●あれから15年・・・
2010年3月06日(土)、今日という日に感謝する。
今日と明日の2日間、学会でポートアイランドにいる。久々の神戸市内での宿泊。
記憶では、あの震災以来はじめての宿泊である。あれから15年か・・・。
ポートピアホテル本館29階、いま目の前に神戸の素晴らしい夜景がある。
何とも言いがたい・・・ものがある。
知らず知らずのうちに頭の中で、この15年を回想する。
10年目のときは、神戸の西区で勤務していた。
それから、会社を変わり、勤務地が豊岡市となり、勤務にも少し慣れたと思った頃、但馬地方は台風23号災害に見舞われる。
あの日の雨の降り方はいつもと違っていた。豊岡にまだ慣れていない私にも何か嫌な予感がした。
その1週間ほど前にも激しい雨が降ったことがあったのと、その日は水曜日で午後が休診だったので昼過ぎに閉局し、薬局の近くにあるマンションへと早めに戻った。
9階の部屋の窓に叩きつけるように降る雨が激しく窓ガラスの下から噴水のように部屋に雨水が入ってきたのを記憶している。サッシのところにタオルをおいて水が入ってくるのを塞き止めた。
夜になっても雨足は衰えることなく、21時頃だったか・・・避難するように求める車のアナウンスを聞いたが、豊岡に来てまだ3ヶ月ほどしか経っていない私にとって、避難所すらわからない。激しい雨と強い風で揺れる建物の9階で朝になるのを待った。その間にも窓からメイン道路の冠水を見ることできた。
夜が明けて部屋の東の窓から円山川とあたり一面の洪水を目の当たりにすることができたが、まさかすぐ近くで堤防が決壊していた・・・とは、そのときは知らなかった。
薬局の様子も気になったので9階から階段を降りて(エレベーターは止まっていた)、1階
に着いた。膝ぐらいまで水につかったが、何とか建物からは出ることができ、近い距離ではあるが、薬局までの道のり半分くらいのところで幸いにも冠水していない道路に出ることができた。立地が良かったのか幸いにも薬局はその時は水につかっていなかった(わずかに水ははいっていたが・・・)。社長に電話をし、その日開局するかどうか判断して頂いた。医院さんは休診されたが、その日は1日一人で地域住民のために平常どおり開局した。
そんな大水害にもかかわらず、その日は4人ほど来られたように記憶している。薬というよりも、訪れる方はいつも自分が来ている場所が無事であることを確認して安心して戻られるという雰囲気であった。それから約3年近くお薬をお渡しすることを通じて地域に人々とふれあってきた。
実家近くの会社に戻り、昨年5月頃より、勤務地が佐用郡佐用町となる。
阪神・淡路大震災、平成16年台風23号災害・・・、まさかと思ったが、少し嫌な予感もしていた。この勤務地でも災害が起きてしまった。何日か前に山口県の方で災害が起きていたことと、ここ何日かの雨の降り方が、どことなく以前勤務をしていた豊岡市で体験した雰囲気と似ていた。
8月9日は日曜日であった。ほとんど一日中降り続く雨が何か落ち着かなかった。勤務地と自宅とは約40kmほど離れている。車で1時間余りかかる。
あまりにも気がかりなので、河川情報や防災情報をインターネットをとおしてタイムリーに取り入れていた。20時頃だったろうか・・・?河川の水位上昇が止まった・・・?
NHKなどの報道機関のホームページから佐用町役場などが水に浸かったことを知る。佐用町のホームページにアクセスしてみるが開かない・・・何かわからないが予期せぬ事態が勤務地周辺で起こっていることを知った。それからも、夜中2時頃まではインターネットをとおして情報を取り入れていたが・・・、少し仮眠し朝7時前に仕事場へ向かうために家を出た。いつものように、たつの市新宮町をとおりさらに北へ向かったが香山のあたりで道路の冠水のため、さらに北へ向かうことはできなく迂回するように指示される。香島橋を渡り細い道を通り山越えし29号線を北へ向かった。中国道山崎インターチェンジのあたりまで来ると大渋滞に巻き込まれ約1時間近くその渋滞から抜けれなくなってしまった。職場に到着したのは9時30分頃だった。幸いにも仕事場周辺は冠水していなかった。
しかしながら、佐用町中心部は壊滅的な被害を受けてしまったことをテレビなどの報道をとおして知ることとなる。
水害で大きな被害を受けられた患者さんが薬局に来られる。涙ながらにそのときのことを語られる。あれから半年たったが、災害はまだ終わっていない。災害で受けたこころのキズは簡単には癒されない。私の今までの体験から水害の場合、豊岡市でのことではあるが
やはりこころが高ぶったのは同じような気象条件になる夏から秋の台風シーズン。特に緊張したのが災害から1年目の時。2度と同じことはないと思うが、巡り来る1年目はまた同じようにならないか・・・と過敏になってしまった。おそらく、あまり話題にはされなかったが多くの人々がそのように無意識のうちに感じられていたに違いない。巡り来る1年目を通過して、はじめて昨年の災害が特別なものだったんだ・・・とこころに刻むことができる。その時までは激しい雨が、災害が起こる以前よりも、気になっていた。
佐用郡佐用町の巡り来る1年目・・・わたしが何をできるわけではないが、過去の体験より・・・災害を受けたみなさんのこころを見守って生きたい。
ポートピアホテルの窓から見える神戸の夜景・・・静かにその光を放つ・・・。
ずっと静かに、変わらぬ生活ができるものと信じつつ・・・
どことなく、まだこころのどこかに不安を感じ続けている・・・今日この頃である。
●あれから10年・・・
●あれから20年・・・