「マタイ受難曲」 プレ・レクチャー・レポート

’99年3、4月のBCJ「マタイ受難曲」公演に先立って行われたレクチャーの概要をレポートいたします


《与野:バッハ「マタイ受難曲」プレ・レクチャー》  
日時:’99年 2月27日(土)15:00 彩の国 さいたま芸術劇場:映像ホール 
講師:鈴木雅明(BCJ音楽監督)[チェンバロ] 
「マタイ受難曲」の指揮を務める鈴木雅明を講師に迎え、「マタイ受難曲」を演奏家の視点でわかりやすく解説します。
 150人ほどが入る会場は満員札止め。親密な空間の中で、映像資料を巧みに使った雅明さんのレクチャーが行われました。

《BCJイスラエルツアー報告》 〜1月のBCJイスラエル・ツアーでの見聞・経験から〜

 ・エルサレム受難の舞台 →聖書に出てくる場所はことごとく教会になっている。
                     例:聖墳墓教会(ビデオで紹介)、ゴルゴタの丘、ゲッセマネ etc.
 ・イスラエルでの「ヨハネ」・・・・・聖書に出てくる土地を巡った後であったので、その場所が思い浮かべられ、
                     刺激的な経験であった。

《受難週と子羊》

 ・受難週=イースター(復活祭)前の一週間 
        →この期間がユダヤ教の「過越(すぎこし)の祭」に当たることが重要
 ・「過越(すぎこし)の祭」・・・『旧約聖書』出エジプト記による
        →家の扉に屠った子羊の血があると神の怒りが過ぎ越される。
        →子羊の持つ二重性生け贄のシンボル勝利(救い)のシンボル

《受難曲のはじまり》 

 ・聖書の受難記事の朗読(一定の音程で行われる)がはじまり→やがて役割分担されるようになる
 ・15世紀:合唱になり多声化
 ・17世紀:2つの動きが出てくる
       聖書の記事の間に自由詩をはさむ(例:ブロッケスの自由詩)
       福音書をたばねた聖書物語とする方向(例:シュッツのヒストリーエ)
         →しかし、バッハの受難曲は福音書に応じた「オラトリオ風受難曲」である
 
《バッハの受難曲》 〜『死者略伝』にある「5曲」とは?〜

 ・「ヨハネ」「マタイ」・・・・・・・・現存
 ・「ワイマール受難曲」?・・・最近存在が指摘される
 ・「マルコ」・・・・・・・・・・・・・・・・復元が必要(BWV198のカンタータが資料) *来年コープマンが演奏予定 
 ・「ルカ」・・・他人の作品(ただし15小節のコラールの編曲はバッハの作。自筆譜が日本にある)
   *C.P.E.バッハの遺産目録には「『マタイ受難曲』(ただし不完全)」の記載がある。

《カントール・バッハと受難曲》 〜1723年のライプチッヒ着任からの受難曲演奏〜
 
   1724年:「ヨハネ」、1725年:「ヨハネ」第2稿、1726年:別人の曲、1727年「マタイ」
   1729、1736、1742年にも「マタイ」が演奏されている。 *「マタイ」の演奏は計4回か

《「マタイ」はいつ作られたか》

 ・1829年、メンデルスゾーンによる「マタイ」の蘇演
        (「憐れみたまえ」のアリアもカットされるなど、大幅に手が加えられていた)
       →この時メンデルスゾーンの師ツェルターが書いた文章に「100年ぶりの蘇演」との記載がある。
          ただし「1729年が初演ではないかもしれない」ともいっている。
 ・1723年頃の「ロ短調ミサ曲」の「サンクトゥス」の自筆譜の端に、「マタイ」第65曲のヴィオラパートの一部がある。
       →「マタイ」の成立が1729年以前であることを示唆。
 ・「ヴェッカー書簡」の記載(「1729年の受難節に二重合唱の受難曲の楽譜を借りたい」)からの推測
         *バッハは「自分が演奏するのでお貸しできない」と返答
       →ヴェッカーがなぜその「二重合唱の受難曲」の存在を知っていたか?→1729年以前の成立を示唆。

  ※以上の状況などからリフキン1727年成立を提唱し、支持を受けている。 

《「マタイ」はどう残されているか》1736年の自筆スコアのカラー版ファクシミリを見ながら〜

 ・1736年、バッハは3回目の演奏用に自筆のスコアを作った(現存)。40パートのパート譜も残っている。
       →聖句や1曲目のコラール挿入は赤インクで書かれている。
        (この部分がいかに大事に考えられていたかを物語る、他の自筆譜にはない扱い。)
       *スコアのはじめには「J.J.」(「神よ助けたまえ」の意)、終わりには「S.D.G.」(「神にのみ栄光あれ」
         の意)の書きつけがあり、清書であることを示している。
 ・アルトニコルによる筆写譜・・・古い版からのもの?
       →両合奏体のコンティヌオは別れていない。2部の冒頭のアリアがバスで歌われるなどの違いあり。

  ※色々な違いはあるが「ヨハネ」に比べれば変化は大きくない

《「マタイ」の何が人をひきつけるのか》 〜その巨大なイメージの背景は?〜

 ・三層の構造・・・客観的事実とそれに対する「私」「私たち」(イエスを信ずる「私」の集まり=教会)の
            リアクションがダイナミックに展開する。
    [聖書のテクスト(ルター訳)](福音史家、イエス、ペテロ、ユダなど)・・客観的
    [自由詩(ピカンダー作)](アリア、レチタティーボ[アリオーソ])・・・・・・「私」(ich)としてのリアクション
    [コラール](会衆歌 *バッハが選曲したと考えられる)・・・・・・・・・・・「私たち」(wir)信仰告白

 〔第1曲〕・・・・・三層の構造がよく表れている。
        *以下、映像の例としてリヒター演奏のビデオの一部を鑑賞しながら進める。
         →大きなうねりのような感動のある演奏。「演奏とは何か」を突きつけてくる演奏(鈴木雅明氏)
    [コーラス1]=「シオンの娘」(イエスに付き従っていく人々の象徴)
    [コーラス2]=「信ずる魂」 
     *この2つのコーラスにライプチッヒの4つのコーラス隊のうち上手な2グループがあてられ、
      他の2グループを単旋律のコラールを歌う「リピエーノ」に配したと考えられる。
   ・8分の12拍子・・・12=3×4=3(神の象徴数)×4(人の象徴数) →神と人との和解の象徴
   ・ホ短調・・・e(ドイツ語の「地」の頭文字)=罪に汚れた地上の象徴
    しかしコラールはト長調・・G(Gott=神)
     *調性の二重性子羊の持つ二重性受難の意味の二重性
   ・6小節目のコンティヌオ=それまでのホ音から音階で13音上がり、Cまでいって14こ目でオクターブ下がる。
     *Cはキリストの象徴。オクターブ下がることはバッハのへりくだりをあらわす。(杉山好先生)

 〔第36曲〜〕・・・・・二重の裁判の場面
   ・イエスを罵り叫ぶ群衆から自分たちの反応であるコラールにすぐ入らねばならない。
    →受難曲演奏の難しさ3つの層の様々な要素が次の瞬間、次の瞬間と切り替わっていく
   ・アリア・・・・「ヨハネ」より長いものが多い=物語の進行が止まり、真空になって自分としての省察に入る。

 〔第49曲〕「アウスリーベ」(愛よりして)
   ・「愛より」=天からイエスキリストはやってこられた。
   ・コンティヌオ(通奏低音=地上のしがらみ *これを言うと弟[鈴木秀美氏]は怒る(?!))が無い編成
    =バセットヒェン *ただし、すがるべき主がいないことを表す場合もある(例:BWV105のソプラノ・アリア)
   ・前後のトゥルバ(群衆)の叫び「十字架につけろ!」(受難当時の叫び)にはさまれたアリア(自分の省察)
    →2000年の時間の往復時間を駆けめぐる「マタイ」の特徴

《「マタイ受難曲」はオペラか?》「マタイ受難曲」の本質

 ・“劇の要素”“アリアの要素”“コラールの要素”を合わせ持つ「マタイ」をどうとらえるか?
  →残されたパート譜からバッハの意識を考える。
 〔テノールのパート譜〕・・・合唱、福音史家、コラール、アリアが同じものに書かれている同じ人が歌う
 〔バスのパート譜〕・・・・・・合唱、イエス、コラール、アリアがやはり同じものに書かれている同じ人が歌う
                *ただし、イエスとピラトのような同じ声域での対話の場合のパート譜は分かれている
  →バッハの演奏スタイルから考えれば、合唱、ソロ、コラールが別々に計画されたものではないと考えられる。

 ・「自分の中ですべてが起こる」ことこそが「マタイ受難曲」の本質ではないか。
  バッハは劇、オペラとしては考えていなかった。別々の人に割り当ててやるものとは根本的に違った。
  *ルターなども「受難劇」は否定していった。(「受難劇」はカトリックの地域にしか残らなかった)

 ・アメリカの音楽学者マリッセン氏からのメール(BCJの「ヨハネ」のCDと自分の著作を交換しよう)
  著作の『アンチ・ユダイズム(反ユダヤ主義)』が送られてきた。
  →受難曲をユダヤ人への糾弾ではなく、人類の罪に対する糾弾ととらえる。
   =バッハの音楽の訴える力につながる。
《結び》
「けっして宣教、布教のために音楽をしているわけではありませんから、演奏を通してのみバッハの意図が届けば、と思っています。ステージから出たものをどう受けとめるかはみなさんの役割です。」
聖書の朗読の代わりの音楽だというところに戻ることが大切だと思っています。」
自分がその音楽に入り込んで初めてその語ることがわかるということがあります。音楽作品としての価値がわかっていただけるように演奏いたしますが、みなさんもその中に入って考え、味わってみてください。色々と読んだり聞いたり、準備されてから聴きに来ていただくのも良いと思うのですが、自分の中をからっぽにして来ていただければ、みなさんの中にバッハが流れ込みやすいと思います。

《Q&A》

 〔Q1〕イエスの最後の叫び「エリ、エリ・・」の後半が「サバクタニ」と「アバクタニ」の2種類あるようですが、
     どう違うのですか。
   A1→詳しくはわからないが、アラム語とヘブル語の違いではないかと思います。

 〔Q2〕コラールのフェルマータの扱いについて、止める、のばす、はどう考えるのですか。
   A2→「フェルマータ」は止まる、区切るという意味。(イタリアではバス停をフェルマータと呼ぶ)
       切れ目がわかればよいのではないか。会衆の歌い方にも関連する。
       一つのコラールに5つほど付いている場合などもありますが、すべて止まるようには感じません。
       ただ、好きなところはのばしたり、切ることもあります。

 〔Q3〕受難曲の終わった後の拍手はどうしたらよいのでしょうか。
   A3→本来はなじまないのでしょうが、神に捧げるべきでしょうね。
       やはり拍手がないのも寂しいですから(笑)

 〔Q4〕今回のBCJ「マタイ」の演奏の版は?
   A4→あまり選択の余地はありませんが1736年の自筆譜をもとにします。
       34,35曲ではヴィオラ・ダ・ガンバは使わず、第2オーケストラのチェロで演奏します。
      チェンバロについてはパート譜もあるのですが1742年の演奏用のものでもあり、また長いアリアが
      多く、思索的、内省的なためチェンバロが欲しいと思う場面はあまりないので今回は使用しません
 
(文責:矢口) (99/03/28) 
*誤り等にお気づきの時は是非ご一報ください。

《佐倉:「マタイ受難曲」を学ぶ3日間》
 第3回 『演奏解釈をめぐって−鈴木雅明氏との対話』

日時:’99年 3月14日(土)14:00 佐倉市民音楽ホール 
講師:礒山 雅(国立音楽大学教授)  
ゲスト:鈴木雅明(BCJ音楽監督)[オルガン、チェンバロ]、
     柳沢亜紀(ソプラノ)、カーステン・ソレク・アヴェラ(アルト)、水越 啓(テノール)、浦野智行(バス) [以上BCJ]        
 ホールは400人ほどの聴衆で埋まりました。カメラ・クルーによる取材なども入り、「マタイ」に向けていやがおうにも期待が高まります。そんな中での礒山先生&雅明さんのトーク・バトル(?)が行われました!
(矢口) (99/03/28)

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