J.S.バッハにおける
ルネッサンス型のスライドトランペットとその演奏に関する一考察
【序文、カンカータ147番】
カンタータ147番より「主よ人の望みの喜びよ」を知っているかと聞いて、知らないと答える人はまずいない。もし仮に知らないと答えても「シードレーレドーシララ」(楽譜2)と歌えば、きっとみんな知っているであろう。というほどにバッハのカンタータの中で最も有名な曲の一つであることはまちがいない。しかし、この曲の中にスライドトランペットが用いられていることを知っている人は非常に少なく、またスライドトランペットがどういったものであるかを確実に知っている人はもっと少なくなる。
さて、カンタータ147番「心と口と行いと生活をもって」BWV147には、第1曲目、第6曲目(イエスよ私の魂の歓喜よ)、第9曲目、第10曲目(第6曲目と同じメロディー)にトランペットが使われている。
楽譜1、2、3を見て分かると思うが、楽譜1と3は、ほぼ自然倍音内に入っている。(×印は残念ながらそうではない)しかし楽譜2は、いきなり自然倍音外の音から始まっている。明らかに楽譜2は、スライドトランペットで演奏しないと、網羅できない音列である。(楽譜1、3は自然倍音列バッハトランペットで演奏する)
ライプツィヒでは他の都市とは少々違って、スライドトランペットがバッハの時代まで存在していたといわれる。(バッハが無理やり流行らせたのかもしれないが)そんな経緯があってバッハにそうさせたのかは現段階の私には不明であるが、なぜルネッサンス期のスライドトランペットをあえて使用したのであろうか。恐らく当時としても“古くさい”表現であったに違いない。曲中にあえてトランペットを使うにはそれなりの表現したいものが存在するからであろう。(栄光、讃美、復活・・・等)考えるに、ルネッサンス型スライドトランペットは当時のトランペット(自然倍音列バッハトランペット)には出せない音を出せるという魅力もその一つの理由かもしれないが、古い(バッハにとって)時代の表現を取り入れることにより、バッハ自身の信仰心が表現されていたのではなかろうか。
【スライドトランペットの成立】
さて、それではスライドトランペットについて考えていきたい。
金管楽器の歴史はいつの時代であっても(ルネッサンス、バロック、クラシック、ロマン、現代)出せない音をいかに出すか、また、はずれやすい音をいかに当てるかの歴史でもあるとも考えられる。中世以前には角笛のようなものを吹いていたであろう。(第1倍音、第2倍音、第3倍音ぐらいまで)しかし、よりたくさんの倍音を出すため、管の長さをより長くしようと思うことは、ごく自然なことである。(写真1)しかしながら、あまり長くし過ぎると演奏にも持ち運びにも不便さを感じる。長ければ折りたためば良いのではないか・・・だれでも考えることである。こうして生まれたのがS字ラッパである。
*写真1.2.3.4.(文末参照)
軍隊式ファンファーレや、狩りのための信号を吹くためなら自然倍音だけでもそんなに問題はないが、S字ラッパが発生したときにはすでに中世教会旋法が確立している時代である。もし仮に、教会で他の楽器と一緒に演奏しようと考えたS字ラッパ奏者は、自然倍音のみでは他の楽器のもつ音列より欠落していることに気がつくはずである。
少々余談になるが、私自身ナチュラルトランペットを製作する過程で必ずS字ラッパの状態を一度作る。そしてその状態から吹きながら寸法を決めていく。この状態の時はどこもハンダ付けなどによる固定をしていないので、あちらこちらが伸び縮みをする。この状態のとき「作業がしにくい」と思うか「これはおもしろい!この方法を使えないか」と思うかが、スライドトランペット成立の有無につながる。(写真3)当然、当時のS字ラッパ奏者は、好むと好まざるかを問わず、後者を選んだのである。そして当時のS字ラッパ奏者はS字を折りたたんで重ね、写真4のスライドトランペットとなった。
*写真5.6.7(文末参照)
ルネッサンス期のスライドトランペットは図1のCの部分をスライドさせることによって自然倍音列外の音を出す。つまりマウスピース部分を手で安定させてベルを含む本体を動かして自然倍音列外の音(楽譜5下段)を出した。(写真5、6、7) これはたいへん滑稽なようである。当時の絵画に、若いトランペット奏者が、ふざけて犬をからかうためベルを伸ばしている姿があるそうである。犬をからかうにはもってこいの楽器だが、音楽を演奏するには色々な制約が出てくる。理論上では何の音でも出せるが、手の長さとスライドの距離、楽器の重心等の関係で、安定した音を出すには、ある程度の制限がある。ルネッサンス期は恐らく簡単な定旋律をゆっくり演奏したであろう。またバッハもある例外を除いては、それほど無理な要求はしていない。
・第 I ポジション-動かさない位置
・第 I' ポジション-3cm位抜く
・第 II ポジション-10cm位抜く
・第 III ポジション-25cm位抜く
・第 IVポジション-たくさん抜く
楽譜5の下段はスライドしたときのポジションであるが、第 III ポジションを演奏するにはかなりの熟練を要する。というのもかなり思いきって手を伸ばすので、体と楽器の重心を安定させておくことができず、マウスピースと口がずれてしまうのである。バッハもこのことを知っていたと思われることは、第 III ポジションを使う場合はかなりゆっくりしたテンポのときに使われる、といったところから伺える。もちろん例外はありこれが悩みのたねである。実際のところ第 I' ポジション、第 II ポジションでほぼ10cm以内の動きで、近親調の音階(主調 C-dur, 属調 G-dur, 下属調 F-dur, 平行調 a-moll, 同主調 c-moll)をほぼ網羅できる。(ルネッサンス期のスライドトランペットを考えるのに、今我々がふだん使っている全音階で考えるのは少々問題があると思われるが、説明を簡略化するために、そのようにした)
【スライドトランペットの時代的貢献】
さて、そうしたスライドトランペットにどの位の生命力があったかというと、それは非常にはかない。唯一貢献したとするならば、現代のトロンボーン(サックバット)を生み、その発展の歴史に譲ったこと位で、そのものとしては表舞台から去っているである。しかし、バロック期に突然飛び火してバッハが用いたことは、前述したとおり、バッハ自身の信仰心の表われからくる例外的な用法と考える方が理解しやすい。
では、なぜ歴史の表舞台から去ってしまったのであるかというと、それは演奏上の難しさにある。重心の悪さから難しいパッセージの演奏は不可能であり、しかも時代の流れについていけなかったのである。
そしてこれは、私自身の体験であるが、スライドトランペットをいつでもスムーズにスライドする良い状態で管理するのは非常に難しいのである。演奏上難しいのは当り前のうえ、しかも楽器管理で困難を極めるのであれば、練習する気にもならないのが当り前で、その結果、スライドしないのであれば自然倍音のみの、ナチュラルトランペット状態で演奏をしていった方がいいと思ってしまうのである。
【スライドトランペットの欠点とバッハの管弦楽法能力】
スライドトランペットの明らかな欠点は重心の悪さから来るミストーンの多さにある。そんな楽器に対してもバッハは「Tromba da tirarsi」といった指定をしてスライドトランペットを使った。「tirarsi」には、引き伸ばすという意味があり、楽器そのものの名称と形が一致している。しかし、それ以外にバッハは、とても理解に苦しむ指定もしている。46番、67番の「Corno da tirarsi」となると名称と形が一致しなくなってくる。「Corno da tirarsi」を抜き差しできるホルンと考えるより(もちろん製作は可能だが)何とかして自然倍音列外の音も出してくれという、バッハの切なる願いが「tirarsi]のなかに込められていたのではないか。またバッハ自身、リアルタイムで進化しつつある1720年代のトランペット奏者の能力を、すべて理解していたとは考えにくい。たとえば、現代の作曲家であっても、少々古い管弦楽法の本で楽器の可能性を表面的に学び、実はあまりよくわかっていないことが多々ある。そのことから考えても、「半音階も可能」といった、当時の奏者の些細な情報で、バッハは音符を書いてしまい、その後で出せない音符があることに当時の奏者は気がつき「これは困った!楽器の調整でもするか」といった状況が展開していたと考えるほうが面白い。私もそういった観点から「Tirarsi」について考えいくつかのアプローチをしてみた。
【Tromba da Tirarsiの現代的応用】
スライドトランペットの一番大きな問題は可動部分の重量が手で安定されているところよりも大きいところにある。それならば、本来の個性を大切にしつつ、なるべく動く部分の重量を小さくするために、ベルの部分だけ動くようにした。(図5、図1aの部分が動く)これによって重心の悪さからくる問題からは解放され、本当のスライドトランペットよりはるかにミストーンは無くなった。しかも演奏効果はまったく同じであった。(第32回バッハ・コレギウム・ジャパン定期演奏会で使用・・写真8、9、10)
*写真8.9.10.(文末参照)
次に考えたのは現代のトロンボーンのようにスライドする方法である。(図6、図1b、cが動く)これは合理的奏法である。それは歴史が実証している。(トロンボーンがスライド奏法によって現在にまで発展したということ)それは2本で平行にスライドするため1本でスライドするよりも半分の距離で済む。(写真11、12、13)
*写真11.12.13.(文末参照)
しかしこれらの方法(図5、6)は、音孔なしのナチュラルトランペットと、正しい音が当たる確率がほぼ同じなので、音孔をもっている楽器からすれば、正しい音が当たる確率はかなり悪い。そこで次に考えたのがイギリスのフラットトランペットの考えを含めた、しかも音孔を持つ楽器を考えた。(図7は図1abの部分が後ろにスライドし、動く部分に音孔を付けた) これはミスも少なく速いパッセージにも対応できる。(カンタータ12番第7曲目に使用) これであればバッハの、理解に苦しむカンタータ46番、77番などの曲の音符は網羅できる。(写真14、15、16)しかしながら、本来のスライドトランペットより、はるかに機能的であるが、やはり音色的には多少問題がある。この段階までくると、どうしても、機能性をとるか、音楽的音色をとるかに分かれてくる。
*写真14.15.16.(文末参照)
【終わりに】
古楽器を演奏する場合、色々なアプローチの仕方があると思われるが、私は古いものを再生するのではなく、当時の可能性を創造し現代に生かすところにあると考える。以前私はある作曲家から、現代のオーケストラに古楽器をいれて作曲しても構わないかという質問を受けたことがある。残念ながら無知な私は現状では不可能と答えてしまった。しかしバッハが当時のオーケストラにスライドトランペットを入れたということはまさにそれと同じことであり、しかもそれを古い用法にとどまらず新たに展開させているのである。現在我々が「古楽器演奏」と称されるオーケストラで、バッハを演奏するのにピストンまたはロータリーをもった楽器で演奏すれば反則であるが、パイプを曲げたり、スライドさせたり、穴を開けたり・・・等は当時の人たちにもできるし、きっと同じような試行錯誤をしたはずである。ただそれらは歴史の表舞台から姿を消したにすぎず、もし世が世なら現在とは違った楽器史が存在し、いま現在の楽器と形状も演奏法も違っていたかもしれない。
歴史から消滅してしまった楽器、そして現存してしまったバッハの譜面を考え、当時のプレーヤーの英知と技術を、新たに創造することにこそ、とても意味深いものを感じる。なぜなら当時の彼等のやっていたことは古いことではなく技術の最先端を走っていたのである!そして、我々が今やるべきことは、当時のプレーヤーにも、現代の聴衆にも負けないような新たな英知と技術を創造し、現代の音楽に還元していくことが一番大切なことであると考える。
写真 1.2.3.4.
写真 5.6.7.8.
写真 9.10.11.12.
写真 13.14.15.16
参考文献
・D.J.グラウト;西洋音楽史
・アンソニーベインズ;金管楽器とその歴史
・竹本義明;ナチュラル・トランペットとコルネット教本
・日本トランペット協会第3回トランペット・アンサンブル・コンサートandフォーラム
プログラムノート(中山 冨士雄監修)
・バッハコレギウムジャパン第32回定期演奏会プログラムノート
・Musica Rara J.S.Bach Complete Trumpet Repertoire
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