Sloppy Drunk
I would rather be a sloppy drunk than anything I know. (Jimmy Rogersの唄)
初録音がだれで、いつのことなのかはひとまずおくとして、ことブルーズ系の歌手に取り上げられたものに限ってみれば、1930年3月、アラバマ出身という触れ込みの女傑Lucille Boganによるシカゴ録音が最も古いように思う。ピアノのCharles Averyをバックにゆったりとこぶしを回して歌い上げるこの作品、なかなか素晴らしい味に仕上がっている。 さて、その半年後、同じシカゴでLeroy CarrとScrapper Blackwellの超売れっ子コンビがこの唄を取り上げた。左手のベースパターンは、カーによってロックンロールといっても通用するくらいの8ビートのウォーキングベースへと進化し、ぐいぐいと背中を押し出すようなビートの原動力となる。このバージョンの成功以来、この"Sloppy Drunk Blues"はアップテンポで押しの強いビートのダンスナンバーとして定着することになった。(ピアノブルースとしてのフォロワーでは、Walter Davisによるアンサーソング"Sloppy Drunk Again"(1935年)が有名。ちなみにこの演奏は、ワンコードで一コーラスが10小節半という変則形だ。) しかし、よく考えてみると、いまだ禁酒法(1920〜1933年)の施行されている時代に"ヘベレケになってやる〜"もないもんだとは思うのだが、禁酒法自体、”酒の製造、販売、運搬、輸出入を禁止した法律で、飲酒を禁止する法ではなかった”そうだから、とくに問題にもならなかったのだろうか... そこで思い当たるのが、ジャイヴユニットWashboard Rhythm KIngsによる1932年11月の録音。そろそろ先の見えてきた禁酒法を揶揄したアレンジだと考えられなくもない合いの手を入れた楽しいナンバーに仕上がっている。
禁酒法賛成論者の皆さん 主にはピアノブルーズのモティーフだったこの曲をバンドスタイルのスタンダードとして、さらにハープのスタンダードとしてよみがえらせたのが、天才John Lee "Sonny Boy" Williamson。1941年7月2日、ピアノにBlind John Davis、ベースにRansom Knowlingを従えたブルーバードへの録音、さらにその6年後の1947年11月12日、ドラムを加え、オンビートを強調した名作"Bring Me Another Half A Pint"としての再演によって、この曲のスタイルは完成された。もしこのセッションがサニーボーイのラストセッションにならなかったら(蛇足ながらサニーボーイは、この後1948年6月1日未明、暴漢に襲われ、落命した。)、この曲はさらにどのように成長していったのだろう。残念でならない。 件のJimmy Rogersの名演でさえ、サニーボーイの"Bring Me Another Half A Pint"を1954年に再現することを目指していたことが、Jimmy Rogers本人のギターにも、Little Walterのハープにさえもあらわなのだから...
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