Le Monde de la Musica誌(仏)より |
「CD AtoZ」
BACH, Johann Sebastian (1685-1750)
<収録曲>
カンタータ集 第15巻
BWV40、60、70、90
<特選盤
/ CHOC du Monde>
第16巻
BWV119、194 ★★★★
S.野々下由香里(15、16)、緋田芳江(16)、
A. カーステン・ソレク=アヴェラ(16)、
CT. ロビン・ブレイズ(15,16)、T.
ゲルト・テュルク(15)、櫻田亮(16)、
Br. ヨッヘン・クプファー(16)、Bs.
ペーター・コーイ(15,16)
バッハ・コレギウム・ジャパン
鈴木雅明指揮
2枚のCDはBISCD-1111(第15集)およびCD-1131(第16集)として個別に販売されている(販売元Codaex
France)。
解説書:フランス語訳(クラウス・ホフマンおよび鈴木雅明によるすぐれた解説)およびドイツ語歌詞(英語対訳付)。
収録:1999年、2000年
収録合計時間:1時間8分(15集)、1時間3分(16集)
この2枚のディスクは現在進行中のカンタータ全曲録音の第15巻および16巻にあたり、1723年の春、ライプツィヒにやってきたバッハが当時どれほどの意欲に満ち溢れていたかを如実に物語る、6曲のカンタータを集めたものである。
カンタータBWV60、90、および70が、教会暦の1年の終わりに(1723年11月7日、14日、21日の主日礼拝)作られているのに対して、BWV40は教会暦による新しい年のはじめ(1723年12月26日/降誕祭から2日目)の作品である。
教会で行われる礼拝のための典礼音楽に加えて、たとえば、ライプツィヒ近くのステュルムタールという地での新しいパイプオルガンの落成式(1723年11月2日/BWV194)あるいは市参事会員交代式(1723年8月30日/BWV119)といったイベントにおいて、バッハは音楽で彩りを添える役割を担っていた。
これらの作品のあるものは、それ以前に書かれた楽曲から着想を得ているとはいえ、(BWV194/ケーテン)、続けざまに書かれたこれらカンタータの多様性並びに高いレベルの霊感はなんとも息をのむ類のものである。
トーンや色調、要求される構成要素は、各作品ごとに異なっている。BWV60、70および90のカンタータは、この世の堕落と破滅を感じさせるのに対して、BWV40はクリスマスの喜びに満ち溢れている。 また、BWV119および194は、より祝祭的な雰囲気を醸し出している。後述の2作品が共同体を包み込む高揚感によって躍動しているかのような楽曲であるのに対して、前述の3作品は、この世に生きる人々の悲嘆や苦悩(天国の約束にもかかわらず)の中に深く沈み込んで行く。
鈴木雅明氏と彼のバッハ・コレギウム・ジャパンによる非の打ち所のない演奏は、録音を重ねる毎に確固としたものになっている。この点において、第15巻は知性と感性および様式のあいまった、みごとな傑作であるといえよう。
決して演奏家達をせきたてたり音楽を煽ることなく、鈴木氏は常にテクストに忠実でありすばらしく緊張感あふれる表現を獲得している。抑制の効いた荒々しさ(BWV40/4、70/1、90/3)、テンポとフレーズの明解さ(BWV60/1)、コラールの確固とした自信(BWV70/11、音色の動転)、激しい恐怖(BWV70/2と70/9のすばらしいレシタティーヴォ)、来世への信頼(BWV70/3)などである。
同時に、ソリスト達のはたしたすばらしい役割、妙技と雄弁さも特筆すべきだろう(BWV40/7のむずかしいアリアにおけるゲルト・テュルク)。各アリアまたはレチタティーヴォの詳細がドラマティックな理解あるいは音楽的なしなやかさのモデルを構築している一方で、それぞれのカンタータの解釈は非常にまとまりのある一貫性を示している。鈴木氏はフォルムを狂わせることなく核心を突いて内容を表現するすべを誰よりも知っている。
同様に、特別な機会に依頼されて書かれた2つのカンタータ(BWV119と194)においても、まったく乱れがなく決して弱まることのない興奮とみなぎる力を終始響かせている。舞踏のリズムは繊細に表現され(BWV194)、こちらでもまた、テクストには知性によって深く驚くべき解釈が付与されている(BWV119/7と119/91の雄々しさの、なんと対照的に表現されていることだろうか)。
フィリップ・ヴァントゥリーニ (訳:大島玉子)
(提供:BCJ事務局)
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