聴講レポート

「“音”と“音楽”の間」 〜ウィーン・フィルのパウカー、ローラント・アルトマン氏の公開講座〜
2000年 11月6日 18:00〜20:20
ヤマハ銀座店3階 管打楽器フロア試奏室にて

 私は大学や社会人のアマチュアオーケストラで打楽器演奏を楽しんできた一般の愛好家ですが、この日、通訳の大任を務められた読響の岡田先生のご紹介で、この貴重な公開講座を拝見させていただきました。素晴らしい企画の実現にご尽力下さった皆様にあつく感謝申し上げます。以下 簡単に今回の講座のレポートと、そこで学び、感じたことを書き記してみたいと思います。

 はじめにアルトマン先生のプロフィールの紹介がありました。その中では、現代作品の演奏などにも取り組まれていることが印象に残りました。続いて今回の講座全般についての説明と確認です。この日使用された楽器はいずれもヤマハ製のティンパニ4台とスネアドラムでした。まずティンパニについて、ウィーン・フィル(以下VPO)では普段は山羊の皮のものを使っているので、この日の楽器のようなプラスチックの合成ヘッドとは違う楽器ですが、とのことわりの上でマレットの説明がありました。歴史的にはマレットはすべて木のものから始まり、皮を一枚巻いたもの→厚い布→フェルトなどを巻いたもの、と多様になっていったが、私は・フランネル生地、・普通のフェルト、・ピアノのハンマーに使われているフェルト(圧縮フェルト)の3種類のものを使っているとのことでした。そして、普段使っている山羊皮の楽器は牛皮に比べて硬いバチで叩いても問題なく調和するので硬めのバチを用いている、とのお話がありました。以上の理由から、この日の楽器では音が少し硬く聞こえるかも知れない、との説明のあと、いよいよレッスン開始です。

 はじめのセクションでは、エチュードをもとにお話が進められました。取り上げられた曲は、VPOの奏者だったホッホライナーの教則本から2台のティンパニ用の15,34番、4台用の54,56番です。いずれも受講生の演奏を聴きながら説明をいただき、時には先生ご自身の演奏も聴かせてくださいました。
 そのご指導を通して痛感したことは、エチュードといえどもそれをいかに音楽的に演奏するか、ということです。すなわち、楽譜に込められた“音楽”をくみ取ろうとする姿勢の大切さ、そしてそのためにこそ様々な工夫・テクニックがある、ということです。先生が提案されるアイディアを取り入れていくことで、受講生の方の“音”が“音楽”になっていく様子が大変印象的でした。音楽的なアイディアの実現のためにこそテクニックがある。そしてそのアイディアをお客さんの耳に届けなくてはならない。それもまたテクニックです。例えば「P」のダイナミクスを出す時、自分の手許ではなく、25列目のお客さんにピアノで聞こえるようにという指示や、アウフタクトを左手、1拍目を右手で叩くようにしてフレーズを意識すること、また、同じトレモロでも作曲家や作品によってその音楽にふさわしい表現のために様々な工夫をする必要があること、などをお話いただきました。
 4台用のエチュードでは、そのエチュードが下敷きとして想定している音楽を意識して演奏することの大切さを説いて下さいました。はじめに取り上げた曲ではR・シュトラウスの『サロメ』の終結部分、次に取り上げられた曲ではワーグナーの『ワルキューレ』や『神々の黄昏』にあるモチーフが盛り込まれていることを、原曲の演奏も交えながら説明いただきました。両曲とも先生ご自身の演奏を聴かせていただきましたが、まさにそのオペラの場面を彷彿とさせる“音楽”になっていてとても感銘を受けました。『サロメ』を下敷きにした曲では、4台を使った早いフレーズを滑らかに演奏するため、楽器の音高による並べ順を逆にすることも一つのアイディアであるとの説明がありました。これはVPOのティンパニが上の2台と下の2台を同じ大きさの楽器を置いているということも関連しているとの補足がありましたが、音楽の表現のためにすべてが奉仕すべきという観点から、常識にとらわれない柔軟な発想が必要だということを教えていただいたような気がします。

 さて、第2セクションはいよいよ実際の曲を題材にしたレッスンです。はじめはベートーベンの『運命』の3楽章から終楽章へのブリッジの部分。ここは「柔らかいバチと硬いバチの両方を持たねばならないところの例」とのことです。
 「スタートのppは、芯がありなおかつ響きのある音にしたいのでフェルトのバチを用いたい。しかし終楽章冒頭のアレグロでは 輝かしい栄光を表現するため、硬いフランネルのものを使いたい。私は音楽的にアレグロでの栄光の表現を重視したいので、VPOでははじめから硬いフランネルのバチを使う。ただしはじめのppではマレットを短く持ち(ほとんど真ん中近く)、力を入れずに落とすような感じでスタートする。場合によっては柔らかいフランネルを使う手もあるし、硬めのフェルトで譲歩することも考えられる」とのことでした。
 続いて手順について。「ppでのソロは“暗闇の中の歩み”のイメージ。片手で続けて叩くことは原則的にはしないのだが、ここのイメージは片手で叩いた方が出ると思う。私は四分音符が続くようになってから8小節で両手にする。アレグロの前ではカール・ベームがやったようなリタルダンドはしたくない。」との説明の後、実際にいくつかのパターンで演奏してくださいました。
 それから受講生の演奏をもとにしたレッスンの始まりです。印象に残った指示をいくつか書きとめてみます。
 ・少しふちの方を叩いてやせた音で寂しさを出してみてはどうか。
 ・「Solo」というのは「一人で」ということではなく「みんなに聞こえるように」と思って叩く。
 ・終楽章の冒頭など、他の楽器と同じようなアーティキュレーションで!
 ・音を止めるか止めないかはオケ全体の音楽がどうなっているかによって判断する。
先生のお考えになった終楽章冒頭の表情づけがホワイトボードに書かれていて、受講生がそれをもとに演奏していくと、みるみる音楽が生気にあふれるものになっていきました。そんな瞬間に先生の発した「そうそう、それが音楽だよ!」という言葉が実に印象的でした。
 このベートーベンのレッスンの最中、余談といった感じで紹介されたティンパニストとトランペット奏者の地位についてのお話も興味深いものでした。「この二つの楽器の奏者でツンフト(同業者組合)に属していた面々は非常の地位が高く高給取りで、そのため、その演奏の伝統や味付けのポイントなどは譜面にすることなく口承されていた。だからそんな時代の流れの中にあったハイドンやモーツァルトのティンパニやトランペットの譜面はとてもシンプルなものである。しかし、この二つの楽器の組合のメンバーはもっと自由に演奏していたと思われる。ハイドンの『太鼓連打』の冒頭などそうとう自由に演奏していたのではないか、とアーノンクールが言っていた。そして、ベートーベンは、彼の世代のころにはすでに失われかけていたその同業者組合の奏者たちの自在な演奏のありようを、自らがかつて耳にした記憶をもとに自作の音符の中に取り入れたのだ。」とおっしゃって交響曲1番の3楽章冒頭を演奏してくださいました。なるほど! と納得した一幕でした。
 『運命』でずいぶん時間を使ってしまったので、実際の曲を題材にしたレッスンはあともう一人だけになってしまいました。二人目の受講生の方は同じくベートーベンの第9の冒頭でレッスンです。おっしゃっていたポイントは、「最初の登場でのaのトレモロはティンパニによるはじめての響きの爆発なのでできるだけ長くしたい。そして次のdの出の前にほんのわずかなすき間を作りたい」「フレーズの中の大切な音を常に意識すること!」「コントラバスに加えてティンパニがきれいな五度をつくるとオケのしっかりした支えになる」「大きめのフランネルのバチならプラスチック・ヘッドにもマッチすると札幌のPMFで指導しながら感じた」などです。
 手許にいただいた資料には他に、第9の2楽章や終楽章、ブラームスの2番の終楽章の譜面がありましたので、是非またこれらの曲の演奏の“極意”もうかがってみたいものです。

 最後の第3セクションは、ワルツのリズムについてのお話でした。この部分の実演とレッスンはスネア・ドラムを使いました。はじめはそのスネア・ドラムの調整について。あらかじめ用意されていた楽器を少し叩くなり「これはスネアの音ではない」とおっしゃってヘッドをゆるめます。「ワイヤーの音だけでなく、皮の音も聞こえるのが小太鼓です」と言いつつ一番ゆるめた状態にまでして、そこから少しづつ締めてこれでよしというところまでくると、あら不思議、何となくVPOのスネアの音になっているではありませんか。まさに「弘法筆を選ばず」といった感じです。そしてワルツのリズムのポイントの説明に入りました。
 最大のポイントは、どんなときでもワルツでは1拍目に重さ(重心)があるということでした。ただ、ヘミオラと呼ばれる3拍子2小節分で大きな3拍子を刻む時だけは例外とのことです。ありがちな間違えとして、装飾音が1拍目以外についているときをあげられました。そんな場合、つい装飾音符がついている拍が何拍目にあっても大きくなってしまいがちですが、先生は「どうして???」と一言。なるほど、要注意な点です。
他に指摘してくださった点を書きとめておくと、
 ・「ワルツのテンポで」の指示の場合、一小節(付点二分音符1つ)≒69のテンポである。
  (“69”という微妙な数字をあげられていたことが印象的でした。)
 ・トレモロがある場合、そのトレモロがどんな音に向かうかによって叩き方は変わってくる。
 ・装飾音は原則として左手。例外もあるが、大切な本体の音に右手が来るようにする。
ホワイトボードに先生が書いてくださった練習曲を演奏していただいたりしてから、資料に掲載されていたエチュードを先生ご自身、続いて大阪からお見えになっていた先生のお弟子さんの女性が演奏してくださり、まだまだお話は尽きない感じでしたが時間切れとなってレッスンは終了しました。実に中身の濃い2時間20分でした。

 以上、レッスンの主な内容をまとめてみましたが、この集中した密度の高いお話の中で常に感じたことは、「楽譜」をいかにして“音”ではなく“音楽”にするか、という「執念」と「こだわり」でした。それは、本物の音楽の素晴らしさを知り、それを伝えたいと心から思うからこその「こだわり」であり、その素晴らしさを私たちに味あわせてくれる偉大なる作品と作曲家への深い「敬意」のあらわれに他ならない、と思います。そしてその先生の思いを本当に受け取るためには、私たち自身の「“音楽”に向きあう姿勢」こそが大きなポイントとなるように感じました。
 普段、身近に聴き、奏でている“音楽”に私たちはどれだけの「敬意」を払っているでしょうか。この講座をきっかけに、一つ一つの音符が、音が語りかけてきてくれる“音楽”に、より謙虚に耳を傾け、楽しんでいきたいと思います。
 アルトマン先生、ありがとうございました。またじっくり、その「技」と「知恵」と「“音楽”への限りない愛情」にあふれたお話を聞かせていただける日を楽しみにしています。

(矢口 真)(2000年11月29日記)
*打楽器協会の会報誌用原稿として作成

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