする映像であったものが、セッションを重ねるごとに、それぞれぐんぐんと近寄り、ピントの精度を上げていって、最後にはピタッと決まる、−まことに見事な手順、内容であって、BCJのメンバー全員のスゴサと、それを完璧にまとめ、高次な音楽に仕上げるマサアキさんの巨大な姿が心に焼きついた。
練習に接しながら、リアルタイムで感想メモをとっていた。それを多少整理したかたちで再現してみよう。
− BCJは、何て和気アイアイの団体だろう。全員自然体、兄弟姉妹のよう、いやそれ以上。皆よくしゃべり、笑う。時にじゃれあったり、あくびをしたり。床に大の字に寝てみたり、体操をしたり。じゃ仲良しクラブじゃないか?って、とんでもない。出番がくると、とたんにビシッとチャンネルが切り変わる。音楽の世界に直ちに没入する。まるで人が変わってしまう。その集中力たるやスゴイ。お互い音楽上の意見を率直にぶつけあう。指揮者にも対等且つ親密にモノを云う。しかし指示されたことには素直に「ハイ」と従う。指揮者は、質問はもちろん、どんな意見にも実に丁寧に応える。人の意見をとことん聴いた上で最後は自分で決定する。そこに甘い妥協はない。各人に配慮した細心のスケジュール、緻密ときびしさと自由の同居する練習。etc.
このように世界中どこを探してもないような理想的練習のあり方を可能にするのは、全員のハイレベルの音楽能力、そして音楽に対する献身と、そのようにさせるマサアキさんの力である。
BCJの演奏から、誰でも感ずる生き生きした生命感は、このような練習から産まれてくる。それは上から独裁的に押しつける機械的統一からは決して産まれはしない。
それぞれきわめて個性的な手だれのメンバー達の身体から内発するところの生命感である。それを引き出し、高次元の有機的統合にもっていくところに、マサアキさんの高い音楽性と大きな人間性がある。そしてそれを根底で支えているのが、神に対する揺るぎない信仰であることを、更めて共感をもって見ることができた。
BCJをひきいて、バッハのカンタータ全曲演奏、録音という一大壮挙にのり出すかたわら、バッハの器楽曲をこれまた全曲演奏、録音しようというマサアキさんの姿は、ぼくにとってまさに現代のバッハのように見えるのである。
(増井常吉さん:BCJ賛助会員、「マカギャラリー」主宰)(97/08/31転載)
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