2月29日(日)

「いってきま〜す」
 
 新幹線は10時半なので、ふだんよりゆっくりとして、京都駅へ。
 あぁ、日曜日なんだよなーと、あらためて思う。
 とりあえず身体だけ行けばなんとかなるだろうという思いでした。

 京都駅では事務局のMさん、そしてご一緒するNさん、Oさんがすでに着かれていました。Oさんとは実質、初対面です。そうしているうちにFさんも来られて、以前、お目にかかったような、、、、そうそう、鳥取の産直フォーラムでご一緒でした。
 Mさんから往復の新幹線の切符と静岡−焼津間の切符をもらって、行程の説明です。すでにパンフレットをいただいていたけど、あらためて確認しておくことは大切です。そして、車中で食べるお弁当を購入すべく新幹線の乗り場のほうへ。お見送りのMさんも一緒にきてくださいました。
 普段、新幹線にのるときにお弁当はほとんど買わないので、お弁当の値段をみてびっくりです。高すぎます。わたしの感覚で400〜500円くらいと思えるちらし寿司が800円。ちょっとまともな幕の内は1000円以上。まぁ、中身がよければそれだけ出してもいいけど、でも、あまり期待できそうにない。げー、もったいない。でも、他に選択することができいないので、そこでお弁当を買いました。そのときはあまりお腹が減ってなかったので、800円の京のちらし寿司、それをお茶を買いました。お茶も150円。駅では普通だけど、でも、やっぱり自分でくるときは、じぶんちでペットボトルにお茶いれてこようと思った。お弁当ももったいないので、おにぎりを自分で作ろうと。
 それぞれにお弁当を買って、新幹線ホームへ移動です。指定席なので、並ぶことはないけど、でも、なんとなく並びたいような気持ちになるのは不思議なものです。10分くらいホームで待って、Mさんのお見送りをうけて静岡へ向いました。

 新幹線は、わたしは窓側で同行している人が通路側の指定席でした。同行の人が窓側に座られたので、「わたしのチケットはそっちです」と代わってもらいました。別にわたしは、窓側でも通路側でもよかったのですが、検札にこられるときにいちいち説明しないといけないので、チケット通りに座ったほうがいいと思ってそう言いました。でも、言い方があんまりよくなくて、「のいてー」みたいな感じになってしまいました。ごめんなさい。何度か新幹線に乗りつつ、指定席をめぐってはいろんな経験をしているので、そのうちのひとつです。

 座席では、同行のNさんが飲み物を配ってくれたりと、お気遣いです。しばらくは同行のOさんと初対面なので、いろいろとお互いのことを話して、その後、わたしは、第五福竜丸事件の資料をいくつか読んで過ごしました。
ほんとうは来る前にもう少し、勉強しておけばよかったのですが、とてもそんな余裕がなく、ネットで記事を検索して、それを印刷したものを読みました。だいたいおおよそのことは理解できたような気がしました。
 そうしているうちにもう昼食をとったほうがいい時間になったので、さっき買ったお弁当を食べました。可もなく不可もなくの高いお弁当でした。

 そうしているうちにあっという間に静岡に着きました。
 同じ車両にPコープの方も乗車されていたので、ごあいさつをして改札を出ました。次の目的地へは地図をもっているので、それをもとに行こうとするわたしともうひとり、、Pコープの人についていこうとするあと2人と、途中ではぐれてしまったけど、わたしたちが強引に、地図をみて行くほうに誘導しました。
 地図の通りに行ったのですが、静岡駅の前の大きな通りは、地上からは渡ることが出来ず、もう1度、地下に戻らなくてはなりませんでした。もうこんなことなら地図にちゃんと書いておいてほしいなぁ。地図にウソはないけど、その通りが渡れないって、かなり重要な情報だと思うんだけど。時間に余裕があるからいいものの、大きな荷物をもってウロウロとするのは、たいへんなんだから。
 と、ブツブツと言いつつ地下に戻って目的地を目指しました。途中、主催者の方が誘導に立ってくださっていたので、その点は有り難かったです。でも、まぁ、「間違いない」というのを確認できただけだけど。

「虹のひろば」
 目的地に着いて、しばらく時間があったので、4人で自販機のコーヒーを飲んで時間を過ごしました。何を話ししたのか忘れたけど、なんとなくあたりさわりのない話だったかな。同行の4人の雰囲気は、いい感じです。
 時間になったので、会場に移って「虹のひろば」に参加しました。(参加といっても座ってみているだけですけど。)その様子は、「提出編」に書いたので、そこには書かなかったことを書きます。

 「新しい憲法のはなし」「憲法前文」「第九条」が大原嬢子さんと大原さんが指導されている朗読のサークルの方によって披露されました。
 「新しい憲法のはなし」は、心動かされるものがあったのですが、憲法の朗読は、言葉に酔っているという気がして、今、この状況でのーてんきじゃないの、と思ってしまいました。同行した参加者のなかには、この朗読が一番よかったという人もいましたが、わたしは、そうは感じませんでした。たしかに憲法はすばらしいと思います。でも、それがどんなふうに解釈されて、どんなふうに運用されているかを考えると、その言葉に酔っている場合ではないと思うのです。わたしは、一応、憲法の勉強もちょっとはしているから、条文だけを情緒的によむということはあまり意味がないと、よけいに感じるのかもしれません。

 もっともがっかりしたのは、「世界にひとつだけの花」を歌うという企画でした。受付のところで、紙で作った花を渡されて、歌うときにもってくださいということだったので、それなりの企画だと思っていましたが、いざ始まってみると、ほんとうにがっかりしました。
 わたしは「世界にひとつだけの花」という歌は好きです。でも、それを戦争反対の歌にしないでほしいと思っています。また「NO.1」と「ONLY 1」ということにも、特別な思いがあって、この歌もノーテンキに歌う気にはなれないのです。
 まず、わたしはこの歌は、槙原敬之の曲ということで、「マイノリティ」の歌だと思っています。もう知られていることですが、彼はゲイということなので、性的指向ではマイノリティです。マイノリティが大切にされる歌、それが「世界にひとつだけの花」だと思っています。
 それから「only one」についても、「自分だけ」というのは、自分以外のものと比べない限り、それはありえないのだから、NO..1になるかどうかは別として、人と比較するというのはつねにあるのです。比較して優劣をつけるかどうかというそこだと思います。それに高知競馬の「ハルウララ」だって、NO.1になりたくて走っているわけで、最初から「only one」を目指しているわけではありません。No.1をめざすことはとっても大切なことなんです。その目指すことと、結果の評価は別だけど、人はonly oneを目指せるほど、自分を確立できているのかなって思います。

 とまぁ、歌に対するわたしなりの思いはおいといて、もっとも違和感があったのは歌い方が絶叫タイプだったことです。ギター2本で、男性2人が絶叫する感じで歌うのはせっかくのいい曲がだいなしでした。結構、それまでの企画がよかっただけに、一気に興ざめしてしまいました。

 もうひとつ、この日はいろいろなことに関っている人のお話を聞く機会でもありました。そのなかで、アフガンで支援活動している人の話しは、「常に危険と隣り合わせ」という現地の悲惨な現状を訴えるものでした。危険と隣り合わせの日常はたしかにたいへんなのですが、でも、現地で活動していた人の話しを聞いても、わたしにはリアリティがありません。テレビの映像でみてもしかり、現地へ行った人の話しをきいてもしかり、それではどうすればいいのかというと、ほんとうにわかりません。紛争地域のことを日本にいて、どう考えるのか、さらに大きな課題です。
 そして、このアフガンの方の報告を例に書いていきますが、決してこの方、個人を批判しているとはとってほしくなくて、こういうことはいつも生じているということで読んでいただけたらと思います。
 静岡での企画が終わって焼津に戻って、大広間でそれぞれ食事をとるのですが、夕食後は何も予定がないので、それはくつろぎの時間となります。宿の温泉に入って、浴衣&丹前で食事という人もいます。わたしは今回は飲みませんでしたが、そこでビールやお酒を飲むことは、なんら批判されることではありません。でも、「アフガンは大変なんだ!」と訴えた人が、浴衣姿でビールなど飲んでいると、やっぱり違和感を感じてしまうのです。浴衣もビールも当たり前だけど、でも、わたしたちのやる平和活動は、それくらいのものだという自覚は必要だと思います。所詮、平和な国で考える世界平和の範囲でしかないのです。大切なのは、自分たちの活動がそういう小さいものだということの自覚だと思います。

交流会
 
 「虹のひろば」のあとは、会場を移動しての交流会でした。3会場あって1グループ10人程度。どの部屋に入るかは気待ってなくて、わたしたち3人はそれぞれ別の部屋に入り、もう一人は、「第五福竜丸」の映画を観ることになりました。
 事前準備のない交流会かと思ったら、他の参加者は交流会用に資料を準備をされていました。わたしのところは特に準備をしてなかくて、わたしもそれでいいと思っていますが、でも、「こういうときに京都の活動をアピールしたい」という人だったら、不満に思うかもしれません。でも、こういうところで各単協の資料をもらっても、あとで活用するのはとっても難しいことです。「思い」を書いたものであれば、それはあとで読めばいいのですが、「○○をやった」「○○にいった」という活動報告の羅列をみても、「そう、いろいろやってられるんですね」以上のものが感じられないからです。「活動交流会」が何を目的にしているのか、いまひとつわからずにわたしは参加したけれども、わたしは、個人個人が、どういう思いで平和活動をしているかということを交流するというもので、そういう点で京都の参加姿勢は、これでよかったと思います。

 1部屋に10人ほどが入って、その場で指名された方(Aさんとします)が進行することになりました。他の参加者に比べて、ちょっとお若いしと思ったら、職員の方だったようです。そのAさんの進行で交流会は始まり、各参加者が自分のところの活動について順番に話しをすることになりました。順不同なので、一人が終わったら、「はい、わたしが」という感じで、申し出順にそれぞれの報告をしました。わたしは、初めての参加で、どういうことを言えばいいのかよくわかっていなかったので、何人かの報告を参考にしてと思って、あとのほうで発言をしようと思い、人の話しを聞きながら自分はどういう話しをしようか考えていました。
 7〜8人くらいの報告が終わったくらいに、一人の報告者の話しに、すでに発表を終えた人が発言をして、それをもとに別の人が発言するという感じで、その場はすでに「交流会」。えっ、順番に1人ずつ話しをするはずじゃなかったのかなぁ、わたしはいつ発言できるのかなぁと思いつつ、進行役の人も何もしようとしません。まぁ、話しが盛り上がるのはいいけど、「順番に発表していく」ということなので、その場で言いたいことがあっても控えているのに、どうなっているんだろう。自分の発言が終わった人はそれでいいかもしれないけど、わたしは、自分の発表のためににいろいろと頭の中で準備しているから、今、行われている「交流」に入る余裕もなく、この話題が終わってまた、もとの「ひとりずつ報告」の進行に戻らないものかと待っていました。でも、話しは盛り下がることなく、延々とこの話題が続きそうで、進行の人も何も気にしていないようでした。
 まぁ、わたしだって進行役をまかされることが多くて、その難しさは十分にわかっているつもりです。進行する側から言わせてもらえば、「ひとりちょっとずれた参加者」がいるだけで、それを軌道修正しながら、話しを進めていくというのは至難のワザということはよくわかっています。でも、このままいったらまだ発言していないわたしたちは完全に無視されたまま最後までいってしまいそうな勢いで、だんだん腹が立ってきました。腹立ちはイライラになって、「ちゃぶ台をひっくり返して去りたい」気分でした。どうしてみんな自分のことばっかり言うんだろうと思う。まわりのこと、全体のことをもうちょっと考えられないものでしょうか。
 このままもう最後までやってもらってもいいのかと思いつつ、発言していないのは、わたし以外に2〜3人くらいいたので、このまま黙っているわけにはいかないと思い、わたしは、盛り上がるハナシの中に入っていくことを決意。
 
 「あの〜、順番に話しをしていくということではなかったですか。わたしはまだ発言していないので、発言させていだたけませんか」
  ―シーン―
「(やばっ、とっても迷惑そうだ) すみません、話が盛り上がっているところで、こしをおるようで申し訳ないですけど。 (なんでわたしが謝るんだ。謝るのは、約束を守らない参加者のほうではないか)」

 ということで、わたしが「京都では意義や目的ではなく、ひとりひとりの気持ちを大切にした活動を目指している」という主旨の発言をして、そのあとまだ発言をしていない人が続きました。あとの人の発言も、どちらかというと、この活動で大切にしているものに触れたものでした。
 この交流会で得たものは、「それぞれ違いがあるから、いろんな形があっていい。でも押さえるところは押さえておく必要がある」という点。これは、「気持ちを大切にする」と、つい忘れがち。何を目的にしているか、それを一致させた上で、その目的の目指し方はそれぞれ違っていていいということ。それが得られただけでも十分だと思うけど、でも、わたしは、自分が発言した以外は何も言いませんでした。この場の参加者とかみ合う話はできそうにないと思ったからです。交流会は自慢や愚痴を言う場ではないんやから。
 といいつつ、わたしも「気持ちを大切にした活動をしている」と自慢しているようなものだけど。うーん、難しい。まだまだわたしは勉強不足です。

 といいつつさらにわたしの不満は続きます。
 平和グッズの宣伝をしているところがありました。それを作ることで活動資金にして、またそのグッズを使ってさらに広めてほしいというもの。そのグッズの主旨はいいし、やり方もいいと思う。でも、ひとつ疑問に思ったのは、「平和せんべい?」なるものの販売。まぁ、そういうのを買ってお土産にするという主旨だろうけど、でも、それは広げる対象が違っていると思う。なんで、京都のわたしが、○○の活動の資金のためのせんべいを買わないといけないのかと思う。自分ちの活動のためのものなら、自分のところに使いたいと思っている。なんでもかんでも広めればいいというものではないはず。それをこういうすでに「(気持ちが)広まっている場」にもってきて売るのは、おかしい。そういう内向きの発想って、こういう「活動団体」の組織風土のような気がします。

 わたしは、「平和活動をしている人」がとっても苦手でした。「自分たちがとっても高尚なことを考えている人で、そういうことを考えない人は、いい加減な人」って感じで見下されているような感じがしていました。それはもう10年以上も前のことですが、そういう違和感、嫌悪感が最初に刷り込まれてしまったので、あまりこの活動にはかかわってきませんでした。ここ数年はそういう過激っぽい雰囲気がなくなってきているし、今度はわたしが、苦手な人になってしまわないように、自分の最初に感じた違和感、嫌悪感を忘れないでいようと思っています。

 コープしずおかでの交流会を終えて、今日の予定は終わりです。あとは宿泊先の焼津へ移動するだけです。静岡駅まで少し歩いて、焼津への移動ですが、慣れないところでの電車は難しいです。わたしは地元のコープしずおかの方にひっついていたので安心でした。静岡から焼津へのJRは結構、混んでいました。地元の方は、きっと迷惑だったでしょう。いつもなら、すいている電車が、突然の大勢の訪問者に占領されてしまったのですから。それでも運よく座れて、4人がけの座席に3人のしずおかの方、そしてわたしの4人が向かい合って座りました。
 そこでそれぞれの交流会のことが自ずと話題になりました。わたしの隣の部屋では、2人の人が長時間の発言をして、たいへんだったということでした。こういうことは必ずある、それをコントロールするのが進行役だけれども、進行役がコントロールしきれないこともある。人に話しを途中で切るのは、勇気がいることだけれども、でも、あとで参加者の愚痴となって話題になるほど時間を占領する発言は、よくない。でも、残念ながらそうやって時間を占領する人に自覚をもってもらうのは、難しい。でも、せっかく全国から静岡に集まって交流会をしているのに、そういう不愉快な思いをしないといけないというのは、どうしても理不尽だから、やっぱりこの交流会のもちかたは、もう少し工夫が必要だと思いました。

 焼津にはすぐに着いて、そこからバスで「かんぽの宿」に着きました。
 小高い丘のうえにあるという事前情報のとおり、眺めのいいとってもいいお宿でした。

夕食〜就寝〜朝

 宿に入って、少ししたら夕食でした。大広間でそれぞれが好きに食べるという感じで、とくになにもなくわたしは同行の4人で固まって食事をしました。隣のグループと同じときにきたので、隣の人のごはんをよそったり、お茶をいれたりしていました。
 食事は、かなり美味しいです。とくに人気だったのは、わかめのふりかけ。このふりかけのおかげでごはんをおかわりする人が多かったです。
 わたしたちはお風呂に入る前に食事だったけど、なかにはお風呂のあとの人もいて、浴衣姿でした。それが結構、派手な浴衣で、どうしても「温泉、浴衣」というと、こういうマジメな集会にきているってことを忘れてしまいます。
 ゆっくり食べて、しばらく休憩して、ゆっくりお風呂に入ってと、まぁ、ほんとに贅沢なこと。同行の4人も同じ部屋の奈良の方とも、つかずはなれずのいい感じです。お風呂のあと、ビールを飲んでいるのが、わたしと奈良の方ひとり。お仲間がいてよかった、よかった。
 部屋では雑談しながら、テレビをみながら、なんとなく過ごしていました。すると丁度、NHKで第五福竜丸事件のアーカイブスをやっていたので、お布団に入ってそれをみながら横になりました。途中、ちょっと寝そうになったとこもあるけど、でも、あらためて事件のことを知ることができました。

 朝は朝風呂に入ってから食事でした。バイキングなんですが、それがまた豪華で、何をとっていいやら随分と迷いました。とくにはんぺんや干物をその場であぶって出してもらえたのは、さすが焼津です。そこで初めて、「黒はんぺん」を食べました。うーん、美味しい! 絶対に買って帰ろう!
 今日は墓前行進が公式行事で、その前のオプションに参加することにしていたので、8時に宿を発ちました。

焼津レポート

 

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