スタート

 ウルトラのスタートはいつも静かです。そんなに緊張感もなく、これからの100キロのドラマを受け入れるべくカウントダウンを待つという感じです。
 走快ねっとRCのメンバで集まっていたので、スタート後、しばらくはみんな一緒くらいのところにいました。普段のレースだとこんなこと絶対にないけれど、これもウルトラならではでしょう。
 わたしは自分のペースが今ひとつわからないまま、走っていましたが、妙に汗をかいているのが気になりました。暑いのかなぁ、それにしてもこんなに汗をかいてしまって大丈夫なんだろうかと、少し心配になりました。最初の七竜峠は、とくに問題なく越えて、10キロあたりで、伴走参加のスポックさんに追いついてしまいました。「ちょっと速くない?」と思いつつ、相変わらず汗が多いのが気になりました。
 10キロは1時間9分。ペースはちょうどいいけれど、そのわりに疲れていました。10キロを越えてから、少し吐き気がしてきて、何度も「げっ」となっていたのですが、それはそのときには、あまり気になりませんでした。
 10キロを少し越えたくらいで、小型カメラで撮影されているランナーが1人。昨日の受付のときから、カメラがついているのは知っていましたが、どういう企画なんでしょうか。メキシコ人?と、日本の若者(タレント?)のうちの、若者のほうです。ヨレヨレになって、時折、屈伸しながら、進んでいました。もうヨレヨレだったので、抜かしていったけど、こういうヨレヨレ姿っていうのは、テレビ的にはおもしろいのかもしれないけど、かなり疑問です。おそらく峠で脚が潰れたんでしょうけど、その姿って、とても100キロのレースに挑戦するランナーとは思えないくらい、ひどいものでした。まだ10キロそこそこなんやから、せめてもうちょっとまともに準備してから走ってほしいなぁと思いました。
 このときは、わたしもこうやって人のことをかまっている余裕があったのです。
 というか、このときわたしは、かなりヤバイ状態でした。ヤバイわたしが抜かしていくなんて、テレビの企画にしてもひどすぎない!と思っていました。

 距離表示は2.5キロごと。あまり時計は気にしないことにしていました。
 エイドでには必ず立ち寄って、水分補給するようにつとめていました。どうも暑くなりそうですから。
 相変わらずの汗と吐き気。あまり調子はよくないなぁ。わたしもあのタレントランナーと同じ道をいくのかなぁと、不吉なことを考えていました。

16.5キロ 最初の異変

 16.5キロ地点は、ウェアの脱ぎ捨てができるところで、ちょっと大がかりなエイドです。
 並んでいないところでトイレに行っておこうと、トイレに入ると、そこで安心してしまったのか突然、激しく嘔吐してしまいました。
 「どうしよう、どうなってるんやろう」と不安のまま洗面台のところへいくと、今度は吐きはしないけど、しばらく吐き気で「ゲッー」と七転八倒。苦しくて、涙がでて、顔面蒼白になっていました。
 「もうダメかもしれない」と不安になって外にでると、浜ちゃん、さぼちゃん、そして車で応援のはまちゃんに遭遇。
 「吐いてしまってん」と訴えると、随分と心配させてしまいました。
 吐くということの身体のダメージより、自分がそんなことになってしまったということがショックでした。
 はまちゃんから「身体冷やさないようにね」とアドバイスをもらいました。ありがとう。
 よっぽどここでリタイアしようかと思ったけれど、走れなくはなかったので、先へ進みました。でも、今日のレースは間もなく終わるだろうなと、そんな予感はしていました。
 ダメだけど、とりあえず行ってみよう、そんな気持ちで先へ進みました。
 リタイアの口実は、もう十分でした。トイレで吐きながら、衰弱している自分を感じました。こんな状態でもう走れるわけがない。残念だけど、リタイアするしかないと思いました。
 久美浜湾を1周する風光明媚なコースにもかかわらず、そんな景色を楽しむ余裕はありませんでした。さっき、はまちゃん、さぼちゃんより先にエイドをスタートしたので、しばらく前を走っていましたが、すぐに追いついて少しのあいだ一緒に走りました。
 「花子さん 大丈夫ですかー?」と浜ちゃん。
 「いっぱい、いっぱい」と答えるのが精一杯でした。
 100キロの大会に出ていて、まだ20キロもいってない状況です。90%くらいの力で走っていて当然のはずが、わたしは120%の力で走っていました。こんなところで、力を振りしぼっていては、最後まで走れるわけがありません。
 「もうダメ、リタイア」と確信していました。
 浜ちゃんん、さぼちゃんと離れて、しばらくすると、和歌ちゃんが後ろから声をかけてくれました。
 「もう次のエイドでリタイアします」と、和歌ちゃんに伝えると、もう安心してしまって、トボトボと歩き初めてしまいました。20キロもいかずに、それもフラットかほぼ下り坂で、脚が止まってしまいました。
 「何で?」と思ってもそうなったのですから、仕方ありません。未知の距離でそういうことになったのなら仕方ないですが、まだ20キロそこそこです。練習でも十分にこなしている距離、上りも下りも、もっとストイックなコースを練習場所にしているのに、なぜ? どうしたんだろう? 昨日は前夜祭にも出ないで、今日のために体調を整えたはずなのに? どうして? どうしてわたしの身体は動かないんだろう?
 ほとんど身体は止まっていましたが、ちょうど宿泊していた湊宮あたりだったので、もし、民宿の前に出てきてくださっていたら、申し訳ないと思って進んでいったけど、そろそろ60キロのランナーの出発時間が近かったためか、元気な女将さんの顔は見れませんでした。
 わたしの丹後は久美浜湾1周で終わりかと、思いつつ、30キロポイントへ着きました。
 もうダメと思ってから、もう10キロ以上走っているのかなと思うと不思議な気がしました。30キロでリタイアするつもりが、わたしのなかだ「エイドに長居してはいけない」という条件反射があって、スポーツドリンクを飲んだら、すぐにエイドを立ち去って、前に進んでしまいました。
 「あれ、リタイアは?」と自分にといかけながら、久美浜をあとにして、再び七竜峠です。

 20箇所以上あるエイドで、3分止まっても60分経ってしまいます。制限時間ギリギリのわたしはエイドでゆっくりする余裕はないということは、スタートのときからわかっていました。だから、アメやぶどう糖を携帯して、エイドでエネルギー補給しなくても大丈夫なように、準備をしていました。今年は、ぶどう糖がずっと口のなかにあるようにしていました。
 20キロを越えて、まわりのランナーが少なくなってきたので、吐き気がするときは、それを殺さないで、そとに出すようにしました。「ゲッ」とえずきもって走ってるのって、かなり怪しいけど、でも、そうやって外に出すと、楽になれました。
 もうリタイアのはずなのに、ぶどう糖は口のなかにいれていました。とっても矛盾していたけど、なんかそうしていました。
 30キロを越えて、少しはましになってきたかな、でも、こんなに遅れたらもう完走はできないな。仕方ないなと、あきらめつつ、走っていました。

丹後歴史街道2002
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