Masks of NYARLATHOTEP (ニャルラトテップの仮面)
登場人物
名前
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備考
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ロジャー・カーライル(NPC)--死亡?
24歳、男性、アメリカ人
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ニューヨークのプレイボーイ。百万長者。
カーライル探検隊の隊長
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サー・オーブリー・ペンヒュー(NPC)--死亡?
54歳、男性、イギリス人
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イギリス人貴族。有名なエジプト通。
ペンヒュー財団の設立者。大金持ち。
カーライル探検隊の副隊長
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ヒパチア・マスターズ(NPC)--死亡?
27歳、女性、アメリカ人
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社交界の美人。カメラマン。
マスターズ家の財産の跡取娘。
カーライル探検隊の記録係り
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ジャック・”ブラス”・ブレディ(NPC)--死亡?
36歳、男性、アメリカ人
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カーライルの友人。カーライルのボディーガード。
カーライル探検隊の他の雇われ人のマネージャー。
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ロバート・ヒューストン(NPC)--死亡?
52歳、男性、アメリカ人
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成功した精神分析医。カーライルの主治医。
治療のためカーライル探検隊に同行。
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ジャクソン・エライアス(NPC)--死亡
38歳、男性、アメリカ人
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探索者の友人。オカルト関係専門の作家。
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ジョナ・ケンジントン(NPC)
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プロスペロ・プレス社社長。
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エリカ・カーライル(NPC)
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ロジャー・カーライルの妹。カーライル家当主。
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マーティン刑事(NPC)
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NY市警刑事。
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ミリアム・アットライト(NPC)
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ハーバード大学図書館 司書
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エイドリアン・フェリス(NPC)
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NY州医務局 事務官
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サイラス・ンクワイネ(NPC)
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ジュジュハウス オーナー
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探索者達
名前
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備考
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王 貞治(PC:のの若)
30歳 男性 中国系アメリカ人 SAN=70 |
革命家。孫文の三民主義に傾倒。
母国に渡り、革命に参加することを熱望。 |
スティーブン・スティーブ(PC:笠氏)
29歳 男性 アメリカ人 SAN=60 |
犯罪者 |
バリー・ホッカー(PC:山口氏)
34歳 男性 アメリカ人 SAN=55 |
自称弁護士(ただし高卒) |
ランディ(PC:原氏)
21歳 男性 アメリカ人 SAN=55 |
タブロイド誌記者 |
スコット(PC:のの老)
58歳 男性 アメリカ人 SAN=50 |
三文文士 |
ナタリー(NPC)
28歳 女性 イギリス人 |
スコットの家のメイド。だが誰も彼女の家事をしているところを見たものはいない。
そして、なぜか武器のプロフェッショナル。
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チャールズ(NPC)
34歳 男性 イギリス人 |
ナタリー目当てにスコットの家にいりびたっているなぞのイギリス人。
役に立たないというより常にトラブルメーカー。
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第1章「NewYork」 - リプレイ -
1925年1月10日
スコットは古くからの友人であるジャクソン・エライアス(友人 ジャクソン・エライアスについて君が知っていること)
から1通の奇妙な電報(ワールド・テレグラフ・サービス)を受け取った。ジャクソンは秘密の宗教や暗殺教団
を専門に執筆する一匹狼のノンフィクション作家であり、今まで仕事に関して誰かの手を借りるようなことは
無かった。それがよりにもよって探索チームを組織してくれとは....
スコットは親の残してくれた財産のおかげで、特に生活に不自由することなく、ニューヨーク近郊の少々古
ぼけてはいるが快適な屋敷で趣味の執筆活動をしていた。屋敷が少々広かったことや、彼の人当たりの
せいもあり、屋敷には探索チームを作るのに十分な友人が揃っていた。
まず、弁護士のバリー。実際には誰も彼に弁護士としての仕事を頼んだことはないのだが、スコットとは妙
に気が合い同居している。いつか法律の力を借りなければならないときに役に立つ日がくるのだろうか。
そして雑誌記者のランディ。スコットがたまに怪しい記事(雪男の頭の皮だの、幽霊を見ただの、人を食べ
ただの)の記事を書かせてもらっているニューヨーク・スポーツの記者だ。彼はエライアスとも面識があるし、
とにかくマスコミにはコネがある。
そしてもうひとりの同居人ステイーブ。彼は何を仕事にしているのかわからないが、夜によく出かけている。
少々うしろめたいことがあるのか、警察をいつも気にしているようだ。
おそらく裏世界の人間なのだろう。そういう人間も探索チームには不可欠だろうというスコットの判断で探索
チームに加わる。
そして王。よくわからない主義主張を大きな声で繰り返すこの東洋人は、この探索チームの話を聞いたとたん
その情熱の全てを傾けるかのごとく、参加してきた。
探索チームにはあと、メイドのナタリーを連れていく。料理も洗濯も掃除も全くといっていいほどできない不
思議なメイドだ。なによりアメリカ人を見下している。そして彼女の部屋は彼女がこの屋敷にきてからという
もの、開かずの間になってしまった。この不思議なメイドをなぜかスコットは気に入り、彼女もこの屋敷での
仕事が気に入っているようだ。どうにかこうにかスコットは探索チームを結成した
。
おっと忘れてはいけない。正式な探索チームではないのだが、もうひとりいつも金魚のふんのように彼らにまと
わりついているイギリス人がいる。チャールズだ。どうやらナタリーが目当てでしょっちゅうこの屋敷に沸いて
でる。不思議なのは、みんながどこにいても、いつも突然現れ、話に加わること。そして誰も彼が入ってきたこ
とに気がつかないことである。彼はいったいなにものだのだろうか。
1925年1月11日
カーライル探検隊について、探せるだけの資料を漁る。
幸いなことにかの有名なカーライル探検隊事件については、豊富な新聞記事@、A、B、C、D、E、F、G
があるため、ランディのこねもありたっぷりと資料を入手した。
この日はこの資料の理解と、明日からの作戦を練ることに終始した。
1925年1月12日
手分けしてカーライル探検隊のメンバーおよびエリカ・カーライルを調べることに。
しかし、この時代、個人記録は意外なぐらい存在せず、今日一日でわかったのは、
ローバート・ヒューストン医師についての記録(プロフィール)と、エリカ・カーライルについてだけである。
ただし、エリカ・カーライルについては、その屋敷の場所ときわめて簡単なプロフィールだけで、
たいしたことはわからなかった。
1925年1月13日
今日は図書館技能の高いものを、重要度の高い順にぶつけてみた。
これによりなんとかロジャー・カーライル(プロフィール)、ヒパチア・マスターズ(プロフィール)、
ジャック・ブレディのプロフィールについては情報を入手することができた。しかし、あろうことか、
副隊長ペンヒューに関してはまたしても図書館ロールに失敗し、明日へもちこしになってしまった。
ペンヒューの壁高し。
1925年1月14日
今日はやっとペンヒューについてのプロフィール情報を入手する。
また、知り合いでもあるスコットが、プロスペロ・プレスの社長で編集者でもあるジョナ・ケンジントンへ電話
をかけてみた。
ジョナは、いつも一匹狼のエライアスが、スコットに助けを求めていることに異様さを感じているようでもあっ
たが、結局それいがい対した情報はもっていないようだった。
1925年1月15日
昼過ぎにエライアスからスコットに電話が鳴る。
エライアス「夜8時にチェルシー・ホテルの410号室で会おう。」
そう、一方的に話すと電話は切れてしまった。
その後ホテルに電話するも、エライアスは不在。念のためにジョナにも電話してみたが、彼も不在だった。
ジョナからの連絡を待つためにランディが留守番に残り、他のメンバーは少し早めにチェルシーホテルへ
向かった。
予定よりも30分早くホテルについた探索者達は、ホテルのドアをノックした。
が、返事が無い。しばらくスコットが
スコット「おーい、エライアス! いるんだろ!」
と問いかけたり、ドアをノックしたりしたが、やはり返事が無い。ドアにはカギがかかっており
明けることはできない。ここで、王がしびれをきらし、
王「エライアスは実は帰ってきてないのでは? フロントに言って聞いてみる」
といってフロントへ聞きに行った。
しばらく部屋の前でドンドンやっていた探索者達はやっとバリーが聞き耳い成功。中で複数の足音がすることに気が
つく。しかし紳士的な彼らはドアの前で何もできず王の帰りを待ち続けた。
やっと王がフロントを言いくるめて合鍵と共に到着した。
ドアを開けるとそこには無残なエライアスの死体が横たわっていた。
スコット「生きているのか?」
ナタリー「胸を数カ所刺されて、内蔵でてますし、死んでますね」
おどおどする主人をよそに、メイドは冷静だ。
そのとき、部屋から外へつづいている非常階段を駆け降りる音にほぼ全員が気がついた。
(既にひどいありさまのエライアスを見て気を失っているチャールズを除いて)
急いでダッシュする王、バリー、そしてナタリー。
そこには階段をものすごい勢いで降りていく3人の姿があった。
カンフーの使い手でもある王は軽い身のこなしで素早く階段を降りていく。
そして少々荒っぽいバリーは拳銃を抜いていた。
王「待てー」
しかし、だいぶ間を開けられているため、追いつけない。
バリーが銃をぶっ放つ。階段を駆け降りたためか、エライアスの無残な姿を見たためかバリーの拳銃は大きく外
れる。誰もが暗殺者をとらえることをあきらめかけたその瞬間、その銃声が夜のNYに響いた。
一同「ナタリー!?」
その銃声はどこから取り出したのか、ナタリーがもっている大型のオートマチック拳銃からのものだった。
それまでただのメイドだと思われていたナタリーの拳銃は狙い違わず最後尾を逃げていた男の胴体に吸い込まれ
る。
バリーが2発目を撃つが、これも空を切る。どうもバリーは今日は拳銃があたらない。
そして、ナタリーが2発目を発射。これは先ほどの最後尾の男の頭に命中。男の頭は柘榴となった。
そしてナタリーはガッツポーズ。
一同「おまえは殺し屋か!!!」
ナタリー「とどめは必ずさす。生き残る鉄則です。」
一同「こいつ何者だ!!!」
などとつっこみをいれている間に黒のオープンカーにのって二人に減った暗殺者はNYの夜の闇に消えた。
射殺した殺人犯の頭には奇妙な赤い髪飾りがついていた。
王は何か他にもっていないかと調べたところ、2通の手紙@、Aを入手した。
また、エライアスの部屋を物色していたスコットは2枚の名刺@、Aを入手した。
また、エライアスの額には奇妙なマークがついていることにスティーブがきづき、メモに書き写した。
そうこうしているうちに、騒ぎをききつけたのか、ホテル側が通報したのかNY中の警察が集まってきた。
探索者の前に現れたのはいかにもといった感じのマーチン刑事であった。
マーチン「なんだなんだこの騒ぎは。また変な殺人事件か。最近いかれた事件が起きすぎるな。
それで、犯人の一味を射殺したっていうやつはどいつなんだ? え?」
スコット「そこで寝てる紳士ですよ。」
とスコットはなぜか気を失っているチャールズを指差した。
一同チャールズを見て驚いた。なぜか彼の手にはさきほどナタリーがもっていた銃がしっかり握られている。
ナタリーは舌をだしてみんなに合図(笑
マーチン「それじゃや、いろいろ聞かなきゃならないこともあるから、この紳士は連れていくが、
ほかのみんなはだいたい事情聴取はすんだから帰ってもいいよ。
ただ連絡先だけは教えておいてくれ」
あわれチャールズは寝てるまに一人殺人したことになってしまいました。
スコットの屋敷に集まった探索者達は今日の出来事を報告しました。
結局ランディはジョナとは連絡が取れなかったようです。
1925年1月16日
探索者達は今日は名刺にあった、エマーソン輸入商会へ。
小さな事務所で社長のアーサー・エマーソン氏は以下のような話を。
エマーソン「ああ、エライアス氏のことなら、覚えているよ。なんでもモンバサに関係のある輸入商を
しているとかで、モンバサの商品について聞きに来たな。わしの会社は、モンバサにある
アジャ・シン商会のアメリカでの代理店をしているからな。
とはいえ、アジャ・シン商会の唯一の取引先は、ジュ=ジュ・ハウスという店しかこのアメリカ
にはないんだがな。(笑
ジュ=ジュ・ハウスの場所かい?NY市のランサム・コート通り1番地だよ。そういえば、
エライアス氏もそこへいくって言ってたな。
あんたたちも、行くのかい?あまり善良なアメリカ人が行く店じゃないけどなぁ。
サイラス・ンクワイネを知っているか?知ってるも何もジュ=ジュ・ハウスの店主だよ。
あやしげな外国人だよ。
そういえば、エライアス氏は元気か?え?死んだ?
なんかおかしなことに首をつっこんだのかなぁ。
あんたたちも、悪いこと言わないから、変なことに首をつっこんだらだめだよ。」
1925年1月17日
パーティはやっとつかまったプロスペロ・プレス社、社長のジョナ・ケンジントンとようやく、
プロスペロ・プレス社で会うことができた。
スコットとジョナは旧知であったため、一昨日のエライアスの殺人事件については一気に話し合う
ことができた。
ジョナは、エライアスがこう言っていたのを強く覚えています。
エライアス「カーライル探検隊を虐殺したのは、どこかの血なまぐさい宗教団に違いない。
しかし、探検隊の主要メンバーが全部殺されたわけではないらしい。」
スコット「なんか、メモとかないのか?」
ジョナ「そうそう」
といいつつ、秘書にエライアスからの手紙のファイルを持ってこさせ、その中から1枚の手紙を
取り出しました。
ジョナ「この手紙をもらって、すぐに手紙にあるメモ(ナイロビメモ@、A、B、C、D、E、F、G)
が送られてきたんだ。それから、すぐ香港からの至急電報を受け取ったんだ。
その電報は、資金がきれそうだ。すぐ送金してくれ。ってことだったんで、前渡金を送って
やったんだ。それから、しばらく連絡が取れなかったんだが、先月半ば突然長距離電話が
かかってきたんだ。
彼が言うには、あれから中国に行き、それからアフリカに戻り、それからロンドンに行っていた
ということだ。彼が言うには、とても信じられないような物を見たといい、世界規模で怪物的な
何者かによる計画あるいは、陰謀について興奮して叫ぶように話し続けたんだ。
彼に落ち着くように言うと、落ち着く暇なんかない、すぐニューヨークに戻るからと言って
電話を切ったんだ。」
スコット「そのメモは見せてもらえるかい?」
ジョナ「もちろんだ。あと、このナイロビメモの後に書かれた、メモがあるんだが、これも見てくれ。
私には何のことだかさっぱりわからないが、君ならなにかのヒントになるかもしれない。」
1925年1月18日
ハーバード大学図書館のミリアム・アットライトを訪ねる。
ミリアム「ええ、エライアスさんが探していたのは、「アフリカの暗黒の宗派」という本でした。
この本は、記録上は確かにこの図書館にあったはずなのですが、数ヶ月前に
謎の紛失をしてしまったのです。
謎の紛失というのは、ある日突然その本が消えてしまったのです。その日は
なにか嫌な臭いが書庫の中に立ち込めていました。」
スティーブ「この文字について、何かわかりますか?エライアス氏が死んだときに
額に書かれていたものなのですが。。。」
ミリアム「わかりました。調べてみましょう」
数時間後
ミリアム「これは古代のルーン文字でした。これは「血塗られた舌」という名前のケニアに
本部を持つ教団の印で、王朝時代にエジプトから追い出された宗派の分派の印でした。」
1925年1月19日
ニューヨーク州の医事局を訪ねる。
事務官のエイドリアン・フェリスを説得するのに時間がかかるものの、なんとかヒューストン医師の
カルテを見ることに成功する。
1925年1月20日
パーティーはハーレムにあるジュ=ジュ・ハウスを訪ねる。
うす汚いジュ=ジュ・ハウスに入ると小さな老人が一人店番しているだけだった。
店の中には、アフリカの民芸品や、古器物の類が所狭しと積み上げられています。
老人に話しかけると、彼がサイラス・ンクワイネであることがわかりました。
彼はよく見ると、胸から鍵をひとつかけていました。
結局なにも手がかりをみつけられないまま、探索者達は店を出て、近所に聞き込みをしました。
近所の住民「あの、気味悪い店には、1週間に一度奇妙な連中や、外国人が深夜になって
店の中に入っていくよ。きっと怪しい儀式かなんかやってんだよ。早く警察が
とりしまってくれればいいのに」
探索者達は、近所の廃屋で、張り込みを開始しました。
1925年1月21日
次の日の夜、次々と人がジュ=ジュ・ハウスに入っていくことに気がつきました。
店の大きさに比べてかなり多くの人が入って行くことにランディが気づく。
店に最後の一人が入った後、店の電気が消え、静かになった。
そこで、パーティーは全員で店に忍び込むことにした。
店の入り口は鍵がかかっておらず、簡単に中に入ることができた。
しばらく店の中を調べていると、カウンターの後ろに地下室へのはね上げ戸があることを
発見した。
鍵がかかっていたが、こじ開けず力任せに打ち破った。すごい音がしたが、特に中には気づかれ
なかったようだ。扉の中は、下への長く狭い階段だった。
階段を下に下りていくと、大きなドアがあり、鍵はかかっていないようだった。
中からは熱狂的な詠唱が聞こえてきます。その呪文のなかにははっきりと
「ニャルラトテップ」と聞こえます。
ドアを少し開けると、中では数十人の信者が大きな広場で踊り狂っています。
サイラス・ンクワイネも信者に混ざって踊っています。
信者から少しとことろで、指示を出している司祭のような大男がいることに気がつきました。
彼は羽で飾られたローブを身につけ、変わった形の杖を持っています。
やがて、広場の中央の大きな岩が信者によってどかされると、中から恐ろしい声がする。
その声がする大きな穴に、さらわれてきたと思われる哀れな生贄や、狂っている信者と
思われる者が穴の中へ投げ込まれそうになる。
思わずバリーが
バリー「やめろー!」
その声で、一斉に扉の方を見る信者たち。
司祭のような大男が大きなこえで何か叫んでいる。
扉に殺到しようとする信者たち。
いっせいに地上へ逃げようとする探索者たち。
しかし、狭い階段で、思わず王が転んでしまう。そのとき手に持っていたランタンが
大きくころがり、油が飛び散り、狭い通路は一気に火の海になってしまう。
その火に信者がひるんでいるうちに、なんとか逃げた探索者は、なんと
外へ通じる唯一の扉を外から閉めてしまった。
あわれ、信者たちは一人も地上に戻ることなく、ジュ=ジュ・ハウスもろとも
焼け死んでしまったのか。
1925年1月22日
次の日の朝、もう一度ジュ=ジュ・ハウス跡に出向いてみる。
あたり一面、何かがやな物が焼けた臭いに満ち溢れている
そこには、なじみのNY市警のマーティン刑事が。
マーティン「やぁ、あんたたちかい。また陰惨な事件には必ず顔をだすなぁ。」
ランディ「なんかひどい事件ですねぇ。記事になるようなネタくださいよ。」
といって、そっとお金をマーティンに渡す。
マーティン「いや、すまないねぇ。なーに、怪しげなカルト集団の集団自殺かなんかだろう。
前からおかしな宗教だとは目をつけていたんだが、こんなことになるとはなぁ。
地下室を中心に数十人が死んでるんだよ。」
ランディ「そんなに? 司祭みたいな人はいましたか?」
マーティン「いや、そういうのはいなかったなぁ。あと、下からなにかすごい力で、地上にはいでた
ような大きな穴があいてたんだ。たぶん爆弾かなにかが爆発したんだろう。
そうでないと、ちょっと考えられないぐらい、大きな奴かな。身長5mくらいの(笑
そんな大きな人間はいないよなぁ。記者さん」
ランディ「そうですよ。そんな人間はいませんよ。人間はねぇ。。。。」
NYでのはじまりの事件を終え、探索者達は、ロンドンへ向かう準備を始めた。
次回「ロンドン編」へつづく。
今までに手に入れた手がかり
- ワールド・テレグラフ・サービス
「かーらいるタンケンタイニカンシ、ジョウホウアリ
タンサクちーむ ヲソシキサレタシ 1ガツ15ニチ
にゅーよーくニトウチャクス」
- 友人 ジャクソン・エライアスについて君が知っていること
ジャクソン・エライアスは年齢38歳。中肉中背で、髪と目は
濃い茶色をしています。はつらつとした友好的なタイプの人
物です。コネチカット州ストラットフォード生まれで、孤児
だったため小さいうちから自分で自分の道を切り開いてきま
した。親戚もいないし、本籍地というものもありません。
君はエライアスが好きだし、彼が友情を示してくれることを
大切に考えています。何カ月も会わないことがあるし、時に
は何年も会わないことがあるけど友情に変わりはありません。
この友人の身の上に何かあれば、君はショックだし、絶対に
仇をとってやろうと考えます。この世にジャクソン・エライ
アスがいる方が、君にはずっといいのです。
彼が著書の題材にしているのは、色々な死の教団に関して、
その特色を考察して分析することです。エライアスが書いた
本で、一番よく知られているのは、「死の息子たち」という
本で、インドで現代でも存在しているサッグ団のことを暴露
したものです。彼は数カ国語を流暢に話すことが出来るし、
しょっちゅう旅行をしています。社交的で、たまに酒を飲む
ことを楽しんでいます。パイプを吸います。タフで、精神が
安定していて、時間はちゃんと守る人間です。論争を恐れた
り、役人を恐れたりする人間ではありません。
ほとんど独学で勉強をしました。彼は作品は綿密な調査に基
づいているもので、材料はすべて自分自信で経験して得たも
のだということがよく反映されています。作品については慎
重で、最終的な原稿ができあがるまで、それについて人に詳
しく話したりするようなことはありません。
彼の本は全て、教団がどのようにして信者達の恐怖心を操作
しているかを示しています。エライアスは懐疑的な人間なの
で、今までに超自然的なパワーとか魔術とか暗黒の神などの
証拠を見いだしたことはありません。死の教団の信者たちの
特徴は狂気と不十分感であることを、エライアスの本は示唆
しています。彼らはそういう感情の埋め合わせをするために、
罪のない人間を殺すのです。そうすることによって、自分た
ちにはパワーがあると錯覚し、自分たちは選ばれた者である
と感じることができるからです。教団は性格の弱いものを信
者として引き込みます。ただし、教団のリーダーは普通は頭
がよく、手際の良い指導者を持っています。教団に恐怖心が
なくなれば、その教団は消滅してしまいます。
著書:「河べりの頭蓋骨(1910)」 アマゾン盆地の首狩り教
団を暴露したものです。
「黒魔術の使い手たち(1912)」 歴史上の全ての魔術
的な教団に関する研究調査
「恐怖の道(1913)」 教団組織における恐怖心の成り
立ちを分析したものです。ジョルジュ・ソテルの好意
的な書評がついています。
「くすぶる心臓(1915)」 前半は昔のマヤの死の教団に
ついて述べており、後半で現在の中央アメリカにおける
死の教団について例証しています。
「死の息子たち(1918)」現代のサッグ団に関する調査
です。エライアスは実際にサッグ教団に潜入して調べ
た後この本を書いたのです。
「イギリスの魔女集団(1920)」イギリスの9つの州に
おける魔女集会を要約紹介したものです。実際の魔女
たちに対するインタビュー記事も含まれています。
レベッカ・ウェストはここに使われている材料の中に
あるものは、平凡なつまらないもので、大げさに書か
れすぎていると批判しています。
「ブラックパワー(1921)」「恐怖の道」を更に発展さ
せたものです。数人の匿名の教団のリーダーとのイン
タビュー記事が含まれています。
以上の著書は、すべてニューヨーク市のプロスペロ・プレス
社から出版されました。全ての編集をしたのは、プロスペロ
・プレス社のオーナーで編集者であるジョナ・ケンジントン
です。ケンジントンはジャクソン・エライアスのよく友人で
あり、君のことも知っています。
- 新聞記事@
カーライル探検隊、イギリスに向けて出発
富豪のプレイボーイ、ロジャー・カーライル氏を体調とするカーライル探検隊が、
今朝イギリスの豪華船インペルアル・スタンダード号でサウザンプトンに向けて
出発しました。
以前に伝えられていたこととは異なり、探検隊の探索者達はペンヒュー財団の賛助の
もとにまずロンドンで調査を行い、来月に入ってからエジプトに向かうのだと
いうことです。
現在24歳になるミスター・カーライルが、4年前成人式を迎えた際のウォード
ロフ・アストリア・ホテルにおける盛大な祝賀パーティーのことを覚えている読者
も多いことでしょう。その後のスキャンダルと不行跡とがカーライル氏のトレード
マークとなっていましたが、マンハッタン子たちからの目から見てカーライル氏が
不名誉な人間であると映ったことはありません。
その他の探検隊のメンバー
著名なエジプト通であるサー・オーブリー・ペンヒューが探検隊の副隊長として参
加し、発掘を担当します。今をときめくフロイト心理学者のロバート・ヒューストン
博士は古代の象形文字に関する研究を深めるために参加します。以前カーライル氏
との関係が噂されたミス・ヒパチア・マスターズは、カメラマンおよび記録係とし
て参加します。カーライル氏と親しいジャック・ブレディ氏は、雑用一般を担当す
るために参加します。その他にもロンドンで新しいメンバーが参加する可能性もあ
ります。
ニューヨーク・ピラール/リボステ社
1919年4月5日
- 新聞記事A
ビック・アップル情報
知らぬ者とてないプレイボーイのロジャー・カーライルが、エジプトの墓場を調べる
ために、明日ひそかにニューヨークを出発します!ロジャーが夜の盛り場で見つけた
カワイコちゃんたちは、彼が砂漠でも誰かを掘り出すのではないか−つまり、ニュー
ヨークの盛り場で掘り出したのと同じようにイカす娘でも掘り出すのかと疑いの目で
見ているようです。
ニューヨーク・プラール/リポステ社 1919年4月4日
- 新聞記事B
カーライル、エジプトを出発
カイロ発(AP)−カーライル探検隊のスポークスマンをつとめているサー・オーブリー・
ペンヒューは月曜日、探検隊の主要メンバーは休養のために東アフリカへ向けて船出すると
発表しました。サー・オーブリーは一行がソロモン王の財宝の手がかりを発見したという噂
を否定し、「砂まみれの発掘作業から少しの間離れてリフレッシュするため」サファリ休暇
をとるのだと説明しました。ニューヨークの富豪で探検隊長のロジャー・カーライルは、
最近かかった日射病の症状が思わしくないために、コメントができる状態ではありませんで
した。このあいにくの出来事に関して当地の専門家たちは、この季節のエジプトの気候は
アングロ・サクソン人にとっては暑すぎると述べ、この若いアメリカ人は民主主義的な熱意
から自らツルハシとシャベルをとったと言われているが、そこからあまりいい報酬は受けて
いないようだと述べています。
ニューヨーク・ピラール/リポステ社
1919年7月3日
- 新聞記事C
カーライル探検隊、行方不明か
モンバサ発(ロイター)−高地の警察当局はカーライル探検隊の行方に関して、今日
一般市民の協力を要請しました。これでもう2カ月近くの間、探検隊からの連絡が途
絶えています。一行の中には、富豪のプレイボーイ、ロジャー・カーライルをはじめ
とする3人のアメリカ人、それに著名なイギリス人、サー・オーブリー・ペンヒュー
がいました。
探検隊は8月3日にナイロビを出発しました。カメラ・サファリ旅行にいくという名
目でしたが、実際には聖書にある財宝を探しにでかけたのだという根強い噂がありま
した。
カーライルの探索者達はナイロビの北西にあるグレート・リフト谷の一部を探検しようと
していたと伝えられています。
ニューヨーク・ピラール/リポステ社
1919年10月15日
- 新聞記事D
カーライル探検隊の虐殺、確認さる!
ナイロビ発(ロイター)−長い間行方不明だったカーライル探検隊が虐殺されていた
ことが、今日地元の警察によって確認されました。
行方不明の探検隊の中には、ニューヨークの陽気なプレイボーイであるロジャー・
カーライルも含まれていました。
警察当局は、このショッキングな殺人事件は好戦的な部族であるナンディ族のしわざ
であると述べています。
探検隊のメンバーと人足たちのすくなくとも2ダースほどの死体が、隠された墓場のあ
たりで発見されたと考えられています。ロジャーの妹で、これでカーライル家の唯一
の相続人となったエリカ・カーライルは、兄と兄の探検隊のために危険な調査の指揮
をとりました。彼女は虐殺の残骸を発見してくれたのはキクユ族の者たちだと述べて
いますが、実際に現場を発見したのは警察当局です。
カーライル以外の探検隊のメンバーは、有名なエジプト通のサー・オーブリー・ペン
ヒュー、ニューヨーク社交界のヒパチア・マスターズ、それにロバート・ヒュースト
ン博士です。この他、多数の人足たちも殺されたものと思われます。
ニューヨーク・ピラール/リポステ社 1920年5月24日
- 新聞記事E
ナイロビ発(ロイター)−カーライル探検隊に対する忌まわしい虐殺事件の首謀者として、
簡潔な裁判の後、今朝5人のナンディ族の男たちが絞首刑を執行されました。
5人の男たちは白人の探検隊メンバーの死体をどこに隠したかということについては、
最後まで頑強に白状しませんでした。植民地当局のハーヴィス氏は、裁判の過程の中で
この事件の動機は人種問題であるということを巧みに示唆し、肌の白い犠牲者たちは秘密の
場所に運ばれて、野蛮な取り扱いを受けているに違いないと推測しました。
兄を救出する努力のために当地を訪れていたカーライルの妹、ミス・エリカ・カーライル
は、傷心のうちに数週刊前に帰国しましたが、この裁判で正義が行われたことに満足して
いることでしょう。
ニューヨーク・ピラール/リポステ社
1920年6月19日
- 新聞記事F
エリカ・カーライル、アフリカに到着
モンバサ発(ロイター)−行方不明になっているカーライル探検隊のアメリカ人隊長の
妹エリカ・カーライルは、手がかりを追って本日エジプト船”命の泉”号でアフリカの
港に到着しました。伝えられるところによれば、アバーデアの森の近くで白人旅行者に
対する虐殺事件があったらしいという報告が、キクユ族の村人たちから今までにいくつ
もよせられたということです。
ミス・カーライルはどんなことをしても必ず兄を見つけ出すつもりだと宣言しました。
彼女は大探索隊を連れてきました。
ミス・カーライルはエージェントを雇って、装備品をそろえたり、植民地政府と折衝さ
せたりしていましたが、明日いよいよナイロビへ向かいます。彼女に同行したミセス・
ヴィクトリア・ポストは、この旅行のために特にユダヤ系の船を使ったことは、偶然で
はなく強い目的意識があってのことだと述べました。
ニューヨーク・ピラール/リポステ社
1920年3月11日
- 新聞記事G
要人の来訪
モンバサ発(ロイター)−アメリカの考古学探検隊の主要メンバーが、エジプトのナイル谷
での発掘作業から休暇旅行のため、当地に到着しました。
わが事務次官であるロイストン・ウィッチングストン氏は、彼ら一行のためにコリングス
ウッド・ハウスで歓迎ディナー・パーティーを開きましたが、パーティーでは探検隊の共同
隊長であるサー・オーブリー・ペンヒューのウィットがいかんなく発揮されました。
サー・オーブリーに同行している探検隊メンバーの二人はアメリカ人で、資金を出した若い
ロジャー・カーライルとロバート・ヒューストン医師です。一行はナイロビおよび狩猟旅行
にいくため、明日奥地へ向けて出発します。
ニューヨーク・ピラール/リポステ社
1919年7月24日
- ロバート・エリントン・ヒューストン医師のプロフィール
犯罪歴なし、兵役経験なし。父親はシカゴの医者で、彼は
3人の息子の中の末っ子でした。父親は若いときに、その
ころ新しく起こってきたユートピア主義者運動にかぶれて、
さまざまなグループに参加していたと言われています。
ロバート・ヒューストンはジョン・ホプキンス大学を優等
で卒業し、循環器科の医者として働いていましたが、3年
後に突然仕事も妻も捨てて、ウィーンへ行きました。
ウィーンでは最初フロイトのもとで学び、ついでユングの
元で学びました。ヒューストンはアメリカ人としては初め
てその頃とかく議論も増とであったフロイトやユングの秘
技的な学問を学んだ人物の一人だったのです。秘技的と言
う意味は、この学問は人の性的な行動に深くかかわってい
るため、まともな人間が研究することではないと思われて
いたからです。そのような淫らで危険な研究をしてきた人
物ということで、ニューヨーク市にもどった彼はかえって
引っ張りだこになりました。ヒューストンの態度物腰がエ
レガントで冷笑的なウィットにとんでいることも、成功に
うまく作用したのです。彼は精神分析医として開業しました。
精神分析医ヒューストンは名声と悪名の両方を得ました。
特に治療費の高さは有名で、1回50ドルから60ドルも
とるらしいとささやかれました。エリカ・カーライルを含
め、誰もがヒューストンを人当たりがよくて、ハンサムで
神経がゆきとどいて、頭が切れる人物だと認めました。
彼は患者であったロジャー・カーライルの治療を中断させ
ないために参加したのだと言われていますが、実は本当の
理由はそうではありませんでした。ヒューストンには情事
の相手にしていたある女性患者(イメルダ・ボッシュとい
う名前でした。)があったのですが、間もなく彼女に飽き
て捨てたのです。すると彼女は悲観して自殺してしまいま
した。それがスキャンダルとして広まりそうになったとき
ロジャー・カーライルがそれをもみ消してくれて、その代
わりに探検隊に加わるように強要したのでした。噂によれ
ば、カーライルは自分がエジプトに行って留守にしている
間に、ヒューストンがニューヨークの上流社会を自由にほ
っつき歩くのを好まなかったのだとも言われています。
ロジャーはヒューストンの倫理感を信用しきれず、彼が医
師として職業上知り得た秘密を、自分の留守中に上流社会
に暴露することがあると大変恐れたのかも知れません。
ヒューストンの死が宣告されると、彼の所有していた記録
類(カルテ)はニューヨーク州の医事局へ送られて、その
管理下におかれることになりました。この処置には賛否両
論があったので、そのことに関して新聞にも記事が載りま
した。
- ロジャー・ヴェイン・ワージントン・カーライルのプロフィール
犯罪歴無し。兵役経験なし。生まれついての金持ちですが、父親
には常に無視されていました。したがって若いころのロジャー・
カーライルは、父親の関心を自分に向けさせようとして、無茶な
こともしたようです。彼が17歳のとき、ある娘から「生まれた
子どもの父親として認知してくれ」と言って訴えられ、弁護士の
力でどうに責任を逃れることに成功したことがあります。18歳
の時と20歳の時には、アルコール中毒の治療をうけました。奇
跡的にグロトン校を卒業できたのですが、その後3年間で色々な
有名大学(ハーバート、イェール、ブリンストン、ミスカトニッ
ク、コーネル、南カリフォルニア)を退学になりました。両親が
自動車事故で亡くなった時、ロジャーは自分の生き方を考え直し
たらしく、その次の年には、世間や親戚縁者からちゃんとした人
物として認められるようになっていました。しかし、活発な妹
(彼女はまじめによく勉強して、何でもよく知っていました)
の方が自分よりも一族のことをうまく取り仕切るのを見て、自分
が無用のように感じるときには、つい昔の放蕩息子時代の態度に
戻ることもありました。
ロジャーにはそういう性格の弱い面があったため、やがて謎の東
アフリカ女性の影響を簡単に受けるようになってしまったのでし
た。彼女はペンネームをアナスタシア・ブルネイと言って、独特
のスタイルを持った詩人でした。やがて、アルコールに溺れて遊
び暮らすロジャーの噂が、警察やジャーナリストの間に漏れるよ
うになっていきました。ロジャーは家の金を持ち出すようになり、
その額が多額であるため、妹のエリカとの間にそのことで大口論
が起こるようになりました。とは言っても、ロジャーはあくまで
も個人的には素直で人当たりのいい人物でした。華やかなニュー
ヨークの盛り場では、人々に好かれ、人気のある人物でした。
しかし、彼はエジプトに向けて出発する数カ月前から、何か新し
い悩みを抱えているように見えました。そして結局エジプトへ行
ってしまったのです。なぜエジプトへ探検隊を仕立てて行くのか、
その目的は周囲のものにも全く理解できませんでした。
カーライル一族は、市民戦争の時に巨額の利益を上げて以来、
常に大金持ちでした。カーライル家の一代目はアブナー・ウェイ
ン・カレルという名前で、イギリスのダービシャー警察によれば
「不健康で改善の見込みのない行為」によって囚人として1714年
に最初にヴァージニアに送られたのでした。アブナーはイギリス
のミッドランド地方の貴族の私生児として生まれたのですが、
父親から認知もされず、父親の名も伝えられていません。アブナ
ーがヴァージニアに来てからもうけた息子のエフレムは、成人し
て”カレル”という性を”カーライル”に変えました。そして
材木と衣料品関係に着実な投資をして増やしていき、それが一家
の財産の基礎となったのでした。
- ヒパチア・マスターのプロフィール
犯罪歴なし。兵器で築いたマスターズ家の財産の跡取り娘です。
マスターズ家というのは、ニコライ・スタインベルグが「背徳の
マスターズ家」という暴露本で詳しく書いたように、腐敗した一
族でした。ヒパチア嬢の祖父であるアルディントンは、事業をや
っていく上での決断を自分でしないで、重役たちにほとんどまか
せてきましたが、その重役たちがそろって有能で、幅の広い有利
な事業の仕方を勧めてくれたのでした。ヒパチアの父親である
ジョージも、そういう気楽な生き方を踏襲し、ただ娘を盲愛する
ことだけに時間を費やしました。ヒパチアはスイスとフランスの
学校へいきました。彼女は学校で外国語の才があることを示し、
いくつかの外国語を学びましたが、結局一番やりたいのは写真だ
ということに気がつきました。何度か作品の展示会も開きました。
批評もよかったし、大勢の人々が熱心に身にきてくれました。
大胆なところがあるヒパチアはCCNY(ニューヨーク・カトリック
教会)のカトリック・マルクス主義者のラウル・ルイス・ペネラ
と軽率な恋愛をしました。
ヒパチアがロジャー・カーライルと何度かデートしたことがある
ことは知られていますが、ロジャーとの関係は単なる友人の域を
出なかったようです。
だから彼女が国を逃げ出すにあたって、なぜカーライル探検隊に
はいったのかということは、今一つ理由がわかりません。
- ジャック・’ブレス’・ブレディのプロフィール
豊富な犯罪歴があります。バーで小さな喧嘩騒ぎから始まって、ちょっとした
窃盗事件もあり、殺人未遂事件で一度起訴されています。ブレディは海兵隊の
軍曹として中国で軍務につき、それからフランスの西部戦線で戦い、青銅星賞
その他の勲章をいくつかもらいました。また、トルコで傭兵をしていたこともある
という噂もあり、トルコ語とアラビア語を知っているし、中国語のいくつかの方言
も知っています。カリフォルニア油田で働いていたとき、ブレディは喧嘩をして
相手の首をしめて殺したことがありました。そばにいた者がブレディを相手から
引き離そうとしたのですが、間に合わなかったのです。この事件はロジャー・
カーライルの興味を引きました。カーライルが南カリフォルニア大学(USC)に
入学したばかりの頃でした。カーライルは一時間ほどブレディにインタビューし
ました。それで二人は親友のようになったのでした。これにはカーライルを
知っている者は驚いてしまいました。それまでのカーライルは親しい友人という
ものを決して作ろうとしなかったからです。カーライルはブレディのために国中
で一番腕のいい弁護士を雇いました。弁護士は弁解の余地のない単純な
事件に見えたその事件を、いろいろな法的なテクニックを駆使して、あいまい
なものにすることに成功しました。7人の目撃者の証言があったのに、
弁護士はなんだかんだと言って、その証言も退けてしまったのでした。
そのとき以来、ブレディとロジャー・カーライルは、ほとんど離れたことがあり
ません。あるときは、ブレディはロジャーのボディーガードをしていたし、あると
きはロジャーのスポークスマンをしていました。探検隊の中では、ブレディは
雇い人のボスであり、マネージャーの役目を果たしていました。そして
すべての点で申し分のない仕事振りを発揮していました。
ブレディの愛称「ブラス」というのは、彼がいつも1枚の真鍮の板をシャツの
胸ポケット(心臓のあるあたりの位置についているポケット)に入れて持ち歩いて
いることからきています。「ブラス」とは真鍮の意味です。その真鍮板を見たこ
とがある者が言うには、そこには奇妙な印や文字のようなものが刻み込まれて
いて、弾丸があたってへこんだ跡が2箇所あるということです。
ブレディの説明では、ミシガン北部で世捨て人のような生活をしている母親が
「目」を持っていて、気性が激しくて向こう見ずな息子を守るために、この
真鍮版を作ったのだということです。
- サー・オブリー・ペンヒューのプロフィール
1901年から1902年までヨークシャー警備隊でわずかに
兵役に服したことがあります。犯罪記録はただひとつ
で、オックスフォード大学にいた1898年に、警察官の
ヘルメットを盗んで捕まったことがあるだけです。ペ
ンヒューの公的な生活は「名士録」とか「バークの貴
族年間」その他で、すぐに調べることが出来ます。
ペンヒュー一族の家系は、数世紀も続くうちには、不
名誉な出来損ないも何人かはでたとはいえ、ウィリア
ム征服王の時代に、サー・ボリス・ペンヒューがイギ
リスの西のほうに広大な領地を手に入れたのでした。
子孫の中には、国家反逆罪と黒魔術のかどで打ち首に
なったサー・ブレイズというのが一人いますが(彼の
犯罪のおかげで、もう少しのところで、一家の貴族と
しての肩書も領地も没収されるところだったのです。)
そのことを除けば、この一族は8世紀もの間栄えつづ
けているのです。
サー・オブリーはオックスフォード大学で古典を専攻
して、優秀な成績で卒業しました。そして卒業後の数
年間をエジプトで過ごしました。その頃にはまだよく
知られていなかったナイル上流の地域を調査し、サン
プルを発掘するためでした。彼はファースト・カタラ
クトからその先まで足をのばしました。公式の人物紹
介の記事を見ると、サー・オブリーがエジプト学の学
問上の重要な枝道をいくつか見つけたこと、考古学的
に重要な発掘をいくつかおこなったことが述べられて
います。とくにダハシュールで行った発掘は、重要な
ものだということです。これらとおなじくらい重要な
ことは、サー・オーブリーが”ペンヒュー財団”とい
うものを設立したことです。この財団はイギリス国内
および外国において、色々な重要な調査活動に対して
資金を出しました。また、優秀であるのに経済的に貧
しい学究の徒に対する教育にも力をいれています。
サー・オーブリーは人にはよく知られているだけでも
7軒の家を持っています。ロンドンとコッツワルドと
モナコとアレクサンドリア(エジプト)に邸宅があり、
パリとローマとアテネにタウン・ハウスを持っている
のです。彼は疑いもなく大金持ちであり、しかも第一
次大戦のときにはアメリカの持株会社によって大幅に
財産を増やしたと噂されています。
サー・オーブリーは世間に名前の知られた人物ですが、
彼の私生活はほとんど何も知られていません。結婚は
しておらず、家族もいないし、遺産相続人としては、
ペンヒュー財団以外にはありません。エジプト学に詳
しい者たちは、みんな彼を高く評価しています。
- 410号室の名刺@
エレガントな印刷がほどこされている名刺
ペンヒュー財団
トッテナム・コート通り 35番地
ロンドン、W.1
エドワード・ガヴィガン、 理事長
- 410号室の名刺A
普通の台紙に印刷されたものです。名刺には手書きの書き込み
がしてあって、エライアスの筆跡で「サイラス・ンクワイネ」と
いう名前が書かれています。
エマーソン輸入商会
西47番通り 648番地
ニューヨーク市、ニューヨーク
(電話)HA6-3900
- 410号室の手紙@
封筒ではありません。ハーバード大学の図書館員である
ミリアム・アットライト嬢からの1924年11月7日付け
の手紙で、大学の便せんに書かれています。宛先は出版
社気付でエライアスです。
以下本文
エライアス様
お問い合わせのあった本は、残念ながら、もう図書館には
ありません。しかしながら、貴殿がお探しの情報は、当図
書館にある本からも得られるかも知れません。当地にご到
着になりましたら、ご連絡下されば、喜んで出来るだけの
お手伝いさせていただく所存です。
敬具
ミリアム・アットライト
- 410号室の手紙A
エジプトのカイロ発の1919年1月3日の消印がついている
手紙です。宛先はロジャー・カーライルで、中身はどうやら
こうやら読めるといった程度のひどいカナクギ流です。
外国人がかいたものであることがわかります。
以下本文:
カーライル様
あなたはこの地に関するある情報を探していらっしゃいますと
聞きました。多分それ情報を提供できるです。今私が持ってい
ますは、珍しいの骨董品(複数)です。必ず興味があるはず思
います。値段さえ折り合うだったら、すぐにもお送りします。
古いものですので、もちろん、高価の物です。あなたの代理人
が旧市街のジャッカル通りにある私の店に連絡します後で、
すべてご満足いただくよう、アレンジできるです。
連絡、心よりお待ちします。
ファラズ・ナジーア拝
- ナイロビからの手紙
1924年8月8日
ナイロビにて
ジョナ君、
大ニュースだよ! カーライル探検隊のメンバーが全員死んだわけでは
ないらしいという可能性が出てきたんだ。手がかりがあるんだよ。
現地の警察は宗教の線は否定しているが、現地の人々の声を聞くと、警
察の言うこととは違っている。君には想像できないような話が色々ある
んだよ。素晴らしい記事のメモをすぐ送るからね! この記事で我々2
人とも大金持ちになるよ!
血とキスを送る
ジャクソン
追伸:この取材を続けるために、もっと金がいることになりそうだ。
前渡し金を頼むことになると思う。詳細は後ほど。
- ナイロビメモ@
教団と教団の儀式に関する材料を求めて、
エライアスがナイロビでどんな役所、役人、部族などを
訪れたかを示したもの。決定的な材料は見つからなかった
ようですが、少なくてもカーライル探検隊虐殺に関する
警察の公式見解は必ずしも信用できないから、アテにする
べきではないとアライアスは述べている
- ナイロビメモA
エライアスが実際に虐殺現場を訪れたときのメモです。
特に述べているのは、そのあたりの土地が完全に不毛の
土地であること、そのあたりの部族達はそろいもそろっ
て「あそこは”ブラック・ウィンドの神”の呪いがかか
っている」と称してその土地を避けていることです。
”ブラック・ウィンドの神”が住んでいるのは、そこに
ある山の頂上なのでだそうです。
- ナイロビメモB
ジョンストン・ケニヤッタという人物と会見したときのメモです。
その人物が「カーライル探検隊を虐殺したのは”血塗られた舌”
という教団かもしれない」と語ったのです。ケニヤッタによれば、
”血塗られた舌”教団は山を本拠地にしており、教団の女司祭長
がブラック・ウィンド山の中に住んでいるということです。
エライアスは遠回しながら「そんな話は疑わしい」という態度を
示したそうですが、ケニヤッタは「絶対に間違いない話です」と
断言したそうです。エライアスは注釈をつけていて、この辺りの
部族達は”血塗られた舌”教団を恐れ、憎んでいると述べていま
す。部族達の知っている魔術では、”血塗られた舌”教団に対す
る防護の力がないのだろうです。多分あの教団の神はアフリカの
神ではないのだろうと、部族達は言っています。
- ナイロビメモC
ケニヤッタとの会見で得た情報の裏づけ調査のメモです。エライアスは
色々調べた結果、”血塗られた舌”という教団が実際に存在することを
知りました。しかし、その姿は直接にはどうしても見つかりません。噂
によれば、教団は生贄にするために、子どもをさらうと言われています。
ブラック・ウィンド山の上から、翼のある怪物が降りてきて、人をさら
っていくのだそうです。教団が礼拝している神は、地元の人間達の知ら
ない神らしいということです。アフリカの伝統的な神の種類とは合致し
ないタイプの神らしいということです。
- ナイロビメモD
このメモはただ1枚の紙切れで、エライアスがしなければならないことを
忘れないために書き留めたメモです。それはカーライル探検隊のカイロを
ベースとした日程表をもっとよく調べてみなければならないと、書いてあ
ります。エライアスはカーライルが日程を変えてケニアへとそれて行った
理由は、ナイル川にあると推察しています。
- ナイロビメモE
マーク・セルカーク少尉との長い会見の記録です。セルカーク少尉は
カーライル探検隊の残骸を発見したグループのリーダーで、第一次大
戦以来、ケニヤに住みついている人物です。セルカークが言ったこと
で重要なことは、探検隊員たちの遺体は、露天にさらされていた時間
の長さを考えると意外に腐敗していなかったということです。「この
場所では腐敗などということは起こらないんだと言わんばかりの状態
だったのです」というのが、セルカークのことばです。そのほかに
セルカークの言ったことで重要なことは、隊員たちの遺体がまるで、
獣か何かに引き裂かれたように、ちぎれていたということです。しか
し、どんな獣によるものかは、セルカークには想像できませんでした。
「まったく、想像を絶する引き裂かれ方でした。」セルカークは、ナ
ンディ族がこの件に関係しているかもしれないということも認めます
が、ぬれぎぬを着せただけなのかも知れないとも考えています。
「何でもナンディ族のせいにしてしまうのは、これが初めてではない
でしょうよ。」とセルカークは皮肉っぽく言いました。最後にセルカー
クは、白人の死体は一つもなかったこと、不毛の平野の中に散らばっ
ていたのは、ケニヤ人の人足たちの死体だけだったことをはっきり断
言します。
- ナイロビメモF
これも1枚の紙切れです。エライアスはナイロビにあるヴィクトリア・バー
で、ネイルス・ネルソンという男に会いました。(ネルソンはソマリアと
アビシニアとの国境地帯でイタリアの傭兵として働いたのですが、勝負事
で上官をだましたあげくに、ケニヤへ逃げ込んできたのでした。)ネルソ
ンが言うには、彼は生きているジャック・ブレディをホンコンで見かけた
のだそうです。1923年3月のことで、まだそれから2年たらずしかたって
いません。ブレディは友好的な態度でしたが、なんとなく用心深い様子で
多くを語りませんでした。ネルソンもあえて色々なことを詮索しようとし
ませんでした。このことから、エライアスは探検隊の他のメンバーたちも
生きているかも知れないと推察しています。
- ナイロビメモG
エライアスが書くつもりのカーライル事件の本をどのような構成
にしようかという覚書ですが、まだはっきりと内容が定まっては
いません。「次に起こったことの記述」「その理由の説明」など
という項目が並んでいるだけです。
- ロンドンメモ
メモを書いてあるページは折り曲げて閉じ合わされ、小さな
4つ折り版の本のような形になっています。
何も書いていないページがあったり、時には10ページ以上
も何も書いてないページが続いたり、ただ1つの単語が繰り
返し繰り返し、何ページにも渡って書き連ねてあったりしま
す。あまりにも乱雑な次で書かれているため、読めない部分
もたくさんありますが、エライアスの筆跡であることは間違
いありません。
次の部分はどうにか読み取ることができる部分です。
「いくつもの名前、いくつもの形、でもみんな同じ。行き着
くところも同じ。ああ、助けが必要だ・・・手強すぎる・・
・。あの夢・・・・カーライルも同じ夢を?例の精神分析医
のファイルを調べなければ・・・・全員が生きていたんだ!
彼らは門を開こうとしている。なぜだ?・・・・あのパワー
と危険性はやはり現実のものだったのだ。糸口はたくさんあ
る。・・・こっちに向かってやってくる。間に海があるから
大丈夫だろうか?アッハッハッハッハ、今はあきらめるべき
ときじゃない。語らなければならない。読者を信じさせなけ
ればならない。金切り声で叫べばいいのだろうか。さあ、
一緒に叫ぼうじゃないか・・・・」
- ヒューストンのカルテ
カーライル、ロジャー・ヴェイン・ワージングトン
初診日 :1918年1月11日
紹介者 :エリカ・カーライル
最近親者:エリカ・カーライル
ロジャー・カーライル氏は妹のエリカ・カーライルのたっての勧めで、今朝私を訪ねて
来た。彼は自分の精神状態はそんなに悪くないと盛んに主張したが、よく聞いてみる
と、最近あまり熟睡できないということを認めた。夢ばかり見て、よく眠れないのだそ
うだ。夢の中では、遠くの方から彼の名前を呼ぶ声が聞こえるのだそうだ(面白いこと
に、カーライル氏を呼ぶ声は、いつも彼をセカンド・ネームであるヴェインと言って呼
ぶのだそうである。カーライル氏は自分のことを考える場合にいつもこの名前で考える
と言っている)。カーライルは声の方へいこうとすると。すると蜘蛛の糸のような霧の
中にとらわれてしまって、なかなか前へ進めない。声の主がその霧の中に立っているこ
とが、彼にはわかっているのだそうだ。
カーライルを呼んでいるのは、男で、背が高く、やせて浅黒い色をしている。額には
T型十時章を逆さにした形の印が燃えている。男はエジプト式のやり方で、カーライル
の方へ手をさしのべる(カーライルは今まで、特にエジプトのことに興味をもったこと
などはないそうだ)。黒い男は両手の平を広げてカーライルに見せる。左の手の平に、
カーライル自信の顔が写っているのが見える。右の手のひらには、異様な非対称刑を
したピラミッドが写っている。
それから男は両手を合わせる。すると、カーライルは自分の体が地面から離れて、宙に
浮いたように感じる。そして目の前に怪物的な生き物がいくつも蠢いているのを見る。
そのあまりにも怪物的な姿に、カーライルは思わずひるまずにはいられないそうだ。
それは人間ではあるが、手足は動物で、するどい牙とするどい爪をもっている。牙や爪
は、特に決まった形があるわけではなく、個体によっていろいろな形をしている。彼ら
は全員で輪になって、脈動する黄色いエネルギーの球のようなものを取り囲んでいる。
カーライルはそのエネルギーの球が彼を呼んだ男であること、別の形をとっているが、
まさにその男であることを理解する。球はカーライルを引き寄せる。カーライルは球と
まざりあい、その球の一部となる。そして自分の目ではない目を通してあたりを見る。
巨大な三角形が空中に現れる。あのピラミッドと同じ非対称形をしている。それから
カーライルは彼を呼んだ男の声がこう言うのを聞く。「わしと共に神となれ」。
色々な形をした無数のものが三角形の中に突入していく。
カーライルはそこで目が覚める。
カーライルはこの夢によって眠りを妨げられているが、この夢を悪夢だとは考えて
いない。彼が言うには、自分は夢の中で楽しんでいるし、あの呼び声は真実の呼び声だ
と思うというのである。しかし、私の印象では、カーライルの心は、あれが果たして真
実かどうかという点で真っ二つに別れているようだ。こういう精神分裂症的な傾向は、
既に彼の生活の他の面にも色々と現れているようである。
1918年9月18日
彼は彼女のことを「ムウェルウ」とか「アナスタシア」とか「わが女司祭さま」と呼ん
でいる。彼女のことにすっかり心を奪われている。しかし、それは容易に理解できるこ
とだ。外部的な何かに固執することで、心の中の誇大妄想的な矛盾から来る緊張を和ら
げているのだろう。この女司祭とやらは、たしかに私の医者としてのライバルだ。
1918年12月3日
私が行かないと言えば、カーライルは私の隠し事を世間に暴露すると言って脅かす。
もし私が行けば、見せかけの治療ができなくなる。そうなれば、私の役割はどういうこ
とになるのだろう。