残り5キロから走ろうと思っていたのに、身体が動かなくて、それなら残り3キロでは絶対に走ろうと思ってトボトボと歩いていました。残り5キロからは少し下っているので、丁度よかったのかもしれません。
あと何キロあたりか忘れましたが、「最後のエイドです。きのこの山、箱ごといりませんかー」と言ってくださる。あぁ、たくさんのエイドの方にお世話になったものです。エイドでたくさんの方に支えていただいたからこそ、ここまでこれたのです。
後半は、暑かったので、飲み物にも氷が入っていました。かぶり用の水にも氷を入れていただいていて、何度、生き返ることができたか。たくさんの方にたくさん支えられてここまでやってきました。ほんとうにありがとうございます。
左手には離湖(りこ)という湖が広がっています。この湖を越えて、八丁浜がゴールの網野北小学校です。いろいろ口に入れていたおかげで、ガス欠からも回復して公約通り残り3キロ地点からは走りました。そのとき、細かくラップをとっていたのですが(だって、わたしのナイキ、300ラップとれるから)、歩くと11分くらいかかっていたのに、走ると7分でいってしまいます。元気すぎます。こんなに元気を残して、どうするの?ってくらい。離湖を過ぎて、あと1キロ。カウントダウンももう終わり。すれ違う人がみんな、声をかけてくれる。自ずと笑顔になりました。
あと800メートル。800メートルって、トラック2周よね。遠藤さんなら2分10秒くらいで走ってしまうけど、わたしは何分かかるんだろうと、そんなことを考えていました。(遠藤さんというのは、中大の800の選手の遠藤瑠美子さん。とっても美しい方でファンなのです。)わたしは5分くらいでいけないかなぁーと、ここまできたら、こんな余裕もありで、網野北小学校のゴールへ向いました。
網野北小学校を入って、すぐのところに、走快ねっとRCのメンバがいるのは、すぐに気づきました。みんなもすぐに気づいてくれて、その集団が一瞬、わぁっとなったように感じました。
まさか、わたしが最後まで走っているなんて、誰も思っていなかったと思います。もうリタイアするって、はっきり言っていたから。でも、最後まできてしまいました。信じられないです。
最後の足取りは、さらに軽くなって、納豆太郎さん、澤ちゃんがカメラをもって一緒に走ってくださいました。高瀬みどりさんも「女性ランナーが、制限時間30分の余裕をもってゴールです!」とアナウンスしてくださいました。ゴールをしてメダルをかけてもらって、チップをはずしてもらっていると、メンバがみんなゴールにきてくれました。みんながよかったねぇと、言ってくれました。わたしも、ほんとうにここまでこれると思わなくて、こうやっておめでとうを言ってもらっているのが信じられませんでした。
みんなで写真を撮ったりしていると、とっちゃんがゴールです。
わたしが抜かしたときには、「もうリタイア」のようなことを言ってられたのに、たしか90キロを越えて、わたしを抜かしたんではなかった?(よくわからなかったので、声をかけていませんでした。) リタイアって、ウソじゃない。ちゃんと最後まで走ってられるじゃない。わーい、一緒、一緒。一緒にゴールできてよかったねぇ。そしてまた、最近、関西にこられたというさとしさんがゴール。わたしととっちゃんとさとしさんの3人がメダルをかけて、ハイポーズ。そして、みんなと一緒に写真をパチリ。
すばらしいタイムで完走した人、初100なのに余裕で完走した人、リタイア寸前で生き返った人、残念ながら最後まで走れなかった人。みんないろんな気持ちだけど、頑張ったのは、みんな一緒。みんな、今日1日頑張ってよかったね!
そしてはまちゃんも、ゴールにきてくれていました。朝早くからの応援、たいへんだったと思います。ありがとうございます。そして、完走を、一緒に喜んでもらって、ありがとう。
自分が自分だけのために走ったみたいだけど、たくさんのスタッフの支えがなかったら、とても走れませんでした。そして、途中で不調を訴えながらも、なんとなく前に進めたのは、仲間がいたからかもしれま
せん。無理をするつもりはなかったけれど、そんなに早くリタイアするって、仲間に報告するのは、ちょっとイヤって思えたのかもしれません。もうちょっと、もうちょっとが、ゴールにつながりました。
ゴール後、もうみんな帰り支度ができているので、そこで解散。
そして、帰りの交通手段等のご心配もいただき、ありがとうございました。
みんながいてくれたので、できたことがいっぱいあります。
ほんとうにありがとうございました。感謝の気持ちでいっぱいです。
わたしは、まだ着替えて帰り支度をしなければなりませんでした。
体育館に入って荷物をもらいに行ったら、トランジェット袋も一緒にして一括して受け取ることができました。この荷物をお帰りモードにまとめなければなりません。
荷物のところにいると、後半70キロ以降くらいに、一緒だった何人かのランナーに会って、お互いの完走をお祝いしました。70キロ以降は、多少の前後はあっても、ほとんど同じ顔ぶれで、同じくらいの位置にいましたから。
ところで、スポックさんはどうしたんだろう?
帰りはスポックさんに、適当なところまで送ってもらうつもりだったのに。
そういえば、朝、会ったとき、帰りのことなど全然、話題にしなかったから、もう帰ってしまったのだろうか???
当然、わたしより前だと思っていたから、この体育館にいないってことはもしかしたら、見捨てられたのかしらん? えっ!!!!! わたし、帰れない! 見捨てられたのかもしれなーいと思って、携帯に電話を入れても、「電波の届かない、、、」。あーーん、やっぱり置き去りにされたぁ。掲示板でいぢめたのが、あかんかったんかな。いつも三味線翻訳しているのが、気に障ったのかなとと思いつつ、メールを入れて帰り支度をしていると、体育館にスポックさん登場。
「わぁ、いてはった。見捨てられたとばっかり思ってましたよ」と。
で、聞いてみるとゴールはわたしの10分くらい後だったとのこと。なーーんだ。わたしより後ろにいらっしゃるなんて、夢にも思っていなかったから。
そんなんで無事に帰りの手段があったことに安心して、帰り支度。やっぱりバック爆発。荷物が膨張したけど、なんとか詰めまくって、荷造り終わり。
さて、これからスポック宇宙船号でお帰りです。
帰りに弥栄町のあしぎぬ温泉へ寄って帰るつもりが、とばしてしまったのでそのまま帰ることに。宮津か福知山で落としてもらうつもりが、山陰線よりも谷上へ出たほうがあとの交通の便がいいのではないかって感じで、そうすることにして、そうしているうちに結局、三宮まで送ってもらうことに。
スポックさん、お疲れのところどうもありがとうございます。
スポック宇宙船号のなかでは、花子しゃべりっぱなしで、100キロ走るより疲れたって? はぁ。
でも、車に乗って同じ姿勢でいると、だんだんと足が固まってきて、途中のSAでで車を降りるときには、身体は動くのに足だけ他人になっていて、「ちょっと、ちょっと、足、こっちよ」って感じで動かさないと動きませんでした。去年はこの筋肉痛に加えて、足首を痛めてたんで、その点は全然、違いました。去年より13分速く走れて、ダメージも少なくて、なんかとっても嬉しかったです。
スポックさんのおうちを通過して三宮まで送っていただいて、新快速で京都へ。そのあと奈良線と京阪で自宅へ。タクシーを使わずに帰ることができました。ありがとうございます。
その日はお風呂に入って、荷物もそのまま、軽くビールを飲んで休みました。
翌日が休日というのは、いいですね。
こうして、わたしの長い長い2日は終わりました。
が、参加記はまだ続きます。