食中毒顛末記

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 最初に。文中に不適切と思われる表現がありますので、食事中に読む事をお勧めいたしません。

 それは1月23日金曜日。
 忙しさも一段落ついたという事で、会社の親睦会主催の新年会が繁華街の居酒屋で行われました。
 何か物足りない品数の中、飲む事で間をもたせ、ゲームやビンゴなどの余興で2時間。あたしは私用があったため一次会で場を去りました。そしてなんだかんだで家に帰り、その後も友人と電話したりしながら、日付変更線を超えてから眠りました。
 翌日、平穏に過ごし、夕飯は用意するのがめんどくさく、宅配のピザを頼んで食べたのですが、いつもならMサイズの半分はいけるのに、3切れしか食べれずに終了。今思えば恐怖はその時から始まっていたのです。

 それは日曜の朝。
 珍しく前日は夜遊びもせず、少し夜更かししたものの、ちゃんと睡眠をとった朝。「日曜はお寝坊の日」と決めているので、目が覚めても布団でごろごろしていたが、急に気持ち悪くなりトイレへ直行。そのまま嘔吐。胃の入り口に昨晩食べたピザが引っかかっている様な気持ちを思い切り吐き出す。その直後急激に下痢。いきなりの事で訳が判らなくなり、とりあえず「まだ早いから」と布団に戻る。胃がむかついてたまらないのだが、もう一度眠る事にする。そのとたん、下半身がこれまた急激にだるくなる。いつも熱が出る時は下半身のだるさからくるので、今回も覚悟を決め体温計を用意する。熱は37.5℃。平熱が35.5℃のあたしにとってはかなりの熱なので、「風邪ひいた〜」と悲しくなる。肩で息をするのを聞いて一緒に寝ている息子が起き出し、おなかが空いたのか勝手に冷蔵庫を漁っている。目をつぶって苦しさに耐えていると、肩を叩く息子。枕元には苺のパック。「はい、どうぞ」と一粒差し出してくれる。嬉しくなって2粒食べる。「ジュース持ってきて」と頼むと、冷蔵庫からペットボトルを出し、グラスと一緒に持ってきてくれる。中々出来た息子である。
 昼を過ぎても下半身のだるさは取れず、熱は38.5〜39℃を行ったりきたりしている。しかしいつもの風邪にありがちな喉の痛みが無い。あたしは風邪をひくと熱よりも先に喉に来る。喉に来ないという事は、「・・・もしやインフルエンザ・・・。そういえば札幌で流行っているって話しだし・・・」等と急に不安になってしまう。とにかく唾を飲み込んでも痛くない喉に、これは一大事だと、友人の医者に電話をする。しかし、繋がらない。「そういえば日曜の昼は撃沈しているんだっけ」と思い出し、また眠りに就いた。
 3時過ぎ。一度目を覚まし、温くなった額に張る冷却シートを交換する。だるさが少し落ち着いたのでインターネットに繋げて掲示板に目を通す。そして、友人の医者のページにいって掲示板に要連絡の書き込みをする。翌日の仕事が心配になるが、治る気配を感じない。会社の先輩の所に電話を入れ事情を話し、休ませてもらう 事にして、また眠りについた。
 夜になり相変わらず食欲はなく、電話のベルで起こされるまではそのまま眠っていた。
 ベルの相手は掲示板を見た友人の医者からだった。状態を話して、どうすればいいか教えてもらい、電話を切る。熱はまだ下がらない。うなじに冷却シートを張り、足の裏に湿布をして眠りについた。

 翌朝4時40分。ふと目が覚める。時計を見てまた眠る。だるさは取れない。

 朝。眠くはないが相変わらず下半身がだるい。熱は37.5前後。上がりそうで下がりそうで嫌な温度だ。車を運転するより子供が家にいる方が大変なので、病院の時間に合わせて家を出る。症状をいうと点滴をする事になった。「30分で終わります」と看護婦は言うが、どうも液が落ちる速度が速い。案の定血管痛が出て、腕から肩全体が痛くなってくる。自分で勝手に速度を調節して、倍の約1時間かけて終了。帰りにコンビニで食事を買って家路につく。テレビを見ながらの食事の後、医者ではない別の友人が桃とミカンとパインの缶詰とプリンを持ってお見舞いに来てくれる。帰った後テレビを見ながら横になっていると会社から電話が入る。そこで思いがけない話になる。

 最初「新年会で牡蛎何個食べた?」と聞いてきた。
 確かホタテの刺身とトレードしたのと、食べきれないからと言って貰ったのをいれて3個だ。
 それを次げるとこう言った。
今日7人休んでいて、共通しているのはみんな新年会で牡蛎を食べた人なんだよね」と。

 あたしは驚いてしまった。  今まで食あたりした事の無いあたしが、事もあろうに好きな牡蛎であたってしまうとは。
 そう。あれは高校を卒業して初めて勤めた会社。その頃真面目にお弁当を作っていたあたしは、冷蔵庫に入っていた鶏肉を焼いて持っていった。夏場であり、冷蔵庫に入っていたものでも腐っていないか匂いを嗅いで確認していた。何となく赤い汁が多い様に感じたが、大家さんである叔母が赤ワインに浸していたのだと思い、そのまま調理した。何の疑いもなくお昼に鶏肉は胃袋の中へ。家に帰り、夕食時、叔母が一言。「あの鶏肉、腐っていたんだけど、食べたの?」。顔に縦線が入ったが食あたりの症状を一つも起こさず終わってしまった。そんな経験を持つあたしが、食あたりでこんなに苦しむ事になるとは。

 翌日。寝過ぎのため朝の5時30分には起きてしまう。熱も下がってなんとなく調子もよさそうだったので、いきなりお風呂掃除を始め、朝風呂と洒落込んだ。胃が食物を受け付けないが、無理矢理押し込んでよしとする。会社までの道のりは遠かったが、遅刻をせずに到着。会社の人たちは顔を見るなり笑い出す。合わせるように笑い返すが、引きつるのはしょうがない。胃の調子が良くない。吐き気もある。顔色が優れず、立っているのもやっとだった。急ぎの仕事だけすませ、休憩しながらもどうにか時間までいる事が出来た。

 結局、調子が戻るまで食事はおかゆしか食べられず、木曜日の夕食にスパゲティーを食する事が出来て、ほぼ全快。金曜日のお昼は、みんなでお祝いに懲りもせず生ちらしを食べた。

 なんだかんだで、初めての食あたりの体験は「もう二度とごめんだね」。
 流石にスーパーで牡蛎を見ると胃が痛くなるが、今シーズン中にもう一度、牡蛎の酢の物を食べてやるぅ。




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