『彩のディスコード〜10月8日〜』
「片桐」
「あ、巧実くん、どうしたの?珍しいわね。美術室にくるなんて」
「ああ、ちょっといいか?あいつのことで話があるんだけどさ」
「彼のこと?」
「・・・なあ、その絵・・・あいつか?」
「え、うん・・・彼。私を救ってくれた絵よ」
「・・・」
「ねえ、巧実くん…実はね、文化祭の日・・・」
文化祭まであと3日。どこのクラスやクラブも追い込みに入りあわただしかっ
た。
もちろん私達「彩」もいよいよ迫ったバンドコンテストに向けて大詰めに入って
いる・・・はずだった。
でもここ数日、私はあんなに楽しみだったバンドの練習が憂鬱になっていた。
先輩と巧実先輩の間の緊迫した空気。そしてその影に見え隠れする片桐さんの存
在・・・。
そんな不協和音が、この彩を覆っていた。
「やめて!」
先輩と巧実先輩の言い争いに耐えられなかったのは・・・私だった。
積もりに積もった苛立ちと、まるで私の心を見透かされたように先輩にぶつけら
れる巧実先輩の言葉・・・。
「もういいから・・・やめてください」
もうその場にはいられなかった。言い終わるや否や校舎の裏の方へ走り出した。
少しでも片桐さんの影の見えないところへ・・・。
夢中で走ってきた先はいつもの帰り道の土手。息を切らしてそこに座り込んだ。
走ったせいか、まだ興奮がおさまらない。
「鈴音!」
巧実先輩が土手に座り込んでいる私を見つけた。
追いかけてきてくれてたことにも気づかなかった。
「巧実先輩・・・ごめんなさい」
顔を伏せたまま謝った。
私のことを気遣って先輩に言っていたって事に気づいていた。
それなのに逃げ出してしまった私・・・。
「あぁ、気にすんな」
巧実先輩も私の横に腰を下ろした。
「近ごろあいつ、どうかしてるぜ」
「・・・そうですね」
彩の不協和音を感じていたのは私だけじゃ無かった。
むしろ直接先輩とぶつかりあってる巧実先輩の方が身近に感じていたのかもしれ
ない。
「前の体育祭の後のミニコンサートの時もそうだった。突然曲を変更するとかい
って・・・いつもあいつの自分勝手に付き合わされる」
「・・・あのときは先輩、私のためにアレンジ変更してくれたんです」
「え?」
「私が体育で左腕を怪我して・・・キーボード弾くのも正直辛かったときがあっ
たんです。・・・そのこと黙ってたのに・・・先輩、何も言わずに変更してくれ
て・・・」
巧実先輩は驚いたように私の方を見た。
「あの頃は先輩・・・私のことをいつも見てくれてると思ってた」
そう、あの頃・・・私が先輩のことを想い始めた頃。先輩も私のことを想ってる
と信じた頃。
「でも・・・私のこと『彩の妹』としか見てなかった」
それが思い込みだと気づき始めた先輩の何気ない言葉。そして・・・今。
彩の中で私はいつも先輩の近くにいられた。いつか振り向いてくれると信じて
た。
「どうして・・・どうして片桐さんが出てきたんだろう」
「・・・悪ぃ」
巧実先輩の言葉にハッとした。
片桐さんをボーカルにしようと言い出したのは隣にいる巧実先輩だった。
「・・・ごめんなさい、そんなつもりじゃ・・・。巧実先輩は何も悪くないで
す。先輩だって、私が勝手に想い込んでただけで・・・」
「・・・そうか」
気まずさから思わすうつむいた。
「巧実先輩、私ってそんなに『妹』っぽいですか?」
「ん?」
私に付いてまわる「妹」という立場。
自分なりに脱しようとしっかりやってきたつもりだった。
「巧実先輩や康司先輩から見ても私って・・・」
「・・・なあ」
「はい?」
「鈴音から見て…俺は『彩のお兄さん』なのか?」
「え?」
「あいつが鈴音を見てる目と、鈴音が俺を見てる目・・・同じじゃないのか?」
一瞬、巧実先輩と目が合い、慌てて逸らした。
巧実先輩が私のことをどう想ってるのか、考えていなかった。
「いいよ、気にすんな。ごめんな、変な質問しちまって」
巧実先輩はバツが悪そうに笑った。
「・・・いえ」
私の方はもっとバツが悪かった。
巧実先輩の気持ちも考えず、一方的に気持ちをぶつけていた。
・・・巧実先輩にこれ以上何も言えなかった。
「ミニコンサートのこと、気づかないなんて俺もダメだな・・・。でも今度の新
曲、あれはあいつの自分勝手だ」
「きっと先輩、本当に納得できる歌が出来たから、自分で納得できる曲をやりた
いんですよ」
以前の変更が私のためだったなら、今度はきっと片桐さんのため・・・。
多分巧実先輩もそれに気づいていただろうけど、口にしなかった。
「・・・俺はもうダメだ。新曲がどうとか言ってるんじゃない。俺達4人の彩な
んだ。なのにいつもあいつ一人のために振り回されて・・・・・・鈴音のことだ
って。作曲者である前にあいつは彩のギターなんだ。なのにあいつは今の彩が何
も見えてないじゃないか」
感情を押し殺すように巧実先輩は話した。
巧実先輩が弱音を吐いたのを、初めて聞いた。
それだけ巧実先輩も今の彩に苛立ちを感じ、居辛くなっていたのだろう。
「鈴音のためにも・・・あいつのためにも、片桐から離れた方がいい」
独り言のように巧実先輩は呟いた。
「今日さ、片桐にあったよ。あいつの絵を描いてた。・・・それでな、片桐は
・・・」
「・・・すみません、巧実先輩」
急に巧実先輩が話し出した片桐さんの話題に、また私は不安に襲われた。
「あ、あぁ・・・まだ辛いよな」
「・・・今は・・・一人にして下さい」
「そうか・・・」
私のことを気遣ってくれたのだろう。それ以上何も言わずに立ち上がり、学校の
方へ戻っていった。
「片桐を・・・恨むなよ」
帰り際に巧実先輩は、何か寂しそうに言い残した。
ただ、その言葉は今の私の心を通り抜けるだけだった。
気持ちの整理を付けて家に辿り着いた頃には、もう陽が落ちかかっていた。
・・・明日はどんな顔をして練習場所に行けばいいんだろう。
(「・・・俺はもうダメだ」)
巧実先輩の言葉が頭に響いた。
もう巧実先輩は練習場所には来ないかもしれない。
もし私が行かなければ、ベースとキーボードを失った彩は、事実上機能しない。
・・・せめて、私だけでも行かなくちゃ。
そう思うと、一層心が重かった。
疲れてベットに体を投げ出した。
と、その時初めて練習場所にカバンを忘れたことに気づいた。
気落ちしたあまり、帰り道でも忘れてたことに気づかなかった。
・・・多分、先輩が届けに来る。
先輩と康司先輩、二人が残っていたが、不思議とそう思った
急な不安が私を襲う。
・・・まだ先輩を見るのは辛かった。
しかし、私のこの崩れかかった気持ちに決着をつける時は、もうすぐやってく
る。
それからすぐ、案の定、先輩がやってきた。
カバンを渡すと、先輩は私を公園に誘った。
・・・大切な話がある。
私の不安は一気に膨らんだ。
大事な話、先輩が何を言おうとしているのか、分かっていた。
切り出すのをためらっている先輩に、私の方から話し出した。
ミニコンサートの事、夏合宿の事・・・。
今までの先輩へのありったけの想いを全て。
先輩が話を切り出せないくらい、不思議と次々言葉が出てきた。
望みを繋ぎたいとかそういうのではなく…ただ今のうちにすべてを伝えておきた
かった。
先輩が二度と手の届かないところへ行ってしまう前に・・・。
ただ、思い出を重ねる程に、どんどん先輩への想いがこみあげる。
そして同じだけの辛さが私を襲う。
こんなに好きなのに・・・
悲しい結末は刻々と迫っている。もう逃げられない。
・・・全てが終わる。
「ねえ先輩、どうして私じゃダメなんですか。ねえ、どうして」
「私は妹なんかじゃない・・・妹なんかじゃ」
「片桐さんより私の方が・・・私の方がずっと先輩のこと好きなのに・・・」
・・・ごめん。
瞬間、全ては夜の公園に鋭い音を響かせ・・・終わった。
「『彩』なんかに入るんじゃなかった!」