朝、七時。そんなに強い陽射しでもないのに、太陽が眩しい。窓があるのかないのか、薄暗い部屋にいたので、照りつける太陽が皮膚をさす。明け方のすがすがしい空気が受け入れられず、むしろとがめられているような気すらしている。
 梅田の一画のホテル街にそんな朝は似合わない。夜には気づくこともない街の汚れ、そこに自分がいたことを消してしまいたくて、早歩きするのに、なかなか進まない。駅はまだまだ向こうだ。
 そのまま出勤するという彼を強引に起こして、一度、アパートに帰れるこの時間にホテルを出た。部屋に戻ったところで何ができるわけでもないが、そのまま大学へ行く気はしなかった。
 たとえ一分でも家にいたい。そうでないと、昨日の自分を引きずることになる。だから、何があっても一度は帰りたかった。
 彼は、昨日の外泊をどう妻に説明しているのだろうか。これまでは電車で帰れない時間になっても、タクシーを使ってでも帰っていた。それなのに昨日は、どうしても朝まで一緒にいたいと言った。外泊の格好の理由があったのかもしれない。疲れて少し眠ってしまったから、結局、帰るきっかけを失って、朝になってしまった。
 でも、帰ればよかった。
 わたしたちは、太陽が照りつけるところでは、逢ってはいけなかった。
 暗い虚構のなかでの関係でしかないのだ。虚構のなかで別れて、次の日は、何もなかったように、真面目に講義に出る大学生をやらなければならなかった。そんな二面性を適当に使いわけている自分に嫌気はさしていた。でも、だからといって積極的に何かを変えようとはしていなかった。
 家庭教師している中学三年生の生徒の親と私は関係をもっている。でも、生徒の親と関係をもったのではない。三回生の初めに、神戸の六甲山縦走に参加したときに知り合って、関係をもった男の子どもの家庭教師を私はしているのだ。
 わたしは縦走には初めての参加で、疲労困憊してフラフラと歩いているわたしを励まして、ゴールさせてくれたのは、主催グループのメンバーの一人の彼だった。自分だけでは絶対、ゴールできなかった。体力は限界なのに気力で身体が動かす、その気力をくれたのが彼だった。
 その後、そのグループの練習会に参加しているうちに、気のあう十人ほどで、飲み会に行った。三十、四十代ばかりのメンバーのなかに、大学生が一人入っていても、不自然さはなかった。年齢や立場より、山が好きで歩くのが好きなメンバーばかりだからだ。
 彼の家にもメンバーと何度か行った。妻は、私に好感をもっているようだった。

わたしの朝 3