私の思い出の鉄道線・国鉄清水港線(清水−三保間8.3Km)
国鉄清水港線は、大正5年に清水港駅(貨物駅・清水−清水埠頭駅間)が開駅したのを皮切りに、昭和5年には清水埠頭駅・昭和19年には三保・折戸の各駅が開駅致しました。この頃は、旅客営業が無かったものの「買い出し列車」として多数の人々が貨車に乗車しておりました。
一般旅客営業は昭和21年からで(混合列車)、昭和23年に巴川可動橋が完成、昭和27年〜昭和35年には6往復の混合列車が走っておりました。1950年代前半頃の清水港線は「国鉄の数少ない黒字線」の時代でもあったそうです。(メインは貨物輸送の為)
昭和35年から昭和49年迄は混合列車が3往復に減少、機関車も昭和37年に蒸気機関車(C50)からディーゼル機関車へと変更されました。そして昭和49年には混合列車1往復に減少、「日本一旅客列車の少ない線」として有名?となりました。
それからも清水港線の貨物の減少は続きました。理由はモータリゼーションへの推移(鉄道→トラックへの輸送方法転換)と港湾都市「清水」の不況にありました。
主な輸送貨物はアルミナとバラセメント等でした。
結果、昭和59年3月31日に廃線となりました。
最終日の622レの編成と譲渡先など
↑清水方
DD13140 (静) 大宮工場で廃車
オハ472080 (静シミ)天竜浜名湖鉄道・天竜二俣駅保存(どうやら解体されてしまったようです>Y Kobayakawa氏情報)
スハフ422286(静シミ)大井川鉄道売却→現スハフ42286
オハ472081 (静シミ)大井川鉄道売却→現オハ4781
スハフ422184(静シミ)大井川鉄道売却→現スハフ42184
スハフ422105(静シミ)清水市内(廃線跡)にて保存
私も晩年(昭和54年頃〜)は幾度となく乗車致しましたが、「楽しみのある」路線とのイメージが数多く思い出されます。
←三保駅で発車待ちの廃止記念列車(当時・沼津に居たお座敷列車)
←末期の頃の普通列車
清水市内の保存車両
KATO入換機・スハフ422105・静鉄モハ65型(2000.12.31撮影)
現在、元・巴川口−折戸間の国道150号線沿いに静岡鉄道・清水市内線の65号車と共にスハフ422105と入換機が保存されています。
しかし、客車の状態は窓ガラスは残存しているものの、屋根の状況はかなり悪いようです。
*静鉄の車両の窓ガラスは何枚か割れておりますれど・・・。
天竜二俣駅のオハ472080よりマシとの意見も有るのですが、このオハ472080のように、屋根が腐り落ちてしまう前に修復を期待したい所です。
清水港駅入換機・日軽金タキ7400(2001.3.7撮影)
終点の三保駅跡にも、清水港駅で使用されていた入換機と日本軽金属のタンク車が保存されています。こちらの方は状態は良好で、未だにタンク車には「三保駅常備」の文字も残って居ります。
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清水−巴川鉄橋間の写真集
巴川口駅−三保駅間の写真集