「Gramophone」誌(英) July 1998 Issueより |
『バッハ・カンタータ第6集』
第21番「我が心に憂い多かりき」
第31番「天は笑い、地は歓呼す」
カンタータ第21番の3、7、8番の異版
鈴木雅明指揮/バッハ・コレギウム・ジャパン
モニカ・フリンマー(ソプラノ)、ゲルト・テュルク(テノール)、ペーター・コーイ(バス)
BIS CD851(68分:DDD)テクスト・訳含む 協賛NEC
比較(第21番):
・フィリップ・ヘレウェッヘ(5/'91)(ハルモニア・ムンディ)HMC90 1328
・カール・リヒター(アルヒーフ)439 380−2AX6
・トン・コープマン(9/'95)(エラート)4509−98536−2
バッハ・コレギウム・ジャパンによる素晴らしいバッハ・カンタータ・シリーズに、今回は第21番「我が心に憂い多かりき」と第31番「天は笑い地は歓呼す」が加わった。
この2曲はどちらも1713年から1715年にかけてのワイマール時代に作曲されたカンタータだが、後にライプツィヒでも演奏されている。第21番に関して言えば、その演奏の歴史はさらに複雑な経緯を辿っている。バッハはこの深い表現に満ちた大作(第21番)を明らかに大切に扱っており、4つ以上の異稿を作曲している。
1714年にワイマールで行われた2度目の上演の際に作られた稿に続いて、バッハは、1720年にハンブルクの聖ヤコビ教会オルガニスト採用試験のために、独唱をソプラノとバスのみとし、全体をハ短調からニ短調に移調した新たな稿を作曲しているが、本録音ではこのハンブルク稿をベースにしている。
第21番の各稿の違いは相当に大きく、独唱の声部から、楽器編成の細部にまで及んでいる。コープマンの最近の録音同様、鈴木雅明もアペンディクス(付録)という形で、バッハの創意の変化を実際に聴く機会を提供してくれるが、この点に関しては、少なくとも、鈴木の方がコープマンよりも徹底していると言えよう。なぜならコープマンが一曲しか取り上げていないのに対して、鈴木は三曲収録しているし、そればかりではなく最も納得のいく出来栄えのライプツィヒ稿も、後にシリーズに加えることを約束しているからだ。
これまでもそうであったが、私はこの精巧に練り上げられた感動的な演奏に完全に心を奪われた。たとえば第21番の最初の悲痛なシンフォニア、如何にも美しくアーティキュレートされ、またバスーンが絶妙に奏でられたグラーヴェを聴いてみてほしい。それはこれまで成された中でも最もセンシティヴで、この作品への幸先のよい開始と言えよう。また弦はこれまでほど完璧ではないとしても十分感動的と思う。独唱の顔ぶれも強力だ。モニカ・フリンマーは高度なテクニックが要求されるソプラノのアリアを心打つ温かみのある音色で歌っている。「Letzte
Stunde,brich herein(最期の時よ、臨むがいい、この目を閉じておくれ)」(第31番)はリリカルに歌われているし、あえて粗を探せば「Erfreue
dich,Seele(喜べ、魂よ)」(第21番)―この曲では私はコープマンのテンポの方が好ましいと感じているのだが―で苦しさを隠せない瞬間がみられることだろう。ゲルト・テュルクとペーター・コーイは安定していて表現力に富んでいるし、18人の合唱も―第21番の最初の合唱でのテノールの声は張り詰めすぎているとはいえ―好ましい。
今のところ第21番初期稿の演奏では、私はこの鈴木の演奏が気に入っている。コープマンよりもテクストが明瞭に表現されているし、フリンマーは些細な傷があるとはいえ、コープマン盤のバーバラ・シュリックよりもずっと心地良い。第21番「我が心に憂い多かりき」ライプツィヒ稿ということになると、フィリップ・ヘレウェッヘによる録音が最も満足のいくものであろう。しかし劇的な表現や大規模な合唱がお好みの方ならば、カール・リヒターをお勧めしたい。(それは6枚組のCDセットの一部なのだが)リヒターの熱烈な解釈は、ドラマに対する秘められた感情を発散させているからである。
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