不器用だけれど恋は出来るよ

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 生まれながらに恋愛がうまい人っていないと思う。
 悩んで、傷ついて、失って、そうして上手になっていくと思う。自分の気持ちが判らなくなって、悔しさに涙を流したり、相手の気まぐれに振り回されて疲れたり、傷を一つ増やす度、大人になっていくと思う。あたしもそうやって恋をしてきた。
 生来愛情というものに遠い場所で過ごしてきた。だから尚更愛情に飢えていた。人恋しさから恋多き女になってしまい、いつも誰かに恋してきた。はたしてそれは本当の愛だったのかは判らない。けれども判っているのは、いつも誰かに恋をしていた、愛情を求めていた、それだけだ。
 今でも思い出す事がある。
 高校生の頃、ふとしたきっかけで中学時代の1つ上の先輩に恋をした。彼もあたしの存在を知っていた。たまたま一緒のバスで帰った道で、「知り合い」が「恋人」に変わっていた。
純情だったあの頃の図  逢いたくて何度もバスを乗り過ごしたバス停。わざと彼の家の前を通って遠回りして帰った事もある。別れたくなくて自分を殺して、相手の言うがままに振る舞っていた。今のあたしからすると、まるで自分らしくないつきあい方だけど、その頃はそれが自分らしい恋愛の仕方で、それでいいと思っていた。
 その彼とのつきあいは短かったけれど、「恋人」から「友人」にはなれた。それでも、つきあっていた頃の喜びを忘れられずしばらく片想いをしていた。何とか逢う口実を探して、廃盤になったと噂になっていたアルバムを見つけてそれをプレゼントしたり、彼の好きなアーティストのアルバムをレンタル屋で借りて歌を必死に覚えたり、着てもらえる筈のないカーディガンを編んだり、声をかけても不自然じゃないのに、わざと声をかけずに後をつけたり。今思うとストーカーといわれてもおかしくない事も、逢いたいという思いだけでやっていた。今では
笑い話にもならない事を、「あの頃は不器用だったな」と思い出すのである。
 二十歳を過ぎて、何人かの男とつきあい、自分を出す事を覚え、振ったり振られたりを繰り返して、恋愛も うまくなってきた。いや、うまくなったのは恋愛じゃない。男と女の「駆け引き」だ。
 状況に応じて押したり引いたり、自分に分があると思うと自分の本心に逆らってでも強気に出た。うまく行く時もあった。失敗して慌ててフォローする時もあった。
 でも、それって本当の恋愛なんだろうか。
 見るだけで良かったあの頃。一緒にいられればそれで良かったあの頃。そんな自分にはもう戻れない。恋愛に損得を求めようとは頭では思ってなくても、結局なにかしら自分の得になるように仕向けている。

 あぁ、やっぱり不器用なんだ。
 今でも恋愛はうまくなれない。




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