Get a chance! ... 学生会室こんこんと響いたノックの音に、滑らかにキーボードの上を這っていた中嶋の指が止まる。 そうしてゆっくりと顔を上げて、右手の人差し指でシルバーフレームのブリッジに触れながら扉を見遣り、 「誰だ」 ナチュラルに偉そうに発した声には、すぐに返答があった。 「遠藤と伊藤です」 なにを慌てているのかと、聞こえた和希の声の調子を訝しく思いながら。 「入れ」 中嶋はどこまでも偉そうな命令口調を返す。 失礼しますと扉が開いて、入ってきたのは先に名乗った二人。 前髪を軽く払いながらその様子を眺めていると、あの・・・と啓太が少々慌てた様子で話を切り出した。 「中嶋さん、クマを知りませんか?」 クマ? 丹羽のことか?と一瞬思うが、啓太があれをクマ呼ばわりするとは思えない。 とするとどこのクマのことやら見当がつかず、中嶋は軽く眉根を寄せて問い返す。 「クマ?」 「青いクマのぬいぐるみです。理事長代理の」 「ああ、あのクマか」 「知ってるんですかっ?!」 色めき立って詰め寄る和希と啓太の勢いに、僅かに驚いた風に眼を見張った中嶋だったがそれも一瞬のこと。 フフンと鼻先で笑ってやって、 「そうだな・・・丹羽を捕まえてきてくれたら、教えてやる」 応えて、にやりと口端を歪める。 「和希! 中嶋さん知ってるって!」 「意外だったな、一番縁遠い場所だと思ったんだけど」 「でも見付かったんだからラッキーだろ! 行こう和希!」 「ああ。それじゃ中嶋さん、俺たちちょっと王様を探しに行ってきます」 和希と啓太は頷き合って踵を返して、中嶋の返事を待たずにキング捕獲の為に、勇んで学生会室を飛び出した。 その背を見送った中嶋は満足そうに口許で笑んで、 「・・・単純だな」 と呟き、軽く前髪をはらってから。 作業が途中のノートパソコンへと意識を戻した。 啓太と和希がまずやってきたのは海。 こんな、真っ先に探しに来るような分かり易すぎる場所になんて、いくらなんでもまさかいる筈がないよなあと思う傍から啓太の強運が発動したのか、和希と啓太は波打ち際にあっさりと丹羽の姿を見つけた。なにをするでもなく、砂浜に仁王立ちして海を眺めているようだ。 「やった! 王様発見!」 「なんていうか・・・おおらかというか単純というか・・・」 すぐに見付かったのは喜ばしいことだが、これが我が校の学生会長かと思えば理事長的にはどこか素直に喜べずに、ひっそりと和希が嘆く。 「見付かったんだからラッキーだろ。ほら、捕まえるぞっ、和希!」 「そうだった。早く王様を捕まえてクマを見付けて、続きだ続き!」 「な、なに云ってんだよ和希はっ!」 「いてっ! ・・・・・たまに強暴なんだよな啓太は・・・」 テレ隠しにしては少々勢いの良すぎる拳で殴られた頭をぽりぽりとかきながら。 丹羽に向かって突進して行く啓太の後を、ゆっくり歩いて和希が追う。 「王様―!」 「・・・ん? なんだ啓太か」 振り返った丹羽は、飼い主を見つけた仔犬の様相で自分に向かって一直線に走ってくる啓太を見付ける。 「どうしたよそんなに急いで、俺になんか用でもあ・・・うをっ!?」 走ってきて目の前で止まると思っていた啓太が、目の前では止まらずにそのまま飛びついてくるに至り、驚いた丹羽は奇声を発して固まった。 BL学園の王様は意外と純情なのだ。 他の、例えば中嶋や七条や成瀬であれば、啓太のほうから飛びついてくるという美味しいシチュエーションを上手く発展させられるのだろうが、相手が朴訥な丹羽では、そんな展開はまず望めない。 案の定丹羽は、躓きでもしたのかと啓太の両肩を掴んで僅かに自分から身体を離させ無事を確かめるよう上から下まで眺めた後で、ようやく啓太の顔を覗き込む。 「どうした、大丈夫か、啓太」 「大丈夫ですよ。そうじゃなくて、今日は俺、王様のこと捕まえに来たんです」 「なんだそりゃ俺を捕まえにって・・・・・ああ、中嶋か?」 「はい。一緒に来てくれますか?」 にっこりと。 ただの後輩で済ませるには少々気になりすぎている相手に、笑って右手を差し出されれば、それを取らない訳にはいかず。 待っているのが苦手な事務処理とは分かっていても、仕方ねえなと苦笑した丹羽は、すんなりと啓太の手を取って捕獲された。 「中嶋さん! 王様捕まえてきました―!」 「捕まえてってお前・・・」 俺は珍獣かなんかかよと、情けない顔で啓太に手を引かれた丹羽が学生会室の扉をくぐる。 逃がさないためにか無意識にか、やんわり繋がれた啓太の手のひらから伝わってくる体温はひどく心地よく、どうにもこうにも逃げる気にはなれない学生会長だ。副会長はつくづく人事を心得ている。 「じゃあ、王様はここです」 仕事サボったりしちゃダメですよ? と、頼まれていない念まで押して、啓太は丹羽を会長席に座らせた。 これで今日1日は会長のサボりを封じたも同然である。副会長はつくづく人事を(略) 「それで中嶋さん、クマは」 役目は果たしたのだからと、早速啓太が中嶋に問うた。 すると。 「知らないな」 「は?」 「へ?」 予定外の返答に、和希と啓太は同じ顔をしてぽかんとする。 その並んだ無防備な顔を酷く愉しげに見返して、顎を上げた中嶋は重ねて応えた。 「クマを知っているかどうかという問いだったろう?」 だから、答えは「知らない」だ、と。 一瞬、部屋の空気が白くなった。 誰がどこにどうツッコミを入れたものか、誰も判断ができずに石になる。 それは確かに、尋ねた言葉は「知っているかどうか」という問いだったかもしれないが、その意味するところは、欲しい答えは、知っていることを前提としたその先にあるのだということくらい、誰にだって分かるだろうにというか中嶋は絶対分かっていた筈で分かっていた筈で分かっていた筈で・・・だというのにそのうえで! 「こ、このくそガキ・・・」 「なにか云ったか、遠藤」 「いーえ、なんにも!」 思わずぽろりと本音を漏らした和希だが、ここで愚痴ってもなんとかの遠吠えにしかならない。 せめて潔くと、八つ当たりめいた満面の笑みで首を振るが、直球勝負の啓太の方はそうはいかない。 「し、知らないって・・・知らないって中嶋さんどうしてですか!だって教えてくれるって云・・・っ」 「啓太、いいから。帰るぞ」 「帰るって和希、どうして! 中嶋さんっ、ていうか王様―!」 なんとかしてください―! と空しい残響を残しながら、和希に引っ張られて啓太は学生会室を出て行った。 「中嶋、お前・・・」 まーたなんかやりやがったのかと、事の詳細は知らないながらもなんとなく正しい経緯を予想した丹羽が、控えめに突っ込む。 「なにもしていないさ。俺は聞かれたことに答えただけだ」 すまして答える中嶋の口許辺りに、常とは違うテンションの高さを読み取って、丹羽は思わず苦笑いだ。 どうやら理事長をやり込めたことを悦んでいるらしい。 しかも啓太の目の前で、というオプション付きで。 「聞かれたことにだけしか答えなかったのが問題なんだろ。ったく・・・遠藤といい七条といい、なんだってそう無駄に敵を作るんだよお前は」 仕方なさそうに、それでもどこか楽しげにぼやく丹羽には、口端で軽い笑みを返しておいて。少しだけ考える。 無駄に争っている訳ではないのだ、おそらく。 会計部の犬にしても生徒の振りをした理事長にしても、どこかしら自分と似通っている部分がある。だからぶつかる。 力を注ぎたい部分と、我関せずでいられる部分。気に入らない相手の陥れ方も、それから・・・気に入る相手までも。 啓太には、 「似てるってことは、気が合うってことじゃないんですか?」 とそういえば不思議そうに問われたことがあるが、中嶋に云わせればそんなことはありえない。 啓太に同じように問われた場合、他の二人が中嶋と同じように答えるであろうことも分かるが、分かるだけで、相容れはしない。 だから。 今、理事長が味わっている憤慨も手に取るように分かるから、愉しくて仕方がないのである。 まあ、一時とはいえ、啓太を攫っていったのだから。 相応の覚悟はしてもらわなくては困る・・・なあ、遠藤? ささやかな意趣返しの成功にフフともう一度目許を和ませてから中嶋は、画面に並ぶ数値へを意識を切り替えた。 後日。 クマちゃんは落し物として理事長室に届けられた。 なぜかその顔は微妙にしっとり濡れていて、歯型なんかも付いていて。 改めてもう一度、虫干しが必要なようである。 |