「半人前」って誰の事?

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 普通「一人前」っていうのは、「大人」をさして使う言葉だと思う。職人の世界ではある一定の技術を身につけて初めて「一人前」として認められる。まあ、ある人が人前に出しても恥ずかしくない物を作った時なんか「やっと一人前に物を作れるようになったか」等と表される。この「人前に出しても恥ずかしくない」というのが重要な鍵じゃないかと思っている。
 人間の世界で、しかも日本と場所を限定して言うと、「一人前」と言われるようになる近道は結婚したかどうかである。結婚すると「やっと一人前になったか」などと祝辞の嵐。でもこれって、使用法を間違えているんじゃないかと最近思っている。
 あたしの独断と偏見で申し訳ないのだけど、「一人前の大人」って言うのは自分の事を自分で出来る 人間をさしていると思っている。全部じゃない、自分が生活する上で必要な事を自分で出来るかどうか。
 例なんてあげる必要はないよね。朝起きて、仕事行って、夜寝るまで。それを1週間。よ〜く考えなくても浮かんで来る筈。朝起きて、顔を洗ってもらっている人はまずいないだろうけど、自分が仕事に来ていく服はすでに用意されている人はいないよね。朝食の準備、平日は仕方ないとして、休みの日はどうしてる?仕事から帰って、脱いだ服、ちゃんと片づけてる?汚れた靴下、洗濯物入れに入れてる?部屋は綺麗だと思うけど、勿論自分で掃除しているんだよね。休みの日、1週間分の汚れた下着。まだママに洗ってもらってるの?食事の後の汚れた食器は誰が片づける?「**ちゃんはお母さんがいないと何も出来ないんだから♪」な〜んて言われてるうちは、残念ながらまだまだ「半人前」。やろうと思えばいつでも出来るんだから。え?習ってないから出来ないって?洗濯なんて全自動が主流になっているもの、洗剤と汚れた服一緒に入れてボタン押せば勝手にやってくれるわよ。知らなかった?
 そんな面倒な事したくないって言う人の方が多いわよね。確かに。親にやってもらうのが楽でいいよね。けれど、最近は「結婚したら必ず3食作って貰えるなんて思っている人ととはゴメンだわ」なんて思っている女性がいたりするんだな。まあ、こういうのは極端な例としても、親が自分の身の周りの世話をしてくれるのは、自分を子供(つまり「半人前」)としてしか見ていない事の現われであったりする。昔々、遠い昔、平均寿命が50歳程度だった頃は、親が早く亡くなるから嫌でも一人前にならなければいけない時期は、こんな事はなかったと思う。ま、その頃と今とでは社会情勢や考え方がかなり違っているから同じ様に考えてはならないのだけれども、「早く大人になりたい」なんて思っている割には、自分の事親にしてもらっている矛盾した人が多いのはおかしいと思う。それじゃあいつまで経っても、子供のままで「半人前」だよね。
 親の手厚い庇護のまま「半人前」を貫くか、親の甘い囁きを飛び出して「一人前」になるか、どっちを選びます?あたしは一生懸命「一人前」への道を走りますわ。




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