せっかくの復活が……

 55.9キロの弥栄町役場に着きました。これまでのエイドであまりゆっくりしてこなかったので、ここではトランジェットもあるし、少し時間をとることにしました。予定ではここで7時間と思っていたので、ほぼその時間です。後半、走れるようになったので、だんだんと去年のペースに近づいてきました。ゆっくりとはいえ、そんなに悠長にはしてられない、ここの数分で関門時間にひっかかるかもしれないのだからと、気を引き締めました。
 エイドで何かと思ったけれども、何か食べたいという気持ちも飲みたいという気持ちも起らなかったので、トランジェットを受け取って、女子用の更衣室に荷物をおいて、携帯する荷物の詰め替えをしました。ぶどう糖は準備したのが全部、なくなったので、準備したものに変えて、飴も補給して、ペットも準備したものと交換してと。
 そして何か食べたほうがいいはずなんですが、トランジェットに準備した100キロカロリーのゼリーは一口含んだだけで、それ以上、喉を通りませんでした。サバスの小さな80キロカロリーのゼリーを無理やり口の中に入れて、少し細かくしてそれをスポーツドリンクで流し込みました。そしてサバスはもう1個、携帯して、途中で口に入れようと思いました。ぶどう糖をとり続けているとはいえ、まともに食べていないという自覚があったので、何か口にしなければと思っていました。何度もガス欠した経験から、「お腹が減った」と思ってから食べても、それが効くには時間がかかるのがわかっていたからです。
 携帯するものも準備して、エネルギー補給をして、ここでトイレに行っておこうと行ってみるととんでもないことになっていました。(そういえば、吐いたのも16.5キロのトイレでした。)
 スパッツが汚れている ―ゲッェーーーー!生理が始まっているぅぅ、、、、、、。その場で卒倒しそうになって、どうしよう、どうしよう、どうしようと。濃紺のスパッツだったので、そとからは汗をかいたくらいにしかみえなかったかもしれないけど、でも、どうしてー。あと数時間待ってくれたらいいのにぃと、絶望的になって更衣室に戻ってきました。30キロ付近ででトイレに行ったときは、そんなこと全然、なかったのに、ほんとうになんて運の悪いことだろうと、悲しくなりました。
 もしかしたら、こういうこともあるかもしれないと思って、準備していたのが幸いでした。
 「落ち着け、落ち着け。予想の範囲なんだから」と自分に言い聞かせて、着替えて痛みを抑えるのに薬も飲んで荷物をまとめました。自分では「落ち着け」といっているけど、全然、落ち着けませんでした。こんな状況で走り続けられるんだろうか。これからは上りもキツイけど、下りもキツイです。下りはただでさえお腹にひびくのに、大丈夫だろうか。もうダメかもしれない。ここまで走れたのは、奇跡的だけど、やっぱり今日はダメかもしれないと、絶望的になっていました。
 そうして更衣室で、さぼちゃんに遭遇。身体の状況を訴えて、ダメかもしれないけど、頑張ってくると言って役場をあとにしました。
 せっかく去年のタイムに近づけたのに、こんなことになっているとは、信じられませんでした。
 でも、とにかく行けるところまで行ってみようと思いました。

 しばらくは平坦で60キロからしばらく上りです。ここが上りだったから幸いしたのか、よくわかりませんが、お腹が痛いというような自覚症状が全然、ありませんでした。自分の身体に起ったことはショックでしたが、身体そのものはそんなにダメージがなかったので、予定の範囲で前に進むことができました。碇高原の坂は歩くと最初から決めていたので、そのようにしました。走れないほどの坂ではなかったけれど、「ここは歩いても大丈夫。あとがあるからここでは歩く」と心に決めて歩きました。
 64キロで少し、下ったあとは、もう一度、すごい上りです。
 ひたすら歩きました。「大丈夫、ここは歩いても大丈夫」と何度も何度も自分に言い聞かせて歩きました。去年は、豪雨のなか、方向感覚を失いながらここを歩いたんだなぁと思うと、今年は天国のようです。陽射しは少しキツイけど、蔭に入れば涼しいし、風がふけばなお涼しい。73.3キロまで10時間を十分にきれそうな感じだったので、ここではじめて、「完走しよう」と思いました。がんばればいけるかもしれないと確信したのは、73.3キロのポイントに入る直前でした。
 幸いにも脚が生きていまいた。去年は前半、とばして後半は脚の痛みと同居しての走りだったけれど、今年は、脚は全然、大丈夫でした。前半、調子悪くて歩いていたことが、こんな幸運をもたらせてくれるとは夢にも思いませんでした。
 80キロまで一気に下ってあとはボチボチといけば、時間内になんとかなるかもしれないと、そう思って次のトランジェットポイントへ向いました。
 実は、このあたりで、走快ねっとRCのとっちゃんと和歌ちゃんにすれ違っているのですが、73.3キロポイントの前か後か記憶が曖昧です。どちらに先に会ったのかも定かではありません。
 とっちゃんに会ったときは、なんかわたしが抜かしていくのが申し訳なくて、「わたしに会ったら、縁起悪いねぇ、ごめんねぇ」と言って過ぎていました。和歌ちゃんは、わたしがリタイアすることを告げた人ですから、まさかわたしがまだ走ってるなんて、思ってもいられなかったと思います。
 何度も書きますが、前半、まったく走れていなかったおかげで、わたしの脚が生きていて、70キロを越えても走ることができたのです。去年はもう後半はいっぱいいっぱいで、足首が痛くてどうしようもなかったけれども、今年はそういうことなくて、後半へいくほど元気でした。とっても不思議でした。

丹後歴史街道2002
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