072(以降パッソル)の開発もいよいよ大詰め。エンジングループでは12月の生産試作(後述)に向けたキャブレターのテストを行っていた。 キャブレターのセッティングは幾つかの手順がありますが、スペースを割いて書いていきたいと思います。 キャブレターのセッティングはスロー系とメイン系に分かれるジェット類やその他のパーツ加工によって、エンジンが要求している空燃費に合わせる作業。空燃費とはガソリンと空気の重量割合です。 エンジンがどれほどのガソリンを要求しているかというのは、ジェット類を交換しながら性能を測ることから始まります。ガソリンが多過ぎても少な過ぎても馬力は下がります、その中間では馬力が上がるわけで、一番馬力が上がる時のガソリン量をセッティングによって繋いでいけばよいのです。書くのは簡単ですが、実際は難しい。 スロットル全開で各回転ごとのガソリン量と馬力の関係を測定し、一番馬力出ている点から−2〜3%馬力が落ちた範囲をガソリン流量の許容範囲として「要求流量」のグラフを作ります。 ※この説明については特集にて詳しくお伝えしています。 この要求流量は山高のカーブを描いていて「流量カーブ」と言います。流量カーブの山がきついとセッティングは難しくなり、なだらかだと比較的容易といえます。 ジェット類の交換は勿論、ニードルジェットに空ける穴の位置や大きさ、その数を変える事で流量傾向を変化させることも出来ますが、騒音対策で重要なポイントであるエアクリーナーの”通気抵抗”でも影響も受けるし、マフラーの違いによっても変化をするので、エンジングループ内はもちろん、騒音グループとの連携も大事になってきます。 生産試作の日程が迫ってくる頃には、その部品手配の為に実験結果からミクニへ加工依頼、出来上がった物をこちらで確認し改良を加える。それで再び実験を行う・・・。そんな事を何回もキャブレター試作を行い、エンジンの完成度に合わせたセッティングへと改良されていく。 いよいよ本番、最終仕様のマフラー、エアクリーナー、シリンダ等で組み上げたエンジンに、ミクニで試作用のジェット類を使って組み上げたキャブレターを取り付けて流量傾向測定から始める。 そうする中で、どのメインジェットが良いのか決まるし、スロー系のジェットであるパイロットジェットも変えて性能を測っておく。 次の日は天竜テストコースで燃費計測。ここでは、20キロから5キロ飛びに測定するが、パイロットジェットやジェットニードルの段数を変更して燃費と走行フィーリングの確認、高低温環境試験室での低温始動性の確認などを行い、最終セッティングの仕様を決定すると共に、生産試作車用のマスター、略して”生試マスター”を決める。生試マスターは誤って分解しないようにネジに白ペンキを塗って封印をします。ミクニの熊さんは、これを会社に持ち帰り、生産試作車用キャブレターの生産に取りかかります。 もう少し早い時期、クラッチを担当するMさんはギヤオイル量を決めたり、ガスケット材の選定に苦心していましたね。エンジン性能を生かすのはクラッチセッティングがポイントで、担当するMさんは071から移ってきた方です。 チェーンによる駆動なのでクラッチは湿式になるため、オイルバス式と言う、クラッチがオイルに少し浸かった状態。そのオイル量、ウェイトの重さ、スプリングの強さなどでストール回転数やヒート時の性能に影響があるし、ケース内の気圧調整のためブリーザーパイプ取付のための穴も決めなくてはならなかったり、ギヤの音、チェーンテンショナーの設計など、やるべき事はたくさんあった。 で、ある時は”運転中の駆動系の中身を見たい”ため、アクリル製のケースカバーを作っていたが、このケースカバーの価格がなんと100万円。ケース内部のオイルを見るのが目的なので綺麗に”磨く”ため高価な物になるのだそうです。 (エンジン性能担当でも掃気ガスを見るために右側クランクケースをアクリルで作っていましたが、こちらはごく簡単な物だったが、それでも30万円) シャーシー上を走るバイクで、どのようにオイルが回っているのか、異音の発生源を捜したりするのに、部品を静止したように見るには実験用のストロボを使います。実験用のストロボは、つまみ一つで発光間隔を変えられるので、回転物の周波数と合わせることで、あたかも止まったように見えるのです。点火タイミングの確認に使うタイミングライトと違ってタイムラグが無いため正確に照射できるそうです。 ※ストロボと言っても実際には普段見るストロボと違って発光間隔が非常に短いライトで、正式な名前は忘れています。発光するときには独特の”カッカッカッ”という音がして、対象物があたかも止まっている様に見えます。 そうしたクラッチと潤滑のテストと平行して”ガスケット”も、苦労させられたのは、ガスケットには2種類あって、密着してオイル漏れを防ぐ物と、オイルを含んで密着度を上げオイル漏れを防ぐ膨潤タイプ。良かったり悪かったり、明らかに「こっちが良い」と言う結果がなかなか出ない。オイル漏れは品質上絶対に避けなければならない重要案件。それなのに、データが二転三転する事ほど歯がゆい物はない。”仕様決定”の難しさを思い知るときでもありました。 エンジンとクラッチのマッチングを見るために、実験室前の通路で実際に走り加速比べをする。体重が皆違うので、軽いN君にはウェイトを積んでもらい、「よーいドン」でスタート、加速を比べて直ぐに乗り換えてまた「よーいドン」。勿論、ロードパルとも比較して性能上負けない事を、何度も何度も繰り返し走っては確認する毎日。しかし、どこがどう違うんだか、加速ではロードパルを上回ってもフィーリングではパッソルの方が遅く感じてしまう。これは、生産が立ち上がった後、私の実験テーマになりました。 毎週の部長チェック、月一回の社長チェックでは、各担当車が試乗用試作車に最新の部品を取り付けて部長や社長に乗ってもらい、進行状況を確認してもらい、その都度完成度を高めつつあったパッソルですが、実際はどうだろうか?これで良いのか?と言った不安。パッソルのメインターゲットは”女性”なので、加速しすぎて危険ではないだろうか?、そんな心配から作られたのが、スロットルの開きすぎを規制する”ストッパー”。 ただし、スロットルには”遊び”が必要で、その遊び次第ではストッパーも役に立たないほど加速したり、かといって少しの所で規制すれば加速しない。一つの部品を作るにも大変です。 慣れている開発担当者は昔?スポーツバイクの開発をしている連中ばっかり。どうってこと無い加速でも、いざ女性が乗ったらどんなだろう?そんな時はいつも設計でトレースの仕事をしているいる女性Iさんを呼んでいた。 Iさんは浜北からGT50で通勤していた一で、身長が高く(170cm位あったかな?当時としても長身です)てスラッとしていた。もう一人名前は忘れてしまったが、こちらは免許は持っているけどあまり乗っていない。Iさんはバイクで通勤するくらいに乗り慣れているが、もう一人の方はそうでもない。こんな時はそちらの方が不安を持たない加速にした方が”安全”と言う判断でストッパーの位置を決めることに。 それでも、気づかない所があるかも知れない・・・。パッソルは女性を主なターゲットに絞り、原付免許を取ったばかりの人でも安心して乗ることが出来るようにとストッパーも付けて「本当に大丈夫か、乗り慣れているから良いと思っている?」。それを確かめるべく、設計の女子社員で免許を持っている人を集めての試乗会が開かれた。 場所は当時本社本館の道路を挟んで西側にあった”ヤマハテクニカルセンター”で行われた。約40人位の女子社員が代わる代わる乗ってアンケートに答えていった。一回目の結果から改良した部分もあり、2回目は本館事務の女性社員まで広げて試乗会を行った。 通常の耐久テストは当然行っていたが、「女性が毎日乗ったらどうだろう」の疑問から、Iさんに暫く通勤で使ってもらうことになった。 開発終盤のこの頃になるとパッソルも”072”の開発中のテスト車両として隠す事が少なくなっていた。 初期の頃、エンジンはロードパル、車体はプリテストのスクータータイプ。この頃からずっと長い事社外に出て走るときはスクーターに見て取れないようにフートボードには足で挟む形の衝立を付けていたが、それも付けないで走る様になっていた。 12月10日はボーナスの支給日、この日ばかりは全社員定時退社が基本。しかし、072の開発チームはそんな状況ではなく、普段より少しばかり早く帰れたかなと言う程度だった。 各部の生産仕様が決まると、一度ラインでの生産組立チェックを行います。そこで生産される車両を「生産試作車」、略して「生試車」と言います。あらかじめ、設計担当者と、ライン責任者との間で組み立て性のチェックや組み立て工程の割り振りなどが行われ、メーター回り等はライン上で組立てず、ライン横のスペースで組み立てておきます。これを「サブ組」と言います。 072=パッソルは「女性が乗るバイク、じゃあ組立も女性で」、そう言うことからパッソル専用の組立ラインは、食堂のある9号館南側に国内初めての全員女性という組立ラインが出来ました。 この時組み立てられたパッソルを使って、最終確認作業が始まった。ベンチでの性能テスト、定地走行での各種データの測定など。取り付けられる部品は試作品ではなく、みな各メーカーの生産ラインで生産された物。キャブレターも同じですが、キャブレターは加工による誤差が市場での不具合に直結するため、基準となるキャブレターを決める作業が必要です。 この生試車に取り付けられたキャブレターこそ、先述の生試マスターを元に作られた物で、通常の生産ラインで加工組立された物です。その中から、実験用に流量データを添付されたキャブレターが20個ほど送られてきました。その中から生試マスターのデータに近い5個を取りだし、性能データ、定地性能データを測定し生産の基準となる”生産マスター”を決定します。それに近いサブマスターも決められます。 全ての試験を行いベストな物2個を抽出して白ペンキで封印し、サブマスターは通常生産時の流量確認用に、生産マスターは大事に保管され、何か問題が発生したときの確認に使います。 年末頃には北海道と仙台での走行テストも行われた。パッソルは強制空冷なので、雪を吸い込んでファンが止まるだろうし、エンジンの始動性も現地で確認する必要があるため。 仙台は太平洋側なので気温は低いが雪は少ないから、冬場でもバイクに乗れる。だから、パッソルを冬場に使うことは十分考えられる。ただし、実験のスタッフが行くゆとりはないから、仙台支店の営業技術に始動性のテストを依頼して行ってもらった気がします。 雪の北海道に誰が行ったかなー?記憶はないけど、ファンに雪が一杯こびり付いて動かなくなった状態の写真や、雪の吸い込みを抑える努力をした写真などを見ましたが、とても走れた状態ではありません。 また、寒いと言えば長時間エンジンを掛けていると止まってしまわないか? と言うのも、ゴンちゃんが8号館前エンジンを掛けたまま置いていたらマフラーから大量の”ヘドロ”が吐き出されていたことに起因する。 排気ガスの中には水分が含まれているけど、それが外気で冷却されるとマフラーに残っているオイルと混ざり合い、ヘドロ状になってマフラーから吐き出されていたのだ。それが吐き出されるうちは良いけど、もし、マフラーの中に貯まってしまったら排気ガスが抜けないからエンジンは止まるわけで、確認のためエンジンを掛けたまま8号館外に置き、守衛さんにはエンジンを間違って止めないことと、ガソリンを途中で補給してくれるように依頼して翌朝を迎える事に。 翌日会社に行くと『何のテスト?』と、不思議そうにのぞき込んでいる人もいるけど、エンジンはちゃんと回っていて、守衛さんに確認にして「止まってなかった」事を聞いて一安心。マフラー下に用意した空き缶の中にはヘドロが沢山あったが、アクセルを開くとブワーッとヘドロを吐き出して周辺が汚れてしまう。 とにかく初心者はどんな使い方をするか分からないし、そうなった時の対処まで考えておかないといけないと言うことだ。 ここから追記 プラグといえば”NGK”か”DENSO”が決まり相場だが、コストを考えるとちょっと違った。 パッソルの標準指定プラグに採用が決まったのは”CHAMPION”だった。CHAMPIONといえばレース用プラグの世界では多く使用されていたが、一般の市販車への採用は実績がほとんどなかったので、CDIの採用と同じく、検証テストには慎重にならざるを得ない。私自身、あるモトクロスコースの下りを降りきったところでアクセルを開くとエンジンが止まり、再始動できなくて困ったことがある。その時のプラグがCHAMPIONで、NGKに変えればそんなことは起きなかった。そんな経験があっただけに疑いの目で見てしまう。 実績のあるNGKと比べると圧縮比が変わることや、性能も若干ながら落ちるし、プラグの温度変化が大きい。 ベンチでプラグの温度測定をすると、CHAMPIONは回転が上がるとともに温度もグングン上昇していく。対して、NGKは温度上昇が緩やかなので幅広い運転条件下に対応できる。 しかし、実走行で大きな問題になることはない、それにコストを聞くとびっくりなのである。当時のプラグの小売り価格は1本280円、それがNGKの工場納入価格は○○円! 分からないですね、2桁前半の価格です。ところがCHAMPIONではそれよりも約10円安い(−33%のコストダウン=算数が得意な人は答えが分かる!)価格。更に驚くことは・・・「はじめは”タダ”でもいいと言ってきた」らしいのです。 メーカーが標準指定プラグに採用すると、販売店では交換用にそのプラグを在庫として置くため、その利益でメーカーは潤うんだそうで、生産ラインでの組み付け用では利益が出なくても言いそうです。とは言うものの、本当にタダでは世間体もあるだろうし、NGKへの配慮もあるからでしょうか、そのような金額に決まったらしいのです。 生産試作用に入荷したCHAMPIONプラグを見ると唖然、一箱100本入りですが、その一本一本の電極が微妙にずれている、同じ物がないのです。まあ、それでどうのという程性能がシビアではない優秀なエンジンですから価格そのものに驚くばかり・・・。 |