『彩のディスコード〜10月9日〜』

(「彩」になんか入るんじゃなかった!)

次の日、私は学校を休んだ。・・・行けなかった。
一晩中、布団の中で泣いていた。
まだ昨夜の事が夢のよう・・・。
(夢なら醒めればいいのに・・・)
何度も思った・・・でも醒める事はない。
まだ右手に残る昨日の感触。
皮肉にも何よりの証拠だった。
何度も頭の中で繰り返される、先輩の最後の一言・・・。思い出すたびに涙が込
み上げた。
布団の中から見上げる天井。
昨日まで壁に飾ってあったペナントは、昨夜あの後はずした。
キーボードも、楽譜も・・・。
彩を思い出すもの全てを片づけた。
いつもと違うように見える私の部屋。

(「彩」になんか入るんじゃなかった!)
もし彩に入ってなければ・・・こんな思いもしないですんだだろうな。もっと違
う高校生活を送っていた・・・。
もう忘れよう、何もかも・・・。
片桐さんの事で悩む事はなくなった。同時に彩も、先輩も失った。
ずっと心の中を占めていた想いがぽっかりと空いた。
虚無感だけが残った。
窓の外から聞こえる、走り回る子供たちの笑い声。
今は何も考えたくない・・・。
ただ眠りたかった。



どのくらい眠ったろう・・・。辺りはもう薄暗かった。
窓から外を眺める。昨日の公園が見える。
公園から聞こえる秋を報せる鈴虫の声。きっと昨日も公園で鳴いていたんだろ
う。
でも追いつめられた私に、鈴虫の音色を聞くほどの余裕もなかった。
・・・あれからもう一日経つんだ。そう、ちょうど昨日の今頃・・・。
「鈴音、お友達よ」
「え?」
昨夜の事と重なり、脳裏に先輩の姿がよぎった。
今更お互いあわせる顔が無い。ためらいがちに玄関へ向かった。

「ハーイ、こんばんは、鈴音ちゃん」
「か・・・片桐さん」
「康司くんから伝言頼まれたの。明日のスタジオ練習は無し、だって」
「・・・」
「今日、休んだんだってね? 風邪? お大事にね。それじゃsee you」
「あ、片桐さん・・・」
「ん?」
「ちょっと、時間いただけますか?」
片桐さんを誘って外へ出た。 昨日のあの公園へ・・・。


昨夜の公園。昨日と同じようにブランコに腰を下ろした。
「昨日私、ここでフラれたんです・・・。先輩に」
「え?」
突然の話に片桐さんは驚いたように私を見た。
「だから、伝言してもらいましたけど・・・もう彩には戻れません」
「ダメよ。あんなに頑張ってたじゃない。新曲も出来そうなんでしょ?」
片桐さんは私の前にしゃがみこんで言った。
そう、新曲はもうすぐ出来るかもしれない。そしてその曲が全ての始まりだっ
た。
ただそのことを片桐さんが知る由も無かった。
「もう先輩には会えません」
「彼は曖昧にしたくないから言ってくれたんでしょ?あなたの事が大切だから」

「『妹』として大切なんですよね」
「・・・」
「分かってます。曖昧にしたくなかったって。・・・片桐さんがいるから」
「え?」
心とは裏腹の笑顔で答えた。今の私に出来る精一杯の表情。
結局私の想いは、先輩にとって迷惑なだけだったのかもしれない。
片桐さんは悲しそうな目で私の方を見ている。
その視線を避けるように、私は顔を伏せた。
片桐さんは私にかける言葉を探してる。
「同情・・・ですか?」
それを遮るように零れた言葉だった。口元だけが微笑んでいた。
「私がかわいそうですか?」
「そ、それは・・・」
顔を伏せたまま、涙のこぼれた手をギュッと握り締めた。
「先輩は片桐さんの事が好きだから・・・私の事・・・妹だから」
「そんな・・・」
「先輩には私は必要ないんです」
「そんなことないわよ」
「彩になんて帰りたくない!」
「鈴音ちゃん!!」
片桐さんは私の手を強く握り締めた。私はそれをおもいっきり払いのけた。

「いいかげんにしなさいよ!!」

鋭い言葉と同時に、払いのけられた手が私の頬に音を立てた。
「私だって彼が好きよ。あなたよりどうかは知らないけど、私だって」
呆然としてる私に片桐さんは激しく言い放った。
「彼があなたを妹として見てるって気づいてて、あなた何かした?なんであなた
から動こうとしないのよ。いくら近くにいたって、いくら長くいたって、いくら
想っていたって伝えなくちゃ何も変わらないわよ。」
叩かれた頬より、他のどこかが痛かった。
そして片桐さんは立ち上がり、私から目を逸らした。
「私だって、もっと早く出会ってれば・・・」
それ以上、お互い何も言えなかった。
目を合わせる事も無く、夜の深まる公園の外灯に照らされていた。


「私、あなたがうらやましかった」
しばらくして、片桐さんは優しい口調で話し出した。
「いつも彼の側にいて、いつも彼に守られて、彼が本当に鈴音ちゃんを大事にし
てるの、見てて分かった。何より女らしいし、私、あなたに少し嫉妬してた」
私がうらやましい?片桐さんの話が私にとってあまりに意外だった。
「あなたをいつも大事にしてたのは「妹」としてだけじゃないと思う」
「え・・・?」
「彼、本当に彩の事考えてたから、巧実くんも康司くんも鈴音ちゃんのこと大事
にしてるとわかってたから、自分だけ鈴音ちゃんを「特別」に感じる事にためら
ってたんじゃないかな?」
・・・特別に感じることを・・・ためらってた?
「巧実くんから聞いたよ、ミニコンサートのこと。鈴音ちゃんのこと好きだった
巧実くんでさえ気付かなかったことに気づいたってのは、それだけ彼が鈴音ちゃ
んのこと見てたってことでしょ?」
「・・・」
「でも彼は彩のことを考えるあまり、「特別」に感じることを恐れてた。「特
別」に感じた時、彩が崩れてしまうのを恐れてたのよ。だから「妹」として見る
道を選んだんじゃないかな?」
「・・・・・・」
「だからこそ、今度のことも曖昧にしたくなかったのよ。彩を守りたかったか
ら。それ以上に鈴音ちゃんを、これ以上傷つけたくなかったから」
「え・・・」
「それなのに鈴音ちゃんが彩を去ってしまったら、彼の気持ちはどうなるの?
・・・・・・彩に帰ってあげて。私には何も出来ない。今の彼を救えるのは、あ
なたしかいないんだから」
・・・私が先輩を苦しめている・・・。その事実が苦しかった。
「だから、彩に入った事、後悔しちゃダメだよ。彩に入ったから彼と出会えたん
でしょ。昨日の事で今までの彩の思い出全て忘れるなんて、悲しいよ」

・・・彩を思い出すことで、自然とその思い出の中に先輩がいる。
もう、手の届かない先輩が・・・。それが苦しかった。
ミニコンサート、夏合宿、そして毎日の練習・・・。
どの思い出にも、必ず真ん中に先輩がいる。
私のこの半年の高校生活は、彩が、そして先輩がすべてだった。
あたたかい、先輩が作ったメロディー。
やさしい、先輩の歌詞が流れてくる。
そして私の横でギターを弾く、先輩の横顔・・・。
私に話し掛ける、先輩の声・・・。
先輩の・・・私に向けてくれた・・・笑顔。

・・・気づくと、思い出と共に涙が頬を流れていた。
な、何で? 私はこみあげる涙を拭った。でも止まらない。
あれだけ苦しかった彩を思い出すことが、今は懐かしい。
あれだけ片桐さんから逃げていたのに・・・。その片桐さんは私のすぐ隣にい
る。
・・・何が本当に私の心を苦しめていたのか、分かった。
それはこの気持ちを押さえつけてきた私自身。

・・・彩に帰りたい。

何処かに置き忘れていた気持ちを思い出した。
意地を張ることで支えてきた私の気持ち。それが堰を切ったように思い出と共に
溢れ出した。
今の辛さで、あの楽しかった毎日を失いたくない。たとえ苦しくても・・・
彩は私にとって、かけがえの無い場所だから。

そんな私の様子を見ていたんだろう。
片桐さんは優しい瞳で私に手を差し伸べた。
「彩へ、彼のところへ帰ろうよ」
あれだけひどい事を言ったのに、優しく笑顔を向けてくれる片桐さん。
私は片桐さんに飛びついて泣いた。
片桐さんの温もりが、私を優しく包み込んだ。


どれくらい泣いたんだろう。落ち着いた私の横のブランコに片桐さんは座った。

「今ね、私、彼の絵を描いてるんだ」
「ええ、巧実先輩から聞きました」
「そう…。彼が、私をスランプから救ってくれたのよ」
「先輩も、片桐さんのお陰で曲が出来たって・・・」
「二人ともスランプの真っ只中だったのよ。それでお互い刺激しあって、抜け出
したのよ」
先輩と片桐さん、接点なんて思いつかなかった。でも二人は私の手の届かない場
所で、一緒に悩み、戦っていた。
私にとって憧れだった先輩と同じ場所に、片桐さんは立っていた。
「・・・やっぱり先輩には片桐さんが必要ですね」
諦めきったわけじゃない。ただ正直な気持ちだった。心の中で、もう片桐さんの
事を認めていると感じた。
私の気持ちは「あこがれ」だった、と。
「ありがとう。でもあなたも彼を助けてね。彼にはあなたが必要なのよ」
「そんな、私なんて・・・」
「彼がこれまでみたいにあなたの事を『妹』として見ると思う?気持ちの分かっ
た女の子をそうは見られないでしょ?」
「え?」
「一人の女性として見られるってことよ。あなたも守られてるばかりじゃダメ
よ。彼を守らなきゃ」
「一人の・・・女性?」
そう言うと、片桐さんはブランコを立ち上がり微笑んだ。
「そう、『彩の妹』はもうおしまい。『彩の美咲鈴音』になるわね。もう一回ア
タックするチャンスあるかもよ?」
それを聞くと、自然と私の口元から笑みが零れた。
「ふふ、もう大丈夫ですよ。やっぱり片桐さんでないと・・・」
自分でも驚くくらい素直に出た答えだった。頑なだった私の心は、いつのまにか
片桐さんに包まれていた。
「あれ?彼の事、諦めるの?」
不思議そうな顔で、片桐さんは私の顔を覗き込んだ。
「え・・・?だって・・・」
「私、ライバル宣言したつもりだったんだけどな。私だってまだ何も言われてな
いのよ」
「あ、でも・・・」
意外な言葉に戸惑ってる私に、片桐さんはポンと私の背中を押した。
「もう、自信持ちなさいよ。『妹』じゃなくなったのよ。お互いこれからじゃな
い」
そう言うと、今度は私の乗ってるブランコごと、背中を思いっきり押した。
片桐さんにはかなわないな・・・そう思いながらも嬉しかった。
諦めかけていた私・・・。ぽっかり空いていた胸の奥が満たされていく感じだっ
た。
「・・・いいんですか?そんなこと言っちゃって」
「もちろんよ。でも私も譲らないわよ」
お互い目が合い、笑った。
片桐さんに出会って最高の笑顔で・・・。

ありがとう、片桐さん。
言葉には出来なかったが、素直に思った。
片桐さんの言葉が本音なのか、励ましなのかは分からない。
でも片桐さんが押してくれた背中、もう少し頑張れる気がした。
・・・彩へ帰ろう。
いつものように練習場所へ行こう。いつものように先輩に話し掛けよう。
きっと昨日は私も先輩を傷つけた。これ以上先輩を困らせたくない。
何よりせっかく思い出した私の気持ち、自分に素直に行きたい。
きっと先輩は今も彩のために曲作りを頑張ってる。
そんな先輩を、少しでも助けたい、力になりたい。
今の私に出来る事。それは笑顔で彩へ帰ること。

私は思いっきり地面を蹴って、ブランコをこぎだした。
重かった心が急に軽くなっていくのを感じた。


そんな私の様子を見て、片桐さんは微笑んで言った。
「知ってる?男の子の彩ファンって、ほとんど鈴音ちゃんファンなのよ」
「え?」
「よりどりみどりじゃない」
意地悪そうな笑顔で問い掛ける片桐さん。
「私は先輩だけですから」
自信一杯に答えた私を見て、片桐さんは微笑んだ。
「うん、その顔よ。なんだ、鈴音ちゃんがボーカルした方が人気出そうじゃな
い」
「私、喉が弱いんです。それに片桐さんほど上手くないですよ。私も片桐さんに
ボーカルやって欲しいです」
「ふふ、sorry、ごめんねー」
「文化祭、ステージ見に来て下さいね」
「・・・うん、見てるわよ。鈴音ちゃんの事もね」
そういうと、片桐さんは私にウインクをした。

「それじゃ私、そろそろ帰るね」
「あ、片桐さん・・・今日はごめんなさい」
「気にしないで、私でよければなんでも相談して」
「はい。でも片桐さんも何かあったら私に相談して下さいね。一方的に相談する
のはイヤですから」
「ふふ、そうね、私たち『ライバル』だもんね」
「そうですよ」
そう言うと片桐さんは微笑んで、手を振りながら公園を後にした。
私も片桐さんを見送りながら、ブランコから腰を上げた。
そして大きく伸びをした。
目の前に飛び込んだ、満天の星空。

・・・ごめんなさい、先輩。もう少しだけ好きでいさせて下さい。

夜の公園に響く鈴虫の声。
その音色に包まれながら秋の風は優しく私の背中を押してくれた。
・・・・・・頑張れ・・・と





―あとがき
ディスコード(discord)とは、「不協和音」というほかにも「不和」「争い」
などの意味を持つ言葉です。
『彩のラブソング』のなかでの終盤の見せ場である10月8日を取り扱いまし
た。正直書き足りないところが多い一方で、長い文章になってしまいました。
このゲームのEDで見られる彩子と鈴音のツーショットの写真を見て、そこから
イメージを作っていきました。あれだけ彩子から逃げてきた鈴音がどうしてああ
いう顔ができるようになったか、そこを書きたいと思いました。
またドラマの中では悲劇のヒロインとして扱われてしまった鈴音にも、どうにか
ある意味でのハッピーエンドにしていきたい。そういう想いで書いていきまし
た。
ちなみにドラマCDを聴く前に書いているので、今は「彩ラブの裏側」的に書い
てますが、ドラマの流れの都合で、おもいっきりアナザーストーリーになってし
まいました。
前後半に及ぶ長い文章を読んでいただき、ご苦労様です。そしてありがとうござ
いました。


◇この作品への感想は、笹神びすくさん(ee96ei30@mbox.std.mii.kurume-u.ac.jp)までお送り下さい。


◆この作品の元となった作品『鈴の音のラブソング』がお読みになりたい方は、こちらをクリックして下さい。


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