あなたのとりこ秋の足音が聞こえはじめてるというのに、丘の上のこのカフェまで歩いてきたら、汗ばむくらいだった。 オープンカフェの隣りのテーブルでは、老婦人が静かに本を読んでいる。 俺の手元には、日差しに透き通ったアイスティー。 「七条さん、アイスカフェオレなんですね」 俺の言葉に、七条さんは、微笑みながら少しだけ首を傾ける。 「会計室では郁の希望でいつも紅茶を入れていますが、僕はコーヒーも結構好きなんですよ」 グラスを手にするその中指には、シルバーとおぼしき大ぶりの指輪。 ・・・七条さん、指輪なんてするんだ・・・。 「気になりますか?」 「えっ」 俺はどきりとして、視線を七条さんへ戻した。七条さんが、悪戯っぽい目で俺を見てる。紫の瞳は俺のことなら何でも見透かしてしまうんだろうか。 「あ、いえ・・・七条さんが指輪してるの、初めて見るな、って」 七条さんはくすりと笑うと、指輪を外した。俺の前に置かれた指輪は、重量感と共に鈍い光を放っている。俺は指輪を手に取った。燻された黒と銀色の美しいコントラストに、クロスのモチーフ。ごつごつしているそれを、七条さんと同じように中指にはめてみる。 ・・・う。 七条さんと俺とでは大分サイズが違うのだろう、指輪が泳いでしまった。 俺は大きく手を開いて、柔らかな午後の日差しにてのひらと指輪をかざす。銀のフォルムが光を反射した。 「いつも学校や寮では、手の回りにつけるアクセサリーや時計は外しています」 七条さんは指輪をはめたままの俺と、てのひらを合わせてきた。七条さんの手は綺麗で、細くて長い指、っていうイメージなのに、俺とひと周りくらい手の大きさが違う。身長差のせいだ、そうだ、そうに違いない。 「特に僕はこういったボリュームのあるデザインが好きなので、どうしても普段は邪魔になってしまうんですよ」 キーボードにも当たっちゃいますしね、と、俺の指で泳ぐ指輪を、七条さんが人差し指でごろごろと回した。 「綺麗な指輪ですね。七条さんに、すごく似合ってると思います」 「ありがとうございます。自分が気に入っているものを好きな人に誉められるのは、とても嬉しいですね」 さらりと言われた言葉。どきりと心臓が跳ねる。俺は黙って指輪を持ち主へ返した。 きっと今真っ赤なんだろうな、俺。からかわれてるだけだ、って、頭では解ってるんだけど。 持ち主の指へと、指輪が収まる。やっぱりこういうのが似合うのは、雑誌とか街で見てても七条さんとか、王様とか中嶋さんとか、ああいう背が高かったり、ガタイのいい人だよな。個人差って言えば聞こえが良いけど、やっぱりため息がでちゃうよ、男子としては。 「あーあ、俺もこういう指輪が似合えばいいのに」 「おや、伊藤くんもこういうデザインがお好きなんですか?」 「憧れますけど、・・・俺にはちょっと似合わないかな、って。」 サイズ的に、とは言いたくない。なけなしのプライド。 「そんなことはありません。伊藤くんにもきっと似合いますよ」 「そうですか?」 「ええ」 「そうかなあ・・・」 俺はアイスティーのストローを回した。からり、と氷の涼やかな音がする。 穏やかな、晴れた午後のひととき。 七条さんは、目を細めながら優しい瞳で俺を見る。 「では、指輪ではなくて他のものにしてみてはいかがですか?」 「他のもの?」 「例えばウォレットチェーンとか・・・そうだ」 七条さんは、自分の首元に手をやった。微かに金属の擦れ合う音がする。 「はい、これ。試しに、僕がしているネックレスをしてみませんか」 七条さん、ネックレスもしてたんだ。・・・今日は驚くことが多いかも。 受け取った鎖型の長いチェーンの先には、シルバープレートと百合の紋様のペンダントトップが揺れていた。 ・・・・・・金具のここを動かせば開くと思うんだけど。 なん、か、うま、く、ひらか、ない―――! 耐えられなくなったのか、くすっと笑い声をもらした七条さんが、黙って手を差し出す。俺も、ちょっと困っていたので素直にチェーンを差し出した。 立ち上がって俺の後ろに回り込んだ七条さんは、慣れた手つきでネックレスを俺の首へ留める。ほんの一瞬だけ、ひやり、と感じた銀の冷たさは、あっという間に俺の肌になじんでいった。 ネックレスなんて妹が置き忘れたのを目にする程度だったから、なんだか不思議な感じだ。さらにあいつはあの長い爪でこの金具をどうこうできるというんだから、俺からすると神業としか言いようがない。 「いかがですか?」 七条さんは、伺うように俺の顔を覗き込んだ。その近さに、思わず息を飲む。些細な仕草に、俺ばかりがこんなにどきどきしているのは、なんだか、ずるい。 「な、なんだか、慣れないせいか・・・照れくさいような・・・」 プレーンなプレートのペンダントトップは、傷だらけだったけどよく磨かれていて、大事にしてるものなんだろうってことはすぐに解った。きっと、この刻まれた傷には七条さんの毎日が、たくさん詰まってるんだ。 「よく似合ってますよ」 七条さんのお気に入りのものに触れているということが、俺の胸を騒がせる。 「本当ですか?じゃあ、俺はネックレスから始めてみようかな」 こんなに浮かれてしまってることが、どうか、七条さんにばれませんように。 「気に入りましたか?」 「はい!」 七条さんはアイスカフェオレを手にとって、あっさりと言った。 「では、それは伊藤くんに差し上げます」 「え・・・っ・・・?」 ―――――ではそれはいとうくんにさしあげます。 「ええっ?!」 ストローを口に含んだ七条さんが、視線だけで頷いた。 「し、七条さん・・・だってこれ、すごく大事なものみたいですし、愛着があるものなんじゃ・・・」 「確かに愛着はありますが、伊藤くんが身につけてくれるんでしたら」 お願いですから、 「でも・・・なんだか悪いです・・・」 これ以上俺を、図に乗らせないでください。 「僕の代わりに、大事にしてくれるんでしょう?」 「それは、もちろんですけど・・・」 「では、どうぞ」 俺は再びペンダントトップに触れた。こともなげに言われた言葉と指先に触れたシルバープレートの感触が絡みあって、じわじわと嬉しさがこみ上げてくる。 「・・・ありがとうございます・・・大切にします!」 「僕も、そんなに喜んでもらえて嬉しいですよ」 七条さんは、俺の首にぶら下がっているペンダントトップを掴んで、軽く引っ張った。 「なんだかこうしてると」 「?」 「虜、って感じですね」 うわ―――――――――! 「し、七条さん!?」 本を読んでいたはずの、隣のテーブルの老婦人と目が合った。ていうか、そこで微笑まないで、おばあさん! 「ふふ、冗談です。やっぱり僕が最初に言ったとおり、よく似合ってますよ、伊藤くん」 「そ、そうですか・・・」 からかわれてるだけだ、って、頭では解っていても、まだまだ七条さんの方が上手のようだ。 ・・・よーし。 俺はわざと不機嫌そうに、チェーンを引っ張る七条さんの手を掴んだ。 「このネックレス、お返しします」 「えっ・・・?」 挙を突かれたような、七条さんの顔。作戦成功。 紫の瞳に見透かされないよう、俺は視線をそらした。少し黄色くなった街路樹が、ゆったりと秋風にそよぐ。舞い落ちる葉と共に、静かな時間が流れる。 「・・・チェーンなんてなくても、俺は七条さんから絶対に離れたりしませんから」 ちょっと、いや、かなり恥ずかしかったので、漏れた言葉はささやきに近かった。 俺は、七条さんをちらりとのぞき見る。七条さんからは、何の表情も読み取れない。 ―――あれ。ひょっとして聞こえなかったのかな。同じ事を二回言うのは、ギャグのオチを自分で説明しちゃうくらい、恥ずかしいんですけど。 「・・・あ、あのー、七条さん?」 心配になって、思わず顔を近づけた。 ちゅ。 はい―――――――――?! 「し、七条さあん!!!」 俺は、片手で口をふさぎ、見えなくても解るくらい真っ赤になって叫んだ。 やっぱりこの人には敵わない。 ってか、おばあさん、そこ笑うとこじゃないですからー!! |