●あれから20年・・・
あれから20年、一瞬の出来事であった。今まで知らなかったのであるが、阪神・淡路大震災の原因となった兵庫県南部地震の揺れの持続時間は、20秒にも満たなかったらしい(烈震部分は10秒にも満たないそうである)。
突然のドーンとたたきつけられる力で目覚め、部屋の中の豆球の明りがパッと消える。その後すぐに横揺れ。
自然の驚異的な力を見せつけられた一瞬である。
あの地震がなかったら、今も神戸を離れていないかもしれない。仕事・学業に10年近く利用していた場所も、家を取り壊してからは数えるほどしか近寄っていない。
交通が遮断されていたため1ヶ月程は、実家近くの店舗へ通勤したが、2月半ばからは最大で片道3時間近くかけて実家より西宮北口まで通勤。過労死寸前だったかもしれない。心配した家族のアドバイスにより芦屋に知り合いの部屋を借りて、1年近く勤務地ー西宮北口へ通った。給料の大半は家賃であった。
当時の店は、震災から数年後、場所を変えて新しくなって続いている。どれだけの人が、あの頃をささえた職員のことを覚えているのであろうか。
阪神・淡路大震災は地震の力が集中したため、神戸市でも壊滅的な被害を受けた地域と被害を受けなかった地域の明暗を分けた。揺れの影響は受けたが兵庫県西部にある実家でも何も変わらない日常生活を送ることができた。被害のないことはよいことであるが被災地へ行かなければ、そのことはわからなかったのである。
震災から1年後、阪神地域を離れて実家に戻った。そのあと偶然にも豊岡市とか佐用郡佐用町が勤務地となるわけであるが・・・。
当然のことであるが、影響のなかった地域では、被災地のことはわからない。映像などでは見るが、話題にないことも多いのである。
幾人からか言われたものである。
「わたしたち知らないから・・・」
「いつまで地震のこと言うとん・・・」
何も知らないのに聞かされる側からの正直な気持ちであるだろう。
でも、お願いします。
もし、そのような人が、あなた方のまわりにいたら、時間の許す限り聞いてあげて下さい!
わからなくてもいいです。
聞いてあげるだけで!
なぜなら、そのことが話している人の明日への第一歩となることがあるからです!
あれからも、いろいろな地域で自然災害がおきています。
阪神・淡路大震災での出来事も、教訓として幾らか生かされていると考えます。
もし、被災地のことを話す人がいたら、これからも少しでもいいですから耳を傾けて下さい!
●あれから15年・・・