今年もエントリー

 エントリーすることは、ずっと前から決めていました。去年、走り終わった瞬間から、来年もと思っていました。そうして自明のようにエントリーしました。
 今年こそしっかり練習してと思うものの、たいして練習できませんでした。
 いつも練習している峠に加えて、今年は桃山御陵までの結構な道のりを何度か走りました。集中して走れたのは、8月のその一瞬だったと思います。

 今年の丹後は、「このこと」抜きには考えられないことがありました。
 6月、7月と丹後を意識して練習を始めましたが、それどころではないことが起り、まったく走れない日々が続きました。「事件」は、7月9日の夜に起りました。その日から、わたしの生活は一変してしまいました。先が全然、みえずに今後、わたしはどうなるのだろうと、不安な毎日でした。丹後を走る頃って、自分はどうなっているんだろうと思うと、とても悠長に練習する気にはなりませんでした。HPにも、「しんどい、辛い」ということばかり書いていました。
 でも、10日後くらいにようやく走りはじめました。9月には、マラソンどころではないということになるかもしれないけれど、準備だけはしておこうと思いました。わたしの生活に大きなウェイトを占めていること、―HPも走ること― その両方ともができていませんでした。それは、わたしらしくないと思いました。そう思って再び走りはじめました。

 この1年は、わたしにとってあまりいい1年ではありませんでした。
 去年12月末に、神戸を走った納会ランの途中で、右足首が痛くてリタイア。足を蹴りだす筋肉の痛みでハリ治療の日々。兵庫レディスも篠山マラソンも去年のタイムよりずいぶんと遅いものでした。
 シーズンを終えて4月、5月は仕事の忙しい時期、そうして丹後にエントリーして6月にはサッカニーのシューズを新調しました。(結局、このシューズはまだ履いていません。)丹後を意識して練習したのも束の間で、「事件」が起りました。7月後半から8月初旬は、それでも走っていましたが、今度は左足首の故障で歩くのも辛くなり、さらに追い討ちをかけるように、階段ですべってお尻を強打して、こんなことでほんとに大丈夫やろうかと。
 まともに練習らしい練習をしたのは、8月の中旬から。夏休みを利用して3時間、4時間と少しは長く走れるようになりました。そして暑さを想定してあえて昼間も走るようにしました。
 決して順調とはいえませんが、走ることそのものがもうできないのではという状況からすれば、十分すぎたのかもしれません。そして、一度は諦めた丹後のスタートラインに立てたこと、そのものが奇跡的だったのかもしれません。

丹後への道のり

 丹後は交通の便があまりよくない上に、受付が弥栄町のあじわいの郷、スタートが網野北小学校と、自動車なしだと結構、たいへんです。
 去年は、東急観光でバスと宿泊のパックツアーで行ったけれど、時間があまりあわなかったことと、ちょっと不親切なところがあったので、今年は宿泊だけを申し込みました。異常に早い朝食やスタート地点まで送ってもらえることなどを考えると、ここはオフィシャルのほうがいいと思ったからです。
 行きはそれなりに列車はありますが、帰りが困りました。19時にゴールしたのでは、網野からの列車はありません。でも、そんな早くゴールできるわけもなく、宮津に21時に着けば、なんとか京都までたどりつけることがわかって、スポックさんにお願いすることにしました。他にも走快ねっとRCのメンバから、声をかけてもらっていたので、行きも帰りもなんとかなるやろうと、思っていました。
 ただ、「列車がダメでもだれかに便乗」という気持ちがどこかにあったからか、行きの列車の指定を押さえるのが遅くなってしまいました。これはかなり反省です。10時25分発の「はしだて」をとったあとに、11時25分の「きのさき」に変更して豊岡まわりで網野に入ろうとしたら、今度はバスがない。結局、指定を払い戻しして、10時25分に再び、変更しました。お金も労力も随分と無駄遣いしてしまいました。
 もうちょっと計画的にものごとすすめないといけないなと痛感しました。

準備

 ウルトラの準備ほど、あれこれ考えることはないでしょう。
 まず、ウェアは半袖、長袖の両方、タイツもロング。それを×3枚。トランジェットが2ヶ所あるので、念のためにその枚数分、準備しておきます。シューズは、ミズノ1足のつもりですが、万が一を想定してサロマをもっていきます。
 そしてドリンクは、125ミリリットルのペットを3本。これもトランジェット用です。去年はヤクルトミルミルでしたが、今年は、ヨーグルトのペットボトルをみつけました。これに黒酢ドリンクをいれて携帯することにしました。ぶどう糖を1袋とそれを携帯するための袋。チョコレートに飴が数種類。飴も同じものばかりでは飽きることが、今年の篠山のときに思い知らされたので、いろいろ準備しました。
 それともし暑かったら、350ミリリットルの水を携帯しようと思っていたから、そのためのウェストバッグと、まぁほんまに、暑いかどうか、雨かどうかとあれこれ考えていると、カバンが爆発してしまいます。
 そして今回は、もうひとつ念入りに準備したことがあり、その準備ができていたからこそ、完走できたようなところもありますが、これは、のちほど書くことにします。

プロローグ

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