振り返ってもあたしはいない

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 すでに倦怠期にどっぷりとつかっていた。
 会話が殆どなくなり、一緒にいるだけで重たい空気を感じるようになっていた。
 義務的に抱かれ、単純に性欲の捌け口にされていると思うようになった。
 もうこんな毎日は嫌だ。あなたとは一緒にいたくない。あたしはもっと自由でいたい。
 だからあたしはある事を考えた。とてもドキドキする事だった。口では対等といいながらあたしを従えていたあなたへ、最後の反抗的態度。あたしはあなたを街中の本屋へと誘った。
振り返ってあたしを探すあなたを見るあたしの図  あなたと一緒に歩いている。会話もせずただ無言で歩いて行く。少しずつ歩幅を狭くして、あなたとの距離が段々開いて行く。人込みに紛れて立ち止まる。あなたはそれでも気がつかない。あたしは後ろを気にしながら一歩ずつ下がって行く。一つ先の信号で立ち止まる。あたしは遠くからそれを見ていた。
 あなたはあたしがいないのに気がついて振りかえる。
 けれど、振り返ってもあたしはいない。

 何年か前、行方不明になったと大騒ぎになった。勿論あたしが。
 その当時は一人暮らしをしていて、大恋愛をした彼氏と別れ悲嘆に暮れていた。どうやって忘れよう、もう生きて行けない、なんて事ばかり考えながら、ただ流されるまま過ごしていた。
 そんな状態を近しい友人は知っていたものだから、急に連絡が取れなくなったと判ったとたん、「行方不明になった」とか「失踪した」とか大騒ぎしたらしい。本人はそんなつもりは全然ないだけに、尚更大事になっていた。後日その友人に電話を入れるとえらく文句を言われた。今となってはいい笑い話だけど。
 仕事を辞めて他の所に就職し、それと同時に引越をする。電話番号を変える。勿論「番号が変わりました」なんてアナウンスサービスは使わない。住民票の移動はしない。車を変える。髪形を変える。郵便局に転居の報告はしない。いつも行く店には顔を出さない。一度にそれだけの事をしたため、いきなり「失踪」した事になったらしい。
 正確に説明すると、電話回線は当時勤めていた会社から無償で借りていたもので、辞めたから当然返さなければならない。だから「番号が変わりました」のアナウンスサービスは使いたくても使えない。引越しにしても、丁度契約更新の2年目に入る月で、本州にいっていた父親が帰ってきたため、一緒に暮らす事になったから行った。不本意な引越しだったけど。車を替えたのも、会社を辞める直接の原因になった交通事故のせいで免停になり、「反省しなさい」と体のいい説教の後親戚に奪われた。そのため仕方なく父親の乗っていたワンボックスに乗る事になったからだ。髪形を変えたのは単なる思い付きで。郵便局への報告は面倒だったから。いつも行く店に顔を出さなくなったのは、仕事が忙しかったから。それだけである。
 今、もし失踪するとなったら、理由はさて置き前回と同じ様な事をするだろう。それにプラスして、持っているPHSの番号を変え、プロバイダを変え、ニフティーサーヴを辞める。これで連絡手段はなくなった。同じ町に住んでいても、よほどの事がない限り大丈夫。

 誰にも縛られない生活は気楽なものである。自分の思うまま、やりたい様に生きていく。好きな事だけ自分のペースで。実際あたしも失踪騒ぎの頃、やりたい放題やっていた。だけど、ふと寂しくなる事がある。一人でいる事が嫌ではなかったけど、でも誰かがそばにいて欲しい。とてつもなく孤独感に襲われ、親友に連絡を取った。結局、一人では生きて行けない事を悟った。

 ふと、人間関係に疲れて失踪しようかな思う時がある。誰も知っている人のいない街で、静かに暮らせたらなって。けれど、困るって言ってくれる人がいてくれるので保留にしていたりする。
 ま、今の所そんな事する必要ないけどね。




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