なぜか復活

 30キロを越えて、先ほどまでの辛さは解消されていました。でも、随分と遅れていたので、完走するという気持ちは全然、ありませんでした。まわりにいるランナーもそんな雰囲気ではありません。
 「来年、リベンジですね」と声をかけてくれる人もいました。
 まぁそうなんやけど、でも、そういうのは、人を道連れにしんといてほしいと思っていました。そう思えるってことは、復活していたからこそかもしれません。
 35キロからは、最初の難所と覚悟を決めていた2回目の七竜峠です。
 去年の経験から、この峠さえ越えたら、苦しいところはないと思っていたので、この峠はがんばろうと前向きに上ることができました。前半で歩いたりしていたので、脚はとっても元気です。しっかり上って、山からみる景色は最高でした。こんな高いところから海を眺められるなんて、なんと贅沢なことかと思いました。さっきの久美浜湾では、そんなこと感じる余裕がありませんでした。調子が悪いと、見えるものひとつ違ってくるようです。
 35キロを越えたくらいで、鈴木さん親子(お母さんがブラインドで娘さんがいつも伴走されています)に遭遇しました。MBSの報道の車がついていて、追いつきそうになりました。
 鈴木さん親子は、わたしが走り始めた頃、すで走ってられて、同じ京都在住ということで、大会でご一緒することが多く、「強いなー」と思っていつもみていました。サロマ100キロも完走されている方ですから、そういうランナーに追いつくというのは、心強かったです。
 追いついたけれど、報道の車がずっとついているので、ここにいてはヤバイと思って、車の前に出るようにしました。わたしが完走できるなら、テレビに映ることは嬉しいけど、映っているわ、完走はできていないわでは、格好悪いので前に出ることにしました。ここで頑張って前に出たことで、これまで動かなかった身体が少し、動き始めたように感じました。

 40キロ。去年は、ここでNAMIさんたちに遭遇して、そこから少しの間、同じところを走ることができたんだなぁと感慨深くそこを通り過ぎました。
 相変わらずエイドは、スポーツドリンクだけ。エネルギー補給は、飴とぶどう糖でした。
 かなり暑かったので、エイドでは水をかぶるようにしました。かぶるための水にバケツと柄杓が準備されていました。後半では、ここに氷が準備されていました。主催者の心遣いを感じました。
 40キロからはしばらく下りです。
 次のエイドは浅茂川港だと思うと、少し頑張れました。
 今回は、エイドごとに、「ここは○キロ地点です。次のエイドまであと○キロです」という表示が必ずありました。距離表示は2.5キロごとにあるので、それとエイドとの表示で、「次、次」という感じで目先の目標をクリアすることができました。
 わたしも、もちろん完走するつもりはなくて、ただ「次」と漠然と考えて前に進んでいました。16キロでリタイアするつもりだったけど、40キロまでこれたことで、かなり満足していました。フルの距離、走れたからいいやん、と思っていました。
 気温がかなり上っていたのでしょうか。かなり喉が渇きました。わたしは、125ミリリットルのペットボトルを持っていたので、エイドごとにそこにスポーツドリンクを補給していました。途中、地元の方が、冷たいお茶を出してくださっていたので、それもペットに入れてもらいました。少しあせっていて、ろくにお礼も言わずに先に行ってしまったように思います。かなり反省。
 でも、とっても嬉しかったです。そのお茶があったからもう少し先をめざせたのかもしれません。
 46キロの浅茂川の漁港で、ずっと先に行っているとばかり思っていたさぼちゃんととっちゃんに遭遇。
 「あれぇぇぇぇぇ」という感じ。というかわたしが46キロまで走ってきたというのが、信じられませんでした。ここまでくるとまわりのランナーの様子も違っていました。さっきは、「来年、リベンジ」と言っていたけど、今は足取りがしっかりしているランナーと一緒です。46キロにきて、「もしかしたら、いけるかもしれない」という思いがかすりました。だから、今年は並ばなくてもうどんが食べれたのに、ガマンして先を急ぎました。でも、急ぎすぎて、もっと水分補給をすべきところをあまりとりませんでした。
 浅茂川を過ぎてしばらくして、水分補給が十分でないことに気づいて、自販機でアクエリアスを買いました。数人のランナーに目撃されて格好悪かったです。だって、さっきエイドあったばっかりなのに、自販機で買っているのですから。でも、この際、そんな格好の悪いことは言ってられません。「喉が渇いた」と思ってからでは遅いのです。アクエリアスを飲んで、網野の街中から弥栄です。あじわいの郷を越えて、弥栄町役場までは約10キロです。とにかくこの10キロをがんばろうと思いました。
 40キロまでいけて嬉しかったけど、50キロまでいけたらもっと嬉しい。50キロまでいったら、もう十分、だから頑張ろうと思いました。
 ここからは、応援が多くて去年は、歩きたくても歩けなかったところです。今年も、同じように地元の方が応援してくださって、感謝の気持ちでいっぱいでした。網野の街中では信号を守って進まなければならないのですが、わたしの前の10人くらいが足止めになって、わたしが到着すると信号が青になって、1度も止まることができませんでした。1回くらい休憩させてくれたらいいのにと思いつつ、たくさんの応援に後押しされて弥栄町へ。
 弥栄町でも相変わらず応援が多くて、やがて「あじわいの郷」へ。ちょっとした上りですが、前半でまったく無理ができなかったのが幸いしてか、脚が動きました。「あじわいの郷」へこれたって、ほんとうに信じられませんでした。もうリタイアのはずだったのに。
 ここのエイドには、梅干がありました。わたしは、これまで梅干で何度も生き返ったことがあるという縁起のいい食べ物です。梅干を食べて、あと少し。あじわいの郷の出口では、後ろのランナーとすれ違えるのですが、これもどことなく嬉しいものです。
 「あと少し、あと少し。とにかく弥栄町の役場までは頑張ろうと思いました。
 去年は50キロで6時間。そのタイムには及ばないけれども、完走がまったく無理ではないタイムになっていました。「このまま頑張れたら、最後まで走れるかもしれない」とそのとき、初めて思いました。
 トランジェットのある弥栄町役場、55.9キロまで行けたら、なんとかなるかもしれないと思うと、とても元気になりました。この橋を渡ったらと、去年のことを覚えているので、かなり落ち着いて弥栄町役場に着くことができました。

丹後歴史街道2002
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