Get a chance! ... 会計室ばいーん。 扉が蹴破られ、ナイショだが理事長の和希が会計室に転がり込んできた。 「クマを見なかったか!!!」 「・・・・・」 「・・・・・」 和希を迎えたのは二人分の沈黙。 作業の手を止めて顔を上げた西園寺と七条が、驚いた風もなく扉の方を見遣る。 「クマだっ、俺の!!」 「見ていませんが・・・ねえ、郁?」 「ああ、知らないな」 温度の低い調子でそれだけ答えた二人が、作業に戻りかけたそのとき。 「和希―! お前走るの速いよっ、ていうか普段より絶対速かったよ!」 遅れて啓太が会計室へ飛び込んできた。 すると突然華やぐ会計室。空気の色さえ変わったようだ。 和希が尋ねたときには作業の手を束の間止めて、興味なさげに見遣っただけの二人だったが。 「少し疲れた。お茶にしよう、臣」 すっくと西園寺が立ち上がり。 「ええ。伊藤くん、ケーキとクッキーとどちらがいいですか? ああ、そういえば今日は和菓子もあるんです。芋羊羹とねりきりと・・・」 七条に至ってはいつの間にやら啓太の脇に立ってその腰に手を回して、いそいそとソファセットの方へと誘っている。 待遇の違いと大事な啓太をひょいとつまんで持っていかれた心地と、どちらの不条理を先に主張したものかと一瞬悩んだ和希だが、どちらにしても反感を向ける先は変わらないことに気が付いて半眼になる。 まったく、油断も隙もありはしない。 早足で後を追ってソファセットに向かった和希は、ぐいと両肩を引き寄せて啓太を七条の手から奪還すると、 「それじゃあ遠慮なく芋羊羹を貰おうかな。ああ、和菓子なら紅茶より断然緑茶だろう。ここには玉露は置いてあるかい?」 一気に云ってにっこりと、七条顔負けの似非爽やかな笑顔を七条に向ける。 「・・・つくづく大人げない人ですね。生徒同士の微笑ましい交流に割って入るだなんて」 「なんとでも云ってくれ、ちなみに俺も今は一生徒だ」 「・・・・・」 顎を上げて云い放つ和希を片眉を上げてしばし見遣り、やれやれ、と肩を竦めてかむりを振って、七条がお茶の準備をするために踵を返す。 これじゃあどっちが大人だか分かんないよ、と無言ながら眼差しで告げて斜め下から見上げてくる啓太には似非ではない心底からの笑顔を向けて、和希は小首を傾げてみせた。 「啓太は誰のもの?」 「な、なんだよ急に・・・そんなの・・・云わなくたって分かってるだろ」 「分かってても、言葉で云って欲しいときがあるんだよ。な、啓太」 「だ、だからってなにもこんな、会計室でそんな話、しし、しなくてもっ」 「俺はいつだってどこでだって聞きたいよ? 啓太の声でさ・・・啓太が、一番好きなのは誰?」 「もう和希ってば!」 コホン。 咳と云うよりも存在主張。 咳までも凛々しい気のする西園寺が、いつの間にやらテーブルを挟んだ対面に立っている。 眇めた目許は涼やかに美しいが、涼やかで美しい分恐ろしく迫力がある。 その迫力に思わず黙った和希を、凄絶な笑みを刷いた女王様は睥睨し。 「望み通り芋羊羹と玉露でもてなしてやる。そこに座って大人しく待っていろ」 最期の望みを聞いてやる。慈悲をありがたく思え。 そう告げるのと同じ口調で歓迎の意を告げる。 和希と、その隣にいたがためにうっかり流れ弾に当たってしまったような状態の啓太は、がくがくと大人しく頷き合って、くずおれるようにふかふかのソファに身を沈めた。 「理事長室の窓から落としたのなら、中庭に落ちているんじゃありませんか?」 「真っ先に行ってみましたよ。でもなかったんです」 玉露の持つリラックス効果か、鈴菱口調から遠藤口調に戻った和希が嘆息して湯のみをすする。 本当ならば和希としては、クマはとりあえず後回しにして啓太を悦ばせたり啼かせたり泣かせたりを続行したかったのだが、当の啓太の気がすっかり逸れてしまったのだから仕方がない。 ショックを隠せない様子で「でもクマが・・・」と顔色を白くする啓太に無理強いなんてとてもとてもできる筈はなく。それじゃあ先にクマを拾ってこようということになって。 そうして二人で理事長室の窓の下になる中庭の一角まで行ってみたのだが、一帯のどこを探しても、青いクマのぬいぐるみは見付からない。 それではと、学内の機密事項からしょうもないゴシップネタまで、情報収集能力が一番高そうな場所といえばここかなと思って殴りこんできた訳だがしかし。 「ですが、この学園の生徒でしたら、あの青いクマが理事長の形見・・・失礼、身代わりだということは全員が知っている筈ですし」 器用な手付きで啓太の為に芋羊羹を取り分ける七条と。 「少し待っていれば誰かが拾ってそのうち理事長室に届けるだろう。騒ぐほどのことではあるまい」 繊細なティーカップを優雅に傾けて紅茶を楽しむ西園寺。 ・・・あくまでクマを探すことには消極的な会計部である。 と。 ぴろろろぱぴぽーん。 和希の胸許から、気の抜ける音階が鳴り響いた。 「おや、変身ですか?」 「しませんよそんなこと」 本気やら冗談やら分からない七条のツッコミをかわしつつ、和希が制服の内ポケットから携帯を取り出す。 液晶に表示されているのは第2秘書の名前。この名前で携帯に連絡が入るということは、急ぎで対応が必要な仕事が入ったということだ。 「あーもう!! ・・・・・ああ俺だ。どうした?」 呪わしげに一声上げてから仕事の話を始めながら、和希がソファから立ち上がる。 表情と動作とで啓太に謝りながら、抜け落ちそうなほど後ろ髪を引かれながら、和希はそのまま扉の方へと歩き出した。 それぞれのカップと湯飲みに口を付けながら無言でその背を見送る一同の前で、扉が開かれ、 「だから立ち上げは来月からだと云っただろう。一度」 和希が出て行ってぱたりと閉じる。 「月例作業分を動かしてみないことにはバグの洗い出しは・・・・・」 徐々に遠のく理事長の声が悲しい。 「・・・行ってしまいましたね」 「ああ、慌しいことだな」 和希の声が完全に聞こえなくなる頃、西園寺と七条はカップと湯飲みをテーブルに戻しながら、正面に顔を向けた。 「そう、ですね・・・」 視線の先で、まだ玉露にも芋羊羹にも手を付けていない啓太がしょんぼりと頷く。 和希が出ていってしまった扉からなかなか外せないでいる眼差しがひどくせつなげで、答える声の覇気の無さも、啓太らしくないことこの上ない。 「でも・・・仕事が忙しいのはしょうがないですよね」 理事長だなんて、ただでさえ忙しい筈なのに和希は学生までやってるんですから、と。 自分に云い聞かせるように元気を取り戻せないままに笑ってみせる啓太を、石でも飲み込んだような表情で西園寺と七条が見詰める。 そんな寂しそうな顔は、僕ならば決してさせないと誓えるのに。 だからあんな厄介な男はやめておけと云うのに。 幸せでいるならば見守っていることも吝かではないけれど。 好きな相手が幸せでいればそれでいいなどと、そんな綺麗事には興味はない。 こんな風に隙を見せられては、黙って見てはいられなくなるじゃないですか。 余裕のつもりか抜けているのかは知らないが。 ねえ、遠藤くん? チャンスは生かさせてもらうぞ、遠藤。 さして困ってはいない癖に困った様子でため息をつく七条と、不敵な笑みでフンと鼻で息をついた西園寺。 二人は揃って静かに立ち上がって。そうして。 ぼんやりと、思わしげにテーブルの上の芋羊羹を眺めていた啓太の両サイドのスプリングが。 ゆわり、と左右同時に不安定に沈んだ。 「っえ? ・・・っ、え? ええっ?!」 はたと我に返った啓太の右には悪魔、左には女王様。 にこやかな悪魔と、艶めいた表情の女王様の、どちらがより質が悪いのだろうかなんて、考えている暇もなく。 「伊藤くん、芋羊羹がまだ手付かずですね。食べさせてあげましょうか?」 「啓太は良い香りがするな」 「ぅ、え・・・いえあのっ、俺自分でっ」 「そうですか? では、僕のねりきりを一口いかがですか?」 「柔らかくて・・・手触りもいい。ああ、思った通りだ。啓太は猫毛なんだな」 「さ、ささ、さ、西園寺さんもっ、あのっ」 「はい、口を開けてください伊藤くん。落としてしまいますから・・・さあ」 「今度私が洗ってやろう。仔猫を風呂に入れるような気分だが・・・悪くない」 会計部には。 特定の相手がいるから諦めるなどという、しおらしさを持つ人間は一人もおらず。 本当に欲しいものは、欲しいからという当たり前の理由で、手に入れる努力を常に怠らない。 「当たり前だな」 「当然ですね」 お互いの眼の中に自分と同じ意思の光があることを確かめて。 No1とNo2は至極当然と頷き合った。 すべては自分の欲望と。 こうしてまだ手の届くところにある、最愛の彼の心のままに。 ところで後日、確かにクマちゃんは理事長室に届けられた。 なぜかその顔は微妙にしっとり濡れていて、歯型なんかも付いていて。 改めてもう一度、虫干しが必要なようである。 |