エッセイ「きゃるのたわごと」〜31:きゃるのじゃんじゃんばりばり〜

きゃるのじゃんじゃんばりばり

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 あたしはどう考えても賭け事が好きなようだ。お金を賭ける事をしなくても、賭け事が出来る手段は日常的に好きで、大体の手段は一通り会得した。
 まず小学校に上がる前にポーカーを覚えた。勝負があっという間についてしまうので、幼心につまらないと思った。
 小学校1年生の冬、継母の実家に預けられている時、「一生のお願い」という事で義理の祖母に花札を習った。これは結構頭を使うのでやっていても楽しかった。
 中学校の時は大人しくしていたけれど、高校2年になって「翌日のおやつ当番」決定の為のセブンブリッジをやっていた。正式なルールをくずしたローカルルールだったけど、6人位で勝負するからかなりな真剣勝負だ。3年生になって大富豪で大騒ぎしていた。普通の大富豪では面白くないので、わざと面白くする。たまたま同じ少女月刊誌の付録のトランプが4つ程集まった。それを一つにまとめて大富豪をするのだ。
 高校生の時覚えたのは他にもある。パチンコだったりする。行方不明を装った出稼ぎ先の契約更新の関係で1ヶ月程帰ってきていた父親が、時間潰しに通っていたパチンコに付き合わされたのがキッカケだ。流石にセーラー服では店には入れなかったから、父親のお供で出入りする以外は控えていた。ま、軍資金が全くなかったという理由もあったけどね。ゲームセンターなんかのポーカーゲームも割とやっていて、学ランしかいない怪しげなゲーセンにセーラー服で一人乗り込んでポーカーをやっていた。
 卒業してお勤めを始めると、自由になるお金も増えたのと、会社のおじさま達の影響もあってパチンコ通いが始まる。最初の頃は一発台(ある決まった穴に玉が入ると定量まで出玉を保証してくれる台。定量は5千発程度で当時1万2千円位)が好きで、バス代込みで1500円程握りしめて5百円でかけてお金と余り玉の景品のおかしを持って帰ったりしていたが、そのうち一発台が廃止になると家の近くのパチンコ屋でフィーバー機を横目に平台を楽しんでいた。
 最初の会社を辞めて次の会社に入社して次の春、一人暮らしを始めた。会社とは別にコンビニでのバイトを掛け持ちしていて、そこで知り合った友人とパチンコ屋巡り。そいつの影響でパチスロを始めた。初めて自分でBigを出したのが「スーパーバニー」。好きだったマシンは「ワイルドキャッツ」。あの頃はいい時代だったなぁ。
 本業の会社のお昼休みにしょっちゅう食事しにいった軽食喫茶で、設置してあるポーカーでフィーバーを出し、お昼ご飯代とお小遣いを稼いだ事もある。そんな事もしながらも、別の友人が飽きたからとファミコンソフトを貸してくれたので、前々興味のあった麻雀に手を染めるようになった。いわゆる「役」は何も知らず、説明書を読んでもよく判らなかったので適当に遊んでいた。それからパソコンを触るようになり、麻雀ゲームでルールも覚え、麻雀人生が始まってしまった。当時加入していた草の根ねっとの麻雀オフには必ず顔を出し、自分でも開催していたりもしていた。そしてインターネット。ホームページを開催してから1年後、お知り合いになった人からオンライン麻雀を紹介され、現在に至るのである。
 独身に戻ってからは、パチンコ屋さんに通う事がかなり減ってしまい、もっぱらオンライン麻雀で楽しんでいる。最近は週1〜2回。それでいい。それでも、役満は取れるのである。




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